障害を抱える老若男女が静かに暮らす施設で、身の震えるような事件がおきた。

 相模原市できのうの未明、26歳の男が施設に押し入り、知的障害者ら19人の命が奪われ、多くの人が負傷した。

 その経緯から浮かび上がるのは、強烈な殺意と、不気味に冷静な計画性である。犯罪史上でも特筆される異様な事件だ。

 複数の刃物を準備し、ハンマーで窓を割って侵入。職員を結束バンドで縛り、寝ていた入所者を次々に切りつけた。そして警察に出頭した。

 男は今年2月ごろ、「障害者が生きているのは無駄だ」と書いたビラを施設の近くでまき、保護者の同意で安楽死させられるように求める手紙を衆院議長公邸に持参していた。

 どんな事情であれ、障害者に対する危険な偏見は断じて容認できない。事件はどんな経緯で起きたのか。捜査当局は徹底した解明を進めてほしい。

 事件を不可解にさせるのは、男がこの施設で3年以上も働いていたという事実だ。

 施設では、10~70代の149人が共同生活を送り、160人を超える職員が働いている。

 日常の世話を通じて障害者らと親密に接し、家族や関係者らとも交流があったはずだ。その経験を積んだ男が「障害者」を狙い撃ちしたとすれば、なぜなのか、事件の闇は深い。

 男の言動について連絡を受けた市は2月、精神保健福祉法にもとづいて、男が自分や他人を傷つける恐れがあるとして措置入院させていた。12日後には入院の必要はなくなったと診断され、退院したという。

 措置入院は、本人や家族の同意と関係なく、行政が強制的に命じるものだ。必要以上に長びかせれば重大な人権侵害につながる。

 ただ、入院の直前に議長公邸に持参した手紙で、男は犯行を「予告」していた。その中に記されている手口は、今回の事件で起きたことに重なる。

 退院時には、家族と同居する約束になっていたが、実際にはどうだったのか。男の治療と見守りは十分だったのか。本人と家族への支援体制や、医療と警察との連携などについて、綿密に検証する必要がある。

 男は4、5年前には教員を目指しており、教育実習先の学校では子どもたちから慕われていたという。穏やかな人柄とみられた若者が一転、犯行に走った背景に何があったのか。

 現代社会のありようも含めた広い視点から今後の捜査を見つめ、考えるほかない。