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強くてニューサーガ 作者:阿部正行

第六章

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第六章ダイジェストその1

 ガルガン帝国帝都ルオスは人族最大の都市であり人口は五十万とも言われている大都市だが、現在は静まり返っている。
 その理由は今から五日前に皇帝に成り代わり帝国を取り仕切っていた第一皇子エルドランドが急死し、さらに末のアンジェラ皇女も行方不明という非常事態のためで、出入りを大きく制限されているのだ。

 旅人や商人が閉め出されるなか、新たな商隊らしき大きな荷車が列をなして城門へと向かってくる。
 それは会長のクラウス自ら率いたマルニコ商会の商隊で、三年前に亡くなったアスメリア皇后の霊廟に必要な石材を運んでいるというのだ。
 国の大事で皇帝ベネディクスの勅命とあって封鎖していた兵士は動揺する。

 この後封鎖を指示しているダルゴフ将軍も現れ揉めるが何とか入国に成功し、使用人に変装していたカイル達は胸をなでおろした。
 これはカイル達が、密入国する為の偽装で、理由はアンジェラ皇女の存在だ。

 一月ほど前になるが、アンジェラ皇女は何者かに命を狙われた。
 狙ってきた者の正体は解らず、誰が味方で誰が敵かもわからない状況になったアンジェラは思い切った手に出る。
 安全を確保するために誰にも告げず失踪し、カイル達に同行して身を守っていたのだ。

 もしアンジェラを狙ったのがエルドランドを暗殺した者と同一だった場合、ただ戻ったのでは再び襲われる可能性もある。
 その為アンジェラの安全を考え、こうして密入国することになったのだ。

(さて、何とか入れたが……後はどうするかだな)
 この後のことは正直カイルにも考えは無い。

 本来の歴史、カイルの一度目の人生でもエルドランドは暗殺されている。
 黒幕はジルグス国のレモナス王で実行犯はミナギ、確証があるわけではないがほぼ間違いなく、だからこそ今回はエルドランドの暗殺が起こることはもう無いと思っていた。
 依頼者であるレモナス王はすでに死亡し、何より実行犯であるはずのミナギがカイルと同行しているのだから。

(だが起こってしまった。暗殺そのものの時期も三月近く早い……一体誰が? 何の為に?)
 カイルは考え込むが答えが出るはずも無く、一度頭を振った後帝都ルオス中心にある巨大な宮殿の方に顔を向ける。
 武を尊ぶガルガン帝国らしく、無骨ではあるが威厳を感じさせるつくりで、圧迫感さえ感じさせる。
 カイルはこれからそこで起こるであろう騒動を予感し、胸騒ぎを覚えながら見つめていた。


   ◇◇◇


 カイル達一行は帝都の目抜き通りにあるマルニコ商会の支店につくと、先行していたミナギと合流し、現状確認とこれからのことを相談する会議となった。
 クラウスに用意してもらった部屋は会議等を行うためにある一室で、長いテーブルに全員腰を掛けている。
 その場に居るのはいつものカイルと仲間達のほかにはアンジェラ皇女と、クラウスも同席していた。

「さて、これからどうするかを決めるためにも詳しい情報を聞きたい……頼む」
 カイルが言うと、ミナギは皆を前に見回した後ゆっくりと口を開き、帝都の現状を説明していく。

 その内容はカイルからしてみれば最悪に近く、内戦状態の一歩手前だと解る。
 まず、公式にはエルドランド皇子はあくまで急死で、暗殺されたと言うのは噂にすぎないが、その直後から帝都は出入りを軍が完全に封鎖しているのは犯人を逃さないようにするためだとほぼ確定事項のようになっていて、アンジェラ皇女に関してもほぼ死亡として伝わっているとのことだ。
 そして何よりも話題になっているのが後継者の問題と聞き、カイルの顔が険しくなる。
 カイルが何よりも恐れているのはこの後継者争いから発展する内戦だからだ。

 候補になっているのは三人で、第二皇子コンラート、第三皇子マイザー、そして第一皇子の遺児でもある皇太孫ノルド、この三人のうち誰かがエルドランド暗殺犯の可能性が高いと言われている。
 まだ四歳のノルドは除外するとして、コンラートとマイザーの二人が有力候補であり、エルドランド暗殺の容疑者でもあった。

 そしてこの混乱に拍車をかけているのが、未だに皇帝の正式な発表がないとのことで、その理由をアンジェラが説明する。
 皇帝ベネディクスは病により床から離れる事は出来ず、何日にもわたり意識が混濁することもあると、現在帝国が最も秘密にしている事を沈痛な面持ちでアンジェラは語った。

 確かに退位も囁かれてはいたが、一代で大帝国を築き上げた稀代の英雄であり人族全体でも重用人物である皇帝ベネディクスの復帰を願う声は大きかった。
 そして広大な国土を短期間でまとめ上げたのは圧倒的な武威だけでなく、ベネディクスのカリスマによるところも大きく、その死に際し起こるであろう帝国内外の混乱を最小限に抑える為に存命の内にエルドランドが後継者として相応しいとアピールする為の時間稼ぎをする必要がある。
 その為に無理矢理延命し時間を稼いでいるのだろう。

(それでここ最近はエルドランドが積極的に表舞台に出てきていたのか……だが無駄になってしまった。どこのどいつが余計な真似を!)
 カイルは内心でため息をついたあと毒づいた。
 元々カイルの理想とすればマイザーに皇帝になって欲しかったのだが、一番の目的は魔族の攻撃、『大侵攻』時にガルガン帝国が国力を維持していることだ。
 このままエルドランドが帝位を継いでいれば何も問題は無かったはずだというのに。

 この混乱と動揺を何とか抑えているのがベアドーラ宮廷魔道士とコロデス宰相で、皇帝の両腕ともいうべきこの二人が混乱状態の帝国を何とか支えているようだ。
 この状況でコンラート皇子につくか、マイザー皇子につくか、ノルド皇太孫を後押しするか、それとも様子見するか……帝国内の貴族や有力者は揺れに揺れている、というのがミナギの説明だった。

 そしてアンジェラが言うには鍵を握るのは軍部と五人の将軍で、このまま皇帝の命令が無く将軍の判断で介入を始めた場合、本当に内戦になるとの事だ。
 アンジェラ皇女の口から出た内戦の言葉を聞いた全員の反応は驚きや戸惑いなど様々だが、大体は半信半疑で流石にそこまではいかないだろうという、希望的観測が大きい。
 だがカイルだけは確信に近いものを、それも一年近く続き人的被害も万を超える泥沼の内戦をはっきりとした形で予感していた。

 重い空気に包まれた室内の中でミナギが言いにくそうに更なる問題を告げる。
 ジルグス国のミレーナ王女が帝都に滞在していると言い、完全に予想外な名前を聞かされたカイル達の動きが止まった。

 ジルグス国ミレーナ王女。『ジルグスの至宝』と近隣諸国にしれわたる有名な美姫だ。
 また美しさだけでなく聡明でありながら慈愛にも満ちた、人をひきつける魅力を持つまさに女王となるべくして生まれた、それがミレーナ王女の評価だった
 もっともある事件でミレーナ王女と関わったカイル達は、そんな王女の裏の顔ともいうべきものを知っているのだが。
 レモナス王が亡くなった後、まだ正式に王位にはついていないが近いうちに女王になるカイル達にとっても因縁浅からぬ相手だ。

 エルドランド皇子と親善目的の会談をするために訪れていたらしいが、当然中止となり足止めされているとの事だ。
 ジルグス国とガルガン帝国の関係は良いとは言えず、約三年前には戦争寸前までいったことがあり、現在はなんとか小康状態といったところだが、逆に一気に悪化する可能性もある。
 ガルガン帝国は人族の中で最大勢力を誇る国家だが、ジルグスも有数の大国でもしこの両国の戦争となれば被害は甚大なものとなるだろう。

「帝都の大体の状況はわかった。これからどうするかだな」
 報告をあらかた聞いたカイルは、腕を組んで考え込む。

 何よりも避けたいのはこのまま帝国が内戦に突入することだ。
 本来の歴史ではベネディクスは死の間際にマイザーを後継者と指名するがこれを不服としたコンラートと、その支援についた勢力との間で内戦になる。
 マイザーとコンラートによる後継者争いの内戦は一年近く続いたあとマイザーが勝利し帝位についた。
 内戦で疲弊した帝国を立て直そうとしたマイザーだったが、国力が回復しないうちに魔族の総攻撃『大侵攻』が始まりそれが人族が滅亡寸前にまで追い込まれる遠因になっている。

 そして現状はその流れに沿っているし、最悪ジルグスとの戦争にもなりかねない状況だ。

(繰り返すわけにはいかない。だが内戦を抑えるにはどうすればいい?)

 カイルとしてはマイザーに皇帝になってほしいが、それが叶わないならせめてコンラートやノルドに禅譲してくれればいい。
 とにかく内戦をおこさないようにする、それがカイルの第一目標だった。

「……とにかくもっと詳しくて、正確な情報を知りたいな。できれば国の中枢にいる人物に」
 どのように動くかにしても各自の立場や思惑、目的を知らなければならない。
 そこで一番妥当で、面識もあるベアドーラに会おうと言う事になり、とりあえずやれることとしてベアドーラの屋敷へと向かうことになった。

 だが目立たないようフードを目深に被り店から一歩踏み出したそのときだった。

「……………親父?」
 影の薄い、存在そのものを忘れかけていた自分の父ロエールと偶然の再会をするカイルだった。


   ◇◇◇


 完全に予想外の再会に動揺するカイルに構わず、久しぶりに会ったリーゼは喜び故郷であるリマーゼの様子を聞いていた。

(親父って昔っから影薄いんだよなあ……何でだろ?)
 カイルはこの父親に対して母親とは違う苦手さを感じている。
 別に嫌いとかではないし、むしろ父子仲は良いと思うが、時々何を考えているのかわからない時があり、それもあってかないがしろにしている訳ではないのだが、よくその存在そのものを忘れることがあるのだ。
 故郷を離れ旅に出てから、自発的には一度も思い出す事なかったなあ、とかなり薄情なことをカイルは考えていた。

 何とか気を取り直し、何故帝都にいるかを訊くカイルに、マイペースのロエールの顔が初めて少し曇る。
 妊娠中のセライアの体調が悪く難産になりそうなため、神聖魔法の使い手が多く、伝手のある帝都に来たと言うのだ。
 それを聞き、またも動揺しかけるが、あくまで念のためだと知り何とか落ち着くカイル。
 そして現在はセライアの師匠であるベアドーラの屋敷に滞在中だとわかり、こうしてカイルはまったく予想外に家族の再会をすることになった。


   ◇◇◇


 ベアドーラの屋敷は帝国の重鎮に相応しい規模の邸宅で、人の背の三倍はあろうかという塀に囲まれている。
 だが場所は帝国貴族が住まう地区ではあるのだが隅の方にあり、屋敷自体にも規模の割には人気がない。

 セライアが居るのは離れの半地下になっている書庫で、住み込みの弟子だった時も同じように暮らしていたらしい。
 故郷でも書庫で一日の大半を過ごすほどの本好きであったセライアだ、妊婦にはあまり相応しくない場所かもしれないが当人が落ち着く場所ということで、ここを借りているようだ。

 ロエールは地下への階段を降り目の前に現れた木製の扉をノックする、中から返事があるとゆっくりと扉を開けた。
 カイルはとても聞き覚えのあるその返事の声に心が騒めき緊張してくるが、軽く深呼吸をして心を落ち着かせた後ロエールに続き室内に入った。

 そこにいたカイルの母、セライアは驚いた後満面の笑みで息子の名を呼び駆け寄ろうとした。

「ああ、動かないでいいから! じっとしてて!」
 故郷を出てから約十月と言ったところだがセライアの印象に大きな変わりはない。
 ただ本を読むのに邪魔だからと短くしていた髪は伸びており、何より目立つのは、そのはち切れんばかりのお腹だった。

 苦笑しつつも駆け寄るのは止めて、側に来たカイルにそっと抱き付くセライア。
 色々と言いたいことがあったが、素直に従ってしまうカイルだった。


   ◇◇◇


 しばらく経った後我に返ったカイルが振り向くと、皆がこちらを見ている。
 ロエールやリーゼ、ウルザは微笑ましそうでまだ良かったが、アンジェラは意外そうな顔をしており、シルドニアやミナギは明らかに面白がっている。
 セランにいたってはニヤニヤとした、絶対後でからかってやろうという笑みを浮かべており、やはり一人で来ればよかったとカイルは悔やんでいた。


   ◇◇◇


 この後は家族の団らん、更には何故かセライアによるカイルの仲間(特に女の子)への面談になり、旅の最中の女性関係まで踏み込まれどんどん消耗していくカイル。
 精神的に打ちのめされたカイルをよそに、セライアとロエールが息子をよろしくと改めて挨拶する。

「ごほん!……えっと、家主は、ベアドーラ宮廷魔道士はいつ戻ってくるんだ?」
 これ以上話させてたまるかと、わざとらしく咳ばらいをした後カイルはベアドーラに何とか会えないかと本題を切り出す。
 するとセライアはカイルの方がそれでいいのかと言いたくなるくらいに、理由の一切を聞かずにあっさりと快諾し、魔法の会話によって連絡を取りベアドーラを呼び出すことに成功した。


   ◇◇◇


 アンジェラ皇女がいる事を知ったベアドーラはどこかに行かれては困るとばかりに本当にすぐに来た。
 宮廷魔道士で、帝国のまとめ役でもあるベアドーラの立場からすれば、今の状況で宮殿から離れるのは相当無理をしてだと言うのが解る。
 セライアとロエールは席を外すが、カイルとしてはこれ以上二人を巻き込むわけにはいかなかったのでありがたかった。

 まずベアドーラはアンジェラの無事を喜び、そしてどこにいたのかと詰問に近い口調で問いただす。
 さすがに魔族領に行っていたとは思っていないようで、アンジェラも話すつもりは無いらしく曖昧な笑みでかわし、逆にアンジェラはエルドランドの死に付いて訊く。
 するとベアドーラが本当に困惑したかのように、その日のことを語り始めた。


   ◇◇◇


 その日は本当にいつも通りで、エルドランドは起床直後から慌ただしく動き始めるぐらいに、予定は詰まっていたがそれも良くあることだった。
 いつも通り手早く朝食を取り、いつも通り公務を執り行うべく執務室へ向かう途中、突然倒れたのだ。
 すぐさま高位神官による神聖魔法の治療、蘇生が行われたが意識を取り戻すことも無くそのままこと切れた。

 直前まで従者から報告を受け指示を出すなど普段と全く変わらず言動にも異常はなかった。
 従者や直属の護衛、付近にいた城の使用人などを含めればその場には二十人はおり、不審な者はいないとのことだ。
 勿論その周りにいた者も徹底的に取り調べたが、怪しい点や犯人である証拠は何一つ出てこず、また遺体を詳しく検死もしたが異常は見受けられず、何故か心の臓が止まったとしか解らなかった。

 そこまで聞いたミナギが遺体の検死は出来ないかと申し出、ベアドーラはそれに応じる。八方ふさがりの状況で、藁にもすがる思いだったのかもしれない。

「ではどうやったかではなく、誰が指示したかについては何か解っていますか?」
 第一皇子暗殺が個人で行われたとは思えない、実行犯の他に黒幕がいるはずだとカイルは言っているのだが、ベアドーラはこれも首を横に振る。
 エルドランドが死ぬことにより得をする者、帝国自体に恨みを持つ者が多すぎる為混迷を極めているとのことだ。

 もう一つの情報としてエルドランドの遺児であるノルドは継承を正式に放棄するとのことだ。
 これによりノルドを帝位にと望んでいた派閥、正確にはエルドランドに忠実だった者達からすれば納得できないだろう。
 軍部のほうも一部不穏な動きを見せ始めており、更にはミレーナ王女も当分国内から出す訳にはいかないとも解る。
 こうしてベアドーラから詳しく正確な情報を聞いても芳しい情報は無く、部屋の空気が沈んでいくのが解った。

 その沈んだ空気を打ち掃うかのようにベアドーラが朗報を一つ言う、皇帝ベネディクスの意識が回復したというのだ。
 これにはアンジェラが思わず立ち上がり喜色満面といった表情になり、これでもう大丈夫といわんばかりに安心したようだ。
 そして当然とばかりにアンジェラは皇帝に会いに行くと言う。

「では……私もついて行っていいですか?」
 このカイルの申し出は色々と理由づけは出来るが、単純に皇帝ベネディクスに会ってみたいというのが強く、自然と口を突いて出たのだ。

 ベアドーラがカイル一人ならば、そう念を押そうとしたが、アンジェラが割り込み、嫌な予感がしたセランが急ぎその場から離れようとしたが、その前にアンジェラがその腕を逃がさないとばかりにがっしりと掴んだ。

 こうしてアンジェラと共にカイルとセラン、そして宮殿内の礼拝堂に安置されているエルドランドの遺体を検死するためにミナギが宮殿へと向かうことになり、リーゼ達は留守番となる。
 そこでカイルは座ったままなかなか動こうとしないミナギに話しかける。

 すると固い表情でミナギは、直接の実行犯に心当たりがあるというのだ。

「まさか!……まさかソウガの仕業だと言うのか?」
 確信を込めたかのようなミナギに、何を言いたいのか解ったカイルが目を見開いた。

 ミナギの師にして親代わりでもあるソウガは、彼女を上回る腕の持ち主でカイルもその実力のほどはよく知っている。
 もしミナギの予想が当たっているのならば、ソウガがこの件に関わっていることになり、そして敵対することになる。
 それを想像したカイルもまた表情を固くしていた。


   ◇◇◇


 ガルガン帝国皇帝、ベネディクス・ヴォルガード・ガルガンの名が世に出たのは今から四十年ほど前だ。

 ガルガン帝国の前身となったガルガン王国は身分制度の厳しい国で、生まれによってその後の人生がすべて決まっていた。
 どれほど能力があろうとも、誰もが目を見張るような功績を残そうとも身分が低ければ決して日の目を見ることは無く、逆に身分が高ければ人格に問題があろうが不問にされ大罪を犯しても裁かれないことすらあった。
 伝統と歴史を重んじるといえば聞こえはいいが、変化も改善もしない停滞であり、よどみ腐りつつある末期の国家の様相を晒していた。

 そんな中理不尽を正し実力があれば認められる、相応しくなければ否定される。そんな当たり前の社会を目指したのがベネディクスだ。
 その出自については傭兵の出とも亡国の王族とも言われているが詳しく明らかになっていない。しかしそのカリスマに引かれた優秀な人材が集まり当人の決断力、そして運にも恵まれも急速に力をつけていった。

 最終的には傍系ながらガルガン王家の血を引くアスメリア姫を正妻として迎えることにより正統性も手に入れガルガン王国を打倒し、ベネディクスは僅か十年でガルガン帝国を建国し初代皇帝となった。
 そのあとも一切の区別ない社会を目指すという目的の元、人族統一を目指し三十年で、帝国を人族最大国家に押し上げたのだ。

 その評価は慈悲無き殺戮者として悪鬼の様に憎まれることもあれば、平等への解放者として信仰にも似た崇拝を受ける場合もあるなど様々で、良くも悪くも稀代の英傑であり、今の人族の世界が続く限り永遠に名前を語り継がれる人物だ。

 だが今カイルの目の前にいるのはそんな英雄像とはかけ離れた姿だった。
 ベッドから半身を起こしてはいるが、背もたれに身体を預けていて、それさえも辛そうなほどに痩せ衰えている。
 頬がこけたその容貌は広まっている若い頃の絵姿と同一人物にはとても見えず、人である限り老いと病には勝てないと改めて思い知らされる。

 だがカイルにとってはそんなことは問題ではなく、入室した自分たちに向けられた刺貫くようなその眼光だけで十分だった。

 剣の腕だとか、魔法だとか、知識だとかではなく、積み重ねてきたものと背負ってきたものの差に圧倒されるかのようだ。
 カイルは別に敵対したりするつもりもなかったが、敵わないと思わせる何かを一目で感じさせる。
 似たような感想だったのか、隣のセランも珍しく息を飲み立ち尽くすかのような様子がうかがえた。
 だからこそこの現状を残念にも思う。

(もし、魔族共が攻めてきたのがこの人の全盛期なら……俺の出番は無かったかもな)
 どんな危機的状況でもベネディクスを中心に人族はまとまることができ、対抗することができただろう。
 それだけの凄みを見せつけられた気分だった。

 だがそんな皇帝も末娘には甘いようで、アンジェラにはベネディクスの威厳ある険しい相貌が緩む。
 駆け寄り父親に抱き付いたアンジェラは大粒の涙を零している。

 エルドランドの死を聞かされて以来、表面上には目立った悲しみは見受けられず、毅然とした皇女の顔しかカイル達は見ていなかった。
 だが父親の前でタガが緩んだのか、頼りにしていた長兄の死に対して年相応の少女の顔で涙を見せている。
 ベネディクスも皇帝ではなく、父親として娘の頭を優しく撫でており、それは皇族といえど親子であり家族であるとわかる光景だった。

 状況を理解したベネディクスは自分の命があるうちに後継者を決めると言うが、コンラートでは帝国を弱らせ、マイザーでは帝国を割ることになると迷っていると明かす。

 そんな父の苦悩を見て、どのような選択でも指示するとアンジェラがはっきりと言った。
 アンジェラの国民人気はかなり高く、その影響力は決して小さくない。
 そのアンジェラが正式に支持をすれば間違いなく後押しになる、それが彼女の出来る唯一にして最大のことだった。
 ただ一つ、マイザーの方がベネディクスに似ているとだけは付け加える。

 ここでようやくベネディクスはカイル達に目を向ける。
 カイルとは余裕を持った挨拶をするベネディクスだが、セランがレイラの息子だとわかると、その反応は劇的だった。
 驚愕の表情になり、思わず身を乗り出した後、興奮から痛んだのかベネディクスは胸の部分を押さえ側に控えていた侍従が慌てて近寄るが乱暴に振り払う。
 息を乱したベネディクスは、驚きとも怒りとも喜びともとれる不思議な顔でセランを睨んだほどだ。

 その視線に晒され大胆不敵、心臓に毛が生えているかのようなセランが油汗をかき、引きつった顔になる。
 単純な怒りや憎しみの視線ならまだ解るが、どうもそれだけでは無いようで、複雑な感情を抱いているようだ。
 だが義母のせいで、それを自分に向けられているのは理不尽というもので、勘弁してくれと言う思いでいっぱいだった。

 落ち着いたベネディクスが言うには十年前の親征でレイラに命を救われ、その後殺されかけたらしい
 何してくれてるんだ、と呪詛の言葉を脳裏の母に投げかけるセラン。

 ただ全ては昔の話と、懐かしむかのような遠い目になるベネディクス、そしてこれ以上の負担は駄目だと判断したベアドーラが、この場はこれで終わりと告げる。
 ベネディクスは起こしていた上半身を大儀そうに横たえ、そしてアンジェラだけ残るように言われ、カイル達は外へと出た。

 部屋から出るとセランは疲れたと早々に帰るが、カイルはベアドーラに捕まってしまう。
 そしてミレーナ王女のことを頼みたいと言われ、それだけでカイルはこれが厄介ごとであり、断ることはできないだろうと確信できた。

 ベアドーラが言うにはミレーナには当面帝国内に留まってもらい、それでいて敵対しない様に説得してほしいというものだった。
 ミレーナが暗殺に関わっていないと言うのは普通に考えればわかる事だが、それでは納得しない者も多く、帝都を封鎖しているダルゴフ将軍はその代表格だ。
 ベアドーラとしてはジルグスと揉めたくは無いが、優先順位としては帝国内の安定よりは低く、敵の敵は味方という言葉ある通り、共通の敵と言うのは緩みかけた組織を引き締めるのに都合がいい。
 どうしてもとなればジルグス国との関係悪化や、戦争でさえも利用すると言っているのだ。
 ただそれは出来る限り避けたいので、大人しくしててほしいそう説得してきてほしいと言っているのだ。

「無茶を言う……」
 カイルは頭を抱える。これはミレーナに帝国の都合で帰国させないが、それでいて帝国に不利なことはしないでくれという、あまりに都合が良すぎる説得をしなければならないからだ。
 とは言えカイルにこの依頼を断ると言う選択肢は無い。これを放置すれば、ガルガン帝国とジルグス国で戦争になるかもしれないのだ。

 このあとコンラートが身を隠し、帝国内の有力者と連絡を取って何やら画策しているようだという話を聞いたところで、城に仕える女官が小走りに駆け寄ってきてベアドーラに何事かを言付ける。
 内容はマイザーがカイルを呼んでいるとの事だ。

「……解った、すぐに行く」
 既に精神的にかなり疲労していたが、これを断る訳にはいかなかった。


   ◇◇◇


 カイルが女官に案内されたのはマイザーの私室と思しき部屋で、入ると中には二人の人物がいた。
 一人はマイザー、もう一人は獣人と言われる種族で、帝国の宰相コロデスだ。
 帝国の宰相とは思えない腰の低さで、コロデスはカイルに慇懃に挨拶をする。

 だがその本性が皇帝の懐刀として辣腕をふるい、帝国の内外で数々の敵を公式、非公式に屠ってきた政治家だということはカイルも知っている。
 そして人間の国である帝国の最重鎮である宰相が獣人であることもこの国が実力主義であることを表していると同時に、コロデスの実力のほどを示していた。
 コロデスは二人に丁寧に退去の挨拶をするが、その立ち去り際の笑顔がカイルにどこか肉食獣の舌なめずりを連想させたのは考えすぎと思いたかった。

「お久しぶりです。マイザー殿下もお変りないようで……」
 コロデスの背を見送り、姿が見えなくなったあと、カイルは改めてマイザーに挨拶をする。
 マイザーは堅苦しい挨拶はせず、呼んだ目的は妹のアンジェラを救ってくれた礼を言いたかったと告げた。

「はははたいしたことはしておりません」
 これには乾いた笑いを漏らすしかない。
 助けると言っても、魔族領に連れて行き魔王と会い、更に魔族との揉め事に巻き込んだうえに、直接戦わせもしたのだ。これだけで首が飛ぶどころの話ではないのだ。

 そしてマイザーは本題を斬りだす、マイザーが継ぐにしろコンラートが継ぐにしろ帝国は荒れるので、自分に力を貸してほしいと言うのだ。
 マイザー自身帝位を継ぐか、それとも何もかも投げ出して逃げ出すか、考えも覚悟も定まっていない状態だがとりあえずの予約と言う形でらしい。

「……少なくとも俺は帝国がこのまま内戦になるような事態は絶対に避けたいと思っています。その為ならば力をいくらでもお手伝いしますよ」
 カイルは言葉を選んで返答をする。
 方針としてはマイザーに皇帝になって欲しいが、まだ当人がどうするか決めていないので、下手に約束をして逃走の手助けなどをするわけにもいかない。
 マイザーも今はそれで充分と思ったのか薄く笑ってここで話は終わった。


   ◇◇◇


 宮殿を出たカイルは大きくため息をついたあと、歩きながら今日の出来事を整理する。
 現在の帝国の様子がよく解り、現状が決して楽観できないことを改めて認識したのだ。

「だがまだ最悪ではないな……まだなんとかなる」
 自分に言い聞かせるようにそう呟く。歩いているカイルにそっと人影が近寄って来る。
 それは礼拝堂に安置してあるエルドランドの遺体を検死したミナギで、彼女が言うにはエルドランド皇子を暗殺したのはやはりソウガのようだ。
 ただもうこの都市にはいないらしく、戦うことは無いようだとわかりほっとする。

「良かった……本当に良かった」
 カイルからしてみれば、ミナギにはソウガと面識があると騙しているので、それがばれる可能性が消えた

(危なかったな……とは言え誰がソウガに依頼を?)
 もし、ソウガがまた暗殺にきたら自分は防げるのだろうか……そんな事を考えていた。


   ◇◇◇


 すっかり陽も暮れてベアドーラの屋敷に戻った時には、カイルは肉体的には問題ないのだが、精神的には疲労困憊だった。
 朝に帝都に密入国したかと思えば、両親と思いもかけない再会。皇帝や宰相、皇子と会い、そしてチラつき始めたソウガの影……更に明日にはミレーナ王女と会い説得しなければならないのだ。
 これらが重くカイルの肩にのしかかってきている。

「やれやれ……後は最後の仕事か」
 本来なら今日はこのままクラウスに用意してもらった商会の部屋に戻り、明日に備え早めに休みたいところだったが、セライアに必ず帰りに寄る様にと約束させられていた。
 相手をしているリーゼ達を迎えるついでに、今日最後の大仕事とばかりにセライアに会いに来たのだ。

 地下の書庫でセライアはいつも通りの笑顔で息子を迎える。
 とにかく早めに切り上げ、リーゼ達を連れて戻ろうとしたその時セライアが気軽な感じでとんでも無いことを言った。
 さっきコンラートと会ったと言うのだ。

 現在行方をくらましているコンラートがセライアに会いに来たのは、どうも最後の別れを告げに来たようだった。
 そしてセライアの出産に当たり神官を手配してくれたのはコンラートだとも解る。
 どうやらコンラートにとってセライアは初恋の相手のようで特別らしいが、それでもこれから生まれる妹を助けてくれた自分にとっても恩人となったのだ。

「…………母さんから見てコンラート殿下はどんな人?」
 聞かなくてもいい質問、正確には聞いてはならない質問だ。
 カイルは必要とあらば本来の歴史と同じようにコンラートは切り捨てるつもりでいたのだ、そんな人間のことを詳しく知る必要は無い――情が移るから。
 そしてセライアはコンラートは本当にいい子で、できれば力になってあげてとカイルに言う。

「……俺に出来ることなら」
 安請け合いをするつもりはなかったがコンラートは母を、そしてこれから生まれてくる妹を助けてくれた恩人ということになる。
 そんな人物を放っておくことは確かにできない。セライアを通じて会うこともできるようになったが、どうしたものかと悩む。

(また一つ、悩みの種が出来たな……)
 カイルは今日最後にして最大のため息をついた。

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