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【芸能・社会】大橋巨泉さん逝く 82歳 急性呼吸不全2016年7月21日 紙面から
「11PM」や「クイズダービー」など人気テレビ番組の司会者として親しまれ、「はっぱふみふみ」などの流行語を生んだタレントで元参院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。所属事務所が20日、マスコミ各社にファクスで発表。82歳。東京都出身。葬儀・告別式は親族のみで行った。喪主は妻寿々子(すずこ)さん。後日、しのぶ会を開く予定。 今月7日に死去した放送タレント永六輔さんに続き、またも放送界を支えてきた大物タレントが世を去った。 巨泉さんは2005年6月に胃がんの手術を受け、13年11月にはステージ4の中咽頭がんを発症。所属事務所によると、3回のがん手術と4回の放射線治療を受けたが、昨年11月に発症した2度にわたる腸閉塞およびその手術による衰弱、さらに今年4月に受けた在宅介護の医療機関のモルヒネ系鎮痛剤の誤投与により極端な体力の減退に陥り、4月11日に緊急入院したという。 巨泉さんはこの間、14年11月に3度目のがん発症を週刊誌の連載コラムで公表。今年4月から同コラムを休載し、6月末を最後に終了していた。 巨泉さんはジャーナリストを志して早大政経学部新聞学科に入学。中退してジャズ評論家として名を上げた。テレビの音楽番組などの構成を手掛けた後、1966年にお色気路線の深夜情報番組「11PM」の司会者に。硬派なテーマを扱う傍ら、マージャンや競馬、ゴルフなどの娯楽を解説して大人の視聴者の支持を集めた。 「お笑い頭の体操」、故前田武彦さんとコンビを組んだ伝説的お笑い番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」をはじめ、自ら番組の構成に関わる司会者として活躍。「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」「巨泉のこんなモノいらない!?」など多くの番組を手掛け、ウイットにあふれた小気味よい語り口でお茶の間の人気を集めた。「野球は巨人、司会は巨泉」「はっぱふみふみ」などの流行語も生んだ。 90年に、完全には引退せず適度に仕事をする「セミリタイア宣言」で話題に。2001年、参院選に当時の民主党から比例代表で出馬し当選したが、党運営に対する不満から半年で辞職した。 海外で事業も展開、晩年はオーストラリア、カナダに居を構え、季節ごとに生活拠点を移す生活を送った。著書に「巨泉 人生の選択」「ゲバゲバ70年!」など。 ◆「はっぱふみふみ」「ボイン」名フレーズ生んだ死去したことが20日明らかになった大橋巨泉さんは、テレビの中から強烈な印象を残す言葉を数多く発信してきた。 「みじかびの、きゃぷりてぃとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ」。このパイロット万年筆のCMで唱えた短歌調のフレーズは、大橋さんのアドリブから生まれた。CMはたった3カ月間の放送だったが、ナンセンスな造語が若者の間で流行し、万年筆は大ヒット。ボールペンに押され不振だった社業の再建につながったという。 また、「11PM」でコンビを組んだ朝丘雪路の豊満な胸を音感語で「ボイン」と表現。大橋さんは自著「ゲバゲバ70年!」で「ボクの造語では『はっぱふみふみ』が有名だが、自分ではこの『ボイン』がうまいと思っている」と振り返っている。 このほかにも、ハウス食品のインスタントラーメンのCM「なんちゅうか、本中華」、「クイズダービー」でおなじみ「倍率、ドン!」などは、テレビ黄金期を過ごした世代にとって、あの優しい笑顔とともに深く記憶に刻まれているだろう。 ◆徹子&永六輔さん 貴重な3ショット巨泉さんは、7日に亡くなった永六輔さんと今年2月4日に放送されたテレビ朝日系「徹子の部屋」(月−金曜正午)に出演し、司会の黒柳徹子(82)とスリーショットを披露。巨泉さんと永さんがゲスト出演した番組は、巨泉さんの追悼でこの日、緊急に再放送された。 関係者によると、収録は今年1月下旬に東京・テレビ朝日のスタジオで行われた。3人は旧知の仲であり、30分ほどの収録は和やかに無事に進行したとか。巨泉さんも永さんも病と闘っていたが黒柳のために駆けつけたという。 ◆コンタクト使用…黒縁眼鏡はダテ<評伝> 大橋巨泉さんが草創期のテレビ界に身を投じる契機となったのは、日本テレビの音楽番組で流されるジャズの訳詞だった。これ以降、草笛光子さん主演の歌謡バラエティーショー「光子の窓」を皮切りに、石原裕次郎さんが初めてレギュラー出演したトーク番組「今晩は裕次郎です」などの台本を書きまくり、構成作家としての地歩を築いた。 1965年に放送開始の「11PM」には、企画段階から参加。報道中心で堅さの目立った番組のテコ入れで始まった「巨泉のなんでもコーナー」では、テレビでタブーとされていたマージャンや競馬の話題を採り入れて大きな反響を呼んだ。 翌66年、司会に大抜てきされ、豊富な知識や当意即妙のやりとりで人気となり、20年間も続けた。強度の近視だったが、後にトレードマークとなる黒縁眼鏡は当時、レンズのないダテ眼鏡でコンタクトレンズを使用していた。 難しいことを易しく語る「平易に叙す」をモットーに、政治からストリップまで幅広いジャンルを扱い、硬軟自在に番組を進めた巨泉さんは「『仕事をしたら遊びましょう、遊ぶ方法は僕が教えます』というのがスタンスでした」と話していた。 「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」では、井上ひさしさんら当代の一流放送作家が練り上げたギャグやコントを実力派俳優が次々に演じる斬新さで脚光を浴びた。説明やセリフを排し、見るだけで笑える作り。「台本通りにやってくれが根本理念の番組でした」と述懐していた。 番組作りで最も重視していたのがキャスティングだった。「僕が1人で考えた番組」と自負していた「巨泉のクイズダービー」では、回答者に漫画家、大学教授を起用。「実は大学教授より漫画家の方が何倍も物を知っているという意外性を狙った人たち」と得意満面だった。 NHKの人気バラエティー「夢であいましょう」を手掛けた永六輔さんを「神」と呼んで敬い、この番組から多くを学んだという巨泉さん。「テレビが家庭の王様だった時代に、自分なりの番組作りができたことに、誇りと満足感を持っている」と明かした。 中学生時代に始めた句作のほか、趣味のジャズやゴルフ、ギャンブルなどさまざな分野で多芸多才ぶりを発揮。口八丁手八丁のマルチタレントは、晩年も特定秘密保護法の成立を手厳しく批判するなど「権力」への批判精神を貫く気骨も併せ持っていた。 (安田信博) <大橋巨泉> 1934(昭和9)年3月22日生まれ、東京都墨田区出身。66年「11PM」で司会者デビュー。テレビ以外でもマルチな才能を発揮。競馬評論家の顔も持ち、馬主となったこともあった。56年にジャズ歌手マーサ三宅と結婚し2女をもうけたが64年に離婚。2女はジャズ歌手の大橋美加、チカ・シンガー。タレントの大谷瑠奈は孫(美加の娘)。69年に14歳年下で当時アイドルだった浅野順子(寿々子夫人)と結婚した。 PR情報
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