ゴジラとアートと天皇制……オススメ本特集(7)「怪獣学・入門!」町山智浩 編(2016/07/20 Wed.)

イースター・モアイ鈴木です。

突然だが、「ムック」という出版形式は出版業界に置いても非常に特殊な地位を占めている。

読者の方々のなかにも、いわゆる「ムック本」と呼ばれる本がいったいどのような本のことを指すのか今ひとつ理解されていない方がいらっしゃるかもしれない。

Wikipediaの記事における文章を引用すると、「厶ック」とは次のように説明されている出版物のことである。

ムック(mook)は、雑誌と書籍をあわせた性格を持つ刊行物のことである。magazineのm-とbookの-ookの混成語、和製英語。

普通の雑誌と異なり、書籍としてISBNコードが付される。同時に雑誌コードも付されることもあり、その場合は「ムック誌」という雑誌形態別コードを用いて、6から始まる5桁の数字と号数を表す2桁の数字が使われる。流通上の扱いは雑誌コードが付くか付かないかで変わる。

簡にして要を得た説明である。またムック本の特徴については次のように書かれている。

ムックの特徴は大判でビジュアルを重視したことにある。

全国出版協会出版科学研究所の『出版指標年報 1985年版』では、1980年代前半までのムックの特徴として、以下の3つの点を挙げている。

  • 雑誌は基本的に出版社は在庫も持たないが、ムックは長期的に販売を意図して書籍のように注文に応じて販売がなされる。
  • 雑誌は返品期限があるため、書店に置かれる期間が限られるが、ムックには返品期限がない。
  • 内容は「増刊や別冊となる雑誌本誌と同じ内容のもの」「同じワンテーマに絞ったもの」「書籍と変わらないもの」の3種類に大別される。

さらに詳しい内容についてはリンク先の記事を参照していただくとして、要するにムックとは雑誌と書籍の中間的な刊行物であり、両者の「いいとこ取り」な出版形式であるとも言えるだろう。

代表的なものとしては「るるぶ」などの旅行誌などがムック本の代表例である。

僕はこの「ムック」という形式が好きだ。

むろん書籍ほどの内容の充実は望めないが、普通の雑誌に比べると記事の一貫性や内容の充実度が優れているということもあるし、それでいて雑誌のいい意味での「猥雑さ」も残しているということが独特の読書感覚を与えてくれるということもあるだろう。

さて、今回はそんなムック本のなかでも、90年代の特撮映画ファンに多大なる影響を与えたこの本を紹介してみよう。

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「怪獣学・入門!」町山智浩 編

平成4年  宝島社

別冊宝島もムックのなかでは大手のひとつだろう。政治問題からサブカルチャーまで様々な話題を深く掘り下げたマニアックなムックシリーズで有名だが、この本もまた非常にサブカル的、オタク的な色彩の濃い一冊となっている。

内容についてはタイトルの示す通り、怪獣映画・特撮映画に関する評論記事が多く寄稿された体裁となっている。

背表紙には「日本で初めて、一冊まるごと怪獣映画の本格評論!」という煽り文句が書かれているが、じっさいこの本は本邦における特撮映画評論の草分け的存在で、評論界だけでなく、なんと公式のゴジラ映画にまで影響を与えてしまったのだと言うのだから驚きである。それについては後の段で述べる。

今月末には東宝のによる久しぶりのゴジラ映画「シン・ゴジラ」の公開も予定されていることであるし、この本で日本の怪獣映画をおさらいするのも一興だろう。

先日公開されたゴジラの予告編第二弾。

編集の町山智浩は学生時代に編集した「ニューウェイブ時代のゴジラ宣言」(昭和60年)が増刷したことを評価されて出版業界にデビューしたことからも分かる通り筋金入りの怪獣映画評論家であり、宮崎勤事件の頃には「おたくの本」を刊行しベストセラーを成し遂げ、また「トンデモ本の世界」の編集にも携わるなど、日本のオタク文化・サブカル文化を語る上では避けては通れない一人であり、また北朝鮮による日本人拉致問題を追求するなど政治関連の記事でも名を馳せている。

編者について詳しく知りたい方は以下のリンクのインタビュー記事をご覧になっていただければよく判るだろう。

町山智浩、『宝島』ゴールデンエイジを大いに語る(津田大介の「メディアの現場」vol.44より)

本を開くと、次のようなカラー特集記事が目に入る。

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僕はこのページを見て、「ああ、この本はおもしろい本だ」と確信した。

「ウルトラ怪獣はモダン・アートの過激な実験場だった」

というこの特集は、ウルトラ怪獣をアートの文脈を切り口として論じるという特集で、これだけでこの本の意図が立ちどころに判るものとなっている。

キュビズム、ダダイズム、プリミティヴ・アート、オップ・アート、シュルレアリスム、アブストラクト、そして縄文美術。

ダダなどは判り易い例だが、ウルトラ怪獣の背後にはかくも豊かな現代美術への知見が隠されていたのではないかという論考は非常に刺激的で、知的な好奇心を煽るものである。

続いて目次をご覧いただこう。

★まえがきにかえて「ウルトラマン研究序説」を焼き捨てろ!

ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?

三島由紀夫『英霊の聲』と『ゴジラ』が戦後天皇制に突きつけたものとは何か

赤坂憲雄

ゴジラは、なぜ南から来るのか?

特撮映画に見る、南方ユートピアと大東亜共栄圏の残滓

永山靖生

怪獣の名前にはなぜ「ラ行音」が多いのか

神学としてのウルトラマン研究

呉智英

ウルトラマンは菩薩である!

仏教美術にウルトラ怪獣のルーツを見た!

みうらじゅん

ウルトラマンは、なぜ人類を守るのか?

〈ウルトラマン〉の甘えと矛盾

佐藤健志

金城哲夫をさがして

沖縄に消えたウルトラの星

會川昇

ウルトラマンにとって「正義」とは何か?

金城哲夫・上原正三・市川森一それぞれの怪獣、それぞれの正義

切通理作

ヌーヴェル・ヴァーグは「特撮」に実を結んだ!

佐々木守・内なる天皇制への挑戦

役名もなき名優たちに愛をこめて

大日本ファンタスティック映画紳士録

中島紳介

子どもはなぜ、怪獣が好きなのか?

治癒力としての怪獣の形象

村瀬学

バランとラドンはなぜ滅ぼされるか?

まつろわぬ民の末裔たちの反撃

赤坂憲雄

日本人は、なぜ自力で怪獣をたおせないのか?

ゴジラとウルトラマンーー通過儀礼なき日本に英雄神話はあるか

島田裕巳

蛮神殺しの系譜

本朝怪獣文学史序説

モダンアートの結晶としてのウルトラ怪獣

ウルトラ&万博世代の美術評論家が、ウルトラ怪獣をモダンアートのなかに位置づける!

持続としてのウルトラマン

『ウルトラマンG』インサイド・クロニクル

小中千昭

甘美なるオスティネート伊福部昭の怪獣映画音楽

諸石幸生

見てのとおり、執筆陣も著名な方々の名が連なっている。

表紙の文言にいわく「政治・宗教・民俗学……あらゆる視点で怪獣映画を解剖してみたら、戦後日本人の深層心理が見えてきた!」とあるが、その言葉の通りこの本が非常に政治的、民俗学的な文脈に沿って執筆されていることが目次からも明らかであろう。

まず先頭に来る「まえがきにかえて」だが、これがなかなかに過激な文面である。

なにしろこの本の編集意図は先に出た中経出版の「ウルトラマン研究序説」の内容に不満を覚えた編集部が、「ウルトラマン研究序説」へのあてつけとしてこの本を編集したというのだから、この本の攻撃性が窺い知れるというものだろう。

「ウルトラマン研究序説」が特撮映画へのおちょくり的な側面を持っていたのに対し、この本の執筆陣は本気で怪獣映画を愛し、論考している。その姿勢は徹底して真摯であり、私見では、本書の論考はいずれも高いレベルに達していると思う。

そのなかでも特に後の怪獣映画への影響力が大きかったのは、やはり最初の「ゴジラは、なぜ皇居を踏めないか?」という記事だろう。

これは川本三郎の「ゴジラはなぜ暗いのか」というエッセイで語られた「ゴジラ英霊論」を、三島由紀夫の「英霊の聲」との関連を交えながらさらに深化させた評論であり、のちの日本のゴジラ理解へ莫大な影響を与えた。

「ゴジラ英霊論」の趣旨は「ゴジラが皇居を踏めないのは、ゴジラが太平洋戦争において南太平洋で戦死した兵士たちの英霊の思念体であるからだ」というものである。

ゴジラが南から来るのは太平洋戦争の激戦地が南であったからであり、芹沢博士がゴジラの魂を鎮めるのに自らの命を贖いにせざるをえなかったのは彼が人間魚雷や神風特攻隊のメタファーであるからであり、そしてゴジラが皇居を踏めないのは、兵士たちに課せられた天皇制の暗い呪縛によるものである、というように、筆者は川本の論旨をまとめる。

赤坂は川本の論に一部で賛同しつつも「天皇制の呪縛」という点に関しては否定し、「英霊の聲」に言及しつつさらに論考を深める。

三島由紀夫の「英霊の聲」は、帰神の会において降臨した「裏切られた者たちの霊」の声を描いた小説である。

英霊たちにはふたつの英霊がおり、ひとつは二・二六事件において逆賊として処刑された将校たちの魂であり、またもうひとつの英霊ら神風特攻隊の魂である。

彼らは神なる天皇への至純の恋を語り、天皇のために自らの命を捨てた。だがそれにもかかわらず、彼らが信じた天皇は「人間宣言」をして人間となってしまった。

などてすめろぎは人間となりたまひし。

彼らは呪詛の声とともに去っていく。

赤坂はゴジラの精神とはこの英霊の声なき声であるとする。そしてゴジラとともに生贄として死んだ芹沢博士を、三島事件において割腹自殺を遂げたその後の三島由紀夫の人生をダブらせる。だがそれでも鎮魂は果たされず、ゴジラは何度も日本に上陸し、声なき声を発し続ける……。

この評論の影響力がいかに大きなものであったかは、2001年に公開された金子修介によるゴジラ映画、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(特撮ファンにはGMKという略称で知られる)」を観ていただければ判ることだろう。

この映画における金子修介のゴジラ観は、まさに川本・赤坂の「ゴジラ英霊論」をそのまま映画へと発展させたものとなっており、この映画は特撮ファンのあいだでは「メタ」な視点で描かれたゴジラ映画として、全ゴジラ映画のなかでも特異な位置を占める作品となっている。

「GMK」と本書の関係については金子修介自身も認めており、編集の町山智浩自身が「GMK」の解説で本書の名を挙げている。

町山智浩による解説動画をここに引用しよう。

なお〈復習編〉は本作のネタバレを含むため、映画視聴後にご覧になることをオススメする。

「GMK」へ本書が与えた影響は他にもある。この映画におけるバラゴン・モスラ・キングギドラは護国三聖獣という日本の古代の神獣だ。

これは古代日本の大和朝廷において朝敵として滅ぼされたまつろわぬ民たちの怨霊神としての側面をもっており、これは「バランとラドンは、なぜ滅ぼされるか?」や「蛮神殺しの系譜」の論旨と共通する部分が多い。金子監督がいかに本書の影響を受けたか容易に想像できるというものだろう。

そもそも金子監督の特撮映画に民俗学的な要素を絡める作風は、代表作である平成ガメラシリーズにまで遡る。

平成ガメラシリーズは昭和ガメラシリーズとは一線を画したハードでリアリティ溢れる作風から、怪獣映画の歴史を塗り替えた作品として特撮ファンから絶大な支持を集めており、また今度の「シン・ゴジラ」の監督である樋口真嗣の特技監督としての代表作としても知られる(以下、平成ガメラシリーズのネタバレとなる記述を含む)

平成ガメラシリーズにおける古代文明アトランティスの生物兵器であり、また完結編である「ガメラ3」では古事記などでも語られる三種の神器、すなわち勾玉、剣、鏡などを象徴的に登場させている。

また朝倉という「日本国の根幹に通じている」とする謎の女が登場する(作中でその日本国の根幹が何のことであるかは明言されないが、彼女の立場の巫女的な性格を考えると、その正体は自ずと想像できるだろう)。

古代アトランティスの文明と日本国の中枢が繋がっているという構図はどこか「ゴジラはなぜ「南」から来るのか?」にある同じく海に沈んだ文明とされるムー大陸の人間が日本人であるという説を連想させるものがある。

平成ガメラシリーズが始まったのは平成7年の「ガメラ  大怪獣空中決戦」からであり、本書の出た3年後となっている。

本書が出た時点で最新のゴジラ映画は「ゴジラvsキングギドラ」であり、この作品は未来人のタイムトラベルを軸にしたSF作品となっていて、本書のように民俗学的な色彩の濃い怪獣映画があまり見られなかった時代だ。平成ガメラシリーズの時点で金子のイメージの源泉が本書にあったのではないかと想像するのは難くない。

さて、金子監督の怪獣映画に関する話題でかなり文章を費やしてしまったが、むろん本書で語られる怪獣映画論はそれだけではない。

怪獣のおもちゃと心理学における箱庭療法について紹介し、子供の精神世界における怪獣像を炙り出そうと試みる「子どもはなぜ、怪獣が好きなのか?」

ウルトラマンにおける科学特捜隊がウルトラセブンにおいて地球防衛軍となったことで戦争ものとしての色彩が濃くなったという指摘や、戦後民主主義とナショナリズムの混乱を交え、ウルトラセブンを在日米軍になぞらえてそれに頼り切る日本人を〈甘え〉であると断罪する「ウルトラマンは、なぜ人類を守るのか」

天皇制こそが諸悪の根源であると断言した佐々木守の思想を軸に、全共闘世代の「松竹ヌーベル・ヴァーグ」のメンバーであった佐々木守や実相寺昭雄の個人史を述べ、ウルトラマンという超越的存在を天皇制と同義であるとしてウルトラマンを作りながら果敢にウルトラマンへのアンチテーゼを打ち立てようとした「ヌーベル・ヴァーグは「特撮」に実を結んだ!」

「ダダ」のダダイズムと「ブルトン」のシュルレアリスム、ミイラ怪獣ドドンゴに縄文ユートピアを見出し、「秘密の動物誌」のコンセプトを怪獣のデザインと同等とする目から鱗の評論、そして岡本太郎による太陽の塔とウルトラマンとの類似から大阪万博をモダン・アートの総決算であったと結論づける「モダンにアートの結晶としてのウルトラマン」

などなど。

これらを見て気がつくのは(当然といえば当然のことながら)本書で語られる政治的主張は決して一枚岩ではないということだ。即ち本書全体を見渡せば、本書は政治的には中立的な立場をとっているのである。

さて、本稿はこのあたりで筆を置くが、このオススメ本特集の通例では最後に記事で紹介した本のamazonリンクを提示するのが通例だったが、しかしムックという特殊な出版形式のためか、この本のamazonページは残念ながら見つけることができなかった。

他の通販サイトも見て回ったが、20年以上前の本ということもあって本書は軒並み品切れ状態であり、恐らく現在では入手困難であると考えられる。

したがってこの本の入手手段は読者の皆さんの各自で考えていただきたい。自分は古書店に根気よく足を運んで見つけることができた。

また本書の第1刷には有名なウルトラセブン12話(被爆者団体に抗議を受け永久欠番となったもの)に関する記事もあったそうだが、自分の所持しているものは第4刷で、残念ながら該当記事は見つからなかった。

一説によると円谷プロの抗議により記事もまた12話同様にお蔵入りになったという話である。