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近況

僕は4ヶ月の隔離病棟生活の中で、何と髪の毛ががっつり抜けてしまいました。シャワー上がりに、鏡に向かうと頭皮がスケスケに見えてしまうんです。特に、頭頂は激しく、フランシスコ・ザビエルのようになってしまいました。

もう、このままこのようになっていくのかと思うと、哀しくなりました。

看護師たちは、

 

「ストレスですよ。」

 

と、言いました。

僕は、このブログで「入院生活は過酷だった」と、書きましたが、ストレスはあまり感じていませんでした。しかし、気がついていなかっただけで、症状は出ていたのですね。この姿を、ステージで見せる勇気はないなぁと。

 

CHAGEは良いんです。似合っていますし、しぶとく残っているどころか、増えていますから。

 

僕は、似合わないんです。これで、ラブソングを歌えるのだろうかと・・。

恐怖を覚えました。とにかく指に触れる感触がつるつるなのですから。

 

九州の病院では、本当に自由な生活をさせてもらいました。心が元気になってくると、変わるものですね。

 

今ですか?

ザビエルの部分に、芝生のようになった毛が、びっしりと生えてきました。あと、4ヶ月もすれば、元どおりになるでしょう。一安心です。

 

「曲を聴かせろ」というコメントが多いですが、僕にとっても、「望むところだ」という心境です。今は、まだミックスダウン前であり、データで作ったままですので、これから生楽器に差し替えなくてはなりません。聴いていただくのは、そのオケの差し替え後ということになります。僕にとっての二歩目はそれですね。フルサイズは無理ですが、「こう言う楽曲なんだ」というものを、リリース前には、どこかで公開したいと思っています。どれも、自信作です。今の悩みは、選曲です。どれも、聴いてもらいたい楽曲ばかりですから。

 

それから、みなさんには驚きとなるプロジェクトを組みました。その楽曲も平行してやってたのです。僕は、事件を起こしてしまいましたので、それが世のなかで取り上げられることはないでしょうが、大満足な仕上がりになっています。いいんです。これができたことの喜びは大変なものです。そのうち必ず、公開しますので、待っていてください。必ずや、心を動かせる楽曲になったと信じています。

本当に、早く届けたい。

ASKA

 

あの人

あの人

 

 

あの人が去ってしまった

あの人は僕のことを知らないが

僕はいつもあの人の言葉の料理を眺めていたのだ

 

あの人の織りなす言葉の海の中では

僕の言葉はしなびた海藻のようでしかなかった

 

僕は椅子に肘をかけ

のけぞるように天を仰いで言葉が降りてくるのを待ったが

あの人はまるで狩りのように言葉を追いかけた

モガで、ダンディで、ハンサムで、猟奇的

どれもが僕を魅了した

 

木目調の本棚に

びっしりと本が並んだあの人の部屋を想像する

 

音楽と外国の景色が好きな人だった

詩の匂いのする言葉を見逃さない人だった

 

言葉のキレを教えてくれた

あの人の堂々とした詩が増えることはもうない

 

この世に生まれて最初に覚えるコミュニケーションは

泣くことと笑うことだと教えてくれた

 

そっと静かにこの世を去ることを

教えてくれたのもあの人だった

 

どういう風にさようならを言えば

ニヤリと笑ってくれるだろうか

僕はあの人になりきってこう言うのだ

グッバイ

 

 

 

詩を書き上げた後、ベッドで、うたた寝をしてしまっていました。
散文詩を書く上で、僕にも憧れの人がいます。言葉の切れや、最後の一行の掴んで離さないどんでん返しが、その人の持ち味でした。

僕など、到底及びません。詩は想像の賜です。そこに現実を感じさせる言葉を連ねたり、そこに、その言葉を置くことで、突然詩としての息吹をあげます。どう受け取っていただいても構いません。「君」という言葉を使いたかった。

それだけです。僕は、これからも何があってもラブソングを歌っていきたいと思います。

当初、「僕には夢が必要だ」となっていました。これでは、あまりにも安易で、

詩の深さを欠落させてしまいます。「君」と書くことで、多面の形相を見せます。

 

言葉は、吟味されます。なので時間はかかります。

 

その人の詩は深く、僕も理解へたどり着かないものが多く存在まします。それでも惹かれるのです。僕の想像が追いつかないのです。

これからもラブソング、またはそう感じるものを臆せず書いていこうかと思っています。「そう思われないように」。そこに気を張っていては、作品ができません。テーマがあまりにも制約されてしまうからです。詩は、歌と同じように自由でなければなりません。それが、伝えられられなかったということは、僕の未熟さを表します。「君」は、たくさんの意味を孕んでいます。いろんな解釈で結構です。

 

あれ、目が覚めてしまいました。少しの間、眠くなるまで起きていようかなと思っています。大丈夫です。朝、ゆっくり起きればいいだけのことですから。

みなさんは、夢の中。おやすんでいてください。

 ASKA

2016年7月26日0時35分にできた詩

君は僕のものだ

 

 

月曜はいつだって日曜ではない

こんな当たり前のことが詩にはなる

 

馬にはガソリンが要らない

山には渚がない

 

だが

僕には君が必要だ

 

植物は植物学者を信じていないだろう

花にはもともと名前はない

ライオンは自分がライオンであることを知らない

 

宇宙には完全と居座る星がある

新星は名付け親のものとで現存のものとなる

 

無は永遠と無である

何も無いということはこの世でいちばん幅をきかす

誰の物にもなり得ないからだ

 

だが

君は僕のものだ

 

澄んだ水の色は

と、聞かれたとき

あなたは何と答えるか

 

あなたが明示すればいい

 

不滅なものとは

信じられないということだ

 

すべてのものには限りがある

そしていつか

長い不信は輝きだす

 

終始どこまでも誰もではなかった

誰ひとり

いったい僕は何であったか

 

そんな僕は探した探した探した

和船のように

うねる波の上を小さくシーソーしながら

心に響く言葉を追いかけている

 

隠された秘密のようでは伝わらない

灼熱で伝えよう

 

君は僕のものだ

カーネギーの法則

目の前にある大きな障害を乗り越えること。それを英語では。

Over mountain

と、言います。僕には、今、それらがたくさんあります。重い塊となっています。そんな時、必ず思い出すのです。人間の心の中にある悩みは、ひとつではないというのです。これも、あれもが加わって、ひとつの塊となっているのだそうです。

カーネギーの法則によれば、そうなっています。では、どうすれば楽になることができるか。ひとつを外すのです。たった、ひとつをです。どれを外すかは、その人に託されています。まず、ひとつが解決されたら、後は、バラバラと崩れ去り、塊ではなくなります。一気に心が軽くなります。それができたら、次を外す力が備わります。外すごとに、悩みは小さく軽いものとなっていきます。

 

みなさんも、心当たりがおありならば、このカーネギーの法則によって、行動されてみてはいかがでしょうか?

 

僕は、これで何度も助けられていますし、今もまた、突きつけられた現在の状況を、これで乗り越えて行こうと考えています。

ASKA

「古代イスラエル」がコメントにありましたので

とりとめのない詩

 

 

読み手に気づかれなかった詩は

ひっそりと自分の身体を解いてしまう

 

そして一本の線の集まりになって

風に吹かれて消えて行く

 

カレンダーが五十音のようになって

数字を並べている

 

忙しさがカレンダーの象徴であるなら

いまの僕は十分に休息を保っている

だが

どう休息していいのかわからない

 

何も書かれていない真っ白な紙があると

責任のように文字を連ねてしまう

春よ

君の訪れのように僕の言葉は蕾を膨らませるのだ

 

一夜を越えて書きあがった詩を眺めるときに思う

眠れない詩人よりも眠らない詩人でありたいと

 

真夜中に張り詰めていたギターの弦が

ひとりきりでプツリと切れる

 

という書き出しはどうだろうか

 

あれは金曜日が花束のようにやってきた日だった

 

と書くのはどうだろう

 

歌が無限であるように詩も無限なのだ

 

日本の文化の根底にはイスラエルがある

僕たちは気づかないうちにヘブライ語をたくさん喋っている

 

と考えながら書いて来たこれまでの詩にも

彼方ヘブライが混ざり合っている

 

すべては混ざり合っている

単一化されたものなどどこにもない

 

気持ちはひとつと言うが

様々な気持ちや経験が混ざり合ってひとつになっている

ひとつとは言葉が見せているだけのマジックにすぎない

けれど

ひとつになりたいと語る言葉には嘘はない

 

と書けば共鳴してくれるだろうか

それとも冷めた人間に思われるだろうか

 

そう書くことで保身しながら

言葉の景色にはいつも気を配っている

 

もうすぐ夜が明ける

この詩に気づいてくれるのは誰だ

 

 

散文詩

僕の、散文詩はね。

新しくできあがったものを、順に載せているわけではないんです。

ここ、2年間で130以上の作品が生まれました。書き連ねているブログの反響を受けてや、世間の流れで決めているわけではありません。ホントに、ふと目についた作品を掲載しているだけです。なので、流れにそぐわない、空気を察してない作品が現れることがありますので、あまり気にしないでください。

 

とても、気まぐれです。毎日じゃないときもあるし、1日に2作品、3作品のときもあるでしょう。ブログを更新しない日もあるかとは思いますが、そういうものだと思っています。

 

明日は(もう今日か)、書けるかどうかわかりません。また、移動いたしますので。マスコミには、アルバムのプロモーションの時に、騒いでもらいたいものだと思っています。

 

そういうのには、興味はないんだろうなぁ。

そこに向かって、頑張ろうとしてるのに。

 

みなさん、おやすみなさい。

ASKA