モノを持たない理由は3つの自由にある
以前までの私は、買い物大好き、物欲全開で生きていました。
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稼いだら使う、遊ぶために働く、富むために生きる。
そんな感じです。
今の私は、極力モノを持たずに生きていきたいし、生きる上でそんなに多くのモノは必要ないと思っているのですが、モノと向き合う上では、3つの自由があると考えています。
1.精神的自由
モノが多すぎて使おうとするたびに見つからずに探す手間、家の中がグチャグチャで落ち着かない、片付けられないことへの心理的なプレッシャー、自己嫌悪など、こうした精神的自由から解放するのに、いっその事全部手放してしまえ、という発想はとても便利です。
片付けられないからこそ、「ずぼらだから、モノを捨てました」という話もよく耳にします。そして新築マンションや高級なクルマ、ブランドバッグなど、人と比べて心の中で勝ち負けや優劣をつけて消耗しないという利点もある。
モノを減らすことで、そうした精神的競争から良くも悪くもドロップアウトすると、モヤモヤが晴れたりすることも。
2.経済的自由
「モノを沢山持っていることが裕福で幸せな条件である」という世間一般の考え方に疑問を持ち、所有することの定義を見直すと、お金がかからなくなることも多い。
お金がかからないということは、好きではない仕事を無理に続ける必要がなくなり、退職したり、転職したり、本当に好きだった仕事をしたり、必要な範囲で小さく暮らすという選択肢が増えたりもします。
使えるお金は少なくなっても、使うお金も少ないから経済的に自由でいられるという発想ですね。
3.物理的自由
モノが少ないと、まず住居の占有面積が少なくて済む。使わないモノに無駄な家賃を払わないこと、なんて聞いたりもするけれど、物理的に自由なスペースが増える。なんにもない部屋で友達を呼んでもいいし、家の中で自由に好きなことができる(先日書いた家フェスもその1つだ)。モノがなければ模様替えや引っ越しも楽々できてしまう。
そして、極論をいうとトランクケース1つ、バックパック1つで旅ができればボヘミアンでノマドな放浪生活だってできるはず。
物理的に限られた「今、ここ、この空間」に自分を留めておく必要がないというのは、どこにだって行けるという自由で、これは精神的自由につながっていきます。
3つの自由とトライアングルはあなたが決める
この3つの自由。
モノを手放すことこそが、最高の三角形を作る唯一の方法かというと、決してそうではないと私は思います。
モノが多くても整理収納が得意なら、部屋が汚くて精神的にげんなりすることはないし、好きなことをしながら苦もなくお金を稼げれば、経済的自由人でいられます。
沢山の所有物に囲まれても、それを収容するだけの家や部屋があればモノを捨てなくても物理的な自由は手に入るし、トランクルームや別荘にモノを預ければ、「The清貧」な生活なんてしなくても、どこへだって旅出来るじゃないかという人もいるかもしれません。
つまり大事なことは、この三角形の中の「どの点」に自分がフォーカスして、どこを改善したいのか理解すること。そして、このトライアングルをできるだけ大きくしてバランスをとるのか、小さくして整えていくのか、自分にとって適した方向性を定めることなんじゃないかと思う。
大きくてイビツ、小さいけど無骨。そんな現状の不格好な三角を、どうにか必死に重心をとって傾けてみたり、隣の人を見よう見まねしたりするけれど、なかなかうまくいかなくて、もがき苦しんで。
気づけば、笑えるほどアンバランスなトライアングルに失笑しつつ、そのカタチを変えようと必死になるあまり、すっかり俯瞰で見ることを忘れてしまっていた。
そんな自分に気づいて、私は「所有する」という点においては、三角形を小さくしていきたいと思ったのです。
そして、自分なりに小さく整えたら、身体だけは身軽に、このトライアングルを颯爽と飛び出したいなぁ…なんて思いながら。
いずれにしても、正解なんてない。
そのトライアングルを大きくするか、小さくするか自分自身で決めればいいだけのこと。ただ、それだけなんですよね。
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