欧州全域で、欧州連合(EU)が掲げる「労働者の移動の自由」という原則と人々の反移民感情に折り合いをつけることがますます難しくなっている。英国が国民投票でEU離脱を決めたことで、各国の政治家は、安く働く外国人労働者に職を奪われているという人々の受け止め方を無視することの危険さを思い知らされた。特に問題化しているのがフランスで、来年の大統領選を前に反移民と反EUを掲げるマリーヌ・ルペン党首の政党「国民戦線」が勢いづいている。
このような状況の中で、EUの欧州委員会は、一時的に国外に派遣される労働者の雇用規則を見直すことを決めた。現行規則は、他のEU加盟国に労働者を派遣する企業に対し、受け入れ国の最低賃金を支払い、最低限の福利基準を満たすことを義務付けている。しかし、自国で社会保険料を払い続ける「国外派遣労働者」は、受け入れ国側の労働者よりも安上がりになりうる。
フランスは規則の変更を求める先頭に立ち、国外派遣に2年の期限を課し、業界の賃金協定を含む全ての国内基準を雇用主が満たすよう訴えている。バルス仏首相は、規定が強化されなければ法規を全面的にボイコットすると脅しをかけている。多くの東欧諸国は、現行規則の実施強化で自国市民が公平に扱われることを望んでいるが、規則の変更には反対する。豊かな国々がまたもや国内問題から移民労働者に問題をなすりつけようとしている、という受け止め方だ。
この問題をめぐる議論は、提案内容が実際にもたらす影響以上の政治的重みを帯びている。国外派遣労働者は近年急増して約190万人に達しているが、それでもEUの労働力全体の1%にすぎない。EUの最も豊かな国々から派遣される労働者も多い。東欧の企業が低賃金を競争力の一部分にしていることは事実だが、賃金格差は縮小している。その理由の一つは、国内で働く場合よりも高い賃金を国外で得る労働者がいることだ。
また、特定の場所における同一労働・同一賃金の原則についても、妥当な反論がある。賃金は、労働者の働きぶりと企業の財務状態、その国の生活水準を反映する。多くの国において、同じ会社の中でも団体交渉のルールに基づく賃金格差が認められている。
■有権者の怒りとグローバル化に対する不信が背景に
それでもなお、労働者の移動の自由をあまりに純粋に捉えようとすると、ポピュリストの思うつぼになりかねない。国民戦線のルペン党首はかねて、国外派遣労働の制度がフランスの建設業と農業に失業者を生み出していると主張していた。その主張が今、人々を引き付けている。欧州委員会のモスコビシ経済・通貨担当委員は、EUは有権者の怒りとグローバル化に対する不信を鎮めるために行動しなければならないと訴えている。この主張は正しい。欧州委員会が検討している規則の改正は、移民に対する疑念を打ち消し、社会基準の擁護に対するEUの意志を示すことにつながりうる。
EUがこのような問題を認識しなければ、各国政府はますます欧州委員会にあらがう姿勢を強め、自らの手で問題を処理しようとするだろう。EUの一体性を損なう危険な展開だ。
バルス氏のボイコットの脅しは無責任だった。特に今は、EUの規則を破り続けながら罰せられずにいるように見える主要国に対して、小さな国々が怒りを募らせている。それでも、フランスが突きつけた提案は妥当かもしれない。この改革は、移民に対する社会保障の制限を望む国々を支持した欧州司法裁判所の一連の判断と同じ流れにある。
これらの動きは、労働者の移動の自由に対する小幅ながらも重要な制限であり、これまでEUの専門機関が絶対視していた原則を徐々に切り崩している。
(2016年7月21日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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