日本三景と呼ばれて約370年。広島・厳島神社(いくつしまじんじゃ)の歴史
wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日は広島・厳島神社(いくつしまじんじゃ)の歴史をご紹介します。
日本を代表する神社建築
厳島神社は中国地方の広島県西部の廿日市市、瀬戸内海に浮かぶ厳島にある神社です。「安芸の宮島」と呼ばれ、日本三景の一つとしてあまりにも有名です。また、海に浮かぶ神社の特異さから世界的にも名が知れ渡っています。
本殿祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神で、このうちの市杵嶋姫命がなまって厳島になったともいわれています。神社の背後にそびえる標高535mの弥山をはじめとする島そのものがご神体と考えられています。
本殿祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神で、このうちの市杵嶋姫命がなまって厳島になったともいわれています。神社の背後にそびえる標高535mの弥山をはじめとする島そのものがご神体と考えられています。
厳島神社の起源は古く、社伝によると593年に安芸国の豪族佐伯鞍職(さえきのくらもと)が市杵嶋姫命の神託により厳島に神社を創建したと伝えられています。佐伯氏はその後も神主家として厳島神社を守り、一時期藤原氏に神主職を奪われたものの代々現在まで続いています。
平清盛の支援を受けて発展
厳島神社は、平安時代末期に飛躍的に発展を遂げます。当時の神主佐伯景弘が、さびれていた神社を再興するために安芸守であった平家の嫡男平清盛に近づいたことにはじまります。
清盛は、朝廷内での争いである保元の乱、平治の乱で活躍し大きな権力を手に入れます。中国の宋との海上貿易を進めるため、瀬戸内海の鎮守として厳島神社を選び支援をしました。当時貴族の屋敷の主流だった寝殿造を神社建築に取り入れ、平家の最盛期だった1168年頃には現在見られる形と同規模の社殿を造営したと考えられています。
清盛は、朝廷内での争いである保元の乱、平治の乱で活躍し大きな権力を手に入れます。中国の宋との海上貿易を進めるため、瀬戸内海の鎮守として厳島神社を選び支援をしました。当時貴族の屋敷の主流だった寝殿造を神社建築に取り入れ、平家の最盛期だった1168年頃には現在見られる形と同規模の社殿を造営したと考えられています。
その後、源平の争いの中で平家は滅亡しますが、佐伯景弘は敵だった源頼朝にも接近し厳島神社の保護を求めています。時の権力者にすり寄ってでも神社を守っていきたいという神主の強い気持が見えるエピソードですね。
武家からの篤い崇敬
厳島神社は源頼朝以後も鎌倉幕府の保護を受けますが、13世紀初めに2回の火災にあい平家時代の社殿は消失してしまいます。現在残る社殿の最も古い部材は火災後の1240年前後のものです。しばらくは安定して神社の運営がなされていましたが、時代が下り戦国時代になると政情が不安定になり、厳島神社も再びさびれていきます。
1555年に厳島は一大決戦の舞台となります。安芸の国人毛利元就と、主君である安芸国の守護大内義隆を殺害して実権を握った陶晴賢による厳島の戦いです。戦は毛利元就が勝利し、やがて中国地方を統一していきます。厳島神社も毛利家の保護のもと社殿が大規模に修復され往時の姿を取り戻しました。
天下統一を果たすことになる豊臣秀吉も九州に遠征する途中で厳島神社に参拝し、あらたな堂を建てるなどしたため社運は増していきました。
天下統一を果たすことになる豊臣秀吉も九州に遠征する途中で厳島神社に参拝し、あらたな堂を建てるなどしたため社運は増していきました。
海水との闘い
厳島神社は海上に建っているため、どうしても水害との闘いが避けられませんでした。海上に立地しているにもかかわらず、特に防腐を施すことなく建築されています。そのため腐食した際には根継を行って代替としています。
また台風による被害も大きく、近年だけでも1991年、1999年、2004年、2012年と台風により社殿が損なわれていて、そのたびに元通りに修復しています。ただ、被害にあうのは後年付け足された社殿のみで、主要な本殿や拝殿などは一度も水没したことがないとされています。
また台風による被害も大きく、近年だけでも1991年、1999年、2004年、2012年と台風により社殿が損なわれていて、そのたびに元通りに修復しています。ただ、被害にあうのは後年付け足された社殿のみで、主要な本殿や拝殿などは一度も水没したことがないとされています。
厳島神社のシンボルである海上の大鳥居はたびたび建て替えが行われています。現在のものは1875年に完成し、平清盛の時代から数えて8代目にあたるといわれています。16世紀ごろに現在と同じデザインの両部鳥居(4本の控え柱で支える造り)になっており、創建当初の鳥居の形は伝わっていません。現在はコンクリート製の土台の上に自重で建っています。
今に受け継がれる伝統
江戸時代になると、民衆の間に厳島詣が流行し門前町も形成されていきます。そのきっかけとなったのは1643年に儒学者の林春斎が書いた「日本国事蹟考」という書物の中で天橋立、松島とともに「三處奇観」(三か所の奇妙な景観)とくくられたことから日本三景として広く知られることになりました。
明治時代になり神仏分離令が出されると同じ境内にあった寺は独立していきますが、地域の信仰の中心地としての役割は薄れず今に至っています。初期の山岳信仰から権力者の崇敬、近世には庶民からも信仰を受ける神社となり、日本の神社の中でもその存在感は別格ですね。
海岸に展開される社殿と背後の弥山とが織りなす景観、中世の寝殿造建築の特徴が忠実に残されている点などが評価され、厳島神社は1996年世界遺産リストに登録されました。
海岸に展開される社殿と背後の弥山とが織りなす景観、中世の寝殿造建築の特徴が忠実に残されている点などが評価され、厳島神社は1996年世界遺産リストに登録されました。
壮大な歴史を感じて旅をしよう
いかがでしたか。ただ息を呑む絶景に心焦がすだけではなく、その背景にある歴史を簡単にでも理解することで、世界遺産巡りはより楽しくなります。広島・厳島神社(いくつしまじんじゃ)への渡航をぜひご検討ください。
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