ふくおか神社てくてく

福岡の神社や史跡を回って伝承や地名の由来等をノート的に書きます。全体的に諸説あるのでソースにしないで下さい。

【昇町八幡宮】春日市昇町

御祭神は応神天皇、白水八幡宮の摂社です。
昇町の地名の由来は福岡藩の御旗組八軒の移住で「幡町」としたとされる。
通りに面した丘の上にあります
20年前はあまり、建物がありませんでしたが
最近は賑やかで、神社周辺は今も開発が続いています。

【悲運の城安楽平城】ノート11《大友勢の衰退》

弘治三年(1557年)毛利元就が大内義長を破る、弱り目に祟り目で大内方の原田隆信(高祖城)らが寝返っちゃう。筑前バトルロイヤル開始。

永禄元年(1558年)「皆の衆、大博打の始まりじゃぁ」とばかりに我らの小田部鎮元も細川若狭守(金武城)を倒す。
(安楽平城から見る西区方面)
永禄11年(1568年)小田部鎮元の兄貴、松浦鎮信(長崎県平戸)が龍造寺隆信から攻撃を受ける。「兄貴に何しとんじゃあ」とばかりに兄救出に向かう鎮元だったが思いっきり返り討ちにあってコテンパンにされて退却。 

永禄12年(1569年)「チャンスでござる」とばかりに弱った小田部鎮元を原田隆信(高祖城)が攻撃。

そ・し・て

運命の天正六年(1578年)「日向耳川の合戦」で大友軍5万と島津軍4万が激突。大友軍が敗走し、衰退。勢いに乗ったドリ…い、いや島津軍は二日市神社のご神木を切り倒そうとするわ猪野大神宮のご神体盗むわで大暴れ。

弱った大友軍を龍造寺が追い打ちで攻撃開始、次々と大友の家臣は寝返った為に岩屋城(太宰府)の高橋紹運、立花城(立花山)の立花道雪、鷲が岳城(那珂川)の大鶴宗雲、安楽平城(早良区)の小田部鎮元は龍造寺・島津に囲まれる形となりました。

蜀の姜維、新撰組土方歳三ばりに義を貫く男たちは悲運の道を辿るのでした。 
ギャラリー
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