「会社の生命は永遠です。その永遠のために、私たちは奉仕すべきです」

社員の皆さま

 日商岩井の皆さん。男は堂々とあるべき。会社の生命は永遠です。その永遠のために、私たちは奉仕すべきです。
 私たちの勤務はわずか二十年か三十年でも、会社の生命は永遠です。それを守るために、男として堂々とあるべきです。今回の疑惑、会社のイメージダウン、本当に申し訳なく思います。責任とります。

一月三十一日夜 島田三敬

社員の皆さま と書かれていた遺書の全文

 今日まで、気の張りつめでした。頑張る、頑張る、でやってきました。家族をギセイにし、家をギセイにして、そして、でも、日本一の航空機部を作りました。誰が追随できるでせうか。
 決して、決して、政治家の力を借りた訳ではないのです。つきあいはありました。でも、その力を借りるという事は、期待できますでせうか。それはない。自分の力、それ以外に何がありますか。政治家は便乗、役に立たない。本当の力は私達でした。誰もが納得できるものを推す事が、私達の戦術です。
 E2C然り、他に何にがありますか。対抗機は?
 F4EJ、他に何がありますか?
 F15、他に何にがありますか。対抗機は?
 良いものは、良い。必要なものは必要なんです。政治家は便乗、でも良いものは良いのです。それに筋つけて、インネンつけるのは、おかしいです。私は飛行機に生命をかけて来ました。生命をかけてきたものが、採用されて何にが悪いんでせうか。
 他に何にがあるんですか。私は確信しているのです。国防を考えない人は、何にか言います。チョコレート兵隊でも良いと、・・・それが本当に防衛庁の声でせうか。防衛庁は国を守るのが目的です。おかしい。国を守る事が本当に考へられているでせうか。淋しい事です。
 何にが何んだか解りますか。唯金だ、政治家だと言ふ事で、国会は大さわぎ、本当に日本を考えている人は誰でせうか。事なかれ主義、それは、国、会社、組織をだめにします。こんなんでは日本は保てないと思います。

遺書とは別にフェルトペンで便せんに書かれていた言葉より
日商岩井常務 島田三敬(しまだ・みつたか) 1979/02/01

島田三敬(リンク切れ)

一九七九年二月一日、ダグラス・グラマン事件の捜査を受け自殺(他殺説も根強い)した日商岩井(現双日)常務島田三敬常務の遺書。以前ブックマークしていたのだがリンク先のページが無くなっていたのでウェブアーカイブから引用。

冒頭の社員向けの遺書、続いて遺書と別に書かれていたもの、他に家族、友人や関係者などに向けて十通の遺書が残されていたという。

特に冒頭の「会社の生命は永遠です。その永遠のために、私たちは奉仕すべきです。」という言葉はメディアでも頻繁に取り上げられ、日本人のそれまでの働き方を問い直すきっかけになった。

『「会社人間」という言葉は、すでに広く使われていたが、この自殺は、自分を犠牲にして会社にすべてを捧げる「会社人間」という生き方、見方を変えれば社員に全人格的な服従を迫る企業支配のあり方が問題視されるきっかけのひとつになった。』(橋本P178)

高度経済成長期、人はその身も心も会社に捧げたとしても、右肩上がりに経済は拡大し、十分な報酬と終身雇用に守られて人生を終えることが出来た。かりそめの人生を預ける、永遠の会社共同体という幻想は不思議ではない。だが七〇年代に入るとその幻想は大きく揺らぎ始める。戦後体制は行き詰まりインフレと景気後退とが重なる「スタグフレーション」の波が世界を覆う。既存の秩序や常識が否応なしに見直される中で、島田の遺書が明るみに出て以降、古い労働観・雇用システムも転換期を迎えていく。

一九七八年十二月、アメリカの証券取引委員会(SEC)が、一九七五年に航空機メーカーマクドネル・ダグラス社が日本の政府高官に対して一万五千ドルを渡したことを告発。続く一九七九年一月、同じくSECが、グラマン社が日商岩井を通じて日本の政府高官(岸信介・福田赳夫・中曽根康弘・松野頼三)らに対し不正資金供与があったことを告発し、ダグラス・グラマン事件という疑獄事件に発展した。

七〇年代は日本の防衛政策が大きく転換した時期だった。冷戦はいわば敗戦日本が残したアジア地域の真空地帯を巡る覇権争いという側面を強く持つが、その冷戦を巡り、西側諸国との緩衝地帯として日本が最重要視され、再軍備が求められた。一九五〇年代朝鮮戦争当時、仮想敵国である中ソの北と南からの対日攻撃に対応するには日本全土に三二五〇〇〇人という二正面作戦を展開しうるだけの兵力が必要とされていた。米国のその要求にこたえるべく一九五四年に防衛庁と自衛隊が発足、軍事力の整備は重要視され続け、一九六〇年代には自衛隊内で有事の際に「国家総動員体制」への移行なども検討(「三矢作戦研究」)されるほどだった。

この対立構造は七〇年代に入ると東西両陣営の経済的な行き詰まりを背景にして一気にデタントを迎える。七一年にキッシンジャー補佐官が中国を訪問し、七二年には米ソ間で戦略兵器制限条約(SALT)調印、同七二年日中国交回復、七五年ベトナム戦争終結など東西融和が進む。このようなデタントを背景にして七六年発足の福田内閣は全方位平和外交を掲げ、中ソとの友好関係を推進。防衛に関しても『特定の脅威を前提としてそれに対処するという「所要防衛力」論ではなく、一国の防衛の基盤となる防衛力を整備するという「基盤的防衛力」構想』(松岡P204)をベースに七七年一一月には防衛費はGNPの一%を超えないことが閣議決定された。

島田の二番目の遺書は冷戦下の国防を巡るジレンマに引き裂かれたものといえるのかもしれない。信じてきた自身の仕事の重要性と位置づけが数年で全く変わってしまっていたのだ。島田の言う「国防」と当時の情勢を踏まえた「国防」との乖離の大きさは悲劇的ですらある。人生における自身が常識としていたはずの労働の意味ががらりと変わり、自身の生涯を掛けた仕事の社会的位置付けが一八〇度転換する中で、それに翻弄された末のぶつけようのない哀しみが浮かび上がってくる遺書だと思う。

ダグラス・グラマン事件は法務省刑事局長の「捜査の要諦はすべからく、小さな悪をすくい取るだけでなく、巨悪を取り逃がさないことにある。もし、犯罪が上部にあれば徹底的に糾明し、これを逃さず、剔抉しなければならない」という意気込みもむなしく、日商岩井関係者三名の起訴のみで終結した。

現在、会社人間の時代も、会社が永遠のものであるという幻想も、冷戦も終わり、自衛隊は国防ではなく災害救援と人道援助にその力をいかんなく発揮している。

参考書籍・サイト
・島田三敬(リンク切れ)/ ウェブアーカイブ
ダグラス・グラマン事件 – Wikipedia
・橋本 健二著「「格差」の戦後史–階級社会 日本の履歴書 (河出ブックス)
・松岡 完、広瀬 佳一、竹中 佳彦著「冷戦史 -その起源・展開・終焉と日本-

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