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読書系フリーターの日常

ブラック企業を新卒半年で辞めた読書好きフリーターがいろいろ考えています。派遣社員になりました。

美人に比べてイケメンが少ないのはなぜなのか/茂木健一郎 『化粧する脳』

読書

「美人や可愛い女って多いけど(それに比べて)イケメンは少ない」
定期的にこんな話題を見聞きしている。
私も実際思うのだけど、やっぱり街中を歩いていても容姿が一定値以上の女性は多けれど一定値以上の男性はそれより少ないと思う。

というのはやっぱり女性には化粧ってヤツがあるからで、美意識とか身なりを整えたり、美容に対する意識は間違いなく女性の方が高い傾向にある。
また、「自分の見た目を気にしない」人間というのは、女性より男性の方が多いというのが、私の実感。
これはつまり、「見られること」に対する意識の差があるのだろうと思う。

なぜそこに男女差があるのだろうか?
なぜ男性に美容や自分の見た目に対する意識が女性ほど育たない人間が多いのか?

そこを脳科学と生物の進化の点から書かれているのが脳科学茂木健一郎『化粧する脳』である。

化粧する脳 (集英社新書 486G)

化粧する脳 (集英社新書 486G)

そして、私はこれらが上記の「女子のいうかわいい娘と男のいう可愛い娘が違う」問題にも結びつくと考える。
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この画はそれを端的に表していると思う。
(元ネタがどこかわからないので、とりあえずネオ☆ニュースからお借りした)


以下、『化粧する脳』を参照しながら「美人よりイケメンが少ない問題」と「男子と女子のカワイイが違う問題」について考察する。

※不愉快になる人がいそうなので先に書いておくが、これはあくまで脳科学や生物の進化とかそういう部分の「美」とかそういう部分についてその観点のみにおいて書かれた/抜き出したものであり、性的な役割や傾向なども、あくまで一部分にしか過ぎないし、断言するものではない。
性的な役割については、「現代において男性が女性にプロポーズするのが一般的である」というような、あくまで傾向の部分を例示しているに過ぎないし、私も茂木健一郎氏もそのように断定的に考えてはいない。

見た目の美は生存適応である

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人間は女性の方が容姿の美を追求する傾向があるのだが、一方で、たとえば鴨やクジャクはオスの方が美しい色の羽を持っていてメスの方が地味、というのは有名な話だと思う。

美しい尾羽は良くも悪くも目立つ。つまり、外敵に狙われやすくなる=死の確率が上がるのだ。
その絶大なリスクと引き換えにしてもオスたちが手に入れたいものは何かというと、それはズバリ繁殖の可能性である。
メスが美しい羽を好むというただ一点で。
より形の整った、美しい羽をもつオスがメスに選ばれて子孫を残す可能性を得、それが有利な形質として遺伝していく。

この場合、クジャクやカモはオスが選ばれる立場だ。人間(現代人)だと、これが逆転する。
一般的に異性に対してアプローチをかける性は、現代日本においてもまだ男性ということになっているので、受動的な性として女性は、この例のクジャク同様に容姿を磨くことになる。

選ばれる性は、美を発達させるのだ

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生存戦略にはおおまかに分けて能動と受動の2通りの方法がある。

「力」で生きのびるメカニズムと、「美しさ」で選ばれて生き残るメカニズム

だ。

人間に当てはめると、能動的な性は社会的地位や権力・金銭などを獲得し、美を選ぶ権利を獲得する。
選ぶ側は、たとえば社会的な力を。選ばれる側は、たとえば美を。

そもそも、美は権力と結びつきやすいのだ。豪奢な宮殿や、美女・美男子を身辺に侍らせる、美術作品を収集するなど、力をもったものは希少な美を希求するのは自然の理だ。

つまり権力者・その社会の基準において強い性に選ばれる側になると、美を磨くことがより有利に生き残る戦略となる。
傾向として、女性が現代では受動的な性であり、美を磨くことは生存戦略として有効になる(=美人が増える)
男性は、能動的な性としてたとえば権力や地位などの希求を。

男性脳と女性脳の違いが差を生みだした

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男性脳は、一般的に論理思考に強く、女性脳は共感能力に優れているといわれている。
男性より女性の方が、一般的に情動は豊かである。それを司る右脳と左脳を繋ぐ脳梁という部分が女性の方が太いためだ。

男性脳は抽象・論理思考が強く、システム構築に優れているのだ。また男性は、一般的に能動的な性(あるいは、そのフィクション)に生きている。

ともするとそれは受動的な、影響されやすい生き方に対することへ危機感を覚えがちらしい。つまり、流動的に「他者に同調して自分を変えること、他社の視線を気にして自分を認識すること、自分が変わってしまうこと」に対して危機感を覚えがちだということ。
つまり、自己の顔のパターンが変わる化粧に対して、抵抗感を持ちやすいのではないか。

女性はというと、一般的に情緒が豊かで共感性が高いということになる。

女性は選ばれる側の性として、見られることの欲望をみずからの報酬として、化粧する。

女性の方が対人関係を意識して生きやすく、したがって自分自身の価値観で生きようとするよりも、
周りの人と同調し、他社の視点を自己の成り立ちに反映させることを大事にしながら、社会と折り合いをつけて生きていこうとする傾向にある。つまり、「見られること」に対する意識が高い。

女性は特にコミュニケーションの取りやすさや周囲の価値観の同調を表した顔を「美人(カワイイ)」と認識しやすいというところで、話はようやく「女子のかわいいと違う問題」に入る。
改めてこの絵を見ていただきたい。
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左の女子がカワイイと思う女の子が表しているのは、つまり「協調性が高い」と「コミュニケーション/表情の豊かさ」だ。

男性の可愛い(美人)は、ほぼ化粧もせずに髪も束ねただけ、服装もTシャツを着ただけ。注目されるのはその顔の造形であり、美の希少性である。

「カワイイは、つくれる」というのは某社の製品のキャッチコピーだが、男性はつまり女性よりも「つくれるカワイイ」よりもすっぴんでも美人(つくれない、希少性の高いかわいい)を好む傾向があるといえそうだ。その理由はこれまで述べてきた通りである。

おわりに・まとめ

美というものは、案外相対評価だったりする。「みんながそれを良いというから」という理由で支持母体が膨らんでいくことなどよくあることで、例えばそれは軌道に乗り始めたアイドルだったり、モナ・リザなどの名画だったりする。(本気で自らの価値観で良いと思っている人はたくさんいるのだろうけれど)

美人が全体の平均顔という有名な仮説があるが、それは、「多数の人にとって親しみやすく、感情豊表現が読み取りやすい顔」ではないかと茂木健一郎氏は述べている。ここで重要なのは、全てのパーツが平均値に近いということ。
だから、化粧は主に口や目を強調するものになるのだ。目や口は、感情を最も読み取りやすいパーツだから。

女性の脳はコミュニケーションや共感に強く、見られることに対しての意識が高い。受動的な役割の性だ。

これが女性が見た目に気を遣う人口の多い所以であり、女性にのみ「化粧」というものがみられる一因であろう。
女性の脳の方が最初に述べた相対評価的な他者の評価を内在化しやすく、コミュニケーションを美と結びつける傾向が強いのだ。

男性の脳はシステム構築や論理思考に強く、自分を変えることより他者に影響されて見た目が揺らぐことに抵抗を覚えがちな、能動的な役割の性だ。


そして、その違いが見た目の意識に出るから、男性と女性の「カワイイ」は違うのだ。

挑戦する脳 (集英社新書)

挑戦する脳 (集英社新書)


※あくまで、本書からタイトルの部分を抜き出して自分なりに要約・考察したものであって、内容の理解は違う可能性がある。
また、性差についても差別的なものではなく、本書も私も一般的な傾向について論じているのみである。
全体的に性差の話になるので差別に関してデリケートな話題だが、その辺りは本書でも茂木健一郎氏も細心の注意を払って差別的にならないよう書かれており、差別的だと捉えられたとしたら大部分が私のせいであることは明記しておく。

男女の脳の違いについては、こちらもどうぞ
quelle-on.hatenadiary.jp