投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(44)
  2. アルベア論(643)
  3. 正義のあかし(45)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


難癖野郎は~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)19時31分52秒
  スルーしましょう
誰も相手にしたくありませんからwww
 

太ちゃん誤入力です

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月25日(月)19時20分8秒
  バイトがバックになってました、修正してます。

誰に似てきたって?~一派とか関係なく情報だけ見ればいいって自分で言ってたじゃん!?

まだ「状態」言ってるな~、「状態」禁止されてら投稿出来んだろうね
 

ひとこと

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月25日(月)19時13分14秒
  浦島の太郎さん

>池田先生や草創期の大先輩が築かれました組織のあまりの変わりように、還暦を迎えた今、空虚ともいう気分になります。 ?

池田先生や草創期の先輩方は「信仰は各々が」なんて甘いことは仰いませんよ。

信仰において外道は外道です、折伏しなければなりません。草創期の先輩方の鬼気迫る折伏の賜物が、全盛期の創価学会です。
 

言ってることが支離滅裂

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)18時56分5秒
編集済
  琴の弦へ

なんだか思い込みが激しいようですが。
文面が支離滅裂でメチャクチャですよ。
掲示板の進行を妨げてるのは「故意」でしょうか?
僕とあなたのやりとりは実際その状態ですよね。
リアル活動でこの人間性が事実というのは、かえって最高幹部4人組の指導が狂ってると逆に裏付けてるだけでしょうね。
自慢にもなんにもならないどころか「学会の恥」でしかないお姿をご自覚くださいね。
(クジラ掲示板の「ある人」に言葉使いがだんだん似てきてますよ?笑。そいつは僕を陥れようとさんざん画策してたっけなぁ)

以上

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月25日(月)18時27分26秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-9-22 【全国最高協議会】

●戦争と権力に反対する精神
 一、以前にも、申し上げたことがあったと思うが、終戦のとき、私は17歳であった。
 長兄はビルマの戦線で戦死し、次兄は中国で戦線に参加。3番目の兄も同じく中国で戦わされた。4番目の兄も、中国戦線に参加した。
 昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えた。
 日本にいた兵隊さんが、たくさんの荷物を背負って、それぞれの自宅に戻っていった姿を、今でも覚えている。
 しかし、わが家の3人の兄が中国から帰ったのは、戦後1、2年経ってからだった。皆、命からがら、わびしそうに帰ってきた。
 わりあい立派だったわが家も、戦争中、強制疎開させられた。
 東京・蒲田の糀谷(こうじや)から移って、馬込(まごめ)の親戚の側に作らせてもらった家も、空襲で全焼した。
 父親がリウマチを患うなか、母親は、精いっぱい、一家を守ってくれた。
 長男から4男まで戦争に取られ、5男の私は肺病であった。わが家は戦争に翻弄された。
 あまりにも不平等であり、あまりにも理不尽な現実があった。
 ゆえに、私は絶対に戦争に反対である。
 戦争と権力に対して、反対する精神を、その時に持った。
 これが、私が戸田先生のもと、立ち上がった大きな原点である。
 私は、一生涯、庶民の味方である。

●幹部は威張るな 人間革命せよ!
 一、戸田先生は、厳しく言われていた。
  ── 幹部がだんだんと年を取り、戦う心を失い、自分中心になってしまうならば、新鮮な息吹がなくなってくる。それでは学会の組織は、絶対に弱体化する、と。
 だからこそ、幹部自らが、常に新鮮な息吹に満ちて、生き生きと若々しく、向上していくことだ。
 その一切の原動力が、師弟の求道である。
 「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」
 これも、戸田先生のご指導であった。そのための「人間革命」に挑戦していきたい。
 リーダーは、決して威張ってはいけない。傲慢になってはいけない。
 幹部に威張る資格などない。本当に偉いのは会員である。実際に折伏をし、広布を推進してくださっている会員の皆さまである。その方々に、幹部は最敬礼していかねばならない。
 凡夫こそ仏。民衆こそ偉大。そう見ていくのが日蓮大聖人の仏法の精神だ。
 まず最高幹部が、率先して模範を示していかねばならない。
 気取りなど捨て、いい格好を見せようなどと思わずに、一人一人の会員を心から大切にし、誠心誠意、尽くしていくのだ。
 「ありがとう」という言葉もない。言ったとしても、口先だけで心がこもっていない。そんなリーダーのもとでは、皆があまりにかわいそうである。
 広宣流布に戦ってくださる尊き同志に、真心を込めて、「ありがとう」と感謝していく。「よく来たね」「大変だったですね」と、ほっとするような温かい言葉をかけていく。
 皆から愛され、慕われる広布のリーダーとして生き抜いてほしい。その根幹は、師弟の精神である。

●学歴本位では行き詰まる
 一、戸田先生は、厳然と言われた。
 「地位や学歴で、人間の偉さが決まるのではない。
 日蓮大聖人の弟子として『広宣流布に働く人』こそ『一番、偉い人』である。その人を一番、大事にするのだ」
 永遠に銘記すべきご指導である。
 さらに先生は、こう戒めていた。,
 「精神性を重要視する宗教界や思想界が学歴本位になっていけば、その団体は必ず分裂し、行き詰まり、崩壊するであろう」
 なかんずく、「平等大慧(びょうどうだいえ)」の仏法において、本来、学歴などはまったく関係ない。
 当然、学問は必要である。いつまでも学ぶ心を失ってはならない。
 しかし、学問と学歴は違う。創価学会は、学歴主義に絶対毒されてはならない和合の世界である。
 この根本の一点を、きょうは、将来のために、あらためて確認しておきたい。

●仏法の世界の根幹は「信心」
 一、仏法の真髄は「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。信心は「心」の世界である。
 「信心の厚薄によるべきなり」(同1244ページ)と仰せのごとく、信心の「心」が、厚いか、薄いか。深いか、浅いか。強いか、弱いか。それが一切の根幹である。
 「学歴」や「肩書」などで左右されるものでは断じてない。
 むしろ、高い学歴ゆえに増上慢を起こせば、信心を狂わし、和合僧を濁らせてしまう。
 御本仏であられる日蓮大聖人の御在世にあってさえも、そうした例が見られた。歴史の重大な教訓である。
 あの三位房も、その一人であった。
 三位房は、早くから大聖人の門下となり、その才知や弁舌によって頭角を現していった。  彼は、京、比叡山に遊学した。
 当時の比叡山は、いわば「最高峰の仏教大学・総合大学」ともいうべき存在であった。それゆえに、比叡山で学んだということは、今でいえば最高の学歴を得たことに通じるともいってよい。
 しかも、京は華やかな貴族の都である。三位房は、この遊学で、世俗的な権威に目がくらみ、すっかり心を乱してしまった。
 京に上った彼は、ある公家(くげ)に招かれて、その持仏堂で説法をした。
 その様子を彼は、師匠である大聖人に対して、得意げに報告したのである。
 大聖人は、三位房の虚栄と慢心を、次のように烈々と叱責なされた。
  ── おまえは、社会的な地位や名誉を超越(ちょうえつ)したはずの仏法者ではないか。そのうえ、この仏法は世界第一の尊き仏法である。
 それを思えば、(仏と等しい悟りを得た位の)等覚(とうかく)の菩薩でさえ、どうということはない。
 まして、仏の家来である梵天・帝釈等は、我らを守る立場である。四天王は、その梵天・帝釈等の門番である。
 (その四天王のうち)毘沙門天王の家来が、四大州の王たちである。
 いわんや、日本の権力者など、その王たちの家来にも及ばない。ただの「島の長」ではないか。
 その長に仕える者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか!
 「面目をほどこした」とは、いったい、どういうつもりか。
 おまえは、日蓮を卑しんでこのようなことを書いたのか ── と(御書1268ページ、趣意)。
 最高無上の仏法を行ずる、日蓮門下の誇りと自覚を失った心を、師が見逃されるわけがない。
 根本の信心を、師弟の精神を、断じて忘れるな! ── 大聖人は、弟子を思うがゆえに、それはそれは厳しい叱咤を続けられた。、
 「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房(しょうぼう)のようなものである。
 三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい」(同ページ、通解)
 三位房は、京に上った後、名前を、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)の名前である「尊成」と変えた。そして、その名を大聖人に対する報告のなかに、得々と書き記していた。
 大聖人は、厳しく仰せである。
 「京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京(みやこ)なまりになったことであろう。 ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる」(同ページ、通解)
 貴族ぶって、自分の名前や経歴を飾り立てようとする。なんと浅ましい心であろうか。

●妙法の実践者が人生の勝利者に
 一、御聖訓には仰せである。
 「須梨槃特(すりはんどく)は、三年かかっても十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。
 提婆達多(だいばだった)は、六万蔵(ろくまんぞう)という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄(むけんじごく)に堕ちた。
 このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。
 決して他人のことと思ってはならない」(同1472ページ、通解)
 どんなに学歴、学識があっても、信心がなければ成仏は絶対にできない。
 最高学府を出ても、また最高位の勲位(くんい)を手にしても、仏法の正道(せいどう)に背き、人間の知恩・報恩の道を踏み外してしまえば、最低・最下位の生命の無間地獄に転落してしまうのだ。
 これが、厳しき因果の生命の理法である。
 学歴がなかろうが、無名無冠(むめいむかん)であろうが、まっすぐに信心を実践し抜く人こそが、大勝利者の境涯となり、悠然と成仏できるのである。

●「へつらうことは法を下げる」
 一、創価学会の「創立の父」であられる牧口先生は厳然と言われていた。
 「名門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる」
 これが、創価の先師の誇りであられた。
 さらに牧口先生は、「上流に立つ指導階級の流す無意識の害毒が、いかに重大であるか」とも戒めておられた。
 上に立つ幹部が見栄っ張りになり、学歴などを鼻にかけて増上慢になってしまえは、清浄無比な創価学会の世界に毒を流してしまう。
 大聖人の御心に適った学会精神を、永遠に明々(あかあか)と燃え上がらせていかねばならない。
 そこに、広宣流布の流れがあるのだ。

●だれが学会を築いたのか?
 一、また戸田先生は、威張る幹部は絶対に許されなかった。
 「見栄を張ったりする人間が、学会の幹部になっては、絶対に困る」
 「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる。
 また、皆の支援によって名誉ある議員にさせてもらいながら、信心を失い、退転して、恩知らずな行動をとっていく愚者や卑怯者も出るだろう。こいつらを断じて許してはならない」と、厳しく言い残された。
 ともあれ、今日の創価学会を築き上げたのは、三代の会長とともに立ち上がった、無冠の庶民たちである。
 学びたくても、満足に学校に行けなかった。夜学に行った。貧しさと戦い抜いた。仕事も地道である。そういう皆さまこそが尊いのだ。英雄である。そういう方々が学会をつくってくださった。
 大学に行けなくとも、また夜学であっても、無名の学校であろうと、一切、信心には関係ない。そこに、微塵たりとも差別を許してはならない。
 そうでなければ、一番、真面目な同志がかわいそうである。
 権力を持った議員や、肩書のある人間、学歴を持った人間が威張るようになったら、公平さが失われる。学歴とか勲章とかで威張ったり、威張らせたりするようなことがあっては、絶対にならない。
 それは、仏法とは、まったく異質の世界になり下がってしまうからだ。

●「三代」に流れる学会精神を守れ
 一、為政者は、民衆によって支えられている。
 ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽くすのが当然である。
 にもかかわらず、“自分が一番偉い”と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
 この権力の横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだそれが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。
 牧口先生のことを語るときの戸田先生の姿は、それはそれは峻厳であられた。とくに牧口先生の獄死に話が及ぶと、目に涙を浮かべ、憤怒(ふんぬ)に震えながら、「権力の魔性」との闘争を誓われた。
 そのようにして、戸田先生は、真実の学会精神とは何かを教えてくださった。崇高な「仏法の師弟」の模範を示してくださったのである。
 私も今、戸田先生のご精神を、そして、ご指導のすべてを後世に伝え残している。それが弟子である私の責務であるからだ。
 偉大な人間とは、偉大な伝統をつくり、示していく人である。
 三代の会長に流れる「学会精神」を守り抜いていくかぎり、創価学会は永遠に発展する。それをきょうは明確に言い残しておきたい(大拍手)。

●大哲理を学ぶ世界唯一の殿堂
 一、「学歴」は、信心とは関係ない。
 しかし、「学問」は大事だ。「一切の法は皆是れ仏法」であるからだ。
 わが愛する、優秀な学生部員たちが、多くの大学で真剣に学んでいる。また、海外に留学し、世界に雄飛する青年たちのために、私は全力で道を開いてきた。
 学べ! 学べ!
 大いに学べ!
 徹して学べ!
 大いなる理想のために学ぶのだ。信心を根本に、学ぶことである。
 学生部が結成されたとき、戸田先生が、どれほど喜ばれたことか。
 先生は言われた。
 「学生部は、校舎なきユニバーシティーだ。
 世間の大学は、学問を詰め込むが、ここでは、人間の中身を詰め込んでくれる」
 さらに先生は、「一念三千の大哲理」は創価学会の中でしか学べない。世界で唯一の人間学の殿堂であると断言された。

 一、本当に偉大な先生であった。
 そして、厳しい先生であった。
 地位や権威を鼻にかける人間には、ことのほか厳しかった。
 傲慢な人間に対する先生の怒りは、それこそ、雷が落ちるような激しさであった。
 大難のなか、私は必死の思いでお仕えした。あまりの厳しさに、逃げ出す者もいた。先生は「去りたい者は去れ! 」と一喝されていた。
 だれよりも庶民を愛したがゆえに、だれよりも庶民の敵を許さない ── そういう先生だった。
 ともあれ、民衆を馬鹿にし、私利私欲に走る人間とは、断固と戦うことである。邪悪を追及し抜くことである。
 悪と徹底的に戦うことが「善」である。
 反対に、悪と戦わない。見て見ぬふりをする。これでは、厳しく言えば「同罪」になってしまう。
 いくら表面は人が良さそうに見えても、内実は、善の勢力を破壊する悪の存在になってしまう。

■ 私たちは、にぎやかに、そして高らかに、学会歌を歌いながら、生き生きと前進してまいりたい。
 各方面に戻られたら、わが敬愛する同志の皆さまに、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 きょうは本当にありがとう! また、お会いしましょう! (大拍手)

 

極右翼小池

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 7月25日(月)18時14分27秒
  本日の日刊ゲンダイ   日本会議の副会長だった。
憲法は解釈すればいい。在特会での講演、新しい歴史教科書、 核、原発、
怖い怖い  
 

他者への思いやり

 投稿者:浦島の太郎  投稿日:2016年 7月25日(月)18時10分7秒
  学会が宗門と決別されました二十数年前、聖教紙面で連日のように宗門批判と、各寺院の住職の私生活まで取り上げて、一方的な人格攻撃ともいえる誹謗中傷が掲載されました。
私は共通の趣味を持つ僧侶たちと懇意にしていましたため、支部幹部から「付き合いは遠慮してくれないか」と何度も言われましたため、その幹部とは距離を置き始めていたころ、学会本部から来られた幹部が会合の場で、口汚く宗門や僧侶たちの不行跡を並べ立て罵倒するのに違和感を感じました。
私はH氏の人柄もわからないのに幹部の言う一方的な誹謗はまったく信じていません。
宗門批判に一環する嘘、誹謗中傷であると今でも思っています。
学会の幹部には平気で嘘を広める人が現実におりますから。
他者への思いやりが感じられない傲慢な幹部が多いですよ。
私は宗門の僧侶に対する人格攻撃には、二十数年前のことですが今も理解はできません。
私は現在も宗門の僧侶ともお付き合いはあります。また他宗の僧侶とも同様です。
神道関係の大学の先生とも親しくしていただいております。
私はいろんな信仰をされる人たちも地域社会を構成する隣人であり仲間であると考えています。
私が大切にする長年の趣味という世界ではいろんなことを、他宗の人たちからも学ばせていただいております。信仰は各々が考えることだと思います。
二十数年前、宗門や僧侶を罵倒した学会は、今、共産党を罵倒し、組織の現状や公明党に批判的な会員に嫌がらせをし、脱会者に対して「あの一家は共産党だったんだ」と口こみで言いふらす。池田先生や草創期の大先輩が築かれました組織のあまりの変わりように、還暦を迎えた今、空虚ともいう気分になります。
 

太ちゃんこそなんか必死やね

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月25日(月)18時06分29秒
編集済
  太ちゃん

だれも働いて無いとは言ってないよ、パソコンへばりつく時間あるならバイト増やしなって

社会福祉の世話になって一日中パソコンで仮想空間に浸るのが信仰かい?現実に会合や家庭訪問で会員さん励まして、生計立てるために必死に働いてる俺の方がリアル信仰でしょ!!

リアルに対人恐怖症とかなら、せめて町のゴミでも拾いなよ

追伸:「~状態」「・・状態」って気持ちよく使ってるけど気持ち悪いから止めなよ
 

よっぽど困る情報なんだな~(笑)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)17時32分57秒
編集済
  こんだけ妨害って最高幹部4人組にはよっぽど『困るもの』のようですね?(笑)
かえって真実味が増しただけの本末転倒なんじゃない?

この掲示板を閲覧するぐらいなら「疑問」を感じなければ見ないであろうからね?
妨害工作はかえって事実である裏づけになってるだけですよ

こうなると哀れですらあるね
けど掲示板参加者は許さないことでしょうからあしからず

イケディアンの住人さん、続きお待ちしておりますm(_ _)m

追伸:52613へ
ワザワザ何を考えてるのか自白してくれてごくろうさん♪(笑)
真面目に信仰したほうがいいよ?ほんとに

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

反板より

 投稿者:裏局GO  投稿日:2016年 7月25日(月)17時18分25秒
  (無題)  投稿者:名無し
投稿日:2016年 7月25日(月)14時37分18秒 返信・引用
ネット弁慶なオカルト野郎の狂態
http://megalodon.jp/2016-0725-1433-50/6027.teacup.com/situation/bbs/52604
http://megalodon.jp/2016-0725-1432-14/6027.teacup.com/situation/bbs/52608
 

琴の弦へ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)17時07分42秒
編集済
  誰からもかまってもらえないからってこういう言い方かい?(笑)。
こいつは自分の意思が通らないからと人格否定に走ってるような『外道状態』だものね。
そりゃ~記事画像に『動揺』もするねぇ~
論点を変えてまで意思を通そうとしてるほどの『外道』だものな~

この時期に至って『組織盲信状態』の人は、残念ながらもう手遅れというしかないからね。
誰でもない、最低限の教学を怠けてきた『自己責任』です。
その『自己責任』を周囲へ押し付けるなんて「ムシがよすぎ」というものです。
冷たいようだけど、これだけ世間にしろ組織状態にしろハッキリした状態であっても「騙される」ような判断力のなさでは、それでも宿業をキッチリ切るには、むしろ一度しっかり地獄をみるべきです。

あしからず

追伸:
僕はちゃんと働いているのだけどね?
まぁ普通の仕事ではないぐらいは察することはできるだろうけどね。
が、僕のリアルをいちいち琴の弦へ「報告する義務」があるのかい?
信じるかどうかは『お好きにどうぞ』というしかないけどね。
好きにそう思い込んでずっと言ってれば?

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

イケディアンの住人様。

 投稿者:一休玉露  投稿日:2016年 7月25日(月)17時04分46秒
  早速のご返事ありがとうございました。
当方も仕事中でして、閲覧が今になってしまいました。
私自身はイケディアンの住人様のご考察の今後の展開を
期待してお待ちしております。
誤解を受ける方がおられるのが心配になり投稿させていただきました。
決して妨害ではありませんのでご了承下さい。

 

掲示板等の属性は無関係

 投稿者:感性  投稿日:2016年 7月25日(月)16時14分50秒
編集済
  一般論です。
創宗問題や新たな創創問題に限らず、特定のネット掲示板の社会的影響力が弱いから
あやふやなことを記載しても許容という言い逃れは効かないと思います。

例えば創宗問題に則して述べると
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13130477478
を(法華ちゃんねる)で画面検索をかけると判例でもってよくわかると思いますよ。

加えて著作権の問題なども同様ではないでしょうか。
>まきやすとも・写真著作権侵害裁判(箱崎愼一vsまきやすとも)
http://www2.atwiki.jp/kusanonemaze/pages/78.html

いずれにせよ名誉毀損や著作権侵害は、掲載するHPや掲示板の社会的影響力の大小とは無関係という
理解でよろしいかと思います。
 

馬鹿にしないで

 投稿者:琴の弦  投稿日:2016年 7月25日(月)15時50分26秒
編集済
  太ちゃん

生命力が弱ってるだなんだ知ったようなこと言わないで欲しいなぁ

週刊誌の写真みて不快感が出るのは、純粋に先生を慕う会員さんなら当たり前でしょう。

あなたこそどう広宣流布するのよ?毎日パソコンにへばりついて地震がどうだの状態がどうだのと、評論やオカルト振りまいて気持ち悪いよ!

動けるならバイトでもしなさいよ
 

京都盆地さん宛てのものではないです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)13時53分2秒
  他の方、一度も見た事ないハンネの方のを拝見してコメントしたんです。
京都盆地さんのは、妨害目的ではなく、単純に「意見の相違」と感じております。

これから先、さらに最高幹部4人組の悪行は酷くなっていくことだろうけど。
すでに除名になられてる方の体験からしても、掲示板での例の記事画像掲載ぐらいで不快になってるようだと、とてもじゃないけど耐えられるものではないでしょう。

むしろ逆に記事画像で不快なことに対する「免疫」をつけないと、いきなりとんでもない事態が自分に起こる可能性が高くなってしまうことでしょうね。
「避ける」のは緊急避難というだけにしかならないからです。
「避け」られない状況になれば、それまで「避け」ていたものが、一気に崩れて自分へのしかかってきますよ。
そういう人を何人もリアルでみてきてるゆえ。

現在の組織情勢から仕方ないことだけど、ネットの記事画像ぐらいで不快になるほど「生命力」が弱ってるということなんです。
それはやはり最高幹部4人組による意味不明な指揮による影響でしょうね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

いや~、座談会週間も終わり、皆様、元気ですか~

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 7月25日(月)12時40分41秒
  いよいよ夏本番、皆様方には御自愛頂き、日々お元気にお過ごし頂きます様に御祈念しております。
さて、小生の友人から電話がありました。以下は電話のやりとりです。

友人「おー、元気でやっとるか」

小生「あんまり変わり映えないけどな」

友人「先週、座談会週間だったやん。おれ参加したんたけどな・・・」

小生「ああ、そう。いいことじゃない、盛り上がった?」

友人「頭痛くなったわ!初めから終わりまで、『公明党大勝利おめでとう』みたいな・・ホンマ、バカちがうか」

小生「でも、少しは得るものもあったんじゃない」

友人「何っもないわ!一言発言なんてひどいもんや、自分がなんぼFとったかの自慢大会みたいなもんやで、しょ~もない」

小生「じゃあ、何か一石投じたの?」

友人「あほか!おれかて場は読めるわ!一応は『公明党大勝利おめでとうございます』なんて心にもないこと言っといたわ」

友人「だけど、それだけじゃ腹が立つから、憲法問題に関して一節述べといたわ」

小生「ほう、どんな?」

友人「参議院選挙に勝利したことにより与党は憲法改正の発議ができるようになりましたが、皆さん自民党の憲法草案見たことありますか?」

友人「国粋主義者の塊が作ったようなもんですよ、公明党は改憲の立場からしても、監視の目を忘れずにいてほしいものですって」

小生「なかなかいいじゃない。あとなんかない」

友人「俺がその事を言ったら、地区婦が、ものすごい嫌な顔して俺を睨むんだよ。なんか『ヘンな事言うな』オーラ満載で」

小生「でも、一人の発言を大切にするのが、学会の伝統だろう。いろいろな意見があって当然じゃない。」

友人「いや~、今の学会はダメだね!公明党大勝利しか意見として認めないオーラ満載だよ。これってホンマ、カルトそのもの。」

小生「う~ん、ヒドイね~。他なんかない」

友人「とにかく、公明は先生がつくった党だから間違いないっていう盲信があふれている会合だよ。Fの取り方も、人脈だけで頑張ってるって感じ」

友人「政策・理念じゃなくて、『オレが言ってるから信用して』の一本やりだよ。そんなんじゃいずれ破たんするよ」

小生「全くその通りだね。自分が勉強して応援するならまだしも、上からの打ち出しにただ従うだけの応援はジリ貧だろうね」

友人「本当だよ。まあいずれ厳しい現罰を受けることになるんじゃないかね?」

小生「本当にぞう思うよ。まあ我々はこれからも政治を監視していこうよ」


ざっとこんなところでした。さて、皆様方の座談会、いかがでしたでしょうか。
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)12時37分45秒
  妨害てw
なんも妨害してへんで(笑)
そう思われるんは残念やな

一つ一つ検証していくんは大事やおもてる

まぁイケディアンの住人さんがいうてはるように今後の展開を待ってるわ


 

作用反作用

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月25日(月)12時13分41秒
  作用反作用の反応が出てきたということでしょう。

これより以前に、プラトン、ソクラテスの師弟の話やデマゴーグについて池田先生より再三の指導があったと記憶します。
時代を見越した大事なご指導だったはずです。

当時、週刊誌のデマ報道が横行していました。
このデマ報道には、少なくとも、新進党の躍進に伴う4月会の学会弾圧と第二次宗門問題との関係もあるはずです。

また、宗教法人法改正問題に絡む国会証人喚問問題も起きていました。

週刊誌の代表的な記事は、北海道の白山さん迫害記事、東村山事件などです。

自民党や共産党の攻撃は容赦ないものであり、中吊り広告や選挙時に道路に貼られるポスター、投函されるビラ。
自民党広報誌や新聞広告など酷いものでした。

この手法は54年問題、言論問題、月刊ペン事件と類似しており、それらから蓄積された手法の繰り返しのように思いませんか?

また、当時、週刊新潮ジャーナリズムに対して声をあげたメンバーはいますか?
 

なんだか「妨害」が多くなってるね(笑)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)12時12分51秒
  その当時は僕は組織にいたからね。
イケディアンの住人さんの出してる、記事画像の内容は、僕には「バカバカしい話」としか感じなかったけどね。
画像記事内容が事実であれば、そういうメンタリティの人柄では学会がこれだけ大きくなることはなかったでしょうね。
そう感じます。
そして、現在はというと、ご覧の通りで「よくわからない」という事態ですよ。
当時タブーの雰囲気が明らかで、目を背けていたことから現在のこの状態と判断するしかないですね。

いましっかり確認しないで、いったいいつ確認するのでしょうか。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)12時03分24秒
  八尋みのるさんご配慮ありがとーっ
なかなか分かりやすいわ

今の青年部は正本堂も知らんやん
信平問題も知らん会員が大勢いるやん

この板にはグリグリさんやったかな?
勉強になる書き込みしてくれたはるやん
そういう勉強になることを近くにいる若いメンバーには会って話するけど遠くに住んでるメンバーにはこの板を読むように言うてるんやわ

そやし、三流週刊誌の記事だけを貼り付けて詳細は後ほどて無慈悲に見えたんやわ

先生の世界に生きてる人は慈悲の人やとおもうねん

あのウザい記事貼り付けるんやったら一緒に八尋みのるさんが貼ったリンク貼り付けたり事の経緯と詳細も同じく貼り付けしてほしかってん

無慈悲は執行部や裏局だけでじゅうぶんや
証拠もなく感覚で処分しとるみたいやしw



誤解のないようにフォローするんと分かりやすさて大事やおもう

 

一休玉露さま

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)12時01分6秒
編集済
  仕事中ですので、簡単にご挨拶します。ようこそ!

この週刊誌記事は、衝撃を受けるでしょうが、当時の再現をするためには必要なポイントです。

良い視点を拝見しましたね。この週刊実話の先生の写真はどこから持って来たのか?新潮は、写真掲載にかなり慎重です。でも、実話はいい加減(-_-)どのように捉えますか?

記事内容も、新潮の告白手記では無く、脚色されている。これは信平から了解済みでの脚色か、オカシイと思いませんか?

イメージだけで嫌悪感を抱くのでなく、冷徹に診て下さい。
 

お初です。

 投稿者:一休玉露  投稿日:2016年 7月25日(月)11時49分2秒
  ずっとロム専でしたが、我慢できず投稿しました。
イケディアンの住人様の展開される内容は、
非常に興味深く、今後の内容を期待しております。
ですが、事実無根の三流週刊誌の貼り付けを目に
するのは確かに気分のよいものではありません。
レイプ等の見出しと共に、先生のご尊顔が載っている
記事など二度と見たくないと思うのが普通の感覚では
ないでしょうか?
イケディアンの住人様が目的とされる内容に異論は全く
ありません。ただその手法、やり方に共感しがたい気持
ちを抱く方も多いのではと思います。
 

週刊誌掲載考

 投稿者:能忍  投稿日:2016年 7月25日(月)11時33分5秒
  週刊誌記事を、そのまま掲載することには、違和感が大きい。
当時「週刊新潮」は反創価学会勢力として信平と連携していた。
初めて読む世代の方にとっては事の本質を見抜く以上に、当時の悪意の
イメージを刷り込まれる危険性がある。


個人的には信平問題を考察するとき、下記の書籍は勉強になりました。
作品名にある「狂言訴訟」とは、信平訴訟。
悪意からの訴えに対しての対応が、いかに難しいかの知識が得られます。
池田先生でなければ、勝利できなかったいではないか、と考えさせられたことを
思い出しました。
また、このような悪意が、ひとりの庶民をターゲットに向けられない世界を
つくるため学会はある、とも思います。

===================================
「大見出しを全国の新聞、電車内に躍らせ、記者会見をして世界中に発信させる
という派手な演出が加わったときに、大衆心理というものがいかに容易に操作されてしまうか、
肌寒くなる思いをしたのは、私一人ではないと思う。」

「この報道それ自体が、そもそもの“謀略劇”の一環であったことを雄弁に
物語るものである。」

『判決 訴権の濫用 ――断罪された狂言訴訟』
(共著:倉田卓次、宮原守男、倉科直文、佐藤博史)
(発行:日本評論社)
===================================


 

ご参考 信平狂言訴訟について

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)11時18分18秒
編集済
  ちなみに自分で調べても多少ならわかるものはあるよ

http://www.yanagiharashigeo.com/report/Journal10.htm

http://www.yanagiharashigeo.com/htm/report3.htm
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)11時17分41秒
  ほんでな、Y関連はな関西にいろいろとな情報を知る人物がいるんやわ
オレもないろいろ仕入てるねん
会合や言うて小遣い稼いでた輩がおるんやけどな(笑)
そいつより情報もってるわ
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)11時10分32秒
  八尋みのるさんは優しいな
即答してくれて嬉しいわ

イケディアンの住人さんが今後展開する資料には確固たる文証があるんやね

ほんならおとなしく待ってるわなw

 

ドント・ストップ・ビリーヴィン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 7月25日(月)11時06分13秒
  案外おばちゃん様「何故  師匠の言葉を 真っ直ぐに受け止められない??」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52585
それなんですよ、最大の謎は! それなんですよ、最大の病は! それなんですよ!
池田先生の御指導を額面通りに受け取らない。それは何故??

勝手に深読み、裏読みするのか、自分の考えを混ぜて、自分の考えに合わせて、池田先生の思想、哲学を別のものに変えて、自分は受け入れる……だけならともかく、それを他のメンバーに広めて、本来の池田哲学とは別の、異質のものが拡散していく。その拡散したものを見聞きしたメンバーや新しい世代の人は池田先生を誤解して……見下して……捨ててしまう。実はそんなことを、もう何十年も続けている。結果的に周囲は邪教と見てしまう。当然。それは池田先生の指導と違うのですから。
小林節さんが「池田教を作った方がいい」と言われるのも、なるほどと思ってしまいます。

池田先生は、「人間主義と集団主義は正反対」「一人ひとりを大切にしなくなったら創価学会といえども邪教なんだ!」と言われていました。
大雑把に言えば、集団主義と正反対とされる「個人主義」の方に近いと言えると思うのですが、日本にはもともと「個人」という概念がありませんでした。事実上、戦後に輸入した概念ですが、そんな池田思想は、集団主義文化のニッポンジンには理解しにくい。
それで、ついつい日本古来の思想を混ぜて、実質的に「別の宗教」が作られ、日本的に男尊女卑で日本的に上下関係根本で日本的に空気を読んで、日本的にアレンジされて出来た、日本的に邪教化された創価学会が広まり、日本的に哀しい方向に行っている。
この流れがいつ始まったのか? それが、あのS54年で、創価学会「正午の太陽」だったのだと思えてなりません。

草食動物ニッポンジンの宿命転換。そのためのカギは「師匠の言葉を 真っ直ぐに受け止め」ること。ここから始めて、この流れを大河にしていく必要があると思います。

“信じることを やめないで”
“自分を裏切らないで”
“街灯の下 さまよう人々”
(『ドント・ストップ・ビリーヴィン』ジャーニー
https://www.youtube.com/watch?v=1FaJshIWdpU
 

アホの自覚あるなら(笑い)

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)10時58分47秒
  黙っておけよ(ワラワラ)
イケディアンの住人さんが今後展開するって言うてるやんかw

↓↓↓
イケディアンの住人(正義の獅子同盟)
投稿日:2016年 7月25日(月)01時50分3秒
池田先生の女性スキャンダルは、看護師が如何の斯うのと言ったバカ話しがあっても、もう出てこないでしょう。

この狂言訴訟に至る顛末を再考するのは、今、支援している自民党との関係、大手週刊誌との関係、創価村の報道管制、組織内部の隠蔽体質、そして大幹部と言われる会員の資質と先生を辱めた戸田門下の暗躍、傍観して何もしていなかった池田門下の弟子の姿勢を知る上で役立つ事件だからです。

単に、乙骨が悪いとか山友が暗躍していたと言う短絡的な認識は改めて、今後、展開する資料をご覧下さい。
 

ところで最近Twitterで宿坊の掲示板botがあるよ~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)10時54分23秒
編集済
  出来れば矢野和解問題はbotくんに拡散願いたいね~
誰がやってるか知らないけどね~
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)10時53分59秒
  その時系列の年表みたいなんが三流週刊誌の資料とやらの証拠なん?

オレなアホやしようわからんねん

ごめんやけどな信平の三流週刊誌の記事に誰がどう関わっていたのか具体的に教えてくれへんやろか
 

要望に応えて再掲しとくわww【弓谷失脚から、矢野和解の謎と重川の暗躍、竹岡光城結婚式まで】

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)10時40分17秒
編集済
  矢野和解と次期会長を巡る動きに注目  投稿者:次郎三郎
投稿日:2015年12月 8日(火)21時01分23秒   通報 編集済

矢野年表
谷川、八尋は何故、矢野と和解したのか。
==========================================

矢野絢也と学会が和解するに至るまでの年表


1932年4月  大阪府八尾市生まれ(現在82歳)
1951年3月  大阪府立山本高等学校を卒業。
1953年    創価学会に入会。当時、京都大学経済学部3年生。
1956年3月  同大学卒業。4月大林組に人社。
1963年4月  大阪府議会議員に当選。

1967年1月  34歳で衆議院議員に初当選。直後の臨時党大会で公明党書記長に就任。

1970年    言論問題を利用し、竹入らと公明党の学会(CP)支配からの独立を画策(いわゆる政教分離として一般報道されているもの)


1977年~79年 宗門問題に乗じて、秋谷、藤原行正、内藤国夫らとCP打倒を画策。(CP=池田先生のこと、週刊誌に情報をリークして先生のイメージを貶めた)


1986年12月  公明党委員長に就任。
1988年12月  明電工事件発覚(株取引により10億の利益)

1989年5月  公明党委員長を辞任。同党最高顧問に就任。

1993年6月  政界を引退。以降は政治評論家に転身。「闇の流れ」「黒い手帖」等の連載・出版行う。

2005年4月 ?? CPが杉山青、弓谷男を呼び、「最後の最大の敵である矢野をやる」と宣言し細々と指示。

2005年5月14日 欧州から急きょ帰国し戸田国際に直行した矢野を谷川、弓谷らがつるし上げる。

2005年5月    創価学会から激しい非難を浴び、矢野は謝罪し、評論・執筆活動を自粛。 夕刊紙に連載していたコラムも中止に。公明党OB3人に手帳を渡す。


2005年7月 ??弓谷男子部長解任事件。
2005年7月 ??週刊現代「学会&公明党のタブ――矢野極秘メモ100冊が待ち去られた!」

2005年8月 ??公明党議員OB3人が、『週刊現代』に掲載された記事で矢野の手帳を強奪したかのように報じられ名誉を傷つけられたとして、矢野と講談社らを提訴。


2007年12月  手帳裁判の一審判決。学会側が全面勝利。矢野に総額660万円の損害賠償金の支払いと謝罪広告の掲載を命じ、手帳返還請求を棄却する判決を言い渡した。


2008年5月1日 創価学会を(自主)退会。


2008年5月12日「評論家としての活動をやめるよう強要された」などとして学会と学会幹部を相手取り、5500万円の慰謝料を求める民事訴訟を起こした【1】。


2008年5月15日 週刊新潮「矢野絢也を窮鼠にした『創価学会』の脅迫と誹膀中傷」


2008年5月20日 谷川佳樹は、『週刊新潮』の矢野に関する記事で名誉を棄損されたとして、矢野や新潮社らに1100万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて提訴【2】。


2009年3月  手帳裁判の二審判決。学会側逆転敗訴。矢野側の主張を全面的に認め、持ち去った手帳の返却と合わせて300万円の支払いを命令。

学会側による音声データの改竃を認定。


2009年6月  公明党議員OB3人が「闇の流れ」「黒い手帖」に記載された虚偽の記述で名誉を棄損されたとして、講談社と矢野らを相手に6600万円の損害賠償と謝罪広告の掲載等を求めて提訴【3】。


また「新潮45」2009年6月号の記事についても同様に名誉毀損にあたるとして3300万円の損害賠償等を求めて提訴した【4】。別件裁判でのICレコーダーの音声データ改ざん認定の汚名返上を狙う。


2009年9月  最高裁が二審判決を支持、上告を受理しない決定を下し、学会側の敗訴が確定。


2011年1月  東京地裁が谷川勝訴の一審判決。矢野・週刊新潮・早瀬編集長に33万円の賠償金の支払いを命じたが、その一方で、谷川が矢野を脅迫した事実は認定された。
双方が判決を不服として、東京高裁に控訴。


2011年4月  谷川・矢野二審裁判の裁判長が交代。和解勧告の流れへ。

2011年10月 矢野の暴露本第一弾「乱脈経埋――創価学会vs国税庁の暗闘ドキュメント」発刊


2011年10月 週刊文春「池田名誉会長『厳戒病室』本当の病状」(重川関与か)


2011年12月 週刊文春「読者より」投稿欄の中に「編集長から」(小さなべ夕記事で疑惑の手打ち!)


2011年12月 竹岡光城(※現男子部長)の結婚式
(和解の舞台裏の面々勢揃い、父親はヤモトモの部下で謀略部隊の一員)


2012年2月  双方が裁判所の勧告を受け入れ、【1】~【4】の4件すべての訴訟を取り下げた。


2012年2月  アクセスジャーナルが矢野と学会との和解をスクープ。

2012年2月  週刊朝日3月9日号「(矢野・学会和解の陰で)お蔵入りした『暴力団』本の中身」


2012年3月  FACTA4月号「(矢野との和解で)創価学会次期会長に谷川事務総長が確定」

2012年7月  週刊実話7月19日号でFACTAの記事を「山田直樹」の名前で蒸し返す。


*弓谷くん
何故、創価学会は仏敵と和解などしたんだろうか。
失ったものの大きさ。。その代償はなんだったんだろうか?。

追伸:一部補足をしています。矢野はすごい豪邸にすんでますね。
竹入と仕組んだ学会からの党分離により党の財政を私物化し、8億ともいわれる党資金を私用でつかったとされている。
(先生の矢野糾弾の中で8億という数字がでいた。)
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)10時28分14秒
  おう、知ってるわ
それが確固たる証拠やおもうんやったら
ほんならな、その件の詳細をウザい週刊誌の資料とやらと一緒に貼り付けとけや
 

部外者さん、コメントありがとうございます。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月25日(月)10時26分22秒
編集済
  部外者さん、コメントありがとうございます。

わたしは、この意味が解っている人ではなく、意味が解らない人に
書き込みしてのですよ。

だれか、知識ある人か、お店に聞いてほしいと思っています。
わたしは、エディ○に聞いたらバージョンアップしなくてもいいのじゃないかと
アドバイスされました。
パソコンの年季や、グレードによって、違ってくるみたいです。
ちなみに私は、ms dos以前からのパソコンマニアですが、参考のテキストが
理解することに、四苦八苦しています。

わたしが参考にした、本をUPします。
参考にならないことを知ってください。

・・・・・・・・・・・・・
Windows10   投稿者:部外者(宿坊板のコテハン)

この場合、7月29日までに一旦Windows10にアップして、
Windows10のメディアを保管した上で、1ヶ月以内にWindows7や8.1に戻すので
あるならば、後々のWindows10の再アップは無償で可能ということです。

・・・・・・・・・・・・・・
この人の言っていることは正しいですよ。
 

その三流週刊誌を利用する学会本部広報室の愚かさww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)10時19分34秒
  重川問題知ってるよねー
なんで萩本は放置プレーなんだろうね~(笑)
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)10時18分20秒
  ウザい三流週刊誌を資料て言うんやったらその件に誰がどう関わっていたのかを明確な証拠とともに示めせや
無能な反板の奴らの方がマトモなこと言うとるやんけw
証拠まってるわ
 

(無題)

 投稿者:京都盆地  投稿日:2016年 7月25日(月)10時07分20秒
  三流週刊誌が資料て(笑)  

日本会議も男尊女卑

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月25日(月)09時57分12秒
  似ているね~
日本会議も女、子どもは黙ってろw
同じ体質なんだねーww
お互いの組織の支配者目線で違和感ないんだよね~
ウルトラ右翼と体質の親和性があるから一体化するのかね~
 

男尊女卑

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月25日(月)09時37分23秒
  ひかり様


おっしゃるとーりー
こんな世界なかなか 拝めません・・・

あれだけ先生がおっしゃるのに変わらないのは何故か?


ある日のある男性幹部の一言に答えを見ました


「えっ?!  あれって 先生の激励でしょ?」


先生は、本心から 婦人部が大切だ。婦人部の意見を聞きなさい。 と言ってるのではなく  激励のために おっしゃっているそうです・・・。


変わらないわけだ。

何故  師匠の言葉を 真っ直ぐに受け止められない??
 

学会本部一部地方中心会館の時代遅れで残念な気風

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)09時04分28秒
  時代遅れで残念な気風。

それはズバリ「男尊女卑」の実態だ。

イマドキ、学会特に組織上部の、何なんだこの変な気風は?
という最たるモノが、「男尊女卑」である。

それは、30年前には、もう相当言われていた。
中心会館に勤務する県女支部長が、
「いばったオジサンばかりが、自分はヒマなくせに、多忙を極める私が、
出かけようとする足をわざわざ止めて、お茶を入れろと、まるで舅の嫁いじめ」

へえ、あの、日ごろ池田先生、池田先生と言ってる県長が、そんなことをするんだ、と思って驚いたものだ。

それから、ヤング本部責任者の時だ。
いばる・怒鳴るので有名な総県長の夫人が、大勢のヤング婦人部を前に、
「こんな時代遅れの男尊女卑がまかり通るのは、学会組織だけだ」と、こう言ったので驚いた。
そして、こうも言った。
「普通の世界は、女性が堂々としているこの時代に、皆さんもそう思うでしょう?」

私は、男尊女卑の実感がなかった。
いい時代になってきていると実感し、この幹部、なんでここまで言うのかな、と思った。

今思えば当然だろう。
私は幹部組織と縁がなかったのだ。
一般世間のなかにどっぷり浸かって生きていた。
しかし、婦人部幹部は、狭い囲いの中で、ほとんど入れ替えがない空気を吸って生きていた。
男尊女卑という空気を。

池田先生は、近年の御指導のほとんどで、女性を大切に、女性の時代、婦人部に最敬礼、
何度も何度も繰り返された。
私は、なぜそこまで言われるのか、今一つピンとこなかった。
同じ思いの人は多かったと思う。

でも、いまは、はっきりと言える。
学会執行部をみよ、女性はいるか?
(いるっちゃいる。隠れて、あるいは堂々と。ハラダ会長の北の二号、たにがーの伊藤某)

池田先生が、何度もいわれたのは、婦人部幹部のためだった。
私はそう思う。
 

Windows10

 投稿者:部外者(宿坊板のコテハン)  投稿日:2016年 7月25日(月)03時46分47秒
  >>上野殿、本尊供養御書、むしろ三枚御書、閻浮提中御書   投稿者:赤胴鈴之助   投稿日:2016年 7月25日(月)03時18分11秒

>>念のために・・・・告知です。

>>WINDOWS10は7月29日が無料締め切りです。
>>グレードアッフしたくなかったら、メディアにコピーという手がありますよ。



7月29日の無償期間までにWindows10にアップせずにメディアだけ保管しても、
後々のアップは無償にならないので、意味がないんだけど。

この場合、7月29日までに一旦Windows10にアップして、
Windows10のメディアを保管した上で、1ヶ月以内にWindows7や8.1に戻すので
あるならば、後々のWindows10の再アップは無償で可能ということです。

ちなみに、ちょうどWindows10アップの作業が完了したところ(笑)
 

上野殿、本尊供養御書、むしろ三枚御書、閻浮提中御書

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月25日(月)03時18分11秒
  ひらがなプロジェクトへ上野殿、本尊供養御書、むしろ三枚御書、閻浮提中御書を投稿します。

以下は大事な文証です、4人組の責めなど水に濡れたようなものです。

閻浮提中(えんぶだいちゅう)御書、 師子王御書。

願(ねがわ)くは、我が弟子等は師子王の子となりて、群狐(ぐんこ)に、笑はるる事なかれ、過去遠遠劫(かこおんのんごう)より、已来(このかた)、日蓮がごとく、身命(しんみょう)をすてて、強敵(ごうてき)の科(とが)を、顕(あらわ)せ・師子は値(あ)ひがたかるべし、国主の責め・なををそろし・いわうや、閻魔(えんま)のせめをや、日本国のせめは、水のごとし・ぬるるを・をそるる事なかれ、閻魔のせめは、火のごとし・裸にして、入るとをもへ、大涅槃経(だいねはんぎょう)の、文の心は、仏法を信じて、今度、生死をはなるる人の、すこし、心のゆるなるを、すすめむために、疫病を仏のあたへ給う、はげます、心なり・すすむる心なり。

念のために・・・・告知です。

WINDOWS10は7月29日が無料締め切りです。
グレードアッフしたくなかったら、メディアにコピーという手がありますよ。
因みに私は、3ヶ月前にグレードアップしました、たまに、フリーズして
テキストを無くすというトラブルや変な文字変換などあります。
先日の週刊朝日の文も2時間分飛んでしまいました。
おいおい、良くなるでしょうが、古いソフトやプリンターは、メーカーに
問い合わせが必要です。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月25日(月)02時43分40秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-9-17 【名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る】

●世界の識者との対談集は「50」に
 一、先日、アメリカ・ソロー協会の知性との語らいをまとめた『美しき生命 地球と生きる』が発刊された(毎日新聞社刊)。
 世界の識者との42点目の対談集である。
 さらに現在、複数の対談を継続している。そして、この秋、「東洋学術研究」誌上で連載開始となるアルゼンチンの人権活動家エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)との対談をもって、50点の対談が世に出ることになる(大拍手)。
 世界の識者との対談の実質的なスタートは、約35年前のイギリスのトインビー博士との語らいが最初であった。
 「人類の直面する基本的な諸問題について語り合いたい」 ── このように博士のほうから対談を希望されたのである。
 語らいは、文明の未来、生命論、環境論、女性論、国際情勢、教育と宗教など多岐にわたった。
 2年越し、40時間に及んだ対談が終わった時、私は、「トインビー先生の生徒として、何点ぐらいとれたでしょうか」とうかがった。
 トインビー博士は、にっこりとして言われた。
 「私は、ミスター・イケダに最優等の『A』を差し上げます」と。
 私のすべては、「戸田大学」で、約10年間、毎日のように訓練していただいたおかげである。
 戸田先生は、私のいないところで、このようにも語っておられたようである。
 「戸田門下生で、大作にかなう者はいない。どこに出しても恥ずかしくない。
 どんな指導者と議論しても、どんな学者と議論しても、負けない男をつくっておいたよ」と。ありがたい先生であった。
 これまで、私は、多くの識者と語り合ってきたが、洋の東西を問わず、一流の人物の結論は、「師弟しかない」であった。
 師弟のあるところに、本当の人生があり、真実の永遠性があり、究極の勝利がある。

●正しい人生を 勇気の人生を
 一、創価学会の根本の精神は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のために、命をかけて戦い抜かれた牧口先生と戸田先生の師弟の精神である。
 この師弟に流れ通う広宣流布への「不惜身命」の心がなくなったならば、今は、いかに発展しているように見えても、学会の前途は危うい。
 仏法は、仏と魔との連続闘争である。決して甘いものではない。’
 牧口先生、戸田先生のご精神を、今こそ、守り抜いていく時である。最高幹部は、命あるかぎり、求道心を燃やさなければならない。それが本当の学会精神である。
 私は、戸田先生のために命を捨てようと決めていた。
 それを先生は察知され、「俺の体をなげうってでも、大作を守る」と言われたのだ。
 そして、先生から受け継いだ創価学会の発展のために私は、今日まで、動きに動き、祈りに祈り、書きに書いて、骨を粉にして働いてきた。
 本当の清らかな、本当の師弟に徹した信心を、私も妻も貫き通してきた。
 全世界に道を開いた。
 全世界に恩師の平和の精神を宣揚した。
 恩師の敵を討った。私は、戸田先生のただ一人の真正の弟子である。
 先生は遺言するように語られた。
 「私は何百人、何千人もの弟子を見てきたが、本当に誠実に私を支えてくれ、創価学会に尽くしてくれたのは大作が一番である」
 皆さんには、いい人生を生きていただきたい。正しい人生を生きていただきたい。勇気ある人生を生きていただきたい。
 その根本の道が「師弟の道」である。
 私も、さらに本腰を入れて、本当の学会精神を語り残しておきたいと決意している(大拍手)。

■ 「彼岸」が日本人の生活のリズムに、深く浸透している一つの証左といってよい。
 たしかに「彼岸」は、春夏秋冬の四季の変化に富む日本において、大宇宙の運行のリズムに則った、絶妙な節目となっている。
 創価学会にとっては、春の彼岸は5・3「創価学会の日」への新生のスタートであり、秋の彼岸は11・18「創価学会創立記念日」への勇躍のスタートといってよい。

 一、また彼岸に当たり、逝去なされた全功労者、そして全同志・全会友の先祖代々の諸精霊の追善回向を、来る年も、来る年も、私は懇(ねんご)ろに行わせていただいている。
 本日も、皆さま方のご尊家の追善回向を、私は学会本部の師弟会館に御安置されている常住御本尊に真剣にご祈念させていただいた。
 さらに北は北海道・厚田から、南は沖縄まで、全国各地の「生命の永遠の都」たる学会の墓園は、墓参に訪れるご家族でにぎわいを見せる。
 美しい秋の自然のなかで、浩然の気(こうぜんのき)を養いながら、深い思い出を刻んでいただきたいと願っている。
 関係の役員の方々には、お世話になります。絶対無事故の運営を、何とぞよろしくお願いします(大拍手)。

●妙法の受持こそ「彼岸に到る」道
 一、「彼岸会(ひがんえ)」の意義については、これまでも論じてきたが、仏法における「彼岸」の本義を、重ねて簡潔に確認しておきたい。
 「彼岸」とは「向こう側の岸」の意味で、「こちら側の岸」を意味する「此岸(しがん)」との対比で用いられる。
 「此岸」は、生死の苦しみ、煩悩の迷いの世界を、「彼岸」は、解脱・涅槃・成仏の悟りの境涯を譬えたものである。
 また「彼岸」は、成仏の境涯とともに、そこに到る「修行」「実践」の意義も含んでいる。
 すなわち「到彼岸(とうひがん=彼岸に到る)」である。
 大乗仏教では、「成仏の境涯(彼岸)」に到るための修行に、「布施」「持戒」「忍辱(にんにく)」「精進」「禅定(ぜんじょう)」「智慧」の六つの行を立て、これを「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼んでいる。
 「波羅蜜」とは、梵語(ぼんご=古代インドの文章語)の“パーラミター”の音訳だが、これを意訳すると「到彼岸」となる。
 「受持即観心」の日蓮仏法に巡りあえた私たちは、妙法を「受持」、すなわち心から信じ、自行化他の実践を貫くことによって、この.「六波羅蜜」の一つ一つを果てしなく修行する歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)を経なくとも、同じ功徳を得て、「彼岸に到る」、すなわち成仏の境涯に到達することができるのである。
 これが、大聖人の偉大なる仏法の「仏力」「法力」である。そして、その力を尽きることなく引き出すのは、ひとえに、私たちの「信力」「行力」である。
 日蓮大聖人は、「観心本尊抄」で、その法理を明快に教えてくださっている。
 広宣流布への行学に徹するところ、厳然たる人間革命の実証として、「六波羅蜜」つまり「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」という、菩薩に不可欠な徳性が、私たちの生命に自然のうちに光り輝いていくとの御約束である。
 言いかえるならば、人格の深まりがないならば、真に仏法を行じているとはいえないであろう。
 その点、本日、お集まりの功労者の方々は、社会においても、皆、第一級の模範の指導者であられる。
 「信心即生活」「仏法即社会」の立派な勝利の現証が、私は何よりもうれしい。

●日蓮仏法は毎日が彼岸
 一、ともあれ、本来、仏法における「彼岸」の本義は、どこまでも「成仏の境涯」、また「成仏に到る実践」にある。
 先祖供養とは関係がなかったといってよい。大聖人の御書でも、「彼岸」という言葉を、先祖供養の意義で用いられている個所は、一つもないからだ。
 そもそも、春・秋の「彼岸会」は、仏教本来の伝統ではない。あくまでも、日本独特の風習である。その定着には、浄土教の影響が強かったと推察されている。
 つまり、春分・秋分の日は、太陽が真西に沈む。その夕日を見ながら西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を思う観想法(かんそうほう)が、浄土教の中で行われていた。それが、古くからの先祖供養や農耕の儀式と結びつき、「彼岸会」として定着していったという説がある。
 とくに、彼岸に合わせて墓参りする習慣などは、江戸時代のいわゆる葬式仏教のもとで根付いたものと考えられている。
 日蓮仏法では、「常彼岸(じょうひがん)」、すなわち毎日の勤行・唱題が、そのまま彼岸会の実践である。自らが日々、妙法を行じゆく功徳を、先祖や故人に「廻)めぐら)(回)し向ける」のが、真の回向であり追善であると説いているのだ。
 そのうえで、春、秋の彼岸を一つの機会として、故人への感謝を込め、追善を行うことも、「随方毘尼(ずいほうびに)」の法理の上から、当然、意義のあることといってよいだろう。〈「随方毘尼」とは、仏法の本義に違わない限り、各地域や時代の風習に随うべきであるとする考え〉
 善き同志とともに会館や墓地公園などに集い、清々(すがすが)しく勤行・唱題し、故人の志を継いで広宣流布に進む決意を深めゆくことは、大聖人の御心に最も適った追善であることを確認しておきたいのだ。
 そこに、坊主が介在する必要など、元来、まったくないのである。

●僧による法要は葬式仏教の産物
 一、「僧は葬送儀礼には関わらない」というのが、釈尊の遺言であり、仏教の伝統であった。
 僧は、葬儀などの儀式に関わらないで、あくまでも自身の修行に専念し、自己完成を目指すべき立場であった。
 ところが日本では、室町時代を経て、檀家制度が確立される江戸時代になると、いわゆる「葬式仏教」へと堕していった。
 寺院は、仏教本来の出家の精神を失い、経済的な支えを葬送儀式に見いだし、巧妙に利用していくようになっていったのである。
 さまざまな法要も、仏教の本義に由来するものではなく、他の宗教や思想を取り入れたものであることが、歴史研究で明らかにされている。
 例えば、なじみの深い「四十九日の法要」も遡(さかのぼ)れば、インドのバラモン教に由来するという。
 百箇日・一周忌・三回忌の法要は、中国の儒教を淵源として、平安時代までには日本でも行われるようになった。
 さらに時代を経て、法要が寺院にとって重要な財源となるにつれ、七、十三、十七、二十五、五十、六十回忌等々と、次々と回忌法要がつくり出されていったのである。
 大聖人の御在世には既に、四十九日をはじめ、回忌法要の風習は広く社会に浸透していた。 大聖人の門下も、亡くなった家族の四十九日や回忌法要に際し、供養をお届けしてきたという記録がある。
 大聖人は、その孝養の真心を讃えられながら、御自身も追善供養してくださっている。
 しかし、大聖人が、そうした法要を積極的に行うよう奨励されることはなかった。
 先ほども申し上げたように、「彼岸会」に関する記述も、御書には全くないのである。
 日蓮仏法には、儀式や形式に縛られる窮屈(きゅうくつ)さや偏狭(へんきょう)さはない。
 心を広々とさせ、伸び伸びと大宇宙の運行のリズムに合致しながら、意義深き人生の四季を飾り、福徳の生命の年輪を刻みゆく正道が示されているのである。
 「彼岸」においても、大事なポイントは、一体、何か。
 仏法の本義に立ち返るならば、「成仏の境涯(彼岸)」へ向かって、自分自身も、そして一家眷属(けんぞく)も、より希望に燃えて前進していくことこそが、眼目(がんもく)なのである。

●「形骸のみあって真の仏法はない」
 一、戸田先生は、彼岸に関連して、正しい仏法のあり方を、さまざまに語り残してくださっている。
 そのまま、ご紹介させていただきたい。
 「彼岸といいお盆といい寺に詣でる者多く、あたかも日本は仏教隆盛の国のようにみえる。 しかるにその真実は仏法の形骸のみあって真の仏法はない」
 そして先生は、日々の学会活動にこそ、「彼岸に到る」道があると教えられた。日々の倦(う)まぬ実践の積み重ねだけが、自身を幸福の彼岸に運んでくれることを強調しておられた。
 『全同志を、幸福の彼岸へと導きたい! 』 ── これが、戸田先生の叫びであった。また、創価の三代の心である。
 反対に、「葬式仏教」や腐敗堕落の坊主に対して、先生は、烈々たる舌鋒(ぜっぽう)であられた。

●「私腹を肥やす坊主は天魔だ」
 一、また、戸田先生は、信心なき宗門の坊主に対しても容赦なかった。
 こう厳しく言い切っておられた。
 「坊主は、人々を救うためにある存在だ。
 それを、御供養といって、信者を金儲けの道具にし、何の贅沢に使ったのか。何の遊戯雑談(ゆげぞうだん)に使ったのか。仏法の本義から根本的に誤った、腐った精神の奴らである。あまりにも情けない奴だ」
 「多年(たねん)、寺を私有化し、いたずらに私腹のみを肥やして、貪欲(どんよく)の醜躯(しゅうく)を法衣(ほうえ)で偽装。僧形(そうぎょう)にして僧に非ず。天魔なるのみ」
 さらに、堕落した宗門の坊主の本質について、遺言のごとく語っておられた言葉が忘れられない。
 「なぜ、僧侶の堕落が始まり、腐敗していくのか。それは、広宣流布という至上の目的に生きることを忘れているからだ。この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう。
 令法久住(りょうぼうくじゅう)を口にしながらも、多くの僧侶が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。つまり欲望の虜(とりこ)となり、畜生の心に堕してしまっているのだ」
 先生は、こうも予見しておられた。
 「禿人(とくにん)といって、職業僧侶、すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現れたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう」
 「学会が大発展していけば、必ず坊主たちは嫉妬し、思いもよらぬ迫害を加えてくる」
 そして「広宣流布の大闘争に、少しなりとも邪魔だてする坊主あれば、青年は決起して鉄槌(てっつい)を加えよ」と訴えられた。
 衣(ころも)の権威で尊き仏子をいじめ、広宣流布を阻(はば)む悪人は絶対に許すな!   ── これが恩師の叫びであった。

●師弟の行学錬磨の場 「霊鷲山」
 一、きょうは学会の会館の建設・整備などのために尽力されている方々も、参加しておられる。
 広宣流布の同志が集う法城が、どれほど大切な場所であるか。
 日蓮大聖人は、大きな仏道修行の道場を建立(こんりゅう)するのに貢献した富木常忍(ときじょうにん)をねぎらわれて、こう仰せである。
 「一閻浮提(いちえんぶだい)第一の法華堂を造ったと、霊山浄土に行かれた時には申し上げられるがよい」(御書995ページ、通解)
 皆さま方の功労を、私は永遠に顕彰してまいりたい(大拍手)。

 一、大聖人は、「霊山浄土」について、多くの御書の中で言及しておられる。
 「霊山」つまり「霊鷲山」は、釈尊の出世の本懐である法華経が説かれた場所とされる。
 釈尊在世の時代、インドで最大の強国であったマガダ国の首都として栄えていたのは、王舎城(現在のラージギル)である。
 この王舎城は、五つの山に囲まれた天然の要塞(ようさい)ともいえる都市であった。
 その五山のうち、東北に位置する山が霊鷲山である。
 頂上には、鷲を思わせる岩が屹立(きつりつ)している。それゆえか、「鷲の峰」(グリドゥラクータ)という意味の名があり、中国や日本では漢訳されて「霊鷲山」、あるいは音を写して「耆闍崛山(ぎしゃくっせん)」とも言われてきた。
 「霊」の字には「神聖な場所」の意が込められており、単に「霊山(りょうぜん)」とも呼ばれた。
 釈尊は、この霊鷲山で真実の大法を説き残した。
 弟子たちは、師のもとで懸命に修行し、師を厳護しながら、師の教えを生命に刻んでいった。
 つまり、霊鷲山は、“師弟共戦の行学練磨の場”であり、“師弟不二の広宣流布の舞台”だったのである。

● その霊鷲山で、壮大な、大宇宙も包含しゆく法華経の会座(えざ=虚空会)が繰り広げられたことに、大聖人は甚深(じんじん)の意義を見いだされている。
 そして、「娑婆即寂光」という仏法の真髄の原理を展開されていくのである。
 「娑婆(しゃば)」とは、堪忍(かんにん)世界と言われるように、生きていくために堪え忍ばねばならない苦難多き現実世界をいう。
 また「寂光」とは、常寂光土のことで、仏が住む荘厳にして清らかな平和な浄土である。
 霊鷲山は、まさしく、生老病死の苦に満ちた娑婆世界を象徴している。
 その霊鷲山と離れずに、その霊鷲山の中で、「法華経の会座」という寂光土が現出しているのである。
 すなわち、真の仏法とは、現実から離れず、現実の真っただ中で、人々の苦悩と真っ向から向き合いながら、その打開の道を説き示すものであった。
 そして、苦難に満ちた現実世界を、希望の宝土(ほうど)に転換しゆくのである。
 私には、この「娑婆即寂光」の法理が、「霊鷲山」「霊山浄土」という仰せに凝結していると拝することができた。

●仏法の真髄は「今、ここ」に
 一、御書には、こうも記されている。
 「法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所はいかなる山野なりとも霊鷲山なり」(811ページ)
 「惣(そう)じて一乗(いちじょう)南無妙法蓮華経を修行せん所は・いかなる所なりとも常寂光の都・霊鷲山なるべし」(同ページ)
 「霊山浄土」とは、西方極楽浄土のように、死んだ後に娑婆世界を離れて往生する別世界では、決してない。阿弥陀仏のような他力(たりき)にすがって往生する所ではない。
 御義口伝には、「法華経を持(たも)ち奉る処を当詣(とうけい)道場と云うなり此(ここ)を去って彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。
 現実を離れ去って、どこか他の世界に幸福や安穏を求めるのではないのだ。
 大聖人は、次のようにも仰せである。佐渡流罪の大難の中で認(したた)められた御言葉である。
 「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。
 私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺(てんじく=インド)の霊鷲山を見、本有の(ほんぬ=永遠の昔から存在する)寂光土へ昼夜に往復されるのである」(同1343ページ、通解)
 要するに、大聖人に連(つら)なり、広宣流布の魂を燃やして、妙法を実践する人がいる所こそが、常寂光の浄土なのである。
 仏法の真髄は、どこか遠くにあるのではない。今、ここに厳然とある。今、ここを離れて、仏法はない。

●霊山浄土は宇宙の全体
 一、大聖人は、御書の随所で、「法華経を修行し抜いた人は、亡くなってから霊山浄土に行くことができる」と示されている。
 たとえば、「如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう)」には次のように仰せである。
 「命が続いている限りは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱え抜いて死ぬならば、釈迦・多宝・十方の諸仏は、霊山会でお約束されたことなので、たちまちのうちに飛んできて手を取り肩に担(かつ)いで霊山へと走ってくださるのである。
 その時は、二聖(にしょう=薬王普薩と勇施〔ゆぜ〕菩薩)、二天(にてん=持国天王と毘沙門天王)、十羅刹女は法華経を受持した者を助け護り、諸天善神は天蓋(てんがい)をさしかけて旛(はた)を立て、私たちを守護して、功徳に満ちた永遠の仏国土へと必ず送ってくださるのである。なんとうれしいことか、なんとうれしいことか」(同505ページ、通解)
 さらにほかにも、「よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいりなさい」(同1226ページ、通解)、「ただ一心に信心を持(たも)たれて霊山を期しなさい」(同1227ページ、通解) ── 等々、霊山浄土を約束された御聖訓は多い。
 ただし、「亡くなって霊山浄土に行く」といっても、当然のことながら、念仏の西方極楽浄土のような別世界に行くのでは、絶対にない。
 尊き巨大な宝塔が現れ、全宇宙から仏が来集した法華経の会座(えざ)の様相が示しているように、霊山浄土は宇宙そのものなのであり、宇宙の全体なのである。
 したがって、霊山浄土とは、宇宙のどこかに偏って存在しているというものではないのだ。
 そんな偏頗(へんぱ)なものではなくして、宇宙全体の大きさ、深さと同等に、わが一念、わが生命は、妙なるリズムを刻み、歩んでいくのだ。
 ゆえに、先にも述べたように、いずこであれ、信心・修行をしているその場が、一歩も行かずして霊山浄土なのである。
 そして、この正しき信心を貫き、偉大なる正念(しょうねん)を確立した人が亡くなると、その生命は、宇宙全体を余すところなく我が生命とできるような、広大無辺なる境地にいたって、歓喜していけるのである。
 そのことを、戸田先生は、「大宇宙の仏界に溶け込む」と言われた。
 ここに「霊山浄土」の内実があると拝されるのである。

●仏の大生命がすべて御本尊に
 一、ともあれ、霊鷲山の儀式(虚空会の儀式)それ自体が、仏の宇宙大の生命をあらわしている。
 大聖人は、地涌の菩薩の“棟梁(とうりょう)”として、御自ら広宣流布の大願に生き抜かれた。
 そして、法華経の会座を用いて、御自身の大境涯を、御本尊としてあらわしてくださったのである。
 この御本仏の生命の大功徳は、すべて御本尊に納まっている。中央には、厳然と「南無妙法蓮華経日蓮」とお認(したた)めである。
 大聖人は、御義口伝で、御本尊こそ霊山の儀式をあらわし出したものであることを明かされ、そのお姿を「霊山一会儼然未散(りょうぜんいちえげんねんみさん=霊山の一会は儼然として未だ散らず)」(同757ページ)と示されている。
 また、大聖人と同じく、南無妙法蓮華経を唱え、妙法を実践する所には、霊鷲山の儀式が厳(おごそ)かに現前(げんぜん)する。そして、永遠に消えることはない。

●正義を満天下に
 一、一切は勝負、仏法は勝負である。正義なればこそ、断じて勝たねばならない。
 民衆をいじめ、正義を踏みにじる人間とは、断固、戦うのだ。本当の正義の強さ、偉大さを、満天下に示すのだ。
 「華果成就(けかじょうじゅ)御書」には「師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない」(御書900ページ、通解)と厳然と仰せである。
 悪を鋭く見抜き、どんどん声をあげるのだ。臆病であってはならない。
 勇敢なる真実の弟子が、一人立てばいいのだ。
 日興上人の「原殿(はらどの)御返事」には、こう記されている。
 「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733ページ、通解)
 師弟が心を合わせて唱えゆく、妙法の音声(おんじょう)に勝るものはない。
 御聖訓には仰せである。
 「白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして我らを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい」(御書1065ページ、通解)
 朗々たる唱題の声が、諸天を動かし、自分自身を厳然と守りゆくのである。

● 永遠に輝きわたる創価の霊山会に集った、正義の皆さまが、絶対に幸福にならないわけがない。健康にならないわけがない。
 最後は断じて、すべてに勝ち抜いていけると決まっているのである。
 わが使命の舞台で、人間革命のドラマを成し遂げ、皆に勇気と希望を広げて、広宣流布を進めていく。これが、地涌の菩薩の「霊山の誓い」であるからだ。
 私とともに!
 同志とともに!
 学会とともに!
 この誓いを果たし抜く人生を、悠然と勝ち飾っていかれることを念願して、私のスピーチとしたい。
 亡くなられた全同志、またご家族や友人の方々の三世永遠の幸福を祈ります。
 そして皆さまの一家一族が、ますます栄えていくことを、心から祈っております。
 同志の皆さまにも、くれぐれも、よろしくお伝えください。
 ありがとう! (大拍手)

 

信平問題は、創価村の複合汚染!!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)01時50分3秒
  池田先生の女性スキャンダルは、看護師が如何の斯うのと言ったバカ話しがあっても、もう出てこないでしょう。

この狂言訴訟に至る顛末を再考するのは、今、支援している自民党との関係、大手週刊誌との関係、創価村の報道管制、組織内部の隠蔽体質、そして大幹部と言われる会員の資質と先生を辱めた戸田門下の暗躍、傍観して何もしていなかった池田門下の弟子の姿勢を知る上で役立つ事件だからです。

単に、乙骨が悪いとか山友が暗躍していたと言う短絡的な認識は改めて、今後、展開する資料をご覧下さい。
 

索引集は、ご覧になりましたか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)01時06分42秒
編集済
  私は、中吊り広告ではありません。これらの週刊誌記事内容をよく読んで下さい。また、過去ログの私の投稿をお読み下さい。不特定多数との認識も謝りです。2ちゃんねんやら、多数存在する反学会板から見れば、僅かな投稿件数の弱小掲示板です。意図的・悉意的にまとめられたwiki事典のアクセス数と比べても、比較にならない所です。
認識不足であり、この板に対する評価を過大に思い込んでいるのでは無いですか?この板以外の繋がりがあっての思い込みだと思います。

私は、仕事をしながら投稿していますので、展開には時間がかかります。ご了承下さい。
 

国会証人喚問を要求しています。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月25日(月)01時04分40秒
  イケディアンの住人様、資料ありがとうございます。
国会証人喚問を要求。これは信平の記事の着目点では?と見ました。今後の展開をお待ち致します。
 

限られた投稿者の板です。閲覧者は不特定多数です。

 投稿者:IKEDIAN"U"  投稿日:2016年 7月25日(月)00時51分22秒
  目的はわかりました。但し、閲覧者は不特定多数です。中吊り広告と同じにならぬ様、配慮ください。  

太ちゃんgood!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)00時41分1秒
  その通り、常に現実と向き合って来なかった現場を知らないサイコ患部様方と同じです。

折伏弘教も、涙流しながら題目も唱えなかった道楽者!今生の思い出は溺愛して信心がダメになった家族だけ~(-_-)

師匠を利用し、先生の言葉を語った詐欺集団、綺麗ごとばかり並べてお花畑信仰を現場会員に押し付ける内弁慶機関の面々を相手にしてはいけません。

厳しい現実と向き合ってきた先生の闘いが分かっているのかと聞きたいところですね。師匠に甘え、傘の下でぬくぬくと怠惰な信心をしてきたのでしょう。弟子として、恥辱にまみれた信平問題を正確に把握する気もなければ、知りたくもないと言うイケデイアンがいるとは呆れてしまいました(-_-)一生お気楽・極楽な信心をしていてくなさい~としかアドバイス出来ません。

 

よくわかりません

 投稿者:芋意  投稿日:2016年 7月25日(月)00時30分59秒
  信平の週刊誌みてなにがわかるとでもいうのでしょうか。

乙骨らの週刊誌読むよりも核心部を詰めたいなら優先順位があるのでは?
 

限られた閲覧者の板です。勘違いされているのでは?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月25日(月)00時16分10秒
  内弁慶機関の皆さま方なら毎晩暇潰しにご覧になって不愉快かも知れませんが、演繹的に展開している資料提供です。実話の記事は読むに耐えない酷い内容(-_-)

しかし、これらを仕組んだのは信平本人ではありません。恥ずかしい体験談も作文です。誰が書いたのか?昭和40年代まで遡って信平本人の体験寄稿もアップします。

このような事を仕組んだサイコ大患部の嫉妬を明らかにしますので、宜しくお願いします。
 

記事で動揺するのは「本尊に迷う」状態だからです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月25日(月)00時10分35秒
編集済
  情けない限りです。
もうじき寿命の尽きようとしてる池田先生が、最優先に願うことは考える間でもないことでしょう。
記事を見たくない、というのは池田先生の苦労を知りたくない、と言ってるのと同じことです。

池田先生ご自身が、御本尊様に祈ってください、といくら言ってきたことでしょうか。
いちいち数える間でもなく100回や200回なんて数ではないのが明らかでしょう。

もう今の時期は、どんどん自立していかなければいけなくなってるんです。
この時期に、池田先生の指導どおり御本尊様に祈りながら自立した信仰にする、という本来の信仰にしないでいつやるのでしょうか。
自立できなければ、結果的に組織に頼らざるえないことから、執行部というより最高幹部4人組の思惑どおり自分自身が不幸に落し込められてしまうだけです。

それが心配なんですよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

/976