インターネット上の記事であったり、テレビ番組でのコメントであったり、いろんな意見を耳にする機会があります。
意見は人それぞれですが、どれだけ正しそうなことを言ってるように聞こえても、なぜか本能が拒絶してしまう、そんな意見がいくつかありました。
特定のイデオロギーや、偏った意見というわけではありません。
確かに同意できるんだけど、気分が悪くなる意見。
なんでだろう?と考えた結果、ある結論に達しました。
生理的に拒絶してしまう意見とは
それが、タイトルにもある通り、
「あなたは間違っている」=「わたしが正しい」
という考えがにじみ出ている意見でした。
言い換えれば、「自分の意見は絶対に正しい。反論は許さない。」という考えをカモフラージュするために、「世の中にメスを入れる」形をとっている意見、とでもいうのでしょうか。
逆に分かりづらくなったかも。
単純にその人がやりたいのは、世の中をよくすることではなくて、自分が悦にひたること。
そんな意見って、どうしても気づいてしまうんですよね。
これは口調から明らかにわかる場合(毒舌コメンテーターとか、お局様とか、自称プロブロガーを想像してみてください)もありますし、口調こそ丁寧であっても、「あ、こいつは自分の意見を絶対視してるな」というのはわかってきます。
そのような意見を目にしたり耳にすると、僕はどうしてもシャットアウトせざるを得ません。
それがどんなにすばらしい意見であったとしても。
僕自身も同じ意見であったとしても。
正しさは人によって違う
人によって違うから云々、時代が違うから云々、と言ってしまうと、ここで終わってしまうわけですが、、、
立場の違う人に対しても、自分の意見を表明しないといけない場面は必ずあります。
自分の意見に対して、バックグラウンドの違う人から「それはあり得ない!自分はこう思う!これが正しいんだ!」と言われ続けたらどうしますか。
きっとその人を無視すると思います。
しない方法があればどうか教えてください。
自分が頑張って考えた意見が正しいものだと信じたい気持ちは、誰にでもあると思います。
完全否定されても、いや、絶対僕の方が正しい、、と何度思ったことか。
そこで、自分の意見に固執し続けるとどうなりますか?
さっき書いた通りです。
自分が100%正しいなんてことは絶対にない。「絶対あってるだろ」って思っても、周りの10人中3人しか同意しないこともよくあるし、そもそも「正しさ」なんてものは立場によって変わる。「なるほど、そういう考えもあるんだね。確かにそっちのがリーズナブルだね」と受け入れる度量もまた必要
— Shin@Outward Matrix (@Speedque01) July 24, 2016
「あなたが折れなさい」と言っているわけではないです。
どこで折り合いをつけるかっていうのはかなり難しいですが、、、
話を戻すと、「あなたが間違っている」といくら指摘しようが、「わたしが正しい」ということの証明にはならない、ということです。
正しさなんて人の数だけあるし、そもそも両方正しくない可能性だってある。
それならば、「あなたは間違っている」=「わたしが正しい」なんて成り立つわけがない、とわかっていただけるのではないでしょうか。
コミュニケーションとは
ここからは余談です。
僕は社会経験が豊富というわけではないですが、それでも言いたいことがあります。
本当のコミュニケーション能力とはなんだろうか?
大学生の時、僕はコミュニケーション能力を、「たくさんしゃべることが出来ること」だと思っていました。
人と楽しく話すことに苦手意識があった僕は、そこに大きな壁を感じてしまい、就職活動に参入することなく大学生活を終えました。
一年半のニート生活の時期には、「自分の意見をはっきりと言えること。反対にあっても、押し通せること」だと考えていました。
そして一年間のワーキングホリデーを終えつつある今、どちらも誤りとはいえないが、不正確ではないか?と考えるようになってきました。
今の僕が考えるコミュニケ―ション能力とは、こうです。
「立場の違う人に対しても、自分の意見を受け入れられるように説明することが出来る。かつ、相手の意見を理解し、受け入れることが出来る」
「コミュニケーション能力」という言葉に対しては、人によっていろんな定義があるでしょう。
でも、その源流は「相手を理解すること、自分を理解してもらうこと」にあるはずです。
自分の意見を押し通そうとし続ける限り、コミュニケーションは成り立たないのではないでしょうか。
例え言葉が違ったとしても、日本でもオーストラリアでも、どの国でも同じではないでしょうか。
僕は何度も、「自分が正しい」と伝えなきゃ!とこだわるあまり、かえって意見が受け入れられない経験を何度もしてきました。
正直、「周りが悪い。周りは馬鹿だ。」と心の中で思うこともありました。
しかし、今の僕が持つ「コミュニケーション能力」の意味を考えると、それは誤りだったと思います。
自分の意見を言うことも大事だけど、相手に理解してもらえるように努力する。
それ以前に、相手の意見、立場を理解する。
コミュニケーションは、自分側からの一方通行ではない。
皆さんは、どう思いますか?