ごくたまに、母親が作ったおにぎりが食べたくなるときがある。
それくらい簡単だから自分で作ればいいんだけど、自分ひとりのために米を握るという手間は、地味に面倒で結局やらない。
おにぎりが出てくるのは土曜日が多かった。
私が小学生だった頃、土曜日は3限まで授業があって、それが終わったら家に帰って吉本を観ながら家族でおにぎりを食べるのだ。
早く帰れるこの日がいつも楽しみだった。
いつからだろうなぁ、家に帰るのが憂鬱になってしまったのは。
いろいろとおかしくなってしまったのは。
あの頃はたしかによかったと思うけれど、ちょっとずつやっぱりおかしかったとも思う。
日曜には父がいつも祖母のご機嫌取りのために幼い私を何時間も連れ回したし、祖母は私の意見なんて聞く気がなくて人形扱い。
金さえ払えばいいとでも言うようにぞんざいにプレゼントされた「ほしいもの」だけがドカドカと家に溜まっていく日々であった。
そんな様子を、母だけがいつも心配してくれた。
そして母はいつも、父方の一族の仲間にはいまいち入れてもらえないのであった。
今思えばそういう意味で、母にとっても私だけが唯一の仲間だったのかもしれない。
母の立場、父の立場、祖母の立場。
想いはちょっとずつ毒になっていく。
大人というのは不思議なもので、子どもを盾にそれぞれの立場を主張する割には子どもの立場というものは考えず、
「誰に味方するの?」
と、つまり、誰の立場を選ぶのかという迫り方を子どもにする。
もちろん私はいつも母の味方だった。
お母さんが大好きだったし、私の立場を一番に考えてくれているのも母親だと、思っていた。
大きくなって、どうにもできずに辛いときに責め立てられてから、その幻は見事に壊れてしまったけれど、私のことを思いやってくれていた優しい時代も、昔にはたしかにあったとも思う。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、外的要因に巻き込まれて、優しい人はゆがんでいく。
彼女はプライドが高かったから、脆い自分を一向に認められなかった。
「私が悪かった。」
なんてことは、心からは微塵も思えなかった。
いつも自分だってがんばってる、理解してね、そればかりで話し合いにならなかった。
私よりプライドを大切にする人だった。
それでもお母さんが作るおにぎりはおいしかった。
幼稚園の頃はママチャリのうしろに私を乗せて、売り切れのたまごっちをめぐって町中のおもちゃ屋さんを巡ってくれた。
ポケモンのソフトを友達に取られたときには一緒に家まで「返して」と言いにいってくれた。
受験のときは苦手なはずの運転をして私を会場まで送ってくれた。
悪い面ばかりの人間なんてそうそういない。
いい面と悪い面が両方あって、だからこそ苦しむ。
「いいところもあるから。あのときああしてくれた恩があるから。」
そうやって理由をつけて大事な場面で目をつぶって我慢をし続けて、良かれと思ってそうすることで、どんどん本質から逸れてゆがんでいく。
だから嫌なことは嫌と言おう。
親不孝。恩知らず。わがまま。自己中。
たくさんのレッテルを正義で跳ね返せるわけではないけれど、全てを捨てる勢いで「嫌」と言わなければ自分が保てないこともある。
自分の正義は自分だけが知っていればいい。
親のああいうところは人としてありえないな、でもこういうところは優しかったな。
その両方の側面を冷静に見ることができるようになったとき、私は母でもなく誰でもない、自分の立場をようやく確立できるようになったのだと思う。
それは「親を許す」なんて薄っぺらで心の広いことではなくて。
そういう意味ではいまだに言い訳がましく自分のことしか考えていない母親を私は今でも心で蔑んでいて、ちっとも許してはいない。
けれど、それはそれとして昔はいいところもあって、お世話にもなった。
けれど今はべつに用が無ければ会いたくない。
それが私の立場なのです。