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【社説】

芥川賞・村田さん 「普通」って何だろう

 コンビニ店員たちの日常を描いた村田沙耶香さんの「コンビニ人間」が芥川賞に選ばれた。私小説風の作品は、「普通」と「異常」をより分けようとする社会に問うている。「普通」とは何か。

 子どもの時から「変わり者」と見られてきた主人公は、同じコンビニでアルバイトを続ける三十代の独身女性。「私は人間である以上にコンビニ店員なのです」と考える。身内や友人から、恋愛経験や結婚、出産という「普通らしさ」を求められることに圧迫を感じつつ、マニュアル通りにコンビニ店員として働いている時は「普通らしく」見えると感じている。

 そんな日常に波乱が起きる。

 「縄文時代から人間は変わらない」といって仕事をサボり、世間を憎んでいる「ダメ男」と同居を始めて、主人公は目覚める。

 「一見すると異常な主人公だけでなく、周りの人間も活写することで『普通』の人々への批判になっている。ユーモアもある」と高い評価を得たが、村田さんも「人間をもっとユーモラスに、慈しむように書いてみたかった」という。

 村田さんはコンビニを「聖域」と呼ぶ。自身も学生時代から執筆の傍らアルバイトを続ける。商品を触る客の物音、出入り口のチャイム、店員の掛け声…。店内のあらゆる音に反応して働く店員の描写に、作家の愛情を感じる。

 「歯車」といいつつ、主人公は決して非人間的ではない。描かれるのは、誰もが普通に目にするコンビニの日常。それぞれの職場で誰もが経験するようなありふれた人間関係だ。主人公の働きぶりは客の側から見れば、現実には得難いような理想的な店員像にも映る。人は誰しも、自分の職場や社会でコンビニ人間になりうるのではないか。ヒロインは私たちの分身ともいうべき普通の存在だ。

 ところが彼女を取り巻く人々は三十六歳にもなって正規の職に就かない、結婚しない、子どもを産まない−などと理由をつけ、その生き方を否定する。多様性を掲げつつ、異質なものの排除に動く現代社会の病理はむしろ、「普通」と思っている側に現れる。

 村田さんは、その両者を頭から否定せず、温かいまなざしを注ぐ。人間肯定の文学だろう。

 ヒロインには、社会から失われていく寛容や包容力さえ感じられる。人間を深く豊かに描き、社会を鋭くえぐるのが純文学の王道であるなら、芥川賞はむしろ原点回帰を試みたのではないか。文学の面白さが多くの読者に届くよう。

 

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