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ひどい踏襲 ②太田昭宏の場合

 投稿者:感性  投稿日:2016年 7月22日(金)13時07分31秒
編集済
  海上保安庁職員の蛮行を不問視のうえ官僚言いなりよろしくカバーアップした太田昭宏
の場合です。
>辺野古の海保警備「適切」 政府が答弁書決定
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-238717.html

<社説>海保の説明拒否 頬かむりは許されない
http://ryukyushimpo.jp/editorial/prentry-238655.html

太田昭宏については、信仰者的にもナイスリーダーだったのが魑魅魍魎たる政界に長期に及んで浸かることで人が変わってしまい全国男子・青年部長の折の星雲の志も言わばもぬけの殻となってしまったとの考えも多々あるようです。しかし、私は彼の傲慢にして強きに媚びる負の姿勢等はことさら政界入りがそうさせたのではなく最初からそうだったのではないかとも感じています。
当時、ことさらか境涯の低い人を面白ろおかしく受けを狙ったように持ち出したスピーチを会館にて直接聞いています。大物ぶりの演出よろしくの一連の所作も忘れられません。

さて沖縄高江の現状です。
石井啓一国土交通大臣は現地での蛮行のみならず、説明責任をなおざりにする姿勢についても太田昭宏を踏襲するのでしょうか。だとすれば愚かなことです。歴史(学会史・党史も含め)はそのあたりのことは愚かな踏襲として必ず指弾すると思いますよ。まあ権力の魔性にとっては何ら警告にはならないのでしょうけど。


ひどい踏襲   投稿者:感性   投稿日:2016年 7月22日(金)09時28分38秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52434

 

弱肉強食の世界

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治メール  投稿日:2016年 7月22日(金)12時32分11秒
  安倍総理は何でも力ずくで進めていく野蛮人だ!

それにくっついて小判ザメのようにへばりついて自分が偉くなったかのように錯覚してるのが石井国交大臣だ!

恥を知れ(#`皿´)

沖縄県民に機動隊が暴力をふるってました。

沖縄の善良な人びとにどれだけ我慢しろと言うのだ!

石井国交大臣は公明党の議員ダヨネ~。。(〃_ _)σ∥頭がおかしくなっちゃったのかな(/。\)

安倍総理も石井大臣も自分の家族に置き換えてみれば、出来ないだろ!他人だから我慢しろと言うのか?粗末に扱っている沖縄県民は日本国民だぞ!総理大臣て言うのは国民の命や財産を守る義務があるだろ!何でも力ずくで押し進める野蛮人が(#`皿´)

野蛮人は人では無い!人間以下の者達が国の舵取りしてんだからおかしな世の中になっちまいますね!

ああ~(^○^)信濃町の執行部はもっとひどいから世の中がおかしくなって当然だヽ(^○^)ノお前達が根本原因だぞ(#`皿´)

ま~蠢く害虫に何言ってもわからないかな

残念ながら(/。\)



 

はげさんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月22日(金)12時16分12秒
編集済
  僕はハタから見てるから思うのかもだけど。
そんなに『御供養の精神』が大切、ということならば。

『広宣流布にぜひとも使わせて頂きたいので、私に御供養をしてぜひあなたは福運を積んでください!あなたが福運を積む手助けをぜひやらせてください!』

というのを言うのもアリなんじゃないの?f^^;
そもそも『御供養』は広宣流布に使われる前提で福運という趣旨なのだから、現場で地道に直接動いてる人にむしろ『御供養』した方が遥かに『福運』が積めるでしょ、その論法だとね。
これには『御供養』をいう幹部には反論するのも難儀するだろうな~と。
この辺りを突破口に、動きやすい環境を作れるようコメントさせて頂きました。

追伸:
これで幹部さんが御供養をちゃんと学べばよし、学ばなければ強くはいえないでしょうけど。
強く勧める内容がそのまま逆に相手が自分へ強く勧めてる内容になるのも同然であるからね。
ただ自分の首をしめることにしかならないぐらいさすがに気づくでしょ。
そうなれば「理不尽」を感じることだろうし、それで己の状態で「目覚めて」もらえればと思う。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

収奪地獄?

 投稿者:はげ  投稿日:2016年 7月22日(金)11時36分14秒
  太ちゃん様、錦州城様、JACK様
 創価新報には日顕宗の供養の収奪地獄との記事が見られます。
 最近の原田谷川宗にも収奪地獄はあるのではないでしょうか?先の投稿のように聖教多部数をはじめ公明珍聞、SGIグラフ、大白蓮華、創価新報そして未購読世帯分などで私の両親は月3万円ほどの購読料を払っていたようです。つい最近母が亡くなったのですが、驚くほど蓄えがありませんでした。辛うじて葬儀代は残していましたが。
 新人間革命も2冊購入は当たり前、民音公演も2枚購入で1万円以上はします。私たち現役世代だったら到底支払いができません。タテ線時代、班長班担をしていた両親は地区部長や地区婦人部長の苦労がわかるので、頼まれたら断れなかったのでしょう。
 9月には財務の申し込みがあると思います。座談会御書などで御供養の精神を毎年学習します。悪侶への布施を止めよとありますが日顕宗はもちろん、原田谷川宗にも当てはまるのではないでしょうか?学会のため、池田先生のためと思って取り組んだ財務。会員の善意をいいことにやりたい放題の本部職員は退職していただきたい。現場の苦労を知れ!といいたいです。
 

螺髪さん、お答えありがとうございます。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月22日(金)11時09分9秒
  螺髪さん、お答えありがとうございます。

たしか、圓と書いてありました。
例えば明治頃の一圓札はこの圓でした。

お答えがなかったところは、自分で考えよということですね。
思索します、定住壊空のことありがとう御座います。

私の解釈は間違っていないと考えてよろしいですよね。
我見ですから・・・、螺髪さん、遠慮なくダメなものはダメと言ってくださいね。

聞くは一時の恥、知らざるは一生の恥ですから・・・。

・・・・・・・・・・・・
>>週刊朝日・池田名誉会長独占会見_3   投稿者:虹と創価家族<<

虹と創価家族さん、週刊朝日の記事をよく見つけられましたね。
嬉しいです、ありがとうございます。

ソフトで読み込んでテキスト化しようとしていますが、
文字がつぶれていて、厳しいなぁと、思っています。

週刊朝日は15歳のころから読んでいました、20歳から40歳くらいまで
読めませんでした。
そんな金が有ったら、学会の本を買ったほうが良いと思ったからです。
 

石井啓一国土交通相って公明党じゃなかったっけ??

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月22日(金)10時03分9秒
編集済
  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160722-00000015-okinawat-oki
沖縄タイムス 7月22日(金)9時5分配信
【号外】辺野古新基地、再び法廷へ 政府が沖縄県を提訴 (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、石井啓一国土交通相は22日、辺野古埋め立て承認取り消しの取り下げを求める是正指示に応じないのは違法として、県を相手とする違法確認訴訟を那覇市の福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)に起こした。是正の指示や取り消し処分の適法性をめぐって、国と県が再び法廷で対決する。
 これまで国と県は、3月の代執行訴訟の和解で、辺野古の埋め立て工事を中止し、「円満解決に向けた協議」を続けてきた。しかし、普天間飛行場の移設先を「辺野古唯一」とする国と、「辺野古移設阻止」を掲げる県の溝は埋まらず、国が再度の提訴に踏み切った。
 県側は国地方係争処理委員会(係争委)の示した「協議での解決」を訴えており、提訴に反発を強めている。国側は、訴訟と協議は「車の両輪」として協議は続ける姿勢だ。
 ただ、地元住民の反対が根強い東村高江の集落周辺でのヘリパッド建設工事に着手し、辺野古の陸上部での工事再開の方針を示すなど、沖縄に対し、強硬な姿勢が続いている。
●●●●●

対話で解決しようとしないなんて公明党は「平和の党」を棄てたねぇ。
いや、信心を放棄した『退転者』だねぇ。
退転してるのに学会員さんの支援を得ての当選なんて『裏切り行為』そのものではないか。


追伸:「高江」のツイキャス実況生中継(?)より情報(10時50分)。
機動隊との衝突により三人の緊急搬送が出た模様。
うち意識不明者が出た模様。

追伸:状況説明らしき内容(11時00分)
説明無しにいきなり機動隊で強制排除が始まったらしい。
裁判では話し合いをしなさいとの結果であったにも関わらず。
それを無視していきなり機動隊での強制排除行為。
現地の声が届く報道を!との叫び。

その後、中心者らしき人物は「この状況だから(晴天すぎた天候で熱中症の心配や機動隊により依然阻止されてる状態である様子が中継されてる)いったん引く」との方針も、なかなか引こうとしない市民。
それほど市民は強く望まない意思がよくわかる実況内容が、いまなお中継中である(11時08分現在)。


追伸:11時15分にツイキャス実況生中継(?)は終了
結局、国(というより公明党議員・石井啓一国土交通大臣)は、「話し合いをしなさい」という裁判結果を尊重せず、機動隊をもって強制排除し、明日より工事に入る模様です。
中心者らしき人物は、参院選の結果の「腹いせ」ではないか!という趣旨の怒りがありました。
機動隊との衝突では、救急搬送三名が出て、うち意識不明者がいた模様(熱中症ということではなく、機動隊との衝突時に起きたそうです)。
視聴者は約1000で、僕が見始めたタイミングからその辺りの数字を上下していて、大きな変動はありませんでした。
中継中、流れてるツイートの文面から、どうやらテレビでも流れてた様子ですが、ツイキャスのほうがまるで違うとの内容が目立っていました。
また、この掲示板にてひかりさんの言われるように「明日はわが身」と恐怖を感じてる旨の内容もところどころありました。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

ひどい踏襲

 投稿者:感性  投稿日:2016年 7月22日(金)09時28分38秒
編集済
  >高江緊迫   投稿者:沖縄速報   投稿日:2016年 7月22日(金)08時59分59秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52432

高江の問題は沖縄防衛局のみならず国土交通省の所轄事案でもあるね。
訓練場ゲート前のテントや車両の撤去を求める勧告の最高責任者は国土交通大臣。

石井 啓一(公明)国土交通大臣は何やってるんだ!(怒)
先輩大臣の太田 昭宏が海上でやったことを今度は陸で踏襲ですか

ひどい・・・>沖縄の現状です   投稿者:感性   投稿日:2016年 7月22日(金)00時12分41秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52411

以下は自己編集機能を使用しての後表記です。
        ↓
ひどい踏襲 ②太田昭宏の場合   投稿者:感性   投稿日:2016年 7月22日(金)13時07分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52440
 

明日は我が身と考えること

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月22日(金)09時18分21秒
  きな臭い世の中になってきたと思う人が多い。

高江で起きている現実など、ほとんどネットでしかわからない。
日本で、ですよ。
どこか、遠い国で起きているのではなく、いま、日本で、現実に、起きていること。

国にとって都合の悪い事が、報道されなくなった。

子殺しは報道されるのに。

国の横暴が報道されない。

しかも、石井君というデージンが関わる。

おお。
送り出したのは、誰?

ねえ、選挙のどこが功徳?
数字など空気を「目標」に走り回され、結局この状況を招いておいて。

しかも、あやしいムサシなる計票機が支配する、公開なき密室の疑惑も晴らさず。

愚かにも活動報告をし、煽ったのは誰?
信心とは次元が違うものをすり替えて、利用されているのに、まだ気付かない。

責任があるのだ。
政権与党というからには、
選んだ我々に責任があるのだ。

責任がある以上は、政権・政党の生殺与奪も握っている。

だから、本当の舵取りは、我々がするのだ。
我々が、奴らを、舵取りする。
奴らではない!

高江を見よ!
いま起きていることは、明日は我が身なのだ。



 

高江緊迫

 投稿者:沖縄速報  投稿日:2016年 7月22日(金)08時59分59秒
編集済
  機動隊が暴力を振るっています。
@IWJ_okinawa1 さんが現在キャス中!
 

本日の聖教一面、

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 7月22日(金)08時49分0秒
  おはようございます。新潟県柏崎市に牧口記念墓地公園が建設されることで・・・

これ、墓苑ビジネス絡んでませんか? たとえば、地域の方々の要望はあったんですか?

琵琶湖も売れ残ってませんか? なんかバブル期にゴルフ場を作りまくって、会員権販売しまくって、

バブルはじけて大問題になったのが思い出されませんかね?

もし、地域の方々の切なる要望でなく、業者の要望で作るのなら、先が見えようというものでしょう。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月22日(金)07時39分13秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-8-11 【名誉会長 徒然草と恩師の指導を語る】

●「見ぬ世の人を友とする」
 一、徒然草の成立時期は、いつであったか。
 諸説あるが、1330年(元徳2年)ごろ、兼好が五十歳前後の時期とも言われている。
 ちなみに、その3年後の1333年は、鎌倉幕府滅亡の年。第三祖・日目上人の御入滅の年でもあった。
 兼好は長命で、1352年(観応3年)以降に死去したと言われる。
 じつは、兼好の生きた当時、この徒然草の存在は、ほとんど知られていなかった。
 1448年、室町時代の歌人・正徹(しょうてつ)とその弟子が、いくつか世に存在した徒然草の写本を読み、その真価を見いだして、世に知らしめたのである。
 兼好の死後、100年を経てはじめて、「徒然草」は正当な評価を得たといってよい。
 そもそも徒然草では、読書について、「見ぬ世の人を友とする」営みと言っている。兼好も、目先の毀誉褒貶(きよほうへん)を超えて、未来の友を見つめつつ、筆を振るっていたのかもしれない。
 戸田先生は、よく語っておられた。
 「百年先、二百年先の人びとから仰がれゆく人生を生き抜け!」と。
 私は、創価の人間主義の連帯を、世界190力国・地域に広めた。牧口先生、戸田先生を全世界に宣揚した。尊き同志の皆さまとともに。
 これこそ、恩師の仰せ通りの、“百年、二百年先の人々から仰がれゆく”歴史の劇であると確信してやまない(大拍手)。

 一、徒然草は室町時代以降、愛読された。特に江戸時代の初頭に深く浸透し、80年余りの間に、10数種類もの注釈書が書かれたという。
 作者・兼好への関心も高まり、次々と伝記物語が誕生した。
 有名な近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)も、兼好にちなんだ『つれづれ草』『兼好法師物見車(ものみぐるま)』という浄瑠璃を創作している。

●日寛上人も引用
 一、群馬出身の日寛上人も、文段(もんだん)のなかで、徒然草を引用されている。
 「妙法尼御前御返事」の文段で、「老いたるも若きも定め無き習いなり」(老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である)との御聖訓に関して、次のように記されている。
 「徒然草の四十九段に云く『速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぐなり』と」
 すなわち、早急にすべきことを後回しにし、後にすべきことを先にしている。そのうちに、一生は過ぎ去ってしまい後悔する ── というくだりである。
 優先すべきことは何なのか。それを知れ。まず、それをなせ。さもないと、悔いを残すぞ。そう戒めているのである。
 兼好は、次のようにも綴っている。
 「一生のうちで、とくに望むことの中でどれがたいせつかと、よく思い比べて、いちばんたいせつなことを思い決めて、それ以外は断念して一つの事に励むべきである」
 「一つの事をかならずし遂げようと思うなら、他の事がだめになるのを残念がってはならない。人の嘲(あざけ)りを気にしてもならない。万事を犠牲にしないかぎり、一つの大事が成るはずはない」(第188段)
 人生の一大事とは、何か。
 それは、永遠に崩れない、絶対的幸福をつかむことだ。嵐にも揺るがない、不動の自分を築くことだ。その根本の力は、妙法である。
 妙法を唱え、広めて、自分も、人も、幸福になる。全人類の宿命を転換する。それを広宣流布という。
 戸田先生は言われた。
 「人間は、権力や金のために汲々(きゅうきゅう)とするか、信念のために死ぬか、どちらかである。
 大理想に生きて、そのもとにわれ死なん、というすがすがしい気持ちで諸君は行け」
 何のために生きるのか。その一点を忘れてはならない。

●所々をぼかしてもっともらしく
 一、中世の動乱のなかを生きた兼好。社会の現実をえぐる目は鋭い。
 第73段「世に語り伝ふる事」には、現代にも通じる、重要な戒(いまし)めが残されている。
 はじめに、「ほんとうの話というものがおもしろくないからか、世間で語り伝える話は、ほとんどがまったくのうそである」 ── 兼好は、そう指摘する。
 そして、年月がたち、その嘘が文字として書き記されてしまうと、「それが事実として定着してしまう」というのである。
 これが嘘、デマの本質である。そして、こう綴られる。
 「いかにももっともらしく、所々をぼかして、よくは知らないふりをして、そのくせ、話のつじつまを合わせて語るうそは、ほんとうらしいだけに恐ろしいことである」
 「だれもがおもしろがるうそは、ひとりだけ『そうでもなかったのに』と言っても仕方ないので、聞いているうちに、黙認したばかりか証人にまでされて、いよいようそが事実のように定着してしまいがちである」

●民衆が主人! 民衆に仕えよ
 一、卑劣な嘘を放置しておくことは、人々の心に“毒”を流してしまうことである。
 傍観(ぼうかん)は悪である。迅速かつ徹底して追撃し、根を断ち切ることだ。
 そうでなければ、苦しむのは庶民であり、民衆である。
 戸田先生は明快に仰せになられた。
 「日蓮大聖人の仏法は、邪悪な権力と戦う、庶民のための仏法である。
 ゆえに学会は、いかなる時代になろうとも、どこまでも庶民の味方になり、庶民を立派に育て、守っていくのだ。そうすれば学会は永遠に栄えていく」
 さらに、こう厳しく言い放たれた。
 「今は民主主義である。民衆が主人なのだ。いかなる権威の人間も、民衆に仕えるためにいる。それを逆さまにするな! 」
 民衆が主人。民衆が主役。その時代をつくるために、学会は立ち上がった。
 戸田先生は、増上慢になった人間たちには、容赦しなかった。
 「この崇高なる仏法の世界を見下ろすとは、何事か!
 どんなに社会的に有名になっても、折伏し抜く闘士、仏法を行じ抜く英雄の心を失えば、一つも偉くない。
 君らは畜生根性に成り下がったのか!」
 有名で、地位や学歴があり、世間でもてはやされる人間が偉いのか。
 とんでもない。それは仏法の位(くらい)とは、まったく関係ない。
 また、戸田先生は、「自分は陰にいて、人を立てることのできる人が、偉いのだ」とも、よく語っておられた。
 そして、陰で広布を支える方々への感謝と励ましを忘れなかった。
 「常に自分の目にふれる範囲だけに気を配っていればよいという考えだけであっては絶対にならない。
 目に見えない陰の分野で活躍している人達にこそ、こまかく心を配り、励ますことを忘れてはならない」
 「現実に、地道な苦労をしている陰の人をこそ、最大に尊敬し、守っていかねばならない」
 陰の人に光を ── 先生は何度も、この急所を教えてくださった。

●日々、師と共に!
 一、師匠のため、同志のため、広宣流布のためか。それとも、自分だけのため、私利私欲のためなのか。
 それを徹して峻別(しゅんべつ)しなければならない。
 戸田先生は叫ばれた。
 「広宣流布の行動をしているように見せながら、すべて自分自身の利害のために動いている人間は、私の敵である」
 私は、この年代になって、毎日、戸田先生のことを忘れないで生きていられる。
 本当に幸せだ。
 毎日、先生と一緒である。
 毎日、心の中で、先生と対話しながら、未来への勝利の道を開いている。
 これが本当の師弟不二である。不思議なる一体の闘争なのである。
 この崇高な師弟の精神を根幹とする限り、学会は強い。壊れない。
 師弟を忘れたら、破和合僧(はわごうそう)が始まる。そこには、もはや仏法はない。
 師弟の心を分断しようとする悪とは、猛然と戦え! 打ち砕け! それが、学会が永遠に発展しゆく根本の道である。
(2006・8・11)

●政治を監視せよ
 「徒然草」の言葉を、さらにいくつか紹介したい。
 一、「昔の聖天子の御代(みよ)の理想的な政治をも忘れ、民が嘆き、国が衰えてゆくのも意に介さず、万事に華美の限りを尽してそれを得意がり、大きな顔をしている人は、なんとも実に無分別なものだと思われる」(第2段)
 いつの世も変わらぬ怒り、嘆きである。
 権力を持つ人間、政治家を、民衆が、なかんずく青年が、厳しく監視し、戒(いまし)めていかなければならない。
 その必要が、ますます高まっている。

●抜苦与楽(ばっくよらく)を実践
 一、戸田先生は指導者の姿勢について語られた。
 「大聖人の仰せに『一切衆生の同一苦は悉(ことごと)く是(これ)日蓮一人の苦と申すべし』とある。
 なんという慈悲の広大さか。政治の要諦も、この大聖人の一言に帰するのである」
 政治の世界をはじめ、世の指導者が、「同苦」の精神を忘れる ── これほど、民衆にとって不幸なことはない。
 戸田先生は、こうも述べておられる。
 「政治も、経済も、科学も、教育も、すべて人間の手に取り戻して、人類の幸福の糧(かて)としていくことだ。そこに、これからの創価学会が果たしていかねばならぬ使命がある。仏法の社会的行動がある」
 私たちは、「人間革命」の実践を核として、このような世界を目指している。
 私たちの目的は、一人一人が、個人的な成功や社会的実証を得ることだけに、とどまらない。
 それだけで終わるような、ちっぽけな、狭いものではない。
 もっと深い次元から、もっと恒久的な、平等で幸福な世界をつくるのだ! ── これが戸田先生の信念であった。それはそのまま私の理想である。
 「抜苦与楽」の哲学を、現実の社会で実践していく。ここに、学会の責任があることを、忘れてはならない。

●愚人にほめられたるは第一の恥
 一、「徒然草」に、こうある。
 「きわめて愚かな人は、ふとしたときに賢い人を見て、これを憎む。『大きな利益を得ようとして、わずかな利益を受けないで、うわべを偽って名声を得ようとするのだ』と悪口を言う。賢人(けんじん)の行為が自分の心と違うのでこのような非難をするのである」(第85段)
 大聖人は、「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(御書237ページ)と仰せになられた。
 牧口先生は、「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」と断言された。
 愚人は、「本物」を目にしても、正当に評価することができない。
 ゆえに、愚人のまき散らす、つまらぬ文句に左右されることほど、愚かなことはない。
 自ら信じた道を、正義の道を、堂々と進めばいいのである。

●水魚の思(おもい)で!
 一、戸田先生は、「創価学会のこれまでの発展というものは、なんの団結によるものかといえば、信心の団結以外には何ものもない」と語っておられた。
 勝利の鍵は、どこまでも「水魚の思(すいぎょのおもい)」であり、「異体同心」である(御書1337ページ)。それがなければ、思わぬところで失敗してしまう。
 まさに「水魚の思」で、牧口先生、戸田先生が築いた学会である。私もまた、命を削って築いてきた。この師弟のリズムに、心して、呼吸を合わせていくことだ。
 学会の団結には、上も下もない。単なる上下関係になったら、それは誤った官僚主義であり、大勢の犠牲者を出してしまう。絶対に戒めなければならない。
 心を一つにして、同じ目標、同じ信念で、困難を切り抜ける。そこに、いっそう堅固な団結が生まれる。

●自身を知る人が道理を知る人
 一、「賢(かしこ)げな人も、他人のことばかり判断を加えて、自分のことは知らないものだ。
 自分自身を知らずに他人のことを知るなどという道理はない。だから、自分を知る者を、物の道理を知る人というべきだ」(第134段)
 また、次のような一節もあった。
 「すべての欠点は、ものなれたさまをして巧者(こうしゃ)ぶり、得意そうなさまをして、人を軽んじるところにある」(第233段)
 「万事、自分の外に向かって求めてはならない。ただ、身近なところを正しくすべきである」(第171段)
 自分の人生は、自分で歩むしかない。自らを見つめ、“馴れ”を排し、慢心を排して、真剣に、誠実に、自らの使命の道を、まっしぐらに完走する。その人が、真の勝利者である。

●学会の「中心」は会員であり師弟
 一、「悪と戦う心」について、戸田先生は厳しくおっしゃった。
 「破折精神を忘れた者は生ける屍(しかばね)だ。破折精神を忘れた者が幹部になれば、会員が可哀想だ」
 悪を悪と言い切る。敢然と声をあげる。その勇気なきリーダーは「生ける屍」だ。
 その本質は見栄であり無責任だ。苦しむ人を見ても“知らん顔”をする。これほど“ずるい”ことはない。
 悪と戦い、ずるい心と戦う。これが人生勝利の根本である。
 ある時には、幹部に対して、「広宣流布の途上にあって、絶対に、五老僧のごとき存在にだけはなるな!」とも危惧(きぐ)されていた。
 五老僧とは、師の教えを軽んじ、自分の身の上だけを考える、増上慢の存在である。
 どんなところにも「中心」がある。リーダーは、「中心」を重んじなければならない。学会の中心は、会員である。師弟である。
 増上慢は、この中心を認めようとせず、逆に、破壊する。そうした存在とは、断固、戦わねばならない。
 広布のリーダーは、一面から言えば、自分自身との厳しき戦いが不可欠である。そして、その戦いに勝利すれば、境涯も大きく開ける。宿命転換の実証も大きい。

■ 心ある世界の識者は、真剣に学会の未来に注目し、誠実に研究されている。国境を超えて、多くの人が、真実を求めている。
 それらの声に、いっそう力強く、応えていきたい。
 その決意と、青年への期待を重ねて申し上げて、私の話を終わります。
 まだまだ残暑は続く。賢明に、一日一日を勝利していってください! (大拍手)
(2006・8・12)

 

わが友に贈る 2016年7月22日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 7月22日(金)07時06分24秒
  育児に奮闘する友を
皆で守り支えよう!
理解と共感が大切だ。
どんな悩みも安心して
相談できるよう配慮を!
 

高江緊迫してきています。

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 7月22日(金)06時39分26秒
  報道しているカメラマンなどのマスコミ排除が始った模様です。力で押し倒すつもりでしょうか。  

高江の現実を見てください 実況されている方がいます!

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 7月22日(金)06時33分12秒
  テレビには映らない現実をたくさんの人が目撃することが大事!#高江 いくつかツイキャスあります! twitcasting.tv/atsushi_mic  

2006年途中まで??

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月22日(金)06時26分17秒
  商品の説明


【普及版 池田大作全集「スピーチ」】
池田大作全集92巻(2000年を除く2001年以降)~100巻(2006年途中まで)に
収録のスピーチの普及版です。


絶対に後世に残さないぞ!!
との聖教新聞社の意思表示ですか?
 

後世に残せない?

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月22日(金)06時02分44秒
  私は、牧口先生、戸田先生の言論、指導を、できるかぎり記し、残してきた。
 尊き広布の同志が、何が起ころうとも微動だにしない。その基盤を今、万代の未来のために、つくっておかねばならない。
 仏法は厳しい。ゆえに、本当のことを言っておきたいのである。


前出のアップご指導より


しかし  こうした先生の思いを見ても、聞いても  後世に残さない現執行部を信頼出来るという方々にとって、師匠の言葉はどんな意味があるのでしょうか?
ぜひ反板さんあたりから  聞いてみたいものです・・・・。



 

円!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 7月22日(金)05時52分51秒
   赤胴鈴之助さん

 おはようございます。

 ①「個」というのは、「個」と「全体」という意味での、「個」の意味です。

 ②経文で説く「我」は多くが「仏」です。「衆生」も仏眼を開けば究極的には「仏」に成り得るわけですから、「小我」と言えます。「大我」と「小我」の対比です。

 ③「円融」も「円満」もともに、「全体」「大我」の表現ですが、法華経の主張に従い、その「円」を本迹の視点から、あえて立て分けてみたものです。

 「円」については、以前にも投稿したのですが、「円」は旧字体では、「囗(くにがまえ)」の中に「員」がある「圓」と書いていたようです。「員」は「頭」を意味し、「圓」は「囗(くにがまえ)」の中に「頭」が在る意味。その当時の「圓」は「丸」と「員」の意味の両用だったようで、それを区別するために「員」を人数の「員」の意味とし、「圓」を「丸」の専用字としたようです。いまは「圓」は略字の「円」になっています。

 それを踏まえられて、
 「円とは釈に云く円を円融円満に名くと円融は迹門円満は本門なり又は止観の二法なり又は我等が色心の二法なり一字の一念三千とは慧心流の秘蔵なり、囗は一念なり員は三千なり一念三千とは不思議と云う事なり」(御義口伝P714)
 と仰せでしょうね。

 ※「定住壊空」は「成住壊空」ですね。


 

最近思う事

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月22日(金)05時49分59秒
  世界各国の大学から名誉称号で顕彰される池田先生。
かたや  我が日本では 悪の権化のようにマスコミから叩かれた先生。

私は日本は邪智亡国の国だから、世界とは違うのだとずっと思ってきました。

しかし  先生が本幹で 秋谷さん始め執行部に対して  「女がいるとか  そーゆうのをマスコミに流していた」と〔同中ではカット〕叱咤されていた事。
安保賛成等 これほど 今までの先生の言葉と違う現実をほとんどの活動家が疑問にすら思わない事。

日本で先生が顕彰される事がないのは 日本の弟子が不甲斐ないからなのかもしれません・・・。
 

沖縄高江の緊迫した状況が ツイキャスで見れます

 投稿者:通行します  投稿日:2016年 7月22日(金)05時12分19秒
編集済
  【ツイキャス・IWJ_OKINAWA1】ただ今、沖縄・高江ゲート前から中継中です。ツイキャス沖縄Ch1→twitcasting.tv/iwj_okinawa1  【#IWJ #沖縄 #高江】  

虹様

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月22日(金)04時36分33秒
  貴重な資料のアップ ありがとうございます。


「私はこうした外敵を強調して国民の危機意識をあおり、防衛力を強化しようとする、いわゆる戸締り論には反対です。
われわれはそんな論にはくみしません」
《文中より抜粋》


自民党との不可思議な関係を 「凄い時代が来た」と喜び、安保賛成は先生も承認されていると言う方々に聞きたい。

私達の師匠は二枚舌ですか?
外と内とで言ってる事が違うのですか?
「200年先を見て指揮を執っている」とおっしゃっていましたが 実はたった数十年先も見えてはいませんでしたか?
先生がご健在の今ですら こうして先生の言葉に迷うのですから  この先 私達は何を頼りに先生を求めたら良いのですか?
先生のご指導は、時と場合によりけりなのですか?
だから  2006年5月~のご指導を後世に残さないのですか?
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月22日(金)04時11分37秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-8-7~9 【関西・九州・中国・四国 合同研修会】

●戦争は絶対悪
 一、8月といえば、終戦のころを思い出す。あれから61年になる。
 終戦の日 ── 昭和20年の8月15日前後に、どこで、何をしていたか。
 そのときの話を、周囲の年配の方々に聞くだけでも、あの戦争によって、どれだけ多くの家庭が、はかりしれない苦しみを味わったかがわかるだろう。
 空襲で逃げまどい、家を焼かれ、疎開する。引き揚げで家族がバラバラになる。肉親を失う。
 シベリアに抑留(よくりゅう)される。戦地から復員しても、病気になって早逝(そうせい)した人もいる。
 数え切れない悲しみの慟哭(どうこく)が、アジアを覆い、世界を震わせた。
 戦争を知らない皆さんは幸せだ。戦争ほど悲惨なものはない。
 戦争は絶対悪である。
 断じて二度と繰り返すな! この誓いを新たにしたい。

●時代遅れの幹部になるな
 一、私は、牧口先生、戸田先生の言論、指導を、できるかぎり記し、残してきた。
 尊き広布の同志が、何が起ころうとも微動だにしない。その基盤を今、万代の未来のために、つくっておかねばならない。
 仏法は厳しい。ゆえに、本当のことを言っておきたいのである。
 真実を語る空気がなければ、組織はだめになってしまう。
 リーダーには、「何でも言える雰囲気」「何でも語り合える環境」をつくる責任がある。
 その意味において、恩師の指導を何点か確認しておきたい。
 戸田先生は語られた。
 「時代遅れの幹部になるな。幹部自ら勉強し、成長し、『人間革命』していくことだ。そして同時に、新しい時代を創っていく、若い幹部を登用し、バトンタッチしていかねばならない」
 リーダーは、硬直した、古い考えになっては、だめだ。自分自身が変わり続けることだ。
 常に、新鮮味のある生命で、笑顔で、真心で、会員の皆さんに接していただきたい。
 また、先生は次のようにおっしゃっていた。
 「ずる賢く、威張り散らすのは悪い幹部だ。人と接する誠心誠意の真心がわからない」
 「幹部の地位を利用して、女性を叱るのは、野蛮人のすることである。野蛮人は人間ではない。そういう人間は、断じて学会の世界に入れてはならない」
 「威張る幹部、礼儀を知らない幹部、誠意のわからない幹部、慈愛のない幹部、生意気な幹部、すぐに人を軽蔑し叱る幹部。
 そんな幹部には、女性が中心となり、厳重な措置を求めていただきたい」

●信心のある人を讃嘆せよ!
 一、学会員は、仏法の眼からみれば、「全員平等」である、
 学会の世界において“偉い人”とは、“役職の高い人”などではない。
 偉いのは、折伏をやった人であり、わが地域に、立派な団結と幸福の組織をつくった人だ。
 要するに、信心のある人、学会精神を大事にする人が偉いのである。その方々を讃嘆すべきである。それ以外の、どんなごまかしや妥協も、峻厳なる仏法の前では空しい。
 この一点をリーダーがはき違えると、人の心がわからない、冷酷な人間が増えてしまう。
 「幹部だから偉い」などと考える人は、心が硬直してしまっているのだ。
 創価学会は、学会員のためにある。ゆえに最高幹部は、学会員の“僕(しもべ)”として、全力で動くことだ。

 一、戸田先生は、政治家に対しても、実に厳しかった。
 「一生懸命、支援してくれた学会員を裏切り、学会を裏切り、私利私欲に走って、悪名を三世永遠の歴史に残しては絶対にならない」とおっしゃっていた。私も全く同じ思いである。
 いかなる組織であれ、権力は腐敗するものだ。
 そのときは、民衆が悪を正し、叫ばねばならない。戦わねばならない。

 

円融円満! 螺髪さん、読ませていただきました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月22日(金)03時03分12秒
  円融円満!  螺髪さん、読ませていただきました。

引用御免
>>どちらも「一体」になることでは同じなのですが、大きな違いは、「個」があるのか、
ないのかだと思うのですが、いかがでしょうか。 <<

「個」と我の違いを教えてください、先生は我と表現されていたと記憶しています。

「一体」というのは、円融ということですか・・・?

>>「個」があって「一つ」になり、その「一つ」の中に「個」が一杯になるという意味合いです。<<

上の文章が、理解しがたいのですが・・・もう少し砕いてお教えください。

”「個」が一杯になる”というのは、円満となるということでしょうか。

”「円融は迹門円満は本門」”

私の解釈は、円融は迹門とは、十界互具一念三千と理解しています。
円満は本門とは、無始無終の永遠の生命を寿量品で説かれたから、時間の軸ができて
満足して、円満と理解しています。

間違っていたら教えてください、講義を受けていませんので、自己流の解釈です。

>>「万人」というところに、「個」があって、その「全体がある」ことが指し示めされています。<<

ここの所の、解釈は納得できます、それは、「全体がある」というのは、組織ととらえたからです。
この全体が、十界互具一念三千の組織であるということだと、思ったからです。

組織全体が六道輪廻の状態になっているんだと・・・しかし、すべての物や、組織さえも、定住壊空の
原理が働き、今や壊劫の時代に入ったのかな・・・と心配しています。


ひらがなプロジェクトに薬王品得意抄を投稿します。
 

支援活動の後にくるものは?

 投稿者:大樹  投稿日:2016年 7月22日(金)01時35分25秒
  支援活動が終わった
はてさて下半期の戦いはいかなるものが待っているのだろうか?

聖教啓蒙?
折伏?

先生はいつも同時放送で「折伏!」と言われた
しかし、現場はいつの間にか「聖教啓蒙」に変わっていた

秋谷会長時代に「折伏の戦い」を本気になってした時があっただろうか?
自分は記憶がない

秋谷会長時代は「支援活動」「聖教啓蒙」「シナノ企画のビデオ」をやたら買わされたことしか記憶がない

原田会長が池田先生を師匠とするならば、当然の如く「折伏!」
秋谷氏を師匠とするならば、「新聞啓蒙」

下半期の「打ち出し」は如何に?
 

JACK様

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年 7月22日(金)01時06分6秒
  私の体調を気にして頂き感謝します。今度大学病院で腰痛を診察してもらう紹介状をかかりつけの整形外科でもらいました。排尿障害が出た為です。体重も落とさないといけないしと毎日腹筋背筋を頑張ってます。幸い車は車両保険に加入してましたので、車内カメラも着けましたから、用心してます。本当に御書のとおり用心ですね。今は色んな事件事故がありますから、車のキズは大事故にならないですむためかもしれないですしね。旦那のお母さんも又入院する事になりバタバタしてます。私の事は後回しだから疲れます。  

妖刀様

 投稿者:我らの時代  投稿日:2016年 7月22日(金)00時47分49秒
  採点ありがとうございます
賛同します
 

沖縄

 投稿者:たまご  投稿日:2016年 7月22日(金)00時21分48秒
  この動画を見て,きっと創価学会もいずれこんな風になるのかもしれない,「うちなんちゅーでずっとこんなことしてる」って沖縄のお母さんが言ってたみたいに。。。
沖縄県警の人も,なにが間違いか分かってるのに何もできない。
本当は沖縄県民同士でもめてるってこと。。。
ひとつにならないといけない。ひとつになって,本当に大事なものを守らないといけない。
沖縄の方は生命力が違う,なにかが圧倒的に強くて濃くて輝いてる。
だから,きっと私たちも今の創価の中で,そういう存在なんですね。
もっともっと自分もそういう存在になりたい,なっていこうと思いました。

https://www.youtube.com/watch?v=raJ8vTr8r4c#action=share
 

ひどい・・・>沖縄の現状です

 投稿者:感性  投稿日:2016年 7月22日(金)00時12分41秒
編集済
  >沖縄の現状です   投稿者:桃太郎   投稿日:2016年 7月21日(木)23時23分20秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52407

ひどい・・・
メディアに映らない部分での権力による乱暴狼藉も推して知るべしですね。

ただし、今の安倍政権言いなり公明に一体何ができるのでしょうか。

「つまらん理由で・・」   投稿者:感性   投稿日:2016年 6月20日(月)14時31分35秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49854
 

うーこ様 体調いかがですか?

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月22日(金)00時00分30秒
  私自身が、腰痛で寝たきりに追い込まれた経験があるので、腰痛の辛さは他人事にはとても思えません。

警察への届け出、お疲れ様でした。
車の傷、大変な目に遭わされましたね。
新聞の不着は、配達する人のミスとか、一般紙でも聖教新聞でも、他人のポストから盗んでいく人がいますから、原因が判明していない以上、何とも言えない気持ち悪さを感じていらっしゃるかと思います。
1ヶ月のうちに不着が5回以上あるようでしたら、購読料に関わりますので、販売店に直に相談されるのも手です。

お互い御書のとおりに、あいかまえて、用心に用心を重ねていきましょう。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 7月21日(木)23時37分40秒
  今晩は
皆様 ありがとうございました
おやすみなさい
 

まるで顕正新聞のノルマですね

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月21日(木)23時34分40秒
  聖教啓蒙の投稿を拝見して驚きました。

外部に5部も啓蒙された婦人部の方は充分素晴らしいのに、多部数を購読を迫るとは。
組織のメンツとノルマが最優先になっていますね。

年金生活で12部…。
私の居住地域でも、ご供養だからと、高齢の婦人部の方が同じようにされていましたが、同居していた100歳を超えたばかりのお母様が、「娘が10部以上、新聞を取っている。年金生活なのにこれでは食べていけなくなる。」と近所の方に話したところから、回り回って地区に伝わり、いくらご供養の精神だと言ってもやり過ぎだと、地区が待ったをかけたことがあります。

聖教新聞の複数購読を迫られた話を聞く度に、顕正新聞のノルマで青息吐息だった顕正会員の姿と重なります。
 

沖縄の現状です

 投稿者:桃太郎  投稿日:2016年 7月21日(木)23時23分20秒
  与党公明党の力が必要です。

http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/ce828b3e154d379bc84e0334472a6e63

 

週刊朝日・池田名誉会長独占会見_3

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時57分25秒
編集済
  3_2、これで終了です。
宜しくお願い致します。
 

週刊朝日・池田名誉会長独占会見_3

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時54分43秒
  3_1です。  

週刊朝日・池田名誉会長独占会見_2

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時52分25秒
  2_2です。  

週刊朝日・池田名誉会長独占会見_2

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時51分9秒
  2_1です。  

週刊朝日・池田名誉会長独占会見_1

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時46分8秒
  画質が悪いので、個別に解像度を上げて再アップします。
1~3までです。
 

トインビー対談は注意して読むように指導されました。

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 7月21日(木)22時30分29秒
  いつもの指導、トインビー対談は去年の暦。去年と書いて(こぞ)と読ませます。御書の一節です。私にラインで、指導や連絡を流してくれる某幹部さんはトインビー博士の言葉は40年以上前の米ソ冷戦下の話だから、時代背景を踏まえて注意して読むように言ってました。ただし、その人はトインビー対談を読んではいないようですが。  

横からすみません

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月21日(木)22時19分31秒
  > 投稿者:tesuto  投稿日:2016年 7月21日(木)17時08分37秒
  say様 週刊朝日 1981年(昭和56年)3月13日の号から4月17日の号にあります<

>先生の平和信条  投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月21日(木)11時25分5
簡単です。
「軍備の増強をしたから平和になるのではない。むしろ脅威をつのらせてしまう」


「仏法者として、どこでもいいから、だれでもいいから平和希求の思想を訴え、事実のうえで行動していく以外にないというのが、私の信条なんです。やむを得ないという退嬰的な論理でなく、積極的、進取的論理しかない。行動しかない。訴えていく」

「学会がどうあれ、また公明党がどうあれ、これはその状況によっていろんな指導者が出て、どうするかわからないが、私はいままで学生部の会合などでいってきたこの〔平和への〕信念だけは、どんな犠牲を払っても貫き通すから、それだけ胸においてください、こういったんです。そうでなかったならば、時代迎合になりますしね」

週刊朝日記者  江森氏のインタビューに答えられて<


 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月21日(木)22時17分38秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006.8.6 【名誉会長 盂蘭盆の意義を語る 長野研修道場】

世界宗教の広々とした大道
 ─ 仏法の本義に違(たが)わないかぎり その地その時代の風習に従う

●随方毘尼(ずいほうびに)の法理
 一、日蓮大聖人は、祖先や故人を供養し、追善しようとする門下の真心については、大いに認められ、奨励もなされている。
 しかし、大聖人は、「孟蘭盆会」や「彼岸会」などを、教義として積極的に取り入れようとは、なされなかった。
 すなわち、門下が信心を表す機会とする限りにおいて、一般の慣習を認められているが、それは、あくまでも「随方毘尼(ずいほうびに)」の上から用いられていると拝される。
 「随方毘尼」とは、仏法の本義に違わない限り、それぞれの地域の習俗や、時代の風習に従うべきであるという法理である。
 御聖訓には仰せである。
 「成仏の理に大きく違わないのであれば、とりあえず、一般社会の道理を用いるべきである」(御書1015ページ、通解)
 「この戒(かい=随方毘尼)の心は、甚だしい過ちでないことなら、少々仏教と違うことがあっても、その国の風俗に背くべきではないということである」(御書1202ページ、通解)  世界宗教として、「末法万年尽未来際」へ、永遠に行き詰まりのない広々とした大道を、大聖人は開き残してくださったのである。

●慣習を悪用した貪欲(どんよく)な邪教
 一、先ほども触れたが、釈尊滅後に成立したとされる「孟蘭盆経」では、供養によって、目連が母を救ったと書かれている。
 この内容を、堕落した既成仏教は都合よく悪用し、信徒からの供養の収奪(しゅうだつ)を重ねてきた。
 これに対し、仏法に暗い坊主たちを痛烈に弾呵(だんか)し、真の追善供養の本義を、厳然と示してくださったのが、日蓮大聖人であられる。
 大聖人は仰せになられた。
  ── 目連ほどの聖者であっても、母を救えなかったのは、低次元の教えに執着していたからである。
 その目連が法華経に帰依し、妙法を唱え、自ら成仏したときに、初めて父母もまた成仏することができた
── (同1429ページ、趣意)。
 「成仏」を決定づけるのは、正しき法を正しく実践するかどうかである。
 低い教えでは、生きている人間でさえ、成仏できない。いわんや、故人を成仏させることなど、とうてい、できようはずがない。
 大聖人は、こう断言なされている。
 「自身が仏に成らなくては、父母さえ救うことは難しい。ましてや、他人を救うことなどできない」(同ページ、通解)

●世の中で一番悪いのは坊主
 一、大聖人は、仏法の勝劣を知らない愚かな坊主たちが大勢集まって祈祷(きとう)したとしても、追善供養などにならないことを、徹底的に糾弾(きゅうだん)されている。
 「今の僧たちは、二百五十戒とは名ばかりで、持戒ということに、ことよせて、人をたぶらかし、一分(いちぶん)の神通力もない。大石が天に昇ろうとしてもできないようなものである。
 (それらの僧の)智慧が劣っていることは、牛や羊のようであり、たとえ千万人を集めたとしても、父母の一つの苦しみをも救うことができるであろうか。いな、できはしない」(同1428ページ、通解)
 ここに、大聖人の偉大なる「宗教革命」の師子吼を拝することができる。
 真実の宗教に背く、ずる賢い坊主が拝んでも、成仏するということは、絶対にありえない。断じて、だまされてはいけないと、厳しく戒めておられたのである。
 この点、戸田先生は、痛快に言い放たれていた。
 「世間では、盆とは、先祖を苦しめて、坊主が金を儲ける行事だ」
 「今の坊主をよく見よ、お盆回りに、眼の色を変えてる坊主どもを見よ」
 「仏法を売る者を、禿人(とくにん)という。世の中で一番悪い害虫は坊主ではないか」
 さらに、戸田先生は、こうも論じられた。
 「日本人の多くは仏教の各宗派に属していて、先祖伝来の墓を守り、盆や彼岸にはそこへ参詣して、僧侶に供物でもあげたり、墓の掃除をすることなどが宗教であると考えている者が多い。
 現代の腐敗した寺院の僧侶たちは喜ぶにちがいないが、これでは、釈尊の真意はまったく没却(ぼっきゃく)されてしまったのである。
 もしこれが宗教であるならば、十二因縁、六波羅蜜(ろくはらみつ)、三種の教相(きょうそう)などという哲学や修行は、まったく必要がなかったのである」
 人々を惑わし、誑(たぶら)かしてきた「葬式仏教」への胸のすくような破折であった。

●先祖代々、子孫末代まで幸福に
 一、御義口伝には、「今、日蓮と、その弟子たちが、亡くなられた聖霊を追善し、法華経を読誦(どくじゅ)し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、題目の光が無間地獄(むけんじごく)にまで至って、即身成仏させる」(同712ページ、通解)と仰せである。
 ただ「題目」こそが、無間地獄に堕ちた衆生にまでも回(めぐ)らし向けることができる、真の追善回向の法なのである。
 妙法は、十界・三千世間を貫き、さらに生死を貫く、真の普遍にして永遠不滅なる大法則だからである。
 ゆえに、私たちが題目を唱え、題目を広めることに勝る追善供養は、絶対にない。
 広宣流布に戦う人生こそが、亡き家族への究極の回向となっていることを、晴れ晴れと大確信していくことだ。
 「孟蘭盆御書」の有名な一節には、こうも仰せである。
 「悪の中の大悪は、その報いの苦しみを、わが身に受けるだけでなく、子と孫と末代に七代までもかかるのである。
 善の中の大善もまた同じである。目連尊者が法華経を信じられた大善は、目連尊者自身が仏になっただけでなく、目連尊者の父母も仏になられたのである。
 また上(かみ)七代、下(しも)七代、上(かみ)無量生、下(しも)無量生の父母たちまでも、思いがけなく成仏されたのである。
 さらには、子息、夫妻、従者、檀那、無量の衆生が三悪道を離れただけでなく、皆、ことごとく(菩薩の修行の中で最初の不退の位である)初住(しょじゅう)の位に昇り、また(極果〔ごくか)〕である)妙覚の仏となったのである」(同1430ページ、通解)
 広宣流布という「善の中の大善」に生き抜く功徳が、どれほど無量無辺であるか。
 一人の成仏が、万人の成仏を開く。
 一人の勝利が、万人の勝利を開く。
 自分自身が生き生きと「行学の二道」に励んでいく生命の波動は、時間・空間を超え、限りなく広がっていくのである。
 法華経に照らし、御書に照らして、学会員の皆さま方こそ、最も深く追善供養を行じ、一家眷属に、無量の福徳と威光勢力を送っていることは、絶対に間違いない。

●朝晩に追善 毎日が「お盆」
 一、また日蓮大聖人の仏法においては、朝晩の勤行が常に追善回向の機会であり、毎日の勤行が盆であり彼岸であるという「常盆(じょうぼん)」「常彼岸(じょうひがん)」が本義となる。
 その意義からいえば、「彼岸会」や「孟蘭盆会」など、特別の追善の機会は、本質的には必要ではない。
 しかしながら、それぞれの社会や時代の慣習に鑑(かんが)みながらへ特別の機会を定めることが、追善回向の心を起こさせ、信心に目覚めさせる契機ともなる。
 ゆえに、それらを用いるか否かは「随方毘尼」に即して決めていけばよい。

■ 一、月遅れのお盆は、8月15日の「終戦記念日」とも重なる。
 毎年、私は、すべての戦没者の追善回向を、真剣に行わせていただいている。
 私の長兄も、ビルマで戦死した。
 広島、長崎の原爆の犠牲者の方々、沖縄の犠牲者の方々、さらにアジア、そして、世界の戦争の全犠牲者の方々に、私は一生懸命に題目を送り続けている。

●「報恩」こそ「人間の道」
 一、仏法は、恩が根本である。恩を忘れた人間が、真に人間らしく生きることはできない。
 また、恩や信義を忘れ果てた社会は、絶対に幸福な社会にならない。
 仏法者の眼(まなこ)から見れば、恩というものを知らないがゆえに、どれほど多くの戦争が起こっていることか。
 恩知らずの振る舞いが、結果的に悲惨な争いを引き起こす。
 恩を知る。そして恩を報ずる ── この知恩・報恩の道こそ、幸福の道である。平和の道である。
 ゆえに、恩を忘れ、人間社会を乱す「不知恩の輩」とは、人間として、仏法者として、決然と戦わなければならないのである。

■ 大聖人は、「食法餓鬼」について鋭く指摘されている。
 「食法餓鬼という餓鬼は、出家の身となって仏法を弘める者のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって、人よりも勝れようと思って、今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない者を、食法餓鬼といって、法を食いものにする餓鬼というのである」(同1111ページ、通解)
 まさに、邪宗門の坊主の卑劣な姿そのものである。
 戸田先生は、「餓鬼道に堕ちてまで、金をためる必要はない」とも言われていた。
 大聖人は、退転・反逆者の本性を、「よく(欲)ふかく」(同1539ページ)と喝破された。
 学会の大恩を受けながら、自分や一族のみの名聞名利しか考えず、悪辣(あくらつ)に私腹を肥やし、恩返しをしようともしない。
 そして、同志を裏切り、学会に弓を引く ── そういう人間は、厳粛な仏法の鏡に照らせば、ことごとく、欲深き食法餓鬼であり、法盗人(ほうぬすびと)なのである。
 狡猾(こうかつ)に立ち回って、かりに世間の法や国法の追及を免れたとしても、厳しき生命の因果は、絶対に逃れることはできない。
 仏法の世界は、あまりにも厳正であり、峻厳である。

 一、戸田先生は、訴えられた。
 「もっともけしからんものがある。それは、学会を喰い物にする者である」
 「信心無き輩には断固鉄槌が下るであろう」
 「学会のおかげで偉くしてもらいながら、その恩を忘れ、学会員をばかにし、私利私欲のために学会を利用する。
 こうした悪い人間は、絶対に広宣流布の本陣の中に入れてはならない。
 悪い人間は、断固、叩き出すことだ」
 永遠に忘れてはならない、恩師の遺言である。
 万が一にも、そうした悪党をのさばらせてしまえば、清浄無比なる学会の和合僧が毒され、撹乱(かくらん)されてしまう。
 ゆえに、鋭く見破り、責め抜いていかねばならない。

●釈尊の葬儀は在家者が執行
 一、これまで見てきたように、孟蘭盆が成立していった背景には、仏教が次第に本来の精神を失い、「形骸化」「僧の特権化」の方向へ傾いていった歴史があるといえる。
 贅沢な権威の伽藍(がらん)を構えたり、“坊主が祈らなければ、成仏できない”などとするのは、釈尊の精神にも違背し、仏法の本義に反する邪義である。
 そもそも、釈尊の時代には、葬儀は在俗信者によって行われ、僧は介入しないのが原則であった。
 釈尊自身も、自らの葬儀について、弟子たちが関わることを禁じた。
 実際に、釈尊の葬儀は在家信者によって執り行われた。
 また、日蓮大聖人が信徒の葬儀を行われた例は、御書に一つも記されていない。
 信徒の死後、戒名を与えたという例も、まったくない。
 私たちは、この釈尊、大聖人の御精神に直結して、葬儀や追善回向についても、万人が納得できるかたちで、画期的な意識改革を、大きく進めているのである。

■ 一、ともあれ、これからは、今まで以上に、「権力のための宗教利用」の蠢動(しゅんどう)を厳格に見破る、「民衆の力」「民衆の智慧」が求められる時代となっていく。
 それが世界の潮流である。
 私たちは、この宗教改革と平和創造の最先端を、広々とした心で、聡明に、また快活に進んでまいりたい。
 まだまだ暑い日が続く。どうか体調にくれぐれも気をつけながら、有意義な「友好の夏」「対話の夏」「一歩成長の夏」にしていっていただきたい(大拍手)

 

心からの感謝

 投稿者:魂の炎  投稿日:2016年 7月21日(木)22時06分19秒
  ジョーカー様
いつもありがとうございます!!
ジョーカー様の明快な言葉を拝見すると、暗中模索していた心の霧が晴れ渡ります。
ありがとうございます!!
心から感謝です!!
 

いつの間にか普通の人が右の人に!

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2016年 7月21日(木)21時48分47秒
編集済
  昨夜の暑気払い

今日は。
〇●です。
昨夜は楽しい時間を過ごさせていただき、有難うございました。

昨日の話の上でこの一年ぐらいで、政治に関するもので、私が読んだ本の一覧です。

日米地位協定入門~前泊博盛

集団的自衛権はなぜ違憲なのか~木村草太

日本はなぜ「基地」と「原発」をやめられないのか~矢部宏治

「憲法改正」の真実~樋口陽一、小林節共著

いま戦争と平和を語る~半藤一利

日本人はなぜ戦争へと向かったのかメディアと民衆・指導者編~nhkスペシャル取材班

日本人はなぜ戦争へと向かったのか外交・陸軍編~nhkスペシャル取材班

日本海軍400時間の証言ー軍令部・参謀たちが語った敗戦~nhkスペシャル取材班

安倍政権への遺言~田原総一朗

嬉しゅうて、そして~城山三郎

米軍基地の現場から~沖縄タイムス、神奈川新聞、長崎新聞

日本はなぜ戦争ができる国になったのか~矢部宏治

プーチンはアジアをめざす~下斗米伸夫

以上、
宜しくお願い致します。

いつも、お世話様です。
こちらこそ楽しい時間を過ごさせて頂き、ありがとうございます。

私も、最近読書にハマっているので、
〇●さんの読まれている本も参考にさせて頂きます。

最近私は以下の本を読みました。

・一気に読める「戦争の昭和史」
小川栄太郎

・歪曲報道
巨大メディアの「騙しの手口」
髙山正行

・新・沖縄ノート 沖縄よ甘えるな
惠龍之介

・NHK亡国論
西村幸佑

・紛争輸出国アメリカの大罪
藤井厳喜

・戦争を仕掛ける市場の正体
宮崎正弘×馬渕睦夫

・パナマ文書
渡邊哲也

・世界を操るグローバリズムの洗脳を解く
馬渕睦夫

よろしくお願いします。

by〇澤▲一


これは友人等4人で昨日やった暑気払いで学会の話や政治の話の中で、学会員の〇出▲一さん寄りの質問に答えた内容です。

かれは「中国が攻めて来たら」ということや慰安婦問題等で、中韓を敵視しているようでした。
朝鮮の日本併合は国を守るために必要であり、それによりかえって彼らの識字率が上がったり、文化的な暮しが出来るようになったのだから!。

私はいくら、国を守る為とはいえ、他国に攻め入り併合してしまう。
学校を作って、教育をさせたといっても、創氏改名を無理やりさせられたり、国家神道を拝ませたり、アイデンティティーを蔑ろにするものであるし、何より武力で圧力を掛けたのだから言い訳はできないだろうと言いました。
確かに慰安婦となった方の多くは親に身売りされたり、自ら高報酬欲しさの為に仕方なくなられた方もあったと思う。
いくらかは官権に無理に連れられた方もあったとは思うが、その原因を作ったのは日本政府であり、断じて許されるものではない。
多くの朝鮮人が騙され連れて来られ、劣悪な環境の中で、餓えと戦い乍ら作業をさせられ、人権を蔑まされ、どんなに辛かったか、苦しかったか、それを思うと、確かに韓国は問題が多く、私も好きに離れないが、謝罪はあってしかるべきものであり、決して忘れてはならないものだと言いました。

中国に対しても同様で、私は決して中国は攻めてくるということはしない、戦前の日本がなんで戦争に突っ込んでいったか、その結果どうなったかを周恩来、鄧小平時代にしっかり研究している。
併せて、平和裏にことを進めることが、東アジアにとって大切で有ることも確認している。
その後の江沢民が、天安門で人民の支持を失いかけて、大きく舵を切ってきたことは確かにそうではあるけど、全面戦争になったら、資本が出ていき、輸入も難しくなる、北荻、西戎、南蛮、香港などの他民族が蜂起したら漢民族中心の共産党政権は崩壊する。等々言いました。

先輩筋にあたる■木?一さんは「小競り合い位は有っても、本格的な戦争はしないだろうな。倅の嫁は上海人だけれど、彼らは戦争になると資本が逃げていくと感覚としてあるようだな。ま、日本人みたいに単純でないよ。数千年の歴史上、紛争が絶えなかった中国で、確かに人間は同じことを繰り返してはいるけど、ひとたび戦争が起これば犠牲になるのは、いつも力のない人民や女子供、貧乏人で、大きな紛争では、財産を失くす人も少なくない。それは日本も同じで、戦争ですべてを失った人も多くいたな。私は基本的には自民党を支持しているが、今回の、またこの1~2年の安倍総理を見ていると不安がよぎるね。ここは公明に頑張ってもらいたいんだが、どうなの?」

後輩筋になる東大卒の▽藤■さんは「僕はね~学会のおばさんと話す機会が何度かあったんですけど、集団的自衛権のことは、何も心配ない、3原則があるのでより一層安全に貢献できる、日本は何も変わらない。というんだけど、僕が見たところ何も歯止めになっていないと思うんですよ。だって安倍さんが日本の存立に危機があるって認定したら、その権能は安倍さんにあるんでしょう?後方支援とか機雷除去とか多分やらされるようになッちゃうじゃん。と言っても大丈夫っていうんですよ。今までの学会とちょっと違う感じがしてるんですよ。」
彼は、10年以上も聖教を取ってくれています。
この数年の学会の変化に「ちょっと異様な感じがしますね。」

外部の■木?一さん、▽藤■さん等には違和感がかなりあり、平和を訴えていた公明がなぜ変わったのか、公明は信頼できるのか?等々の質問がありました。

▽藤■さん「僕は今回総投票を減らすと思っていたんですけど、全然変わらなかったですね。不思議なことですね。」

■木?一さん「安倍総理の支持が半分を越え、しかも国民の50%超の人が憲法改正に賛成なんて今まで考えられなかったが、いつの間にか国民の意思が右に寄ってしまったな~。」

学会員の〇澤▲一さんはふつうの学会員だったのですが、いつの間にか相当右に傾倒されています。
それに比べ、非学会員の二人は憲法改正に反対です。

私はなるほどいつの間にか、学会は公明党は右の人になったんだと、先生の心は学会にはないのです。
学会は謗法の団体に成り下がったのです。

四人組だけではなく、かなりの末端幹部まで腐敗臭いっぱいです。
 

SaySaySay様 ありがとうございます

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月21日(木)21時37分24秒
  池上彰さんですか!
とてもとてもとても、あのレベルはできませんが、ブログが更新されたとのご案内を見て、当日は万難を排して参加する所存です(笑)。
もちろん、参加レポートにつきましても、皆様に参考資料として公開いたします。

トインビー会談の本を1人1人に紹介する行動、すごいですね!
目からウロコが落ちました。
 

原田会長の点数

 投稿者:妖刀メール  投稿日:2016年 7月21日(木)21時09分49秒
  はマイナス(ー)1000点。秋谷はマイナス(ー)10.000点。  

円融円満!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 7月21日(木)20時12分17秒
   月夜の散歩さんから「円融円満」の投稿を頂いた時、蘇った一節がありました。「円融は迹門円満は本門」です。月夜さんとちょっと意味を違えるので、少し控えたのですが、「円融」と「円満」とでは違うようです。「迹門」と「本門」の違いです。本迹の相対です。
 こう仰せです。
「以円為即とは一念三千なり妙と即とは同じ物なり一字の一念三千と云う事は円と妙とを云うなり円とは諸法実相なり、円とは釈に云く円を円融円満に名くと円融は迹門円満は本門なり又は止観の二法なり又は我等が色心の二法なり」(御義口伝P714)

 「融」と「満」について調べると、こうあります。
 「融」=固いものが融ける。融けて一つになること。例えば、熟語では「融合」は、融け合って一つになることとあります。
 「満」=みちること。いっぱいになること。ゆきわたること。「欠」の反対語、とあります。

 どちらも「一体」になることでは同じなのですが、大きな違いは、「個」があるのか、ないのかだと思うのですが、いかがでしょうか。「融」は融け合って一つになることの意味合いが強いですし、一方の「満」は一つになることは同じでも、「個」の意味合いが残ります。どういう意味合いかというと、「個」があって「一つ」になり、その「一つ」の中に「個」が一杯になるという意味合いです。
 これは、法華経が万人の成仏を現すということとも一致します。「一人」ではありません。「万人」です。この「万人」というところに、「個」があって、その「全体がある」ことが指し示めされています。いわば、「満」はそうした「個」の存在というものを明確にし、その上でそれら全部がもれなく成仏する原理を指し示してはいないでしょうか。
 いわば法華経は、なかんずく寿量品は、「個」の存在を高らかに高揚し、そこに満ちるすべての成仏を宣言した経文であると読むことができます。

 すでに社会はその方向に動き出しました。フレックスタイム制とか、在宅勤務などもその一端と見ることもできるでしょう。「理想」に向けて動き出したというよりも、そうしなければ会社や組織が成り立たなくなってきていることの方が強いでしょう。介護や幼児養育など社会的要請がりありますし、ストレスからでしょうか、「心の病」がとりわけ大企業では深刻な問題となってきているからです。
 名前はあげませんが、日本を代表するようなグローバル企業では、何百人単位で“うつ病”従業員を抱え込んでしまっているという話もあります。
 厚生労働省の調査によると、日本の気分障害患者数は1996年には43万3千人4だったのが、2002年には71万1千人まで増え、2005年には92万4千人、そして2008年にはとうとう100万人を突破してしまい、104万1千人を数えているとしています。100万人というと、一つの県人口を楽に上回る人数です。もはや、無視することが出来ようもない事態なのです。

 ひるがえって、創価の組織も、池田先生が表に出られなくなって、組織主義、一面で全体主義ともいえる兆候が目立つようになってきました。支援活動しなければ反逆者。幹部の言うことに反対すれば“仏敵”。査問、解任、除名がそれです。それは、「団結」に名を借りた畜生・修羅界の形相ではないのでしょうか。
 あのニワトリを鳥小屋に追うような仕打ち、牛、馬を労働力として都合のいいように使い、あとは牛舎に閉じ込めて草を食べさすだけという、まさに畜生・修羅界管理の様相です。人間を人間として、あるいは「個」として護り育てようという心は、そこには感じられません。

 食べるものにこと欠く草創期には、そんな事態はある意味、当たり前でした。同じ「一体」でも、「融合」の時代だったのでしょう。個人の意思などはまったくなし、「英気」と「生気」と「精気」を放出するだけの時代(笑い)。それが成り得たのは、その“長征の旅”に「命を投げ出す、いや投げ出した指導者」がいたからではないでしょうか。「誘発」による「内発」の時代だったかも知れません。

 だが、いつまでも、そんなことが続けられるわけがありません。人が疲弊してしまいます。病人が出てまいります。創価にあっても、もう、多様な人材群が集まってきています。「一律」では動けない時代なのです。「地涌」の時代です。地涌とはどこまでいっても「自発」です。ごくごくありふれた人材群の中に、地涌の菩薩はいます。多様な、「桜梅桃李」をむしろ前面に出す時代なのです。それが万人成仏の「法華経」の「心」です。
 いままでやってきたことが、そのまま通じるとは限らない。多数が必ずしも正しいとは限らない。そういう切り替えの時代ではないのですか。「形式」ばかりです、いまは。

 「個」というのは、組織にあってもそうです。まったく同じ組織はありません。構成員も違う。衆生も違う。国土風土も異なる。まったく同じ組織があったら、教えてもらいたいぐらいです。
 そうした「個」の組織を一律に動かしていこうというのが、そもそもが無理な話なのです。当然、「個」に適合した活動形態があってしかるべきでしょう。一人が勝手に思い込むより、できるだけたくさんの人が「適合した」活動について、討議すべきなのです。
 総県がまず、そうすべきです。続いて、圏・区がそうすべきです。地方なら本部ということもあるかも知れません。そこが変わらないことには、いくら「本門の時代だ」と言ったって、「流れ」は変わりません。まだまだ、「指示待ち」の待っている人たちが一杯だからです。
「総意」と言ったって、なんでもかんでも「総意」になることはありません。むしろ「相違」のあることの方が多いでしょう。だから、いろんな意味での事前の準備と、何にも増して「長の一念」が大事なのです。

 新・人間革命「清新」<31>の中にあるじゃないですか。
 「形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式にだけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに堕ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、たえざる革新が必要である」と。

 「命濁は連持色心を指して体と為す」(御義口伝P717)
 と仰せでした。

 もちろん、「円融」が前面に出ることもあります。迹門だからと言って捨て去るものでもありません。
 こうお述べです。
「法華経一部に於て前の十四品を捨つべき経文之れ無し本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時・爾前・迹門は正法・像法或は末法は本門の弘まらせ給うべき時なり、今の時は正には本門・傍には迹門なり、迹門無得道と云つて迹門を捨てて一向本門に心を入れさせ給う人人はいまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ以ての外の僻見なり」(四菩薩造立抄P989)。
 それは、まさしく「仏敵」と戦う時です。「生命」破壊の勢力と戦う時です。「サタン」と戦う時です。

 三悪道、四悪趣からの脱皮、六道から四聖への脱皮。それが「発迹顕本」ではないのでしょうか。三悪・四悪からの脱皮とは人界へ踏み出すことでしょうし、六道から四聖への脱皮とは三乗もありますが、やはり一仏乗でないと現実的には不可能なのでしょう。畜生、修羅界のような組織運営では、もう成り立たなくなってきているのです。

 あの「行道不行道」です。
 法華経寿量品第十六の「行道不行道の事」で仰せです。
 「御義口伝に云く十界の衆生の事を説くなり行道は四聖・不行道は六道なり、又云く行道は修羅人天・不行道は三悪道なり、所詮末法に入つては法華の行者は行道なり謗法の者は不行道なり、道とは法華経なり、天台云く『仏道とは別して今の経を指す』と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは行道なり唱えざるは不行道なり」(御義口伝P758)

 あまり好き勝手なことを言っていると、「いつも月夜の晩ばかりじゃないよっ」なんていわれてしまいかねませんので、このぐらいに致します……。


 

(無題)

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 7月21日(木)19時49分54秒
編集済
  tesuto様 案外おばちゃん様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52387
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52389
ありがとうございます。こんな35年も前の文証がサラッと出て来るなんて、凄いですね。
 

池田先生の会長時代

 投稿者:我らの時代  投稿日:2016年 7月21日(木)18時01分49秒
  池田先生の会長時代はまさに「藁を枕」に戦い続ける日々だった

会員は仕事しながら活動
戸田先生は
「信心は一人前、仕事は三人前しなさい」と言われていた

原田会長は会員に過剰な負担をかけている
「信心は三人前、仕事は半人前」をさせようとしていませんか?
マイ聖教なる邪道で一家に多部数購読させるやり方を強いるのは
「信心は一人前」の精神に反している

会員は
「信心は一人前、仕事は三人前」であるべきであり、そういう指導をするべきである

職員はじめ幹部
なかんづく、会長は
「三人前の信心」を目指すべき

会長は「藁を枕」に戦う人こそ、その座にいるのが相応しい人
その戦いが出来ない会長は辞任するべき

原田会長は「藁を枕」に戦っていますか?
三人前の信心していますか?

創価大学では学生が教授を採点したことがあった

会員が会長を採点することも「有り」なのではないか?

原田会長は
1人の会員を大事にしているか?
1人の会員の声に耳を傾けているか?
1人の人に会う為に動いているか?
止暇断眠で戦っているか?
会員の幸福を祈っているか?
婦人部の声を大事にしているか?
全ての婦人部に公平にしているか?
全ての戦いに率先垂範しているか?
池田先生の御指導を基準にしているか?
折伏に挑戦しているか?
難を受けているか?

さて、原田会長の得点は?

学会の会長はせめて60代まで70歳になったら「引退」と会則を作るべきである

こうかくと必ず、何処かの板が「池田先生は?」と反論してくる

池田先生は「永遠の師匠」
池田先生と歴代の会長は同列ではない
大体、これまで、歴代の会長で牧口先生、戸田先生を除いて、池田先生と同格に出来る会長、いただろうか?

4代
「提婆達多に騙された最高幹部」って先生が書かれています
「提婆達多に騙された最高幹部」が先生を辞任させた

5代
「提婆達多のような会長」と先生から認定されました

6代
「私が厳しくしないと5人位女を作る」と先生に言われた

三代と同列にする必要もなければ、とてもできない人達ばかり

まして、会員の幸福を祈り、その為に戦うという点において、三代の足元にも及ばない人達ばかり

学会の会長は「永遠」ではない
本来は、5年任期の雇われ会長であるべき
原田会長は会則変更して任期延ばしていないで、「定年制」を作るべきである

70代の会長も理事長も不要である
会員が友好期間で休んでいる間も戦いぬく若い会長が出て来て欲しいものである








 

tesuto 様

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月21日(木)18時00分3秒
  フォロー ありがとうございます。


他に 今  学ぶべき記事があったら  ぜひアップして下さい。
 

疑いたくはないのですが

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年 7月21日(木)17時58分45秒
  10日の投票日の新聞に選挙違反ではと思った公明党の支援内容を警察に月曜日届けました。3連休は腰痛が辛かったので、旦那の車で出掛けてました。火曜日に借りてる駐車場に行ったら、ボンネット、左右のドアを傷つけられました。実は自治会長さんが警察との繋がりあり、自治会長ですから団地の事やこうゆう犯罪がありますとの話しも警察の方からあります。疑いたくはないのだけど、この間ダイアモンドを持って行った先が自治会長宅。奥さんとのやりとりで、私を嫌いなのはわかります。以前奥さんが新聞配達をしてた時何回か新聞を入れてもらえなかった事があります。奥さんに話すとちゃんと入れましたと、とぼけるのです。昨日車内カメラ着けました。犯人が内部でない事を祈るばかりです。車両保険入ってて良かったです。以上愚痴でした。  

say say say様

 投稿者:案外おばちゃん  投稿日:2016年 7月21日(木)17時57分19秒
  「民衆こそ王者   白樺 いのちの守り人篇」に掲載されていました。

年代は丁度  ヤマトモ暗躍の時代のインタビューのようです。

弟子の中から裏切り者が出た事に対してどう思うか?とのインタビューも載っていました。
後日アップしたいと思います。
 

聖教啓蒙

 投稿者:錦州城  投稿日:2016年 7月21日(木)17時35分58秒
  はげ様の地域では推進値の呼称なのですね、当方地域では「ビクトリーライン」と称しておりました。これは聖教販売店を喰わせる為の区内最低部数のようです。販売店が減って「ビクトリーライン」が無くなったら、区内で12,000部減ったそうです。  

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