出没!アド街ック天国〜今も残る憧れの景色 昭和の原宿〜 2016.07.23


昭和のある時期その街は今よりずっと大人びていて時代の最先端を走っていました。
それが若者の街原宿です。
神宮前交差点にあったのはセントラルアパート。
クリエーターたちのステータスシンボルでパリのサロンのような場所もありました。
銀座とも新宿とも違う独特のムードがあった原宿。
時代とともに街は大きく変わっても昭和の人気店はあまた残っています。
そこで今回は昭和から続くスポットのみをランキング。
題して…
戦後いち早くアメリカの文化に触れてきた原宿。
さまざまな若者カルチャーがこの街で花開きました。
当時の最新カフェではファッショナブルな人たちが青春を謳歌。
全国の若者たちが憧れ胸をときめかせたのです。
原宿生まれのファッションはいつの時代も個性的。
そして…。
昭和から愛される味も名作揃い。
熱い青春がよみがえります。
若者たちがキラキラ輝いていた昭和の原宿へ。
懐かしい青春のスポットを今改めてめぐりましょう。
今回は神宮前交差点を中心とし昭和から残る場所のみにスポットを当てます。
ということで本日のテーマ…
早速BEST20から
大正13年に誕生した原宿の瀟洒な駅舎。
先日建て替えが発表され物議を醸しています。
この駅前にサッカーの専門ショップがオープンしたのは昭和51年
ポール・マッカートニーのこの曲がヒットした年でした。
当時各スポーツの専門店が原宿に次々と生まれ話題をよんだのです
同じ頃世はスケートボードが大流行。
原宿代々木公園はその聖地でした。
原宿のムラサキスポーツもいち早くスケボーに力を入れた一軒。
この曲が流行った頃オープンしました
当時の若者たちがこだわったのはウッドのデッキです。
そしてトラックもそれぞれの好みを追求。
最近は昭和50年代のウィールも復刻されています
そして昭和57年頃にはローラースケートが流行
原宿のローラーチームミルキーのリーダーだった後藤さん。
今彼は?ムラサキスポーツのスタッフです。
昭和のスーパーアイドル光GENJIが使用したシューズの考案に携わった後藤さん。
すぐ脱げるようにとマジックテープを使用したのです。
後藤さんは今も軽やかな滑りを披露。
現代の若者を圧倒します
ポップカルチャーの象徴竹下通り。
さまざまな流行が生まれては消えお店も目まぐるしく変わってきました。
そんな竹下通りで半世紀
ジャッキー吉川とブルー・コメッツの『ブルー・シャトウ』が大ヒットした昭和42年に創業
当時の人はよく「森とんかつ泉にんにく」と替え歌で遊んでいました。
くしくもここはとんかつのお店です。
二代目の主は昭和56年に沖縄からこの店へ。
初めて見た東京が原宿だったのです
ラジカセから流れるキャンディーポップスに合わせステップダンスをキメていた竹の子族。
彼らも踊ったあとは庄太郎のトンカツを食べながら反省会をしていたようです
神宮前交差点から表参道を東へ。
若者たちの間でプロペラ通りと呼ばれてきた小径があります。
その名の由来はかつてこの場所にアメカジ系セレクトショッププロペラがあったこと。
昭和の終わりに渋カジブームを牽引したお店です。
プロペラは平成15年に閉店しました。
他のさまざまな店もいつの間にか消えていた路地裏。
しかし昭和53年創業のレストランがひっそりと残っています
当時ヒットしていたのはビリー・ジョエルのこの曲
ハウスマヌカンと呼ばれた人たちが通ったお店です。
原宿生まれの女将さん。
昔を振り返ると…
今のような賑わいは到底想像もできませんでした。
街に大勢の人が行き交うようになりこの地にカレーと定食のお店を開いた女将さん。
オシャレにお金を費やしたハウスマヌカンたちにとっては安くておいしいこの店がありがたい存在だったのです
原宿の音楽シーンを彩ったライブバー&レストランです
オープンは映画『ロッキー』がヒットした昭和52年。
米米CLUBなど多くのミュージシャンを輩出してきました。
お店の名物は生の音楽と天井に張り付くクロコダイル。
店長はこちらの…
実は…
ファニカンことファニー・カンパニーの元ドラマーです
ファニカンのボーカル兼ギターは今は亡き…
クロコダイルのステージにもたびたび登場していました。
15年前の当番組の取材では…
「胸がつまっているから」
豪快なエピソードも昭和ならではです
「はじめて言うけど」
キャットストリートの脇道に構える白山眼鏡店。
かつてここにあったのがフィフティーズファッションの伝説的ショップ昭和51年にオープンしブームを巻き起こしました
その後場所と店名を変えオープンしたのがこちらです
アメリカ人に憧れアメリカの生活を夢見た昭和のロックンローラーたち。
そのスタイルを貫く人たちが今もここに通います。
例えばこちらの常連さん。
実は入間ジョンソンタウンで登場したエロヴィスさんです。
元米軍ハウスでアメリカンな生活を送っています
原宿のロック文化を生み出したオーナーの山崎さん。
バー怪人二十面相など人気店を手がけました。
しかし山崎さんは3年前に他界。
店の一角には彼が愛用した服が飾られています。
当番組の取材で山崎さんは平成の若者のファッションについてこんなふうに語っていました
流行に捉われず生涯が青春です。
以上20位から16位でした。
ということで今週は…
さあというわけで出没!
(2人)「アド街ック天国」。
あなたの街の宣伝部長井ノ原快彦です。
さあ今回のテーマは昭和シリーズ第4弾になりました。
そうですか。
当時ジャニーズの合宿所が原宿にあったのでちょうどあのムラサキスポーツの光GENJIが履いてたローラースケートが出てきたじゃないですか。
ちょうど僕バックでついてたから。
あれね脱ぐときに後輩のバックダンサーたちが押さえとくと脱ぎやすいってことで。
僕らの中でもかなり。
押さえてたんだ。
押さえてたんです。
押さえる係だったんですよ。
それを思い出しました。
それでは皆さんの昭和の原宿といえばこれというものフリップでお出しください。
まずは峰さんお願いいたします。
私個人的なあれですけどもね1973年昭和48年でございますけど原宿でかみさんと初のデート…。
お〜っ初デート。
たまたまNHKでね2人とも初めてのドラマがありましてなぜか知らないけどちょっとお茶飲みにいこうかっていうかそういう話になりまして。
それは付き合ってないんですか?初めてお茶飲みにいこうかっていったのがレオンで。
なんかちょっと違うファッションの方が大勢いたんですよ。
ちょっと空気感が違ったんですね。
空気感が違ったの。
そのときにかみさんと話して今でも覚えて…。
いろいろ話すともうよく覚えてます初デート。
(2人)初デート。
さあ続いて寛斎さんお願いいたします。
原宿の駅はもちろんわかりますが駅から坂をのぼって…下りて教会があるところからまた今度上がっての道すがらとにかく考えてたことは…。
そればっかり考えてました。
左にレオンって喫茶店ありましたよね。
変な人が…集まってましたよ。
だけど私には無関係みたいな。
もうとにかく世界へどうやって出るかっていう。
その世界戦略のもとというかどうしたらいいかってことをずっと考えてたのが原宿だったと。
そうあの道…。
下りてきて左側の教会は今はラフォーレですよね。
(山田)教会って相当…。
教会もっと先の右にあるけどね。
中央教会。
続いて秋川さんお願いします。
私はマドモアゼルノンノン。
自分のお店の名前を堂々とTシャツに入れて売った店というか。
いわゆるTシャツっていうのがファッションと認められてないときに…。
今の子たちなんかわからないでしょうね。
そうか。
彼女が着てるとそうでしたね。
僕は実は今でも持ってるんですよ。
リサさんが表紙の。
これそうですね。
これ『アンアン』ですよね。
真ん中タロウちゃん店主。
そんなテリーさんお願いします。
銀座が一番それこそみゆき族がいたりしてブームだったんですけども最近なんかあれだな。
六本木もいいけど原宿ってかっこいいっていうふうに噂みたいなのが入ってちょっと行ってみようかっつってそこで行ってみたんですけど。
すでにいたんですね。
だからドキドキしながらこのアメリカンダイナーに入ってそこにあったステーキ。
ちょっと薄めのアメリカンステーキだったんですけどもこれを食べるのがホントにドキドキする。
かっこよかったですね。
これ…アメリカンダイナーが無くなった時はどれだけ自分の青春が無くなったかと…。
続いてヤッ君お願いします。
私の青春はCHOPPERですね。
CHOPPERというのは先ほど竹の子族映りましたけどその対極にあった…。
ロックンローラーが憧れたブティックのひとつです。
これが3大憧れのブティックだったんですよ。
僕はこのCHOPPERによく行っていてこちらのオーナーはCOOLSっていうバンドのCOOLSの佐藤秀光さんという方がオーナーだったんです。
僕COOLSが大好きで憧れてたからこの人のお店に行くっていうのが田舎者の僕からすると…。
今の原宿はやっぱりオリンピックのあとですよね。
代々木のワシントンハイツっていう米軍の施設がありましてそれがオリンピックの代々木競技場になり代々木公園になりNHKになったわけなんですけど。
同時にコープオリンピアとかねあとヴィラシリーズ。
そういう高級マンションがちょうどオリンピックのあとにできて。
ホコ天で出てそこから…。
昭和40年に誕生しました
いわゆる億ションの第1号。
サラリーマンの平均年収がおよそ45万円の時代です。
ホテルライクなフロントサービスも完成当時は衝撃的
多くのトップスターセレブが居を構え憧れの住まいとなりました。
更にこのマンションにはアメリカンなスーパーマーケット
フタがない冷蔵庫にショッピングカート。
そして輸入食材。
何もかもが刺激的でした
レジの横にあったのはなんとコインランドリー。
当時の最先端の暮らしがこの場所にあったのです
ティーンが闊歩する竹下通りとは対照的に昭和のムードが漂う渋い通りがあります
正式名は原宿通りですが昭和の人たちにはこう呼ばれています
とんちゃんとは昭和38年からこちらの場所にあった居酒屋のこと。
山本寛斎さんなど人気デザイナーたちが集まるサロンのようなお店でした
とんちゃんは平成5年に閉店。
しかしこの通りには昭和のお店があまた残っています
その名も昭和軒は昭和35年にオープン。
当時若い女の子たちの腕にはダッコちゃんがしがみついていました。
昭和軒の名物はずばり昭和麺。
タンメンにかき卵を加えたものです。
いっぱい食べてほしいという昭和の思いを守っています
そして洋食のROMMYが開店したのは昭和48年。
『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになった年です。
名物はソテーした豚肉に四川風の醤油ダレをかけた豚ポン
はいお待ちどおさまでした。
ノストラダムスが言う恐怖の大王におののきながらも若者たちはおいしくいただいたのです
焼き菓子がトリコロールの缶に入っているだけでドキドキできた昭和。
原宿カフェの先駆けとなったお店で大人っぽく懐かしいケーキを味わいます
そして名曲の舞台にもなった伝説のレストランバーへ。
懐かしいグラスの向こうに若き日の熱い思いがよみがえります
原宿カフェの先駆けです
オープンはツイッギーが来日した昭和42年。
若い女の子たちは超ミニのスカートをはいてサバランをほおばっていました。
焼き菓子の詰め合わせの缶もかつてはトリコロール。
女の子の心をときめかせました
6年前からは店の屋上で養蜂を始めています。
近くの代々木公園や明治神宮に多彩な花が咲いているため実は原宿はおいしいはちみつがとれるのだそうです
マーブルケーキでございます。
創業時から人気のマーブルケーキにもこのはちみつを使用。
昭和の味がますますおいしくなっています
吉田拓郎の歌に登場し若者たちの憧れとなったレストランバーペニーレイン。
平成に入って一度閉店しましたが10年前に復活を遂げたのです
その店は路地にひっそりと
店名はビートルズのこの曲から取ったもの。
バーボングラスは昭和のままのデザインです。
手がけたのは和田誠さん。
キャッチコピーは「ビートルズ&ロックンロール」です
復活後はフードメニューが充実。
伝説の店に新たなお客さんを呼び込んでいます
セレクトショップの草分けとして昭和51年原宿に誕生しました
ビームスのフィルターを通したファッションがたちまち若者の心をつかみました。
10周年記念のショッパーはみんな街でふだん使いしたものです
そして40周年にあたる今年はあのショッパーがアップデートされて再登場。
肩掛けだけでなくトートバッグとしても使えます。
そしてショップの上にあるこちらの部屋は社長室。
ビームスの立ち上げから奔走してきた設楽洋社長がいらっしゃいました
そのとき憧れたシューズは
そのシューズは今も設楽社長の宝物
以上15位から11位でした
コープオリンピアも出てきましたけども。
画期的だったわけですよねあのシステムというか。
コープオリンピアだっけどっちだか半地下にアクセサリー屋さんなかったですか?あったかもわかんないですね。
なんかそれで私たちそうだったんですか。
初めて原宿に行ってそこに入ってあ〜こういうものがアクセサリーなんだというそう特別な場所。
でもお店とかいろいろ出てきましたけど寛斎さんは何か引っかかるのありました?当時目白に住んでたんですね。
それで当時の考え方は私がすれ違う人がみんな…。
サラリーマンと一緒ですからそのときの格好を言うとね上から下まで靴も含めて…。
そしたら肩叩かれてそれとだから世界に出たいという彼の希望と私の熱がこうなったんで合流したときにはまあ信じられない出来事が起きたと。
驚きますよね僕らはね。
はいそれではいよいよ昭和の原宿BEST10に突入です。
はいせ〜の…。
(2人)出没。
辛くてうまい。
王貞治さんが世界記録の通算756号ホームランで日本中を沸かせた
原宿に誕生した四川料理のお店も話題を呼びました
日本での四川料理の祖陳健民さんに師事した初代。
現在二代目が味を守ります。
しかし昭和の頃本格四川料理に日本人はまだ慣れていませんでした。
給食で出るような甘い麻婆豆腐しか食べたことがなかった私たち。
龍の子の麻婆豆腐で体中に電気が走りました
痺れるような辛さで汗だくに。
今までの麻婆豆腐は何だったのか?とビックリしたのです。
そしてもう1つの名物担々麺も未知なる辛さ
すると…
こいつを使うんだよ。
訳知り顔で酢をたらせば少しまろやかに。
そうこうするうちに日本人はこの辛さに慣れていったのです
原宿名物。
全国の少女たちの夢はクレープ片手に原宿を闊歩すること。
そんなかわいい時代もありました。
そしてオシャレ少女たちが向かったのはビルとビルの狭間にあったあのファッションブランド。
今も女の子をときめかせています
原宿名物。
昭和52年竹下通りに誕生した2軒の専門店に若い女の子たちはときめきました
フランス生まれのクレープは原宿で独特のスタイルに進化。
その元祖と言われるのがカフェクレープです
アイスで原宿のクレープは大ブレーク。
今年の夏の新作はマンゴークレープです
マリオンクレープはおよそ20のメニューでスタート。
現在はおよそ100種類になっています。
トッピングオーダーの過去最高は15種類。
しかし…。
オープン当初の一番人気はチョコスプレーとアーモンドのみというシンプルな品でした。
今となっては渋いチョイスです
日本土産。
戦後現在の代々木公園に造られた米軍宿舎ワシントンハイツ。
そこで暮らす進駐軍の人向けの土産物店としてスタートしました
3フロアにわたって日本の文化を伝える品々が並んでいます
ジョン・レノンはホテルを抜け出し来店
今も客のおよそ8割が外国人。
そこで…
第3位はワインボトルが芸者に変身です
第2位はニューヨークやパリにコレクターが増えているそうです
そして1位はテーブルランナ−などインテリアとして使うのが人気。
外国人の価値観で日本を見ればまた新鮮です
かっこかわいい。
昭和45年ビルの間の細い隙間に誕生した一軒のブティック。
MILK少女たちが街を席巻しました。
場所を変え今も原宿に
天地真理やキャンディーズ松田聖子などアイドルたちがMILKの服をこぞって愛用。
独特の世界観で今も輝きます。
お姉さんとともにお店を開いた安田あけみさん。
今もデザイナーとして活躍しています。
4年前からは裏原にある友人のミュージックバーをお手伝い
デザイナーとして忙しい毎日なのにアグレッシブです
この日やってきたのは…
1970年代の原宿の写真集を昨年出版し話題となりました。
そこに写っているのは大人っぽい風景と若者たちの熱き鼓動
時代にアンテナを張っていた当時の若者たち。
だから今も輝いているのでしょう
特別なアイテム。
原宿の街の中に長蛇の列。
その先にあるのはラーメン店でも流行りのスイーツ店でもありません。
彼らのお目当てはカリスマによるインディアンジュエリー。
昭和も今も若者を熱狂させてきたそのジュエリーの魅力を探ります
特別なアイテム。
連日原宿の街にできるものすごい長蛇の列。
彼らのお目当てはラーメンでも流行のスイーツでもありません。
行列の先に構えるのは昭和も今もカリスマ的な存在のお店です
オープンは昭和47年のこと。
レザークラフトとインディアンジュエリーのショップです。
芸術的な作品を生み出してきたのが3年前に他界したジュエリー界のレジェンド高橋吾郎さん
吾郎さんは昭和54年にアメリカに渡りネイティブアメリカン・スー族の儀式を受けました。
そしてイエローイーグルという名を授かったのです。
彼の魂そのままのジュエリー。
今も多くの若者を魅了しています。
以上10位から6位でした
さあ皆さんに語っていただきましょうよ。
さっきバイクが映ってましたよね。
あの人ね何かっていうと表参道の青山通りのほうから歩道があるでしょ。
ダメじゃん。
そうダメなんですよ。
それが許されたんだよ。
そうなんですよ。
今だったらもう許されないから。
インディアンジュエリーって言われたのはねそれがいっぱいあったんですけど…。
真似っこじゃなくて…。
ここにタカの…ワシの爪刺してビリッて取るんでしょ?え〜そうなんですか?なんかそういう…。
そういう儀式をちゃんと受けて…。
いよいよベスト5。
でもその前に今回のコレクションは昭和の原宿で青春を謳歌した方を思い出のスポットとともに…

街を見守って。
表参道が美しい並木道だったから原宿の文化は生まれたのかもしれません
現在のけやきはほとんどが戦後に植えられたものです。
それから70年。
けやきは成長し街も様変わりしました。
かつてこの場所にあったのはカフェバーの象徴
そしてこちらの場所にはオープンカフェの先駆けでパリの薫り漂うカフェドロペがありました。
この伝説のカフェは今年3月銀座に復活。
昭和の若者たちが感激しています。
表参道ヒルズで時間を巻き戻せばここは
昭和の後期には高感度なお店が人々を引き寄せました
昭和50年代にけやき並木で踊りまくっていた竹の子族。
その文化は現代のスーパーよさこいへとつながります
世界の憧れ。
世界のセレブにも愛されます
昭和25年書籍とおもちゃの橋立書店として開店。
キデイランドとは外国人観光客からの愛称でした
時代を映す通り。
次々と変わりゆく竹下通りで昭和探し。
そして高感度な人々が集まった喫茶店レオンの世界へとタイムトラベル。
あの珈琲はもう味わえないと思いきやなんと今年珈琲がみごとに復活していました
時代を映す通り。
ポップカルチャーが集結
ここで昭和から続くお店といえば雑貨店の大中。
テクノブームのときにカンフーシューズが流行りました。
そしてカジュアルファッションのゼンモール
名物店員81歳の吉田さんも現役です。
昭和の終わりにはタレントショップが大増殖。
テリーさんが仕掛けた元気が出るハウスがそのブームを作ったといっても過言ではありません
そして現在表参道の裏通りにあるのが…
あまたの生写真のなかにもちろんいらっしゃいます。
井ノ原宣伝部長。
昭和風にいうと表情が余裕のよっちゃんです
懐かしのDC。
ディスコブームのさなかにオープンしました
DCブランドブームの頃その聖地だったラフォーレ。
バーゲンにはものすごい数の人が詰めかけました。
ファストファッションもアウトレットもなかった時代です
そして今ラフォーレの話題は昨年誕生したフードコート。
その一軒ANDTHEFRIETは新感覚フレンチフライの専門店です。
ディップを10種からチョイス。
リッチなフレンチフライが楽しめます
文化が交差。
時代の先端を行く人たちが闊歩しました
交差点の角にあるビルに昭和40年から変わらずあるのが憧れのフルーツパーラー…
表参道原宿店はパンタロンが大流行した年にオープン。
街行く人を観察しながらフルーツサンドを食べたものです。
現在東急プラザが建つ場所にはかつてGAPがありました。
更にさかのぼればここはセントラルアパート。
デザイナーやコピーライターが事務所を構え特別な空気感がありました。
なかでも特別な場所だったのが1階の喫茶店レオン。
芸能人も文化人もここで夢を語ったのです。
常連客のなかにはスタイリストの中村のんさんも
彼らの青春に寄り添ったレオンの珈琲。
レオンのオーナー夫人の許可を取り今年復刻されました。
当時と同じドイツ製の焙煎機で仕上げたブレンド。
同じレシピで再現されました
レオンでの思い出も鮮やかによみがえりそうです。
以上昭和の原宿BEST10でした
レオンブレンドの珈琲です。
どうぞお召し上がりください。
いただきます。
懐かしいな。
初めてですけども。
初めてですね。
(峰)コクがすごい…深いですね。
すごい深い。
飲んだこと…。
もちろん。
当時はその緊張感っていうのがあったから…。
お客さんがそういう気持があったような気がするんですよね。
(峰)いや私ね…。
うちのかみさんそういう喫茶店てわかってたから緊張して「そうですね」って言ってたのかもわかんない。
レオンはそういう喫茶店だったんですね。
懐かしい。
なんかタレントショップとか懐かしかったですね。
そうですね。
そういう意味じゃテリーさん。
仕掛け人ですから。
「元気が出るテレビ」っていう言葉あるでしょ。
実はこれは寛斎さんからインスパイアされてるんですよ。
ですごいステキな言葉だなってのがどこか頭の中にあって…。
だから本当に僕は…。
そうだったんですか。
2016/07/23(土) 21:00〜21:54
テレビ大阪1
出没!アド街ック天国〜今も残る憧れの景色 昭和の原宿〜[字]

名物激辛ラーメン&カレー▽幻のコーヒーが復活&老舗バー▽伝説のブティック&店主▽イノッチ若き日の秘話▽竹の子族&ローラー族▽2大クレープ店&原宿はちみつケーキ

詳細情報
番組内容
昭和のある時期、時代の最先端を走っていた原宿。時代とともに街は変わっても、昭和の人気店は永遠です。そこで今回のアド街は、昭和から続くスポットのみをランキング。
題して「昭和の原宿」に出没します!
原宿生まれファッションはいつの時代も個性的。
そして、昭和から愛される味も名作ぞろい。
懐かしいスポットを今あらためてめぐりましょう。
出演者
【司会者】
井ノ原快彦、須黒清華(テレビ東京アナウンサー)
【レギュラー出演者】
峰竜太、薬丸裕英、山田五郎
【ゲスト】
山本寛斎、秋川リサ、テリー伊藤
関連情報
http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi

ジャンル :
情報/ワイドショー – グルメ・料理
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32118(0x7D76)
TransportStreamID:32118(0x7D76)
ServiceID:41008(0xA030)
EventID:58745(0xE579)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: