アスペルガー症候群の皆さんの子どもの頃っていかがでしたか? おそらくこんな感じではなかったでしょうか。
- 子どもの頃から、明らかに周りと違っていた。
- その「違いは個性だから尊重すべき」だなんて誰も言わなかった。
- 人と同じことが美徳とされた。同じになれなかった。
- 摩擦ばかりを起こす少年・少女だった。
- 一生懸命やることが、ほとんど裏目に出た。
- 通知票の生活指導欄はいつも先生の苦情だった。
- 先生、生徒、父兄の苦情の的だった。
- 誤解ばかりされて、ケンカやいじめの対象になった。
大人になると、それがもっとひどくなって、つらくてもうダメだ。そんなとき、自分がアスペルガー症候群だと診断されて救われた。なぜなら…
- 自分の性格の問題ではなく、障害の問題だった。
- 障害による特性とそうでない特性が分かった。
- そっくりな問題を抱えている人がたくさんいて励みになった。
- 障害の特性がはっきりしていて、克服がしやすくなった。
- 障害の程度に応じて、社会の理解やサポートが整いはじめた。
アスペルガー症候群の皆さんの人生って、だいたいこんな感じじゃありませんか?
これまでのブログでも言ってきたように、この障害の名称が「アスペルガー症候群」から「自閉スペクトラム症(アスペルガー症候群を含む)」へと変わっていくことに対して危惧しています。そして、今朝のYahoo!ニュースを見て、さらに確信が増しました。こんな記事です。
- みなさんも多かれ少なかれ、わずかであっても、その特性を持っている。
- 自閉症と健常者に明確な境目はない。
- 社会適応が難しいレベルに特性が強い場合、自閉症スペクトラム。
- 社会性や知能も向上する可能性。
- 先天的な脳の機能障害。
あ〜あ、なんのフォローもなく言っちゃった。こういうこと言うときは「極端な話」とかカギ括弧付けて発言して欲しいですね。大きなメディアなんだし。こうなると、なんだか突っ込みどころ満載で、いろいろな疑問が生じます。
- 自閉症と健常者に明確な境目がないのに先天的な障害といえるのか。
- 社会性や知能が向上していない人は本人の努力不足になるのか。
- 自閉症と健常者に明確な境目がないのに障害者に認定できるのか。
- 「社会適応が難しいレベル」は所属する社会によって異なるのではないか。
- 結局、アスペルガー症候群は障害ではなく個性なのか。
- 誰にもある特性なら本人の責任。法制化してまで支援する必要があるのか。
- 病院で診断したり、治療したりするのはおかしいのではないか。
アスペルガー症候群の当事者がこう思うわけですから、一般の人はそう捉えて当然です。フェイスブックには早速このようなコメントが寄せられていました。
…やっぱりこうなりますよね。こうなると、人間は全員アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)だということになりませんか? カナー型もアスペルガー型も一般人も総じて自閉症スペクトラムの中に入れてしまうというのは暴論ではないでしょうか。
この考え方でいくと、誰でも甘いものを食べると血糖値が上がるから、この際、糖尿病1型も2型も一般人も総じて糖尿病スペクトラムにしましょう。もしくは、ちょっと物覚えが悪い時は誰にでもあります。だから、痴呆症スペクトラムにしましょう。そんな感じです。笑っちゃいます(笑えません)。
とにかく、この流れで行くと、そのうち、すべての精神疾患は、精神病スペクトラムにまとめちゃう、なんてことになりそうですね。苦しさを周りに理解してもらえなかったあの頃に戻りそうで心配です。
皆さんはいかがですか?
以上、大人のアスペルガーよしまるがお届けしました。