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【サッカー】

J2岐阜、成績不振でラモス監督を解任 後任は吉田コーチ

2016年7月23日 紙面から

選手たちにあいさつし、練習場を後にするラモス監督=岐阜市内で(青山直樹撮影)

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 J2のFC岐阜は22日、成績不振によりラモス瑠偉監督(59)を解任したと発表した。後任には吉田恵(めぐむ)コーチ(43)が就任した。ラモス監督はこの日の非公開練習前に選手たちへあいさつし、取材に対しては「この結果じゃ仕方ないよ」と責任を認めた。岐阜市内で吉田新監督と宮田博之社長が会見し、J2残留へ全力を尽くすと誓った。

 去りゆく指揮官は潔かった。選手たちへのあいさつを済ませたラモス監督は「もちろん残念だけど、こんな結果じゃ仕方ないよ」と穏やかな笑顔。要望していた今夏の補強ができていないことについても、「いやいや、それは関係ない」と言い訳はしなかった。

 20日に最下位だった金沢に敗れ、5連敗で18位に転落した。試合後に宮田社長と面談し、辞任する意思がないことを表明。21日に再び面談し、成績不振で解任することを伝えられた。岐阜市内で会見した宮田社長は「早いうちに手を打たないと挽回できないと思った。内容も満足いかなかった」と説明した。

 現在の筆頭株主である金融会社「Jトラスト」の藤沢信義社長がラモス監督を招聘(しょうへい)したのが2014年。営業収入は13年の約5・7億から15年は約10億円に激増。ただ観客は14年が1試合平均7600人だったが、15年は約6200人に減少。順位も14年が17位、15年が20位。毎年15人を超える選手が退団し、積み上げもできなかった。

 指揮官は補強方針を巡りフロントとたびたび対立したが、藤沢社長の全面支援を受けて強権を振るった。ただJトラスト社員だった岐阜の恩田前社長が、昨年11月に病気を理由に退任。岐阜市出身で三井住友建設元社長の宮田氏が後任に就き、藤沢社長も「地元が中心になり運営してほしい。今後は距離を置く」と表明。絶対的な後ろ盾を失ったことも解任を近づけた。

 昨年にJ1ライセンスを取得し、今年1月には岐阜市がクラブハウスを建設。カリスマ監督の功績が大きいことは間違いない。ラモス監督は自身のブログを更新し、「僕を信じてついてきてくれた皆さんには心から感謝してます」などと記した。 (青山直樹)

 <ラモス瑠偉(らもす・るい)> 1957年2月9日生まれ、ブラジル・リオデジャネイロ出身の59歳。77年に来日して読売クラブに加入し、93年のJリーグ開幕後はV川崎(現東京V)でMFとして活躍し、黄金時代を築いた。89年に日本国籍を取得し、日本代表の中心選手としてプレー。98年に現役引退。2006、07年には東京Vの監督を務め、ビーチサッカーのW杯日本代表の指揮も執った。

 

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