蹴球探訪
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【首都スポ】日本が誇る桜色の翼 リオで翔ぶ! 五輪7人制ラグビー・山口真理恵2016年7月16日 紙面から
日本の翼がリオを翔ける!! リオデジャネイロ五輪の7人制ラグビー女子は8月6日(日本時間7日)から3日間の日程で行われる。五輪で初めて実施される7人制ラグビーに向け、特別な思いを持っているのが女子日本代表(愛称サクラセブンズ)のWTB山口真理恵(26)=ラガールセブン=だ。2009年に五輪競技に決定して以降、ユース世代の強化が進み、他競技からの転向者も激増した女子ラグビー界にあって、数少ない、五輪採用決定以前から日本代表でプレーしてきたベテラン。旧世代の苦難と新世代のハードワークをともに知るエースは、日本女子ラグビーの歴史を背負って初の夢舞台に突っ走る。 (文・写真=大友信彦) 「今までお世話になった人たちに喜んでもらえるのがうれしいし、一緒にプレーした選手たちと、五輪の舞台で再会できるのも楽しみです」 くっきりとした目が光った。サクラセブンズのトライゲッター。50メートル6秒7の俊足でトライを量産する日本女子のエースだが、彼女が発した何げない言葉には、女子ラグビーという競技と、山口真理恵という選手の歴史が詰まっている。 ラグビーと出会ったのは小2のとき。横浜市の実家の近所の公園で、家族で遊んでいたおじさんから「一緒に遊ぼうよ」と、タグラグビーに誘われたのが始まりだった。男子に混じってもひときわ光るスピードを誇り、トライを量産した。 「ラグビーでトライを取ると、仲間が一緒に喜んでくれる。かけっこで1等賞になるのとは違う喜びがありました」 やがて少女はラグビーの面白さに魅了されていくが…。7人制ラグビーの五輪採用決定は高校を卒業した後の09年。それ以前に、神奈川県だけでなく、全国に女子ラグビー部のある高校はひとつもなかった。 山口は女子のクラブチーム「フェニックス」で社会人と一緒にプレーし、クラブの練習のない平日は近隣の高校を訪ねては男子のラグビー部と一緒に練習させてもらった。まだ学校体育でも企業スポーツでも女子ラグビーが認知されていなかった時代に、いろいろな立場の人に支えられてラグビーを続けた。 そして、目は海外に向いた。 「高1のときにユースアカデミーでニュージーランド(NZ)に留学して、海外に魅了されたんです。NZでは朝から晩までテレビではラグビーばかり、スーパーマーケットではパンや牛乳と並んでラグビーボールが売られている。こんな国があるのかと(笑)」 高校卒業時も国内の進学は選択せず、1年間、留学準備の専門学校に通った上でオーストラリアに留学。シドニー代表やニューサウスウェールズ州代表にも選ばれた。 「うまい選手、強い選手と一緒にプレーすることで、自分の引き出しも増えました」 オーストラリアでは15人制、7人制のラグビーだけでなく、13人制のラグビーリーグでもプレー。いろいろなルールで、多様な背景を持つ選手とプレー経験を積んだ。 2年間の留学を終え、帰国すると、女子ラグビーの環境も変化していた。五輪採用を受け、女子ラグビーに力を入れる大学や企業チームが現れ始めた。山口は新たに生まれたチーム、ラガールセブンに加わり、チームでもNZやオーストラリアへの留学や遠征を経験。帰国直後に、日本代表から落選するなど挫折も味わいながらもやがて中心選手として定着した。 女子ラグビーが手作りだった時代から、地球をまたいで、第一線で戦ってきた−。そんな山口が、いよいよ夢の舞台に立つ。 6月には、自分の原点でもあるシドニーでサクラセブンズが合宿した。合同練習したオーストラリア代表には、シドニー時代のチームメートや対戦した選手がいた。 「次はリオで会おうねと何人かと話しました。今は毎晩、寝る前に、リオの表彰式でメダルを首にかけてもらう場面を想像しているんです。強く願えばきっとかなうと思うし、それだけの努力は重ねてきましたから」 年間200日にも及ぶ合宿を重ねて極限まで体を鍛え、走り勝つラグビーを作り上げたサクラセブンズ。仲間がつないだボールを受け、マリエがトライラインへ疾走する。 <山口真理恵(やまぐち・まりえ)> 1989(平成元)年10月22日、横浜市生まれの26歳。159センチ、58キロ。WTB。横浜市立汐入小2年のときにタグラグビーを始め、中学からラグビーに転向。高校時代に社会人クラブのフェニックスに参加し、U−23日本代表で香港女子セブンズ出場。2012年からラガールセブンでプレーし、14年ジャパンセブンズMVP。09年、13年と7人制ワールドカップ(W杯)出場。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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