すべての物には終わりがあるということは、そこら辺の公園でPokemon GOをしているガキンチョも、
チェーン店の飲み屋でワイワイ騒いでいる大学生も、電車内でため息を連発しながらスマホをいじるサラリーマンも、
マック赤坂も、おっさんもババアも、ジジイもクソニートも、みんな知っている。
電車にだって終電はあって、僕の好きな漫画はこの前打ち切りになってしまった。
僕はその事実を、今日が終わることも、来年にはこの大学を卒業することも、
先日上司と喧嘩してバイトをクビになったことと同様に、十分に理解している。
僕は今21歳で、80歳ごろには多分死んでいるわけだが、自分の人生の25%をもう使ってしまったことが怖くて怖くて仕方がない。
それなのに僕の研究室の同期はPokemon GOの話で大いに盛り上がってわいわい楽しそうにしている。
しかし何故、彼らは今も刻一刻と迫ってくる「死ぬ」という現実を理解しているのに怖くないんだろう。
彼らだけじゃなく、みんなみんな、いつか死ぬわけだ。
それなのに、何でみんなそんなに死ぬことにびくびくせずにいられるのだろう。
一度死んでしまえば、永遠に何も感じることができなくなってしまうのに。
じゃあ、それをどうやって隠しているんだろうか。
何かうまい押し殺し方があるのだろうか。
もしそれがあるならば教えてほしい。