「努力の200勝」支えた恐怖心 広島・黒田、米で進化

2016/7/23 23:30
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 41歳を迎えた今もたゆまぬ努力を続ける。威厳に満ちたマウンドさばきは打者を威圧するだけでなく、味方ですら近寄りがたい雰囲気だ。その根底にあるのは「恐怖心」だったと黒田は語る。

日米通算200勝を達成した阪神戦で力投する広島・黒田(23日、広島市のマツダスタジアム)=共同
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日米通算200勝を達成した阪神戦で力投する広島・黒田(23日、広島市のマツダスタジアム)=共同

 バットの芯を微妙に外して打者を打ち取る、ツーシームやカットボールなどの動く速球は、いまや黒田の代名詞。だが、米大リーグ移籍前は日本屈指の豪腕、糸を引くように捕手のミットに収まる球筋には、黒田なりのこだわりもあった。

 だが、力勝負を歓迎する米国の猛者相手には分が悪い。メジャーは自身の評価がすぐに一変する世界。常に結果を残さないといけない。「自分ではなくなるという葛藤はあったが、選択肢はなかった」。投球スタイルの変更を決断した。

 その中で忘れられない出会いがある。のちにサイ・ヤング賞に輝き、米国を代表する左腕へと成長したカーショー。メジャーに昇格したばかりの20歳がドジャースでのキャッチボール相手となった。新球を試して自身の感覚を伝え、才能あふれるカーショーの意見を参考にしながら、動く球の精度を高めていった。

日米通算200勝を達成し、花輪を掲げファンの祝福に応える広島・黒田=共同
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日米通算200勝を達成し、花輪を掲げファンの祝福に応える広島・黒田=共同

 「ずっと不安で野球を続けてきた。野球を終えるまで不安しかないと思う」。だから、自分に足りないものを追求する。この姿勢は、脚光を浴びることのなかったアマチュア時代に築かれた。

 大阪・上宮高では背番号1とは無縁。球は速いが制球難に苦しみ、ひたすら走り込みに明け暮れた。1年春から登板した専大でも東都大学2部リーグ暮らしが長く、主戦として1部で投げたのは4年時のみだ。

 しかし、見ている人はいた。専大時代の黒田に注目した広島の担当スカウト、苑田聡彦氏(現スカウト統括部長)が強く引かれたのは「打たれた球と同じコース、球種でまた勝負する姿勢」。気持ちの強さがより精度の高い一球を求め、「並々ならぬ研究心が生まれるのだろう」と分析する。

 不安や恐怖心は、人一倍の負けん気の強さの裏返しだ。弱いチームにあって打線の援護がなく、勝ちを逃したことも数知れず。それでも恨み節の一つもなく、攻め続けた黒田。25年ぶりの優勝へ突き進む広島の若き投手陣に闘争心を植え付けている。(常広文太)

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