| 唐辛子は、どうやって朝鮮半島に伝わったのか? 唐辛子の原産はアメリカ大陸の中・南部。 十六世紀にコロンブスによってヨーロッパに伝えられ、それがキリスト教の宣教師らによってアジアに広まりました。 辛さでは胡椒を上まわり、栄養価も高く、しかも温帯でも栽培ができるため、現在、香辛料の中では世界で一番生産、消費さています。 「唐辛子」とコロンブス ギリシャ・ローマの時代から、スパイスの確保が貿易の主な目的でした。中でも東南アジアの胡椒は金と等量 で取り引きされるほどでした。 胡椒のニーズが大航海時代を生み、コロンブスとて例外ではなく、しかし彼の場合インドのコショウではなく、新大陸と唐辛子を発見するという幸運に恵まれました。 胡椒より辛く、栽培も容易な唐辛子の出現は、それまでインドから高い胡椒を買っていたヨーロッパ社会に熱狂的に受け入れられ、その熱波はやがてアジアへと広がることにります。 ところで、新鮮な野菜の補給が不可能だった当時の船乗りたちにとって、一番の悩みだったのがビタミンCの欠乏による「壊血病」。 コロンブスと同時代の冒険家バスコ・ダ・ガマは、160人の部下のうち100人を「壊血病」で失っているほどでした。 でも、唐辛子によってその悩みも解消されました。 唐辛子にはビタミンCが、生で22ミリグラム、乾燥したもので100ミリグラム(ともに可食部100グラムあたり)含まれていたからです。 朝鮮半島への伝播 542(天文11)年。ポルトガルの宣教師によって、今の大分県に唐辛子が伝えられたという記録があります。 また、中国から朝鮮半島に伝わり、秀吉の朝鮮侵略の時に半島から唐辛子を持ち帰ったという記録も伝えられています。 「高麗胡椒」「唐辛子」というネーミングも、朝鮮からの伝来をうかがわせます。 一方、十七世紀初頭に書かれた朝鮮半島の記録には「日本から伝わったので、倭芥子(にほんのからし)と呼ぶ」と、唐辛子について記載されています。 「南蛮椒には大毒がある。倭国からはじめて伝わったので、倭芥子と呼ぶが、近頃これを植えているのを見かける。酒家では、その辛さを利用して焼酒(焼酎)に入れ、これを飲んだ多くの者が死んだ」(「芝峰類説」1614年) 滋賀県立大学人間文化学部の鄭大聲教授は、「まずポルトガルから大分県地方に伝わった唐辛子が、(瀬戸内海や北九州の)倭寇か秀吉の兵たちによって朝鮮に持ち込まれ、この時点では日本の本州には伝わっていません。 そして唐辛子が朝鮮でぼちぼち植え始められた頃、九州以外の地域の日本人が、目新しいと日本の本州へ持ち帰ったのだろう」と、伝播経緯について考察しています。 唐辛子の普及 胡椒が貴重だったのはヨーロッパばかりでなく、朝鮮半島でも同じでした。 唐辛子が伝わる前の十五世紀には、自国で胡椒を生産しようと主な輸入先であった日本に、6年間で11回も胡椒の種子を要請した記録も残されています。 では、唐辛子が伝わった後はヨーロッパのように全土に広がったかというとそうではなかった。「倭芥子には大毒がある」と信じられていたからです。 半島に栽培の記録が見られるようになるのは十八世紀初め。その50年後の文献に、キムチ(のような漬物)やコチュジャンの作り方が初見されています。 今日のような、辛い朝鮮半島へと変遷する境めは、十八世紀末〜十九世紀初めにかけてのこととみられています。 もちろん、さんしょうやこしょうを用いていたことが、唐辛子の定着、普及を容易にしたのですが、辛みを用いるはずみがついたのは、唐辛子が広まってからす。 事実、韓国料理の中で唐辛子を使うのは圧倒的に「家庭料理」で、宮廷料理の「韓定食」や「慶事料理」「法事料理」ではあまり使用していません。必ずしも「韓国料理=辛い」ではないのです。 |