こんにちは、Shinです。今日はコンサル関連本の紹介をします。
外資系人事コンサルティングファームとして名高いヘイコンサルティングのディレクター、山口周氏が書かれた「外資系コンサルの知的生産術」です。
山口氏の経歴はこちら。
山口周(やまぐちしゅう)
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、A.T.カーニー等を経て2011年より組織開発を専門とするヘイグループに参画。
専門はイノベーション、組織開発、人材/リーダーシップ育成、キャリア開発、新しい働き方研究。著書に『グーグルに勝つ広告モデル』『天職は寝て待て』『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』(以上、光文社新書)、『外資系コンサルのスライド作成術』(東洋経済新報社)など。
華々しい経歴ですね。他の著書も面白そう・・・。ぜひ読んでみたい。
さて、本書の前書きを見てみましょう。
本書の構成について少し説明しておきましょう。
本書の前半部では、知的生産のプロセスに沿って、「知的生産の『戦略』」「インプット」「プロセッシング」「アウトプット」の四つについて、それぞれのステップにおいて必要になる行動や心がけ、つまり「心得」について説明しています。そして後半部では「知的ストックを厚くする」と題して、知的生産のクオリティや効率を中・長期的に高めていくために、どうやって知的ストックを厚くしていくかについて説明しています。本書を通して読めば、知的生産のプロセスのどこに自分の強みと弱みがあるかがわかるでしょう。
本書をきっかけにして、強みはさらに伸ばし、弱みは補完してもらえればと思います。
メチャクチャ面白そうですね。経験の長いコンサルタントがここまで丁寧に説明してくれる機会は早々ないので、非常に楽しみです。
では、中身に入っていきましょう。
要求されているクオリティを押さえる
例えば、市場規模の将来予測を出したいという場合、粗々でもいいので大きな方向感がわかればいいという場合と、投資の意思決定に使えるような精度の高いものが必要だという場合では、まったく作業アプローチは変わってきます。
あるいは、ある企業のビジネスプロセスをベンチマークするという際に、プロセスの大まかな流れがわかればいいという場合と、各プロセスの工程と人員数まで詳細に知りたいという場合とでは、やはり同様にアプローチはまったく変わってきます。要求されている知的生産物の品質やスペックがはっきりしないと、知的生産のための作業工程は設計できません。
知的生産の初期段階において、顧客が求めている知的生産物の品質クオリティを明確化させるようにしましょう。
ぼくもちょいちょいやってしまうミスの一つに、「必要なクオリティを理解せず、ムダに時間をかけてしまう」というものがあります。
もちろんクオリティは高いに越したことはないのですが、クオリティをあげるには時間やお金が必要となっていきます。もしかしたら、ここで必要とされている情報や分析は、ネットに転がっている情報をさっと分析するだけで事足りるかもしれない。それにもかかわらず、一次情報を得ようと必死になってお金や時間をかけるのは非効率極まりないですね。
「どれだけのクオリティのものが必要なのか?」というポイントについては、常に忘れずにしたいものです。
顧客の期待値をコントロールする
端的にいえば「仕切り」の問題です。顧客側はいつまでに、どれくらいの品質の知的生産物が、どの程度のコストで出てくると期待しているのか、その期待値と現実とのあいだにあるギャップをどうすり合わせていくのか、という問題ですね。
よく「あいつは仕切りがいい」とか「あいつは仕切りが悪い」という言い方をしますが、仕切りというのは要するに期待値コントロールのことなのです。だからプロジェクト開始の段階で、顧客のスピード、品質、量に関する期待値を制約条件の中で満たせない、と感じたら、そのままプロジェクトをスタートさせず、まずは顧客と制約条件の調整について話し合うようにしましょう。
これが本当に難しいんだ・・・。
クライアントは、基本的にコンサルティングプロジェクトの全体像や進め方について理解していません。いくら丁寧に説明したとしても、実際に経験したことがないのですから、真に理解することは難しいでしょう。
だから、クライアントはどんどんいろんな要求をしてくるわけです。「高い金払ってるんだし、ちょっとぐらいスコープと違ってもこのぐらいやってよ」みたいなノリで。
もちろん、それをすぐさま「スコープ外です」といって断るのも違います。「今頂いている費用と期間だと、ここまでならできます。それに、その追加スコープに時間をかけると、最終報告に間に合わないですし、そこまでクオリティがあがるわけではないですよ」と、冷静に論理的に説明しなくてはなりません。
ここがうまくできるようになってはじめて、一人前のプロジェクトマネージャを名乗ることができるのでしょう。
指示は、「行動」ではなく「問い」で出す
自分が情報収集に走る、あるいは部下を走らせる前にするべきなのは、「問い」を明確化するということです。
例えば、もし皆さんがプロジェクトチームのリーダーだとすれば、メンバーに対して「○○に関連する資料を、金曜日までになるべく沢山集めておいて」などという指示を出してはいけません。そうではなく「○○に関して、この四つの問いについて答えが出せるような資料を集めておいて」と指示しなくてはならないのです。これがつまり、情報収集に際して、指示は「行動」ではなく「問い」で出す、ということです。
一方で、もし皆さんがメンバーの立場で、リーダーから「ありったけの情報を集めろ」というフワフワした指示を受けた場合はどうすればいいのか? もちろん「指示が不明確だから具体的な〝問い〟にしてください」と詰め寄ることもできるのですが、筆者の経験からいえば、このアプローチは多くの場合あまりいい結果にはつながりません。
こういう場合は、心の中で「スジの悪い指示を出しているなあ」と思ったとしても、表面上は「ハイ」と受け流して、自分の中で「答えるべき問い」のリストを策定し、それから情報収集作業に入っていくといいでしょう。
リサーチが失敗する第一の原因は、指示がフワフワフワフワしているからです。
- 最近の日本車のハンドル市場についての情報を集めておいて
- 海外のIoTの活用事例についてまとめて
- クライアントの最近の戦略について分析しておいて
こういう指示が来た翌日は、手戻りの嵐で阿鼻叫喚です。このようなあいまいな指示ではなく、「問い」形式で指示を実施しろというのが山口氏の主張ですね。
- 日本車のハンドルで、一番使用されているメーカーはどこのものか?
- シカゴにおいて、スマートグリッド導入前と導入後の電気使用量の変化はどれぐらいか?
- クライアントのXXXプロジェクトで、コストはどれぐらい削減できたのか?
このような問いであれば、調べることも出すべき答えも明確で、リサーチもはかどることでしょう。
権威に盲従せず、逆に従わせる
実際のところ、筆者自身も本書においてさまざまな箇所で「大家の論考」に立脚して論を展開しています。むしろ、大家の論考を完全に除外して高品質な知的生産を行うことは不可能だといえます。したがって、問題になるのは「大家の論考」の扱い方と位置づけです。一言でいえば、大家の論考を丸呑みすることなく、あくまで自分で考えた論理展開を補強するためのパーツの一部として使えばいいのです。
知的生産物を「だから、だから、だから」という鉄骨の連鎖で構築された「言葉の建造物」と考えた場合、「大家の論考」をその一部の鉄骨、それも強靭な鉄骨として使うことで建造物の強度を高めることが可能となります。建造物そのものを大家の論考から剽窃するのではなく、建造物そのものの論理構造は自らのものとして生み出しながら、その構造を補強するためのパーツとして大家の論考を用いることで、建造物全体のクオリティを高めるというアプローチです。
「大家の論考」に盲従せず、逆に、自分の論考に「大家の論考」を従属させるという意識を持ちましょう。
何をやるにも「xxさんがいっていたから」ということしか根拠を持てない人がいますが、これだと論理の枠組みはボロボロです。誰がいったかよりも、なぜその答えが正解といえるのか、明確に説明できることのほうがよっぽど大事です。
しかし、そのような権威の言葉も、ぼくたちの主張の裏付けとしては非常に有用です。
「xxさんがいっていたから○○が正しいんだ!」ではなく、「○○が正しい。理由は4つあって、そのうちの一つがxxさんのレポート19Pでの記述だ」のように「権威を従わせる」という意識が必要です。
「時間を防御する」という意識を持つ
時間というのは個人が自由に分配の意思決定をできる唯一の投資原資です。この投資原資をどのように使うかによって自分へのリターンが変わってきます。自分の時間をソーシャルメディアの閲覧に使えば、その時間は閲覧しているソーシャルメディアの富に変換され、その会社の企業価値が向上するし、その時間を良質なインプットのために使えば、その時間は自分の正味現在価値に変換されます。
自分の時間を奪いに来るさまざまな組織や個人から、自分の時間をできる限り防御する、という意識を持つようにしましょう。よほど気を付けていないと、自分の時間は他の誰かの富にどんどん変換されてしまいます。
最近特に痛感するのが、この時間の大切さです。
平日は仕事、休日もプライベートのいろいろでどんどん時間が削られていってしまいます。もちろんそれらもぼくの大事な人生の一部で蔑ろにすることはできないのですが、それらに流されるままだと自分自身の価値はどんどん毀損していきます。
ちゃんと勉強する時間やアウトプットする時間を事前に天引きしておき、自分自身に投資し続けることを忘れないようにしないといけませんね。
世界を観察する文化人類学者たれ
どんな対象からでも学び取ってやろうという心性が分厚い知的ストックの形成に当たっては重要です。しかし、多くの人にとって目の前の現実というのはあまりにも見慣れたもので、あらためてこれを眺めることで何かを学び取れといわれても困惑するかも知れません。このとき、一つの手がかりになるのが「フィールドワーク」という技法です。
フィールドワークは、もともとは文化人類学者が、観察対象となる集団を調査・記録するために発展させてきた技法です。自分が所属している社会からストレンジャーとして一旦離脱した上で、再度そこに赴く。日常慣れ親しんだ社会を「異なるもの」として観察し、記録する文化人類学者の心性を持つことで、また違ったものが見えてくるはずです。
ぼくにとっては、ブログ更新がこのフィールドワークに近い活動かもしれません。
コンサルティングファームといういつも過ごしている環境とは別の、「はてなブログ」という異質な環境でいろいろな人の意見を読んだり、自分のブログについてフィードバックを貰ったりする。これはなかなか新鮮な体験です。
仕事もプライベートもブログ更新も、関わる人や考え方がそれぞれ全く違っていて面白いです。その中からたくさんのことを学び、また自分のアウトプットに活かせればいいなと考えています。
違和感を手がかりにして世界を理解する
これは文化人類学に限らず、哲学でも自然科学でも工学にもいえることなのですが、「微妙な違和感」は数多くの非連続な進化のきっかけになってきました。
セレンディピティという言葉を聞いたことがあるでしょうか? 偶然によって導かれた幸運な発見や発明を指して使われる言葉ですが、このセレンディピティに共通しているのが、「ちょっとした違和感」をきっかけにしている、という点です。
なかなか言語化しづらいのですが、仕事でも日々のコミュニケーションでもこの「違和感を感じる」というのは非常に大事です。
「なにかおかしいな?」と思ったということは、確実にそこに「何か」があるのです。大失敗の予兆かもしれないし、大きな学びのヒントかもしれない。その少しだけの違和感をそのままにせず、追求する姿勢は持っておきたいですね。
終わりに
具体的なところから抽象的なところまで、コンサルタントに限らずヒントになるところが多い非常に有用な本です。よろしければ読んでみてくださいね。