ドルトムントを圧倒した“スーパー・バイエルン”。ブーイングを静寂に変えた“裏切り者”ゲッツェ
バイエルン側のベンチに浴びせられたビール
開始直後から、8万人が詰め込まれたジグナル・イドゥナ・パークのボルテージは沸点に達しそうで達しない、スレスレのところで緊迫していた。些細なきっかけでいつ暴発してもおかしくはない。
観衆は、心拍すら邪魔な雑音として取り除こうとするかのように、目を見開いてピッチを凝視する。そして、ジグナル・イドゥナが暴発する引き金となったのは、マリオ・ゲッツェだった。
ブンデスリーガ13-14シーズン第13節、ボルシア・ドルトムントはホームで王者バイエルン・ミュンヘンと激突した。決戦のムードは、開始前から既に辺りを覆っている。多くの黄色いファンが乗り込んだ、ジグナル・イドゥナへと向かう列車の中は、どこか緊張感に包まれていた。
昨シーズンのCL決勝以来続くライバル同士の対決、首位と2位の激突、色々な見方をすることはできる。しかし何よりも、ゲッツェの帰還、それがこの試合の全てと言っても良かった。
56分、ゲッツェがタッチライン際に立った、途端にジグナル・イドゥナが暴発した。ドルトムントの人たちは感情を露に、憎悪を剥き出しにした。圧倒的なブーイングがする。耳を引き裂こうとする。鼓膜がブチ破られそうだ。
僕の目の前で、メガネを掛けた女の子は、顔を真っ青にして、目を限りなく見開いて、罵詈雑言をゲッツェにぶつけた。バイエルンのベンチには、ビールが浴びせ掛けられている。
日本人の僕の感覚からすれば、そこまでする必要があるのかとも思えたが、ゲッツェの今季ドルトムントからバイエルンへの移籍は、そこまでする、いや、そこまでせざるを得ない出来事だったのだ。9歳のときから長きに渡りドルトムントでプレーしたゲッツェのライバルチームへの移籍は、一言で説明がついた。裏切り、それが全てだった。
ゲッツェのゴール。そして静寂
ドルトムント側の人間からは憎悪で、バイエルン側の人間からは歓喜で迎えられる様を見ながら、これでゲッツェがゴールを奪ったら、スタジアムは一体どうなってしまうのか。ゲッツェがボールを持つたびに、ブーイングが辺りを引き裂く。
人間の原初の感情がスタジアムを渦巻いていた。見せかけの戦術論や技術論は、もはや何の意味もなさない。しかしそれこそが、古代ローマの円形劇場から、現代のスタジアムに到るまで、観衆が劇場で表現してきたものなのかもしれない。
途中出場したゲッツェは期待を裏切らなかった。66分、ミュラーからのグラウンダーのクロスを、着実にトラップ、冷静にゴール左隅に突き刺した。プロ・フットボーラーとして着実に仕事をした。
そして意外にも、ゲッツェがゴールを奪ったあと、スタジアムを覆ったのは、沈黙、だった。バイエルンのゴール裏が沸騰し続ける中、ドルトムント側は、静寂に包まれた。不謹慎を承知で言わせてもらえれば、この世の物とは思えないブーイングを期待していただけに、少し拍子抜けした。
他ならぬゲッツェに決められて、ドルトムントの人たちは、明らかにショックを受けている。途中出場以来ゲッツェに向けられていた剥き出しの憎悪は、愛憎だったのだ。ゴールのあとの沈黙と静寂は、哀しみだったのである。
ドルトムントは時折カウンターで応酬したものの、85分にロッベンに嘲笑うかのようなループを、そして87分にはミュラーに息の根を決められて、勝負は決した。スタンドを離れる人が増えはじめた。それは勝利を諦めたというよりも、バイエルンのユニフォームを着てピッチに立つゲッツェをこれ以上見たくない、ただその想いのようだった。
圧倒的だった王者。中でも圧巻だったのは…
ゲームが終わると、バイエルンのゴール裏からは「スーパー・バイエルン」の声がこだました。バイエルンはドルトムントを圧倒した。もはや奇跡のチカラを借りずしてバイエルンを止められるチームはドイツ国内には存在しないだろう。
しかし何にも増して、このゲームで圧倒的だったのは、マリオ・ゲッツェという1人の選手がわずか47分の間に、観衆の奥底から喜怒哀楽の感情の全てを引き出したという事実だ。これを圧倒的と言わずに何と言えば良いだろう。
人はサッカーに何を求めるのか。ピッチの光景を鏡にして、いつもとは違う自分の姿を見たがっているところもあるのではないだろうか。そこでは日常では許されない何かが許される。メガネを掛けた女の子が、我をかなぐり捨てて暴言を吐いても、誰も咎めはしない。そしてそんな姿を観衆から引き出すのもまた、プロ、なのである。
その意味でも、この日マリオ・ゲッツェは紛うことなきプロ・フットボーラーだった。
ピッチに立つだけで、観る者からあらゆる感情を引き出すことが出来る――それもまた、限られたプロ・サッカー選手に与えられた、天賦の才なのかもしれない。
text by 本田千尋