素直は洗脳されやすい?
わたしは騙されやすい性格だと自負している。昔から、ひとのことばを通過させるじぶんフィルターの網目ががばがばで、たいていのことは「そうなんだ~~」と受け容れてしまう。以前はそのことで「芯がないね」とか「ぶれぶれだよね」と言われよく傷ついていた。けれど最近は、この素直な性格を気に入っている。素直は良いことだ!疑い深くなりすぎると自ずとまわりと距離を取ってしまうからいけない。それだとまず信頼はされないし、相手がほんとうのことを言ってくれなくなったりする。そのことに気がついてからは、この素直さをなくさず、うまく折り合いをつけることを考えるようになった。
ただし、素直には危険がいっぱいだ!もう何度怪しい団体に声をかけられたかしれないし、むしろわたしは上記のごとく積極的に洗脳を受け容れようとする質なので、たいてい中腹ほどに入ったあたりでヤバイ空気を感じ取りすたこらさっさと退散する。素直だとそれだけあらゆるものを引きつけるようになるので、そこのところは注意が必要だといつも思っている。戻れなくなる前に、実際にそのひとたちに会い、じぶんの目で見極めようとする心がけは忘れてはならない。少々危ない綱渡りをすることになるけれど、生きるなんて実は皆いつしぬかもわからないサバイバルだ。最後の選択だけはぜったい、他人には委ねないことが重要だ。
ちなみに、だからと言って怪しい団体に所属するひとたちをどうこうとは思っていないし、所詮“怪しい”もわたしの主観だ。なんにしても基本的には、各々が幸せならばそれがなによりだと思う。ひとは流れ着く先がそれぞれちがうように、生き場所もそれぞれ異なるのだろう。ただし、幸せなふりをしているひとはけっこう多い。そういうひとはこちらの素直な質問にどもったり、怒り出したり、なんとなく挙動がおかしくなる。たぶん、抱える矛盾をうまく昇華することができなくて、本人なりになにかと葛藤しているのだろう。
洗脳から離脱するには
基本的には自覚さえすれば洗脳からは離脱できると思っているのだけれど、そもそも自覚することがむずかしいことがある。その最たるものが教育だと思っていて、特に親のことばというのは知らないうちに洗脳の嵐だ。ただ、それがわるいとかいうことはなく、というよりにんげんが生きていく中ではそれなりの洗脳がなければむしろ自己が確立できないとも思う。要はバランスなのだけれど、気づくことさえなければ知らないうちに目の前に用意されるレールにどんどん誘導されることになる。それを阻止するためにいわゆる反抗期というものがあるのだろう。
つまり、洗脳というのは日常にも潜んでいて、むしろわかりやすいものよりもそういう類いのほうが質がわるいこともある。特に、洗脳している本人さえ自覚のないときにはこれはもう厄介以外のなにものでもなくて、つまり相手には悪気がないのだから、そしてわたしもどんどん洗脳されにいくから、知らない間に特殊な環境が出来上がって、すったもんだしてすげーことになる。なんかもうすげーことになる。いろいろな毛糸が絡み合ってもうはさみで切るしか解きようがないね、という感じだろうか。
そんなとき、洗脳を自覚したきっかけはわたしの場合、身近なひとの、昔から信頼しているひとの、母のことばだった。「あなたは今、ほんとうに幸せなの?」と。「そんなに暗い顔をして、苦しそうにして、それでたのしいの?」と。心から笑えるのかと。聞いた瞬間、「なにかちがう」というそれまでの感覚が一気に膨れ上がり、抱えていた違和感がすっきりする感じがした。気づけば生活サイクルも乱れに乱れ、感情の起伏が激しく、かつ消耗している感じから抜け出せず、という負の連鎖から一旦離脱することになった。
洗脳と教育の境目とは
洗脳というと今ではすっかりおそろしいことばと捉えられがちだけれど、紙ひと重では今後を決める上で非常に心強い指針となるかもしれない。ただあえて、もし洗脳を負、教育を正として考えるならばその境目は、本人の幸せをなにより考えることを前提とした提案であるかどうか、と言えるのではないだろうか。もし負ならば、相手はじぶんに都合よく導きたいばかりなので、「嫌だ」という意思表示をしたとしてもそれを却下するか、或いはその手の達人ならば本人の意思決定をしたかのように見せかけてじぶんの都合よい選択へ導かれるかもしれない。
後者の場合はお手上げだ、それを見抜くだけの目はわたしにない気がする。どんなに考えてもそれより考えるひとには敵わないから、考えることに特化するひとに心理戦は任せることにする。けれども、逆に言えば素直さでは引けを取ることはないので、そういうにんげんは要は、瞬間のひらめき、直感、すききらいを軸に行動すればよいのだ。心地の良いほうに流れていけばたとえ洗脳下にあったとしても幸せではあるわけだし、というかそれで幸せならば相手との相性、需要と供給がばっちりなのでそもそも洗脳云々を懸念する理由がなくなる。
それでも、こういうことはあとから振り返るとわかるもので、現状じぶんがどのような状態にあるか分析するのはとてもむずかしい。それならば、今、あなたを大切にしてくれるひとのことを想像してみよう。あなたの思い浮かべるひとは今のあなたに、あなたのことを思って、ほんとうにそのことばを投げかけるだろうか。わざわざあなたを追い詰め、しかもフォローなく、傷つけるようなことばだけをぶつけてくるだろうか。ひとまずはその自覚さえあれば、すくなくとも正気に戻る道を断たれることはないと思っている。