7月15日夜に発生したトルコの軍事クーデター未遂事件は不明なことが多い。なぜあれほどお粗末な結果に終わったのか。軍の上層部のどの辺りまでが関与していたのか。クーデターを起こしたのは、当初声明で表明していたように守旧派の世俗主義者だったのか。それとも政府が主張するように、亡命中のイスラム教聖職者、ギュレン師の支持者だったのか。
はっきりしていることが2つある。まずトルコ国民が果敢にも街頭に繰り出し、クーデターを起こした兵士たちに立ち向かったことだ。その結果、何百人もの命が奪われた。野党も一丸となって民主主義への攻撃を非難した。エルドアン氏はイスラム主義に傾斜した強権的な大統領だが、それでも1960年代以降、5回目の軍による政権交代よりはよいと判断したということだろう。
■異文化共存政策にエルドアン氏が反旗
2つ目は、国民が命懸けで守った民主主義をエルドアン氏が瞬く間に破壊しようとしていることだ。同氏は少なくとも3カ月間にわたる非常事態を宣言した。約6000人の軍人が逮捕された。さらに数千人の警察官や検察官、裁判官が解任されたり、停職処分を受けたりした。クーデターに関与した証拠がほとんどないにもかかわらず、大学教員や研究者、公務員も多数解任された。
拘束や解職処分が少なくとも6万人に及んだことから、米国が2003年のイラク戦争後、フセイン政権時代に支配政党だったバース党の党員を追放し、悲惨な結果を招いた時と今のトルコを重ね合わせる人もいる。弾圧は国の安全を守るのに必要な規模を大きく超えている。エルドアン氏は自身への異議を謀反とみなし、トルコの異文化共存政策に対してクーデターを起こしているようなものだ。このままでは国内の争いと混乱が深まり、トルコと国境を接する国々から欧州、ひいては西側全体に重大な脅威をもたらすだろう。
今回の事件はベルリンの壁が崩壊した1989年以降、欧州には3つ目の衝撃になりそうだ。2014年のロシアによるクリミア併合とウクライナ侵攻では、欧州の国境線は不変で冷戦は終わったという考え方が打ち砕かれた。欧州連合(EU)離脱を決めた先月の英国の国民投票では、EUは必然的に統合を深化させていくのだという概念が粉々になった。そして今、トルコのクーデター失敗とその後のトルコ政府の対応は、一度民主化の方向に進んでも、それが覆ってしまうことが西側諸国でもあり得るのかという悩ましい疑問を提起した。トルコは欧州に隣接し、一時は必ず西側諸国の一員になるとみられていたからだ。
■政権の強硬姿勢にNATO動揺
トルコの混乱で、欧州の民主主義国家を支える軍事同盟の北大西洋条約機構(NATO)は動揺している。トルコの閣僚らは証拠もないのに、クーデターの発生を米国の責任にしている。彼らは米ペンシルベニア州在住のギュレン師の身柄引き渡しを要求し、米国が応じなければ、西側諸国との同盟関係を打ち切ると警告している。実際、過激派組織「イスラム国」(IS)に対する米国主導の空爆作戦の拠点であるトルコのインジルリク空軍基地では、電力供給が一時途絶えた。もしトルコが今、NATOへ加盟を申請したとしたら、認められるのは厳しかっただろう。問題は、NATOにはすでに加盟した国が問題行為をしても除名する手段がないことだ。