ミュンヘン銃乱射事件の被害者9名のうち8名が「トルコ系」で7名はムスリムか

池内恵
執筆者:池内恵 2016年7月24日 無料
カテゴリ: 国際 外交・安全保障
エリア: ヨーロッパ 中東
7月22日、ミュンヘンで起こった銃乱射事件の現場から避難する人々 (C)AFP=時事

 7月22日にドイツ・ミュンヘンのオリンピア・ショッピングモール(Olympia Einkaufszentrum)近くのマクドナルドで起こった銃乱射事件は、移民を奨励してきた西欧の社会が抱えたねじれた問題を明らかにした。また、ヨーロッパと中東との込み入った関係も示している。

犯人の特異な動機と背景

 犯人と見られる18歳のイラン系ドイツ人のアリー・ソンボリー(Ali Sonboly)が、犯行後に自殺した遺体で発見されたという情報が入った時点で、「イスラーム国」あるいはアル=カーイダなどグローバル・ジハード組織に感化された、あるいは指令された可能性はほぼ排除された。自爆や、治安部隊との銃撃戦によって「殉教」するのではなく、逃亡して人知れず自殺を選んでいる時点で、ジハード主義者の行動パターンとは異なる。

 また、グローバル・ジハードはスンナ派の政治思想と組織論であり、大多数がシーア派であるイラン人の参加者は極めて少ない。グローバル・ジハードは、宗教解釈を統制する中央機構がなく、各信者の自発的な篤信行を社会的に奨励していくスンナ派の特性を生かして展開してきたものである。

 シーア派の場合、ウラマー、特にファキーフ(法学者)たちのヒエラルヒーに支えられた宗教機構によって、教義や解釈を統制している。組織的に統制して、イラン・イスラーム共和国体制の「敵」に対する国際的なテロが企てられる可能性はないわけではないが、それはイランとその関連する勢力が関わる戦闘地か、要人の暗殺が主である。かつてのサルマン・ラシュディ事件のようにシーア派の宗教指導者によって宗教の敵と見なされたものへのテロが呼びかけられることもありうるが、今回のような無差別銃撃を指令するとは考えられない。

 犯人は10代の少年少女ばかりを狙い撃ちしたものとみられる。犯人は精神科への通院歴や、学校でのいじめに起因するとみられる対人関係の障害があったといった指摘が報じられている。2011年7月22日にノルウェーでアンネシュ・ブレイヴィークが77名を殺害した、首都オスロの政府庁舎爆破とウトヤ島銃乱射事件から5年目に当たる日でもあり、時間をかけて大量殺戮の準備をしていた形跡もある。中東の組織やジハード思想との関連よりも、中東系移民(難民)子弟への西欧の人種主義の影響を検討し、中東系マイノリティ間の複雑な関係を読解した方が良いだろう。

 なお、「イラン系」で「ムスリム」であることは西欧ではマイノリティと見なされるが、しかしナチス・ドイツがドイツ人の人種的優越性を主張した際に根拠となった悪名高きアーリア人仮説は、古代イラン人をアーリア人の祖とみなす。

 そもそも「イラン(Iran)」とは「アーリア人(Aryan)」に由来する言葉である。ペルシア語とサンスクリット語は近代ヨーロッパのインド・ヨーロッパ語族に関する仮説では、インド・ヨーロッパ語の祖型に近い言語とされ、そこからイラン人はヨーロッパ人と同系の人種とみなされる(このような言語起源説およびそれに基づく人種説は疑似科学とする批判が強いが、イラン人やインド人の中にしばしばきわめて西欧人と外見が近い人々が多いことも確かであり、言語に類縁性が顕著なことも確かである)。

 このことは現代のイラン人の多数がアーリア人の人種優越思想を抱いているということを意味しないが、ドイツでマイノリティとして生きるイラン人の少年が、ドイツの人種主義的な極右思想に触れた場合、イラン人のアーリア人の元祖としての優越性といった観念を抱いて多数派の優越思想に「適応」する可能性はある。この少年の特異な事例かもしれないが、特異な例に何らかの一般・普遍性が凝縮されていることはある。

犠牲者の大半が「トルコ人」でムスリム

 重視すべきは、銃撃で殺害された9人の犠牲者のうち8名までが広い意味で(旧オスマン帝国の版図の、ムスリムが多い地域を出自とするという意味で)「トルコ系」と見なされ、そのうちおそらく7名はムスリムであることだ。このことは英語圏の報道では断片的に言及されるか、あるいはほのめかされるにとどまるものが多いが、アラビア語衛星放送局アル=ジャジーラのウェブサイトに掲載された記事では、逐一詳細に報じられている("Mu'zam Dahaya Muqtala Myunigh Muslimin wa Bayna-hum Almani Wahid Faqat," Al-Arabiyya, 24 July 2016)。

 この記事によれば、9名の犠牲者のうち、3名がトルコ系、4名がコソボ系でそのうち3名がアルバニア系(ムスリム)、1名がギリシア系だが西トラキア出身のムスリムで名前は「フサイン」。犠牲者のうち西欧系のドイツ人は1名のみと見られる。

 コソボ系そしてギリシア系の「フセイン君」については、歴史的背景を解説する必要があるだろう。旧ユーゴスラビアのセルビアから2008年に独立したコソボは、ムスリムであるアルバニア系を多数派とし、キリスト教徒(正教系のセルビア正教)のセルビア人からなる。

 ギリシアは人口の大多数がギリシア正教のキリスト教徒だが、若干のムスリム人口を含む。ギリシアとトルコは、1923年前後のオスマン帝国崩壊・トルコ共和国成立の際に、ギリシアのトルコ人(ムスリム)をトルコに、トルコのギリシア人(ギリシア正教徒)をギリシアに送る「住民交換」によって、人口構成を均質化し、それぞれの国民国家建設を進めた。ただしギリシアの国土の東端の西トラキア地方にはこれを適用しなかったため、ギリシア国籍を持ったムスリムがマイノリティとして存在している。

 犠牲者の人口構成は、ドイツが第二次世界大戦後にトルコから多くの労働者を受け入れてきたこと、1990年代の旧ユーゴスラビアの各国の内戦で難民を受け入れてきたことを示す。

 また、犠牲者の9名のうち8名が、旧オスマン帝国領のアナトリアからバルカン半島(旧ユーゴスラビアやギリシア)にかけての、大きなくくりでは「トルコ系(旧オスマン帝国系)」と見なしうる、外見的形質上も一定の類縁性がある諸民族を出自とする。

マイノリティがマイノリティを攻撃する

 今回のミュンヘン銃乱射事件は、ヨーロッパ社会で様々な形で生じているが対処が困難な「マイノリティがマイノリティを差別・攻撃する」問題の一種といえる。

 いくらドイツ社会に移民系の人口が多いと言っても、無差別に銃を乱射しただけでは、9名中8名が「トルコ系あるいはそれに近い」出自となることはありえないだろう。犯人がSNSなどを通じて、何らかの形でトルコ系あるいはその外見の人々を集めた上で犯行に及んだ可能性も指摘されているが、そうでなかったとしても、犯人が特にトルコ系に対する恨みや攻撃性を抱えており、トルコ人に見える標的を集中的に狙ったのではないかと疑うことが当然だろう。

 ドイツのイラン系の犯人がドイツのトルコ系の住民に対して人種的な偏見や憎悪の感情を抱いて攻撃を行った場合、ドイツはいかなる対処策を取れるのだろうか。これは従来の「多数派による少数派への差別を戒め、多数派が少数派を認め、尊重し、保護する」という原則からは、解決がしにくい難題である。

 これと同様の問題として、近年「ヨーロッパで再燃する反ユダヤ主義」がある。この表現からは、社会の多数派が少数派(ユダヤ人)を差別する、かつてのユダヤ人迫害と同様の現象が生じているように見えるかもしれない。しかし実際には、西欧諸国の有力なマイノリティ集団である「アラブ系」あるいは「ムスリム系」が、より小さな規模のマイノリティ集団となったユダヤ人に対する敵愾心を剥き出しに表現し、商店の打ちこわしや路上での暴力などを行う事例がかなり多いことが、知られている。しかし表立ってはそれほど議論されない。

 厄介なのは、マイノリティ間の憎悪犯罪については、これまでの通常の人権規範に基づく対処策ではむしろ問題を覆い隠す効果を持ちかねないことだ。ヨーロッパの人権規範によって少数派への差別や攻撃が禁じられるのと同時に、人権規範の縛りによって、的確な報道や、分析の対象にもされにくくなる。フランスで反ユダヤ主義による襲撃の加害者が「アラブ系」であると表現することは、あたかもアラブ系全体が差別主義者であるという印象を広め、差別につながりかねない、という配慮から、反ユダヤ主義的な行動が「誰によって」行われているかが、しばしば曖昧にされて報じられる。もっとも、現地の文脈では明白に分かるらしいのだが、日本人の研究者などは、現地の報道で表向きは示さないが社会の共通了解となっている言外の意味を読み取っていない様子がある。

 同様に、今回の事件がイラン系の犯人によって実行されたと指摘すること自体が、移民系集団への差別につながるととらえる立場からは、民族・宗教的出自を判別することが容易であるがゆえに、基礎的情報である名前すらもが報道しにくくなる。例えばBBCは掲載記事のタイトルではAly SonbolyではなくDavid Sonbolyとしている("Munich shooting: David Sonboly 'planned attack for year'," BBC, 24 July 2016)。アリーとその家族がドイツ社会に通用しやすいDavidという名前を使っていた可能性はある。Davidはユダヤ教からキリスト教、イスラーム教までのセム的一神教の文化圏で共通に用いられる名前で、アラビア語やペルシア語ではDawud(ダーウード)としてごく普通に用いられている。中東の文脈でDawudと名付けられた人が西欧諸国では同義のDavidに置き換えて名乗ることもありうる。そのため、これはある人物とイスラーム教との関係の薄さを示すものではないのだが、そのことを特に知らない読者には、印象としてはこの人物が西欧的であったという印象を与える。BBCがそのような印象を与えようとする意図は想像はつくが、事態の理解を深めるとは思えない。

 ドイツでトルコ系とイラン系の住民の間で摩擦がある可能性を表現することも、容易なことではない。ある人種・民族・宗教が原因で紛争が起こっているととらえ、対処することは、その人種・民族・宗教に属する人間が、あたかも一般のドイツ人とは異なって、自立した個人ではなく、持って生まれた属性への帰属意識に縛られて思考し行動するかのように断定しているものと捉えられかねず、そのような認識や報道や対処策の方が、むしろ差別と糾弾されかねない。

 しかし実態として、9名の被害者のうち、8名までが、トルコ、ボスニア、ギリシアという「旧オスマン帝国」の版図からの移民系で、外見的形質としては(ステレオタイプを含めて)、広い意味での「トルコ系」の要素を備えており、それを撃ったのが、「イラン系」であったという点は動かしがたい。単に無差別に銃撃してこのような結果が生じるとは考えにくい。

 周囲の証言の中には、アリーは孤立していたが、特にトルコ系やアラブ系からいじめられていると受け止めていたとの指摘がある(例えば、"Munich attack: German politicians signal review of gun laws after shooting," The Guardian, 24 July 2016. この記事でもタイトルや前半部分は「銃規制が重要だという認識が深まる」といった論調になっているが、本文を最後までよく読んでいくと、犠牲者の多くがトルコ系やコソボ系やギリシア系で大部分がムスリムであるという特異な問題がうっすらと示唆されてはいる)。この事件の場合、ドイツ社会で最大のマイノリティ集団であるトルコ系の子供が「幅を利かせて」イラン系の子供をいじめたことが一つのきっかけとなって、大量虐殺を夢見て、実際に実行してしまう、例外的な異常行動を引き起こしたのではないか、という点を検討する余地があるが、その部分は公にははっきりと語りにくい部分である。

 しかし、誰の目にも明らかな要素を報じない、議論しないことから生じる疑念に対し、極右勢力が「真実を語る」ことで応えて支持を集め、移民排斥や、人種的な優越意識をマジョリティの間に再び広げていくというメカニズムが、作動しているように見える。

 筆者は『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(新潮選書)で、アナトリアから旧ユーゴスラビアやギリシアにかけての旧オスマン帝国の秩序の崩壊の影響の長期的な持続について議論した。今回の事件では、ドイツの国内の移民系社会・マイノリティ集団の構成に旧オスマン帝国の複雑な人口構成がそのまま持ち込まれていると言えるだろう。そこに、中東系とはいえ別系統で、かつドイツの極右主義者が抱くアーリア人優越思想において特別な地位を与えられているイランを出自とする移民(難民)の第二世代が関わって悲惨な結果となった。文化的・心理的な複雑さ(complex; komplex)が極まった事件と言える。

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執筆者プロフィール
池内恵
池内恵 東京大学先端科学技術研究センター准教授。1973年生れ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。著書に『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書、2002年大佛次郎論壇賞)、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、2009年サントリー学芸賞)、『イスラーム国の衝撃』(文春新書)、本誌連載をまとめた『中東 危機の震源を読む』などがある。個人ブログ「中東・イスラーム学の風姿花伝」(http://ikeuchisatoshi.com/)。
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