26日の未明におきたこの事件
ネットニュースなどで大いに注目を集めている。
「障害者などいないほうがいい」「日本のために」「世界が平和に」などということを供述していることから、被疑者には「歪んだ正義感」があったように思われる。
こういった無差別殺人は、おおよそ一般の人にとっていつも理解不能という形で終わってしまう。
たしかに、細密な事情は本人しかわからないだろう。
だが、わたしの考えでは、犯人と似た思想は我々も抱きうる身近なものと考えている。
今日は、その危険な思想について考えてみた。
1.犯人の思想には「理想の理念」が。。。
朝日新聞のコチラの記事をみると見えてくることがある。
先程も述べたが、今回の事件は、「歪んだ正義感」に裏打ちされている。
この正義感の源泉はどこにあるのか?
それが、わたしの考えでは、我々にもお馴染みの道徳観なのだ。
その道徳観とは、「みんなのために、自己を顧みず活動することは素晴らしい」というものである。
この思想こそが、彼を最終的に大量殺戮に導いた。
これがなければ、ここまでの凶行を行動に移さなかった可能性は高い。
注目すべきは、
文字だけ見れば我々が日々両手を上げて歓迎しているものなのに、全く逆の結果が眼前にはあるということだ。
この思想は実効性にかなり問題がある。
考えても見てほしい。
「汝なすべし」に従い、純粋に利他的に動ける人間など、どれほどいるのだろうか?
奴隷なき今の日本にいるとは思えない。
何か醜悪なものを隠すために使われている場合が多くないか?
今回の捕まった男もそうだ。
単に自分の人生のうさを「利他的」なものに張り替えた偽善者だ。
ああ、悪人と呼ばれる利己的な人間の方がどれほど善人か!
それなのに、
どうして利己的な人間は嫌われ利他的な人間が望まれるのだろう。
私の考えが貴殿の耳に届くのであれば聞いてほしい。
利他的生き方を推進する「汝なすべし」という思想を捨ててほしい。
仮に、こだわるとしても、自らに課す範囲に止め、行動を強要してはならないのだ。
*文章では「〜べきだ」と私はよく書くが現実世界で強要はしてないので叩かないで欲しい。
それこそが高貴な人間である。
ニーチェは以下のように述べる。
人が高貴であることを示す<しるし>のようなものがある。みずからの義務を、すべての人への義務にまで引き下げないこと。みずからの責任を譲り渡すことを望まず、分かち合うことを望まないこと、・・・・・みずからの義務の一つと考えること。
『道徳の系譜』
2.「〜べき」が向かう先は必ず全体主義
「〜べき」の行き着く先は、対立ではなく、「全員がそうであるべき」という全体主義である。
そして凄惨な結果に繋がる。
ハンナ・アレントは以下のように述べる。
・ ・・外部にあるあらゆる真理は、それが人々に善をもたらそうと悪をもたらそうと、文字通り非人間的なものです。それが、人々を相互に対立させ、人々を離反させるおそれがあるからではありません。むしろ、それが突如としてすべての人間を単一の意見に結び合わすような結果を生み出す恐れがあるからであり、その結果、無限の多様性を持った人々ではなく、単数の人間、一つの種族とその類型だけがこの地上に住んでいるかのように、多数の意見の中の一つだけが浮き上がることになるからです。
『暗い時代の人々』
その究極がヒトラーだったり、ムッソリーニだったりしたのである。
「汝こうあるべし」が引き金となり、「大量殺戮」がおこなわれた。
ちょっと話が大きくなってしまったが、本質は今回の事件も同じだ。
いきすぎた他者に対する「〜べき」が自分と同じでない人をすべて排斥する結果を招いた。
私もミクロなレベルではあるがいつも迫害を受けている。
「汝飲み会に参加すべし」
ああ、毒の香りがする。
「外部にある真理」は、「非人間的なもの」なのだ。
3.我々に必要なマインドセット
繰り返し述べてきたが、義務的な訓戒は自らにのみ課すべきだ。
あなたが正義と考えていても、「他者もすべし」「他者もこうあるべし」となった途端、凶行と呼ばれる活動になる。
「勇者」であることを欲するのであれば、みなを諭すよりも、孤独であるべきとニーチェは言う。
ああ、わたしはわたしの最も孤独な漂白をはじめることになった! おまえはおまえの偉大をなしとげる道を行く。これまでお前を待ち伏せる最後の危険と呼ばれてきたものが、いまはお前が逃げこむ最後の避難所となった。 おまえはおまえの偉大をなしとげる道を行く。おまえの背後にすでに道がたえたということがいまはお前の最高の勇気とならなければならない。・・それだけのことができなければ、どうして上方へ登ることができるだろう?
利己的と言われようが、エゴが強いといわれようが、各々がもっと自分自身に矢印を向けることこそ、世の中の平穏に繋がると私は思っている。
一方で、「他者のため」とか「みんなのため」が口癖の人間がいたら「この人すごくいい人」と考えるのではなく、「なにか怪しい」と考えてみてほしい。
「わたしが苦しんでいるのは、誰かが原因となっているに違いない。」・・・このような推論の仕方は病人に固有のものである。
『善悪の彼岸』
おもしろきことなき世を面白く