先日、茨城農芸学院という第1種少年員のスタディツアーに参加させていただいた。風化してしまう前に思考のメモ書きを残しておきたかった。
貴重な機会をつくってくださった育て上げネットの工藤代表、茨城農芸学院の小山院長ほか職員の皆様、そしてその他ツアーにご一緒させていただいたすべての方に心から感謝します。(文中の図表写真は当日説明いただいたときのものです。ありがとうございます。)
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一つの問いから始めたい。少年院は刑事施設なのか、それとも教育施設なのか、はたまた社会福祉施設なのか。
少年院は,家庭裁判所から保護処分として送致された少年に対し,その健全な育成を図ることを目的として矯正教育,社会復帰支援等を行う法務省所管の施設です。(法務省より)
あるいはこう言い換えてもいい。少年院は少年を罰しているのか、教育しているのか、それとも保護し助けているのか。
初めて少年院の門をくぐり、衣食住、そして教育、訓練の模様を少しばかり見させていただくうちに、この問いが頭から離れなくなる。私たち日本国民は、こういった場所に人々を収容して、一体何をしようとし、実際に何をしているのか。
なぜ、なんのために私たちの社会に少年院という施設が存在するのだろう。刑務所でも、学校でも、精神病院でもなく、少年院という施設を私たちが必要とする理由は何なのか。そしてその必要性は誰のどんな視点に立ったときに正当化される類いの必要性なのだろうか。
企業の方、NPOの方、大学の方、ツアーには様々な職業の方が参加されていた。彼らはどんな動機でこのツアーに参加されていたのだろう。同じくツアーに参加されていた西田亮介先生はこう書かれていた。現地でも同じ質問をされていたと記憶している。
少年犯罪について、話を聞けば聞くほど、なぜ彼らは犯罪を犯し、「わたしたち」は一般的な生活を送ることができているのか、よくわからなくなってくる。少年犯罪と社会復帰の「誤解」と「常識」をこえてーー茨城農芸学院再訪(西田亮介) - 個人 - Yahoo!ニュース
これは、感覚上の違和であると同時に論理的な違和でもあると思う。少なくとも私にとってはそうである。
少年たちは,少年院での教育を通して,自らの問題を見つめ,改善して社会に戻っていきます。二度と犯罪・非行を犯さないという決意を実現するためには,本人の努力のほかに,社会の人々の温かい心と 援助が不可欠です。立ち直りつつある少年たちへの御理解と御支援をお願いします。(法務省より)
結局、私は次の問いを避けて通ることができない。
なぜ私たちは罰せられるのか。もちろん、違法であるとされる特定の「行為」をしたことによって。
ではなぜ私たちはその「行為」をしてしまうのだろうか?「悪」であることによって?それとも「異常」であることによって?あるいは「不運」であることによって?考えうる「要因」を並べ立てたあとになって、それらだけでは人間の行為の理由など説明しきれないことを私たちは理解する。IQが低いから?家庭環境が悪かったから?交友関係に問題があったから?それらはあくまで「確率」的な説明しかもたらしてくれない。
カフカが『審判』で描いた世界、自分が「なぜ有罪であり、なぜ裁かれているのか」、その理由を主人公のヨーゼフKが最後まで理解できずに死んでいく世界、その世界と私たちが生きている世界にどれほどの隔たりがあるのだろうか。その問いが頭をもたげて戦慄する。
カントはかつて「啓蒙とは何か」という有名な文章のなかでこう言った。
未成年とは、他人の指導がなければ自分自身の悟性を使用し得ない状態である。ところでかかる未成年状態にとどまっているのは、彼自身に責めがある、というのは、この状態にある原因は、悟性が欠けているためではなくて、むしろ他人の指導がなくても自分自身の悟性を敢えて使用しようとする決意と勇気とを欠くところにあるからである。
だからこそ、カントが言う啓蒙の標語はこれである。「あえて賢こかれ!」「自分自身の悟性を使用する勇気をもて!」
自ら未成年状態を脱し、自分自身の悟性を適切に使用することのできる大人の市民たち。その世界では、罪と罰の関係はシンプルである。罪の背後には悪があるからだ。
しかし、私たちは少年のうちに悪を見出すだけで事足りるだろうか。この問いは哀れみのような感情よりも「物事を科学的に理解したい」という欲求により強く根ざしているのかもしれない。
そして、私たちが知っている通り、これまで「悪」という底なし沼以外の「理由」を同定する、そのために様々な学問が生み出され、その学問と並行、あるいは矛盾しながら、現実世界のうちに様々な施設や実践が発達してきた。「あえて賢こかれ」を見えない背後から支える論理が、積み重なる統治実践のうちに少しずつ凝固してきたとも言える。
最初の問いに戻る。少年院は刑事施設なのか、それとも教育施設なのか、はたまた社会福祉施設なのか。結局、それらの歴史的アマルガムのようなものとして存在しているという歯切れの悪い言葉しか私は口にすることができない。
その施設を出入りする少年たちを前にして、外部の私たちはいったいどんなふうに振る舞い、どんなふうに接するべきか、その逡巡から逃げないでいることができるだろうか。そもそもなぜ彼らが少年院に入らなければならなかったのか、その逡巡からも目を背けずにいられるだろうか。
「なぜ私たちではなく彼らが?」
同じ社会の内部で、私たちは何らかの理由で何らかの線を引き、そしてその線の向こう側で行う特定の実践によって、この社会の法と秩序を両立させようとしている。大切なことは、そこにある理由、そして実践が何らかの普遍的真理に基づいていると考えるのは間違っているということだ。歴史が教えるのはいつだって揺らぎのほうである。
この駄文を終えるにあたり、誰に対してなのかすらよくわからない申し訳なさを感じている。よそ者なりに少しでも何か「役に立つ」ことを書きたかったが、自分に書けることと言えばこんなことしかなかった。しかし、「より良い」ということの方向性すら見失うような経験だったからこそ、原理的な思考に立ち返りたかった。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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