例えば君が合コンに参加するとする。君は他にできたであろうことを犠牲にして数時間を投じるだけでなく、女の子の飲み代も負担しなければならない。その「投資分」をいつ、どうやって回収するのかの算段はついているのかい?ついていないならもっと有望なものに時間を投資した方がいい。
多くの自己啓発系書籍で「投資家的な思考が大事である」などの文言を目にしてきました。そこに書かれているのは「カネか時間を何かに投資した場合に、どれだけのリターンが得られるのかを考えるべし」というものが多い印象です。
今日の記事では『金持ち父さん 貧乏父さん』という著作に登場するような「金持ち父さん的な人」が、俺に語った投資的な考え方を紹介します。
日常的な時間の投資に対する考え方
俺の金持ち父さんは常にこの思考を要求しています。印象的だったのは以下の一言。
じゃあ仮に君がTwitterやInstagramのタイムラインを閲覧するのに10分の時間を割こうとしているとしよう。その10分があれば、例えば飲食店のアルバイトで150円から200円の報酬を得ることが理論的には可能だろう。ではタイムラインを閲覧したのち、いつ、何で、どのようにその機会費用を回収するのか、考えたことがあるかい?
俺はまったく考えたことがありませんでした。そもそもその数百円をどのように回収したらいいのやら、まったく見当もつきませんでした。
このように考えると、自分が今まさにやろうとしているのは、将来いったい何に役立つのか?と問い直す機会となります。
その一方で目の前の娯楽に時間を投資することで、のちのタスクに対するパフォーマンスを向上させるのだ、なんて自己正当化することもできるでしょう。
なんだかすごく意識高い感じになっていますが、日常においてそこまで突き詰めて考えるのは苦痛に思いますね。ですので俺の場合、よりよい生存戦略の実行のために女の子に対する戦術を四六時中考えているとして身を震わせているとしています。
仕事における投資的な考え方
彼は続けました。
ある二人の新入社員が入社したとしよう。勤務時間は8時間として、一方はただ終業時間を待っているだけの社員。かたやもう一方はいかにその8時間で成果を出そうと苦心していたとしよう。もらえる給料が同一であるならば、前者のほうが単位労働負荷あたりの給料が高いことは自明だろう。反対に後者の実質的な時給は労力を投じた分だけ低くなるだろう。
しかし、後者の彼はより多くの労働負荷を投じたことで将来的に多くの気づきやノウハウを得ることになる。そうして得られた経験はそやがて彼の仕事でのパフォーマンスを上げて彼の得られる報酬を大きくさせる可能性がある。
つまり同じ8時間を何もせずにぼーっと過ごすか、それとも何かにその時間を投資するかで将来的なリターンが大きく左右されうるということを彼は語りました。ごくごく当たり前のことのようにも思えますが、気の持ちようによっては自分に投資しているのですから、かなりモチベーションを左右することでしょう。
また金持ち父さんは若者と40代以上の人間の根本的な差にも言及しました。
君たち若者は何かに時間を投じる余裕こそあれ、大きなお金を持っている場合は少ない。反対に僕ら40代以上は現役で仕事をする時間はそう長くない一方で、概して君たちより多くのお金が手元にある。だから僕たちは、自分の手を動かすかわりにお金を投じて君たちを労働力として雇い入れようとする。その一方で君たちは僕らに時間という対価を払うかわりに僕らからお金を貰い受ける。
ここで君たちが考えるべきは、投じた時間以上のリターンをどのようにすれば得られるのかといことだ。
彼は決してブラック企業と言われる会社組織を肯定しているわけではありません。むしろ時間(労働力)を投資している以上は、あらかじめ設定された報酬以外に、なんらかのリターンを得られるようにすべきと言っているのです。
多くのサラリーマンは設定された報酬と労働負荷が見合わないことで不満を内に溜めていることでしょう。一部では不当に搾取されているケースも確かに顕在しています。
しかし同じ時間をかける場合でも、「何がリターンとして受け取れるのか/何をリターンとして得るのか」を考えるだけで目の前の仕事が全く違ったものに再定義可能であるのです。
俺ら若手の社員であれば、到底成果(売り上げ)に結びつく実力をもっていないとしても、その赤字分を補填する義務を要求されないどころか、一定の賃金が支払われているのです。その状況下、言い換えれば拘束時間内でさらに多くのリターンを求めるかどうかの自由すら与えられているのです。
彼は俺に上記の内容を語ることで、俺自身の仕事に対する姿勢を見直すようにアドバイスをくれたのでした。
合コンにおける投資
ちなみに彼は私生活においてもこうしたある種の「投資家的思考」というものを実行するように要求してきます。
君の友人が女の子との合コンに君を誘ってきたとしよう。行くか、行かないかの判断を3日後に迫られたとしよう。その時に君がまず考えるべきはどのようなリターンが欲しいか?それはどの程度実現可能か?という点だ。
君は時間以外に、金銭的に女の子よりも多くの金を投じなければならないであろう。そこで君が確実な判断をするためにしなければならないのは、
- 女の子の容姿
- 女の子の生態(勤務/年齢/趣味/好み)
- 会場
- 女の子の目的(彼氏探し/そういう友達探し)
- 男性陣のメンバー
これらをあらかじめ把握していれば、己のスペックとの比較を通じて「勝ち試合」かどうかがわかるだろう。女の子の顔写真を調達したり、勤務先などの情報を可能な限り用意する。その時にどのような話題が用意できるのかもあらかじめわかってくるだろう。
ここでだ。もし仮に君に勝算があるなら間違い無く参加すべきだ。しかし、現状自分のスペックと不釣り合いである場合にわざわざ負け戦をしにいくなど愚かしいし、投資分を回収できない最悪の事態に陥るだろう。だからまずは戦う相手について精密な分析を行い、参加不参加を決めるべきなのだ。
言っていることはわからなくはないですが、一つ気になる点がありました。この一回の合コンを通じて得られる経験に時間とお金を投じるのか、それとも短期的に「一夜」という成果を狙いに行くのかという点です。この場合はどのように判断すべきでしょうか。
彼は続けました。
それは君の設定している目標次第だね。つまりは生き方や価値観をどのように規定しているかによって変わる。もし女の子が大好きでしょうがないなら…この点については言うに及ばず。しっかりと時間とお金を投じて、綿密な回収計画を用意しておくべきだろう。さあ、投じてきなさい。
こうして俺は今日も遠き合コン三昧大学生活に思いをはせては眠りにつくのです。