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【プロ野球】

黒田、日米200勝 3度目の正直、地元で達成

2016年7月24日 紙面から

日米通算200勝の花輪を掲げる広島・黒田博樹=マツダスタジアム(撮影・高部洋祐)

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 決めて断ち、耐えて勝った200勝だ。広島の黒田博樹投手(41)が、日米通算200勝(日本121勝、米国79勝)を達成した。7イニング5安打無失点で今季7勝目。日米通算での到達は2005年野茂英雄以来、史上2人目の快挙だ。NPBでの達成は過去24人。

◇広島7−0阪神

 広島が27年ぶりの貯金22。阪神戦の勝ち越しを決めた。黒田が7イニングを5安打無失点、9奪三振で7勝目。1回にルナの3ランで先制、3回に5長短打を集めて4点。阪神は5連敗。岩崎が3回途中で7失点。

 揺れた。「最高の球場」が赤く揺れた。その真ん中で黒田が笑っている。新井から記念レリーフを贈られ、握手を交わす。7イニング5安打無失点で7勝目。日米通算で積み上げた白星が200に達した。「一番はホッとしてます」。円熟の投球術が光る115球だった。

 「最高のチームメートと最高のファンの前で、最高の球場で勝つことができた。自分自身も感動しています」

 毎朝、起きる。すぐ首、肩、肘に触れる。肉体は限界を超え「リカバリーできている日は少ない」と打ち明ける。登板前には右肩、腰に塩を塗り込む。「痛みが取れたら苦労しないよ」と笑うが、努力に神頼みも欠かさない。

 転機は2004年4月2日。中日との開幕戦で6イニング2/3を8失点。ベンチ裏で「このままじゃダメだ」と涙を流した。帰りの新幹線車中。野球雑誌で目にした動作解析の施設に自ら電話した。一から投球を見直して、同年にはアテネ五輪に出場。中継ぎで2勝し、銅メダル獲得に貢献したが、帰国後すぐにシュートの習得に挑戦した。それが翌05年の最多勝につながっていく。

 「行き着くところはプロである以上、結果を残し続けないといけない。グラウンドに立ち続ける以上は、相手に勝ち続けないと残る権利は得られない」

 投手である前に、プロとしての生きざまを探してきた。プロ入りを諦めかけた高3の夏。元南海の父・一博さんに「お前の夢は何だったんだ」と問いかけられた。変化は進化だと信じて生きた。変わらなければならなかった。

 高校入学から野球を「楽しかったことは一度もないよ」という黒田が、充実感を覚えたのが2試合ある。最初はヤンキース時代の13年7月31日。古巣ドジャース戦でかつてのキャッチボール相手だったカーショーと、初めて投げ合ったとき。

 そして、14年9月25日のオリオールズ戦。ジーターの引退試合だ。初回に2者連続被弾。「舌をかみ切って死んでやろうと思った」と笑う。球場の祝福ムードは一転。大ブーイングに身をさらしたが、盟友のサヨナラ打で勝利した。200勝には含まれぬ“2勝”だが、計525度の登板で心躍ったのはたった2試合。勝利に徹した男の矜恃(きょうじ)だ。

 「チームのために201勝目に向けて準備したい。本当に大きな目標に向かって、全員で戦っていきます」

 復帰を決めたのは「待ってくれる人がいる」から。「帰ってきてよかった」としみじみ言った。ファンとともに頂点へ。夢にはまだ続きがある。 (田中政行)

 

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