読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やるせない疑問

やるせない疑問

 

 

美しい炎のようになった花が散るとき

花は寂しそうな煙を残すのだろうか

それとも燃える夕焼け色の実を結ぶのだろうか

 

花の名は知らない

秋はすぐそこまで来ている

月は昇らずして空は明るい

 

僕は風のように生きてきた

方向が定まらずとも止まることはしなかった

 

季節のたびに名前の変わる風のよう

新しいことをやる度に僕は変化した

ひとつのところに居続ける事が好きではないのだろう

 

自転車に乗った少年が僕の横をすり抜けてゆく

そう言えば僕はすり抜けるのが下手だった

 

嫌なことは忘れるので

苦手な人も少ない

だから騙されるのだと笑いながら友は言う

 

路地があった

路地を見かけるとそこを通ってみたくなる

 

この路地の先にはどんな風景があるのかと想像してしまう

そう思わせる路地の向こう側にはいつもロマンがある

 

夢とロマンは似ているが

空の遠くでは少し似ていない

 

夢が見せるのは遥かな未来

ロマンが見せるのは愛おしい哀愁

僕はその真ん中を歩いて来た気がする

 

大事な言葉と大好きな言葉を集めながら

僕は僕というひとりの人間の決心を歩く

 

子供の頃何になりたかったのか覚えていない僕は

今を偶然のように生きている

 

ゆっくりとした時間の中で平凡に生きる大切さを

なんとなく分かりかけている

 

予期せぬ出来事で胸の痛みを覚えたときに

大事な人が見極められるようになった

 

レコードのようになった1本の輪を

時々針飛びをしながら歩いて来た

 

年を重ねるということはこういうことなのだ

自分の奥底にあるやるせない疑問に

いつか答えのようなものが生まれる

 

風のような生き方の答えもやがて姿を見せるだろう

このままでいいのだ

このままでいいのだ

 

だが

目の前に現れる小さな疑問が姿を消すことは永遠にない

死がなんであるのかが分からないよう最後までつづいて行くだろう

 

美しい炎のようになった花が散るとき

花は寂しそうな煙を残すのだろうか

それとも燃える夕焼け色の実を結ぶのだろうか

治療について。

みなさんを心配させるようなことを書きますが、治療薬は飲んでいないんです。

精神薬の殆どは、治療薬ではなくて、対処薬なのです。つまり、一方的に脳を抑えつけて、一日中ボーッとさせるだけなのです。九州の医師との会話で、こんなやり取りがありました。

 

ASKAさん、病名は何にしましょうか?」

「病名は必要ないんじゃないですか?」

「そうですよねぇ。しかし、カルテには何か病名をつけなくてはならなくて・・。」

 

病院に居るからには、病名をつける必要があるとのことでした。

 

「薬物依存と書いてよろしいですか?」

「依存も何もないですよ。」

「もちろん、分かっております。でも、ここは病院ですから何か書かなくてはならなくて・・。」

「仕方ないですね。経緯が経緯ですからねぇ。分かりました。では、そうしてください。」

 

「病気ではない」と診断されたのですが、前にも書きましたとおり、医療保護入院の後は、一度任意入院に切り替える必要があるのです。なので、更の入院となってしまいました。ここのコメントでも見かけますが、「絶対に治らない」「フラッシュバックなどに見舞われる」。・・。フラッシュバックとは、どういうものなのでしょうか?

 

先日、ダルクの館長が遊びに来てくれたときに、

 

ASKAさんは、異例です。何の障害も見当たらないですからね。僕は、これまでの講演で、薬物は一生治らないと話をしてきたのですが、ASKSAさんを見て、薬物障害は治るという発言に変えたんですよ。」

 

やってしまった僕がこれを言うと、「オマエが発言することではない」と、言われるでしょうが、事実なので書きます。警察発表の10日に3gだったというのは、誤解報道で、「そんなこともあった」というのが事実です。銀行口座を調べた警察がいちばんよく知っているはずです。僕は、大方1ヶ月に3gでした。ダルクの方や僕の知る限り、吸引をする人は一度(一日)に1g程度使用しますので、1ヶ月に3gだった僕は微量も微量だったんです。専門家やレポーターが、一度の使用量は0,25gと語っています。なので「ASKA被告の量は末期的な使用量です」と、報じましたが、0.25gというのは注射の場合の量です。やってしまった僕が言いうことではないことは、よく分かっております。犯罪には変わりはないからですね。「女性自身」は、未だに「3年間、オレがASKAにクスリを売った。月に50gのときもあった。ASKAの携帯番号もある。」と発言するヤクザの記事を書いています。携帯番号、見せてもらおうじゃないですか。文春は、「月に10gだった」と、書きました。入手先は別々ということなので、併せると月に60gということになります。致死量じゃないですか。これは言い訳ではなく、みなさんが薬物障害のことをご心配されていますので、あんな記事は嘘だということを説明したく書かせていただきました。

 

僕には、欲求も障害もありません。ただ、「目の前にそれが出てきた時には、どうなるかわからない」という、気持ちになることを知っておかなくてはなりません。いや、一度、8ヶ月止めていたにも関わらず、それを回避できなかった事実がありますからね。あの時のような気持ち、行動が、それなのでしょう。

本当に、みなさんにはご心配、ご迷惑をおかけしました。

 

そして、盗聴盗撮に苦しんでおられる方、ご必要でしたら、僕の持っている証拠を全部差し上げても良いですよ。ただ、ごめんなさい「一緒に戦おう」と、いう気にはなれないのです。やるときはひとりでやります。

 

でもね、もうね。「仕事の邪魔、こういう発信の邪魔だけはするな」という気持ちだけなんです。僕は、黙っていてあげたでしょう?もう死んだ人は帰って来ないのだから、このままにしておいてあげますよ。君たちが、殺すつもりではなかったことは知っています。あれは事故だという気持ちも理解しています。どうですか?僕から離れませんか?僕の音楽制作を邪魔しないでくれませんか。

 

朝から重い話でごめんなさい。

 

グッディは1時45分からみたいですね。僕も、自分の不機嫌な顔を観てみましょう。何せ、体型が変わっていますから。体重、90キロですからね。

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。

ASKA

子供たちへ

子供たちへ

 

 

君たちがいつ僕のところへやって来たのか

それは鮮明に覚えているが

いつ子供になったのか

そして

いつ大人になったのかは分からない

 

「いつ」がいつなのか分からない

 

敢えてあのときと呼ばせてもらうなら

君たちがひとりの赤ちゃんから

立ち上がって歩き出したときを

あのときと呼ぼうか

 

恋をして

そして

恋をなくしたときをあのときと呼ぼうか

 

抱えた夢は見事な不在を見せるものだ

それでも無くしてはならないよ

 

僕は君たちに

僕を「お父さん」と呼ばせた

それはお父さんになる前から決めていたことなんだ

お父さんのお父さんもそうさせたからね

 

夢を抱えた瞬間に人生は厳しいものになるようだ

ちっぽけや、でっかさで夢を対比してはならないよ

どちらも同じだ

 

夢とはね

虹色に姿を変えるけど

決して正体不明ではない

追いかけているときがいちばん美しい

 

感じやすいという心は生きる武器になる

無力は引き金にはならない

無は力にはならない

 

どこかに向かって歩き出した君たちは旅人になった

いろんな出会いや苦しみで

つま先をどこに向ければ良いのか

分からなくなることもあるだろう

 

なあに、誰もがそうなんだ

たくさん迷えば良い

 

いまお父さんは

君たちに何を書けば良いか分からなくなったよ

 

「愛している」と書けば

すべてを理解してもらえるだろうか