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【芸能・社会】巨泉さんアッパレがん闘病11年 「最後は眠ったまま静かに旅立った」2016年7月21日 紙面から
12日に急性呼吸不全で死去した大橋巨泉さんの妻寿々子さんが20日、「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげてください」とするコメントを発表した。 寿々子さんによると、巨泉さんは2005年に胃がんの手術を受けた。その後、中咽頭がんや腸閉塞(へいそく)などで手術や放射線治療を繰り返してきた。 寿々子さんは「皆さま方もよくご存じのように、自他共に許す“わがまま”」な巨泉さんが「約11年間の闘病生活を勇敢に闘ってきました」と報告。「特に4月からの3カ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました」と、夫をねぎらった。一方で死因について、医師から「最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と説明を受けたとし「一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与がなければと許せない気持ちです」と治療を批判している。 6月には体力の衰えが見え始め、「最後は眠ったまま静かに旅立った」という。「たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います」 永六輔さんの訃報はショックの大きさを考えて伝えてなかったという。 寿々子さんは1969年に巨泉さんと結婚。50年近く共に歩んできた。「皆さまから優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まり、お話しできなくなる」ため、インタビューを受ける代わりにコメントを発表したとして、ファンや友人、家族に感謝している。 ◆小倉アナ「私の師匠。こんなに早く…」フジテレビ系の情報番組「とくダネ!」のキャスターをつとめるフリーの小倉智昭アナウンサー(69)が20日、同局を通じてマスコミ各社にファクスを送付し、巨泉さんを追悼するコメントを発表した。 小倉アナは15日に訃報を聞いたそうで「覚悟はしていたのですが、私は、相当、うろたえました」と、その時の心境を振り返った。29歳でテレビ東京を退社しフリーに転身。以後40年、巨泉さんの事務所に所属しているだけに「巨泉さんは、私の師匠でしたし、恩人でもありました。まさか、こんなに早く、巨泉さんとお別れする日が来るとは、思いませんでした」と悲痛な胸中をのぞかせた。 18日の通夜に参列して遺体と対面し最後のお別れをした。巨泉さんに「長年、ありがとうございました」と感謝し、話し掛けたという。40年前、競馬場で巨泉さんから事務所入りを勧められた時のこと、小倉アナ夫婦の結婚式で媒酌人をつとめたこと、東京都内に焼き肉店をオープンした際、バックアップの言葉をかけてくれたことを回顧。「亡くなって数日たちますが、私の中に巨泉さんが居ればありがたいと感じています」と現在の胸中を明かし、「師弟関係だから、まだまだ巨泉さんには到達できません。40年間、いままでありがとうございました」とあらためて天国の巨泉さんに感謝した。 ◆芸能界から悼む声続々▽タレントうつみ宮土理(72) 「大橋巨泉さんは(亡き夫の)愛川欽也にとって良きライバルであり、友人だった。2人は同い年で『11PM』を巨泉さんが月曜日、金曜日、キンキンが水曜日と生放送でやっていた。当時の2人の大人のトークは、中学生、高校生の男の子たちがこっそりと親の目を盗んで見ていたものだった。キンキンの葬儀の弔辞を巨泉さんが読んでくださった。あたたかく切なく友情にあふれたものだった。昭和のトークの名人がまた1人、消えてしまったんですね。御冥福をお祈りいたします」 ▽「11PM」でアシスタントを務めた松岡きっこ(69) 「子役出身の私がタレントとして仕事ができるようになったのは巨泉さんのおかげ。巨泉さんは本番の10分前ぐらいにやっとスタジオに入るので大丈夫かと思ったが、本当はとても綿密な打ち合わせをしていた。遊んでいると見せかけて、実は勉強家で努力の人」 ▽「クイズダービー」などに出演した女優竹下景子(62) 「『クイズダービー』で17年間、『ギミア・ぶれいく』でもお世話になりました。結婚後は家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。息子たちも巨泉さんが大好きで、『クイズダービー』を見ては『ボクのおともだち』と言ってましたっけ。巨泉さんの周りにはいつも楽しい人の輪があって、芸能人、アスリート、文化人、ジャンルを問わず本当に多くの出会いがありました。今も私の宝物です」 ▽コメディアン萩本欽一(75) 「テレビの新しい可能性を見いだしたパイオニアで、みんながその才能を使いたがった。巨泉さんがテレビで普段使っている言葉がそのまま流行語になった。「欽ドン!」の「ばかウケ」も実は巨泉さんの言葉。競馬やマージャンまでテレビにしてしまい番組の幅を広げた。今のテレビは巨泉さんが開拓した道を継承している」 ▽漫画家藤子不二雄(A)さん(82) 「巨泉氏とはもう40年のつき合い。仕事上の接点はなかったが、ひょんなことから知り合いになった。『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造のモデルは彼。あの体形と独特な顔ね。性格はまったく違うけど。本人に言ったら『またあ、僕を使って』と笑っていた。巨泉氏はとにかくゴーイング・マイウエー。妥協せず自分の人生を貫いた人」 ▽俳優石坂浩二(75) 「誠に言葉がないというのでしょうか、無念の思いでいっぱいです。ヨーロッパの美術館めぐりをもう一度とおっしゃっていただいていたのに、ついに行かれなくなってしまいました。たくさんの巨泉さんの姿と言葉が頭の中をめぐっています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたいと思うのです」 PR情報
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