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小野田さん帰国 42年後の真実

太平洋戦争の終結を知らないまま、30年近くフィリピンのジャングルに潜伏を続けた旧日本陸軍の元少尉、小野田寛郎さん。1974年、小野田さんが日本に帰国したときは、日本中が沸き立ちました。
小野田さんの帰国を巡って、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが、外交文書から新たに分かりました。さらに、この交渉を経てフィリピン側に支払われた3億円の資金を巡って知られざる事実が浮かび上がってきました。(国際放送局 照井隆文記者、広島放送局 関根尚哉記者)

残留日本兵 小野田寛郎さん

7月23日、日本とフィリピンは、国交正常化から60年を迎えました。太平洋戦争末期、最も過酷な戦場の1つとなったフィリピン。日本人50万人余りが死亡、100万人を超すフィリピン人が犠牲になったと言われています。

当時22歳だった小野田寛郎少尉は戦争が終わったことを信じず、3人の仲間とともに、フィリピンのジャングルに潜みました。その後、仲間を次々と失い1人で潜伏を続けていた小野田さんが祖国の土を踏んだのは、終戦から29年たった1974年のことでした。

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埋もれていた極秘の外交文書

日本とフィリピンの戦後史を研究している広島市立大学の永井均教授は、小野田さんの帰国に関する日本政府の極秘文書を情報公開請求で初めて入手しました。670枚に及ぶ外交文書です。

NHKは今回、永井教授と共同で、見つかった外交文書の分析を行いました。文書には、小野田さんの帰国を巡り、日本とフィリピン政府との間で極秘の交渉が行われていたことが記されていました。

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この中には次のような記載もありました。

「小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた」
「何らかの手を打たなければ、フィリピン側の世論も納得しない」

戦争の終結を知らない残留日本兵らが、地元の住民に深刻な被害を与えていたことが公文書で初めて確認されたのです。

永井教授は「文書からは小野田元少尉の救出問題が通常の残留日本兵の扱いをはるかに超える、政治的・外交的な重要案件だったことが分かる」と話しています。

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“見舞い金”は3億円に

「かかる人的、物的損害に対し、日本政府は補償する動きがあるか」

交渉の中で、フィリピン側は、被害への補償の有無を打診していました。
日本政府は1956年のフィリピンとの協定で、戦後賠償は解決済みとの立場でした。しかし一方で、現地の被害者や遺族たちが声を挙げ、反日世論が高まることを懸念し「見舞金」を支払う検討を始めました。

「被害者らは、損害賠償請求権を行使するおそれがある。見舞金は、請求権行使を思い止まらせる効果をもつであろう」

日本政府は、見舞い金として3億円を拠出する方針を固めていきました。

当時、フィリピンとの交渉に関わり、のちに外務事務次官を務めた竹内行夫さんは両国の将来を見据えたという日本の見舞い金の提案に、フィリピン側も理解を示したといいます。そのうえで「いろんな被害というか損害を島民の方に与えていたという事実が判明しましたので、小野田少尉の救出に多大の協力をしてくれたフィリピンに対しては感謝をしたいという日本側の誠意としてやった」と述べました。

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外交文書には、見舞い金の使いみちについても書かれていました。

「フィリピン政府は、被害者や遺族に対し現金で分配し、または、福祉に貢献するプロジェクトに支出することになるだろう」

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資金を管理・運営するのは比日友好協会と記されていました。外交文書は、ここで終わっています。

3億円 実際の使途は

住民の被害への対応として検討が始まった3億円。実際にはどのように使われたのでしょうか。私たちは資金を管理するとされた、比日友好協会を訪ねました。

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当時から協会の中心として活動し、現在は顧問を務めるベンジャミン・サンビクトーレスさんは資金は、小野田さんの帰国後に交付され、協会は日本語学校の運営や、日本への留学生の支援に充ててきたといいます。資金の使いみちについてフィリピン政府から明確な指示はなかったと言います。
「マルコス大統領は協会に金を与えれば、日本とフィリピンの関係が発展し、長年続くだろうと考えたのでしょう」と話していました。

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潜伏していたルバング島では

日本側から支払われた3億円は、実際に被害に遭った住民のためには生かされなかったのでしょうか。それを確かめるため、私たちは小野田さんら残留日本兵が潜んでいたルバング島を訪ねました。

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島の人々には、残留日本兵の記憶が今も刻まれていました。島民の男性は「私たちの家も田んぼも元日本兵に焼かれてしまいました恐ろしかったですよ」と話していました。

残留日本兵に家族を殺害されたという人にも取材することができました。クリスティーナ・デラクルスさんは29歳の時、夫のシプリアーノさんを失いました。夫は釣りをしていたとき突然、撃たれたといいます。クリスティーナさんは「ある人が私を訪ねてきて、夫が教会に運ばれたと知らされました。教会で夫と対面しました。そのときはもう亡くなっていました」と当時の状況を語ってくれました。

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7人の子どもがいたクリスティーナさん。夫の死後、事務員をしながら、子どもたちを育てました。日本政府から支払われた3億円の存在は聞いたこともなく、「1人で子どもたちを養って、学校に通わせました。どんなに大変でも、じっと耐えるしかなかった。今も生活は大変です」と話していました。

ルバング島の元町長も私たちの取材に対し、3億円が住民や島のために使われた事実はないと答えました。

帰国のかげで置き去りにされた歴史

外交文書と取材から浮かび上がってきた、3億円の資金を巡る知られざる事実。日本中を沸かせた元日本兵の帰国のかげに、置き去りにされてきた歴史がありました。
私たち今後はフィリピン側の外交関係者の取材も進めなぜルバング島の住民に3億円が使われなかったのか調べていくことにしています。

照井隆文
国際放送局
照井 隆文 記者
関根尚哉
広島放送局
関根 尚哉 記者