ドイツ、難民の間で広がるキリスト教への改宗

ドイツで広がる難民の改宗 信条の自由を保障する国における個人的な試み

 

 

難民危機がはじまった当初から、ドイツの教会はボランティアとして、難民に対する物資と精神的な援助を行ってきた。一部のイスラーム・コミュニティでは、このような支援が難民に影響を及ぼし、彼らイスラーム教徒のキリスト教への改宗を推進するのではないかという危惧を示している。そうした危惧を招くようなことがあるのだろうか?

 

最近発表されたいくつかのドイツの報道レポートでは、イスラーム教徒の難民のキリスト教への改宗現象が取り上げられている。中でもドイツ・テレビのチャンネル1のレポートと雑誌「フォーカス」の記事は、イランやアフガニスタン、パキスタンからの難民申請者の数名に対する洗礼の様子を伝えている。これら二つの報道が予測するには、このように改宗が推進される背景には、難民資格を得るチャンスを上げるためという期待感がある。

 

 

教会は新来者たちを迎え入れる

 

ケルンの西にあるケーニヒスドルフの町のカトリック教会が所有する古い修道女宿舎を訪れると、ある30代の女性が私〔記者〕に扉を開けてくれた。彼女はクルド人難民で、教育を受けておらず、7児の母でもある。グーンシャという名のその女性は、簡単なアラビア語で、教会が彼女と彼女の家族に施してくれた支援に対して、感謝と恩義の気持ちを表した。彼女はDWアラビック〔訳注:ドイツの国際放送局DW/ドイチェ・ヴィレのアラビア語版〕に対してこう述べた。「夫と7人の子どもを連れてドイツに着いてから、まだ5か月しか経っていません。私たちは何も持たずに逃げてきましたが、この教会が必要なものが全て揃っているこの家を私たちに提供してくれました。」

 

グーンシャ氏の家族や同様の新来者たちは、〔難民の〕登録をしていない。彼らはたいてい、ドイツに到着した直後から支援を求め教会に身を寄せる。このようにして、難民と教会および教会に属する諸団体との関係が築き上げられる。

 

私はケルンの西のフレッヒェンにあるカトリック教会へ場所を移した。ライン地区にある最も歴史あるローマ・カトリック教会である。そこで私は、難民に提供される社会サービスについてより詳しく知るため、アレックス・クリストフ・ディーリッヒ氏と、何人かの難民支援・援助プログラムの代表者たちと会った。

 

アレックス・ディーリッヒ氏は、そうした支援プログラムが提供する最も重要なサービスについて、DWアラビックに以下のように語った。「我々が互いに協力して提供しているサービスの中で最も重要なものは、言語の講習会です。これは、教会の中の移民事務所で行われます。もう一つの活動は、ドイツ市民と難民との間の“互いに知り合う、わかり合うカフェ”というものです。それに加えて、修道女たちが難民に食べ物と衣服とサービスを提供するという活動もあります。」

 

教会と協力して活動を行う「一緒に、そしてお互いのために」活動の代表者であるユルゲン・フォーズン氏は、「互いに知り合うカフェ」こそが支援活動の中でも最も重要なプログラムであると明言した。この活動は、毎週この地域の様々な教会で開催され、その目的は、新しくやって来た新来者たちとドイツ人が互いに知りあう機会を創ることにある。

 

 

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お互いの恐れと疑い

 

この〔教会を通じた難民支援プログラム〕活動の雰囲気と難民たちの印象について、今回の取材の調整責任者であるマリアン・ハンケ氏は、DWアラビックにこう語った。「最初、一部の難民たちの表情に恐怖や不安の徴が現れていることに気づきました。特に活動は教会の中で行われているので、彼らの多くが初めて教会に入ることに対して、不安に思っていることは明らかでした。しかし初めてのミーティングでは、大変良い雰囲気になって、お互いに良い印象を残すことができました。」

 

ハンケ氏が語ったこの恐れは、イスラーム・コミュニティ内部の一部の難民たちの間で続く論争の中でも明らかになってきた。特にドイツのメディアがこの問題を、イスラーム教徒難民のキリスト教への改宗と結びつけて報じてからは一層顕著になっている。

 

イスラーム学の研究者であり、モスクにおけるイマーム養成責任者でもあるアリー・オズディール氏は、教会の支援を一般にポジティブなとらえ方をしている難民がいることを認めつつ、モスクも支援活動を行ってはいるが、教会に比べてできることは限られていると述べた。彼はこう付け加えた。「キリスト教への改宗問題について、イスラーム・コミュニティの内部ではキリスト教徒の側からの布教の試みに対して批判の声が上がっています。しかし、そこには重要な問いもあります。キリスト教徒に改宗した難民たちは、そもそもそれ以前には熱心なムスリムだったのでしょうか?」

 

そしてさらにこう付け加えた。「恐れや疑いの気持ちは、イスラーム・コミュニティの中だけではなく、教会の中にもあります。難民たちがキリスト教を受け入れることの決定の信頼性を疑う声も上がっています。教会は、難民たちが難民申請に関してより良い機会を得ることを望んでいるということは前から知っています。つまり、ここでは宗教は、目標を実現するための手段となってしまっているのです。」

 

 

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信仰と信条の自由を保証する国における個人の試み

 

教会は、社会の中での意見や立場の形成に重要な役割を果たしている。アレックス・ディーリッヒ氏の言葉によれば、教会は、難民支援に加えて、ドイツ人の間に難民を歓迎する文化を促進することや、様々な国々からやってきた新来者が抱く恐れを取り除くことに尽力している。アレックス氏は、キリスト教への改宗について難民たちからの個人的な試みがあることを否定しない。しかし彼はこうも述べた。「改宗に至るまでの道のりは長いのです。難民の方々が改宗を決めた後、最初にその本当の動機について追及します。それは難民資格や滞在許可を得るためだけなのか、それとも心からの望みなのか、ということが問題です。」

 

さらにこう付け加えた。「個人的には、私はこの教会でキリスト教に改宗したいと申し出る難民を見たことがありません。しかし、私は常々この問題に関しては注意深く対処した方が良いと思っています。一部の人たちが考えるほど、事態はそう簡単なものではありません。また、本当の動機が明らかになれば、行わなければいけないことがたくさんあります。まず、ドイツ語を学ばせ、キリスト教という宗教について説明し、改宗に際しての障害を明確にしなければいけません。しかし、我々のここでの目標はあくまで支援であり、難民を信徒として獲得しようしているわけでありません。」

 

ドイツのドルトムント市に滞在しているシリア人ムスリム青年のソフィヤーン・ハリール氏によれば、彼自身や同じくムスリム難民である友人たちは教会のいかなる立場の人からも改宗を勧められたことはなく、彼らに対する教会の支援は、一定の条件に従ったものであると感じている。ソフィヤーン氏はDWアラビックにこう語った。「ヨーロッパに避難しはじめた当初は、自分たちは死の波によってヨーロッパ海岸に打ち付けられるか、自分たちの教義や宗教上の思想を失うことになる、などと想像していました。けれど、ここに来てみると、教会が宗教の異なる人々に対して積極的な役割を果たし、ドイツ政府と同じように、難民への支援や保護、困難な状況を緩和する活動を行っていることに驚きました。」

 

ソフィヤーン氏は、キリスト教に改宗する人を何度か見たことがある。彼の意見では、それは、より良い生活とより早いドイツ社会への参加という特権を得るための個人的な事情である。「宗教と信条の自由を保障する国では、教会は、こうした個人的な改宗の試みに対して責任を持たないのです」と彼は言う。

 

 

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ソフィヤーン氏は、キリスト教への改宗を勧める試みに晒されていることを否定した。しかし、特別な事情を口にする他の難民たちもいる。それは、たとえばイランやアフガニスタンから来た人々である。彼らには、宗教政権からの逃避や母国における非人道的な扱いなど様々な動機がある。

 

アディーブ氏(24歳)は、シリアのアレッポ市出身のムスリム青年であり、彼もまた教会の支援活動の受益者である。彼は、知り合いのイランやアフガニスタン出身の難民たちの経験と彼らのキリスト教への改宗の動機について、こう語った。「一部のイラン人やアフガニスタン人のキリスト教への改宗の背景にある動機は、滞在許可を得ることではありません。彼らがドイツの人々から施してもらった、人道的な待遇が理由なのです。」

 

 

数々のよく似た話

 

ベルリン近郊のとある教会で、何人かの難民申請者の洗礼の儀式が行われた。ヌーリーはその中の一人だ。ヌーリーは30歳のイラン人青年で、キリスト教への改宗の動機はドイツに残る可能性を高めるためであることを否定する。彼はDWアラビックに対してこのように語った。「キリスト教は私にとって新しいものではありません。私はイランでムスリムとしての生活は送っていませんでした。お酒を飲んでいましたが、聖典〔クルアーン〕も持っていました。」自ら納得して改宗を決意したこのイラン人青年は、さらにこう付け加えた。「自分で始めたことは最後まで成し遂げたいと思ったのです。」

 

このような話題について語ることを完全に拒む難民たちもいた。語ってくれた人たちもまた、自分の身元を明らかにすることを拒んだ人はもとより、イランにいる家族に悪いことが降りかかることを恐れていた。そのため、洗礼の儀式や誓約書に本名が用いられないことがある。

 

これら難民たちが語る話のほとんどは似た点を示している。それは、彼らの言葉によれば、彼らがもともとイスラーム教の原則に従ってはいなかったということだ。「私たちは宗教的な義務行為を行っておらず、イスラームの教えに従っていませんでした」と、あるイラン人の28歳の難民は語った。また、同じくイラン出身のもうひとりの難民はこう述べた。「イランでは宗教は束縛により支配されていますが、ここではそのような束縛は一切ありません」。(Deutsche Welleより)

 

 

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al-Quds al-Arabi紙(2016年07月11日付 )/ 翻訳:阿部光太郎

 

■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。

 

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