そこ、謝るトコでしょ、に出てくる「ありがとう」
ちょっと面食らう「ありがとう」
先日、ある従業員の失敗をフォローするために残業してなんとか片付けたことがあったんです。悲しいかなその日は待ちに待ったAmazonプライムデー。買いたかったあれこれはタイムセールに間に合わず撃沈、誰にも文句の言えない悲しみがあったんですが(笑)まあそれは良いとして。
その翌朝、その従業員に出会ったんですが開口一番「昨日はありがとう」っていうんですよね。「(いや、ここは迷惑を掛けたんだから謝罪でしょ)」と思ったんですが、まぁ感謝しているようだからまぁいいか、とその場では思ったんですよ。
そして今日。ちょっとしたトラブルでまたその従業員を手伝うことになり20時ごろまでかかったんですよね。で、そろそろ帰ろうかということになったときにまた「ありがとう」と。いやいや、やっぱりだ。ここ、感謝じゃないでしょ。
ここで思ったんですよね。「謝罪と感謝って一緒にしてはダメだよな」って。
謝罪しないからトラブルが再発する
残念なことにこの従業員はトラブルが多い。報告が上がらないから大丈夫なのかと思いきやチェックをしてみると手遅れ感満載だったり、トラブルが表面に出てきてから「あの、トラブルがありまして」と言い出す。本人はもっともっと早く気づいてるはずなのに。
そして今回のようにトラブルが発生してみんなでフォローしてなんとか持ち直したところで「ありがとう」と感謝して終わってしまうから本人に気づきが生まれないんでしょうね。今回のことでよくわかりました。「助けてくれてありがとう」でおしまいになるから。
ここで「○○の件はすみませんでした」「○○になってしまい申し訳ありませんでした」であれば本人の心のなかに「自分が起こしたトラブルが誰かの迷惑になった」という自覚と「トラブルを防ぐための方法を考えよう」という動機付けになると思うんですよ。
何事もそうだと思うんですけど、「何をどう受け止めて行動したか」がすごく大事になると思うんです。
たとえば今回のケースでは
- トラブルが起きた
- 誰かが手伝ってくれた
- 感謝した
- 終わり
となるのでトラブルが再発してしまうんですよね。起きたことを自分で受け止めていないから。ここで謝罪しているとまた違う行動も取れるんじゃないかなと思うんですよ。
- トラブルが起きた
- 誰かが手伝ってくれた
- 迷惑を掛けたことを反省した
- 次はトラブルが起きないようにこういう対応をしよう
- 迷惑を掛けた人に謝罪した
- 「以後はこういう風にします、すみませんでした」
- 「こういうことで迷惑をかけてしまってすみませんでした」
- 反省から気付きが生まれてより良い行動に
まぁそんなに世の中簡単にうまくいくわけではないとは思いますけど、「ありがとう」って言ったことで浄化してしまってるような気がするんですよね。謝罪と感謝をごっちゃにしてしまっているというか。
「すみません」と「ありがとう」
そんなことを考えていたらネットでこういう話を見つけまして。(もう本当に巣窟だなNAVERまとめは)
世の中には感謝しているのに「すみません」という言葉を使ってしまう人がいます、それをやめてぜひ「ありがとう」と口に出してみましょう、なんていうお話がいっぱい出てきます。
「すみません」には感謝の意味もあるし謝罪の意味もある、でもそのうち感謝の意味ですみませんを使うなら「ありがとう」におきかえるのはその通りいいことだと思うんです。
「ありがとう」と言われて嫌な気持ちになる人はそんなに多くないと思う。むしろ嬉しかったり照れくさかったりくすぐったかったりいい気持ちになる人の方が多いと思います。
でも、その反対の「謝罪のすみません」を「感謝のありがとう」に勝手に置き換えてしまってはダメでしょうね。日本語特有の「あやふやな表現をあえてすることで相手にそれとなく理解を求める美徳?」みたいなことが「すみません」にもあるとは思うんですけどね。
ということで・・・
私は今回のことでこう思いました。
- 失敗した時はきちんと反省し、失敗しない方法を考えた上で謝罪をする
- 感謝してもあやふやに「すみません」は使わずにっこり「ありがとう」と言おう
- 年一回のAmazonプライムデーの恨みは恐ろしい
- 来年のプライムデーはノー残業で必勝体制!
なんだよ、Amazonの手先かよ!!おあとがよろしいようで。