『オープンダイアローグとは何か』

日本の精神保健システムの過去と未来を考えさせる本

---------------------------
オープンダイアローグとは何か  斎藤環著+訳  医学書院
---------------------------

 オープンダイアローグとは、医療チームが患者・家族と対話をするだけで、薬を使わずに統合失調症が治ってしまうという、夢のような治療法だと聞き、本当だろうか?と思っていた。精神神経学会で、この治療法が注目を集めているとの噂を聞き、さっそく斎藤環氏の教育講演に参加し、本書も読んでみることにした。
 斎藤氏は講演で、反精神医学と誤解されているのではないか、としきりに心配しておられた。電話で相談があれば24時間以内にスタッフが自宅などに集まって患者・家族と共に対話し、これを何度でも繰り返すという治療方法、薬物療法への両価的な姿勢、そして背景にあるポストモダン思想。これらを聞いて、筆者が真っ先に思い出したのは、噂に聞く、大学紛争時代の診療である。(この治療の中心人物であるセイックラ教授も、かつて過激派の学生だったというから、あながち的外れでもなさそうだが。) 一世を風靡した大学紛争後、闘士の先生方が“自主管理”を続けていた東大精神科病棟では、患者から電話が来たらいつでも受け、少しでも長くそれを聴くことが良しとされ、患者の希望に応じていつでも「仮泊」と称して泊めていたと聞く。もちろん、仮泊であるから、“退院”も自由である(これに対して診療報酬を請求していたかどうかはわからない)。こうした治療の有効性についてのデータはないが、24時間いつでもいくらでも相談でき、手厚い支援を受けられたら、それに越したことはないだろう。従って、解決すべき本当の課題は、こうした手厚い治療を、社会システムに位置づけることができるのか、ということだったはずである。
 オープンダイアローグは、1980年代にフィンランド政府が地域ケアのために導入し、既に社会システムとなっている「ニーズ適合型アプローチ」の一環として行われたものであるという。必ず24時間以内に自宅で最初のミーティングを開くという危機介入が無料で受けられる体制を制度化できたのは、もちろん、フィンランドが高負担・高福祉の国だからであろう。
 さて、オープンダイアローグで使われている技法の中で、筆者が最も関心を持ったのは、「リフレクティング」である。当事者の目の前で、治療に関わる専門職同士が患者の治療について議論を行うものであるという。これは、以前の家族療法へのアンチテーゼの面があるという。20年ほど前、家族療法に関心を持っていた頃、ハーフミラーを用いて観察し、壁の向こうの治療者が現場の治療者に指示を出すといった当時の手法に驚きつつ、違和感もあった。当事者の治療をどうするか専門家同士が議論している姿を見せること自体に意味があるという考えには納得できる。20世紀の家族療法に比べ、当事者中心の治療が当然となった21世紀にふさわしい手法であり、この方法によって治療導入がやりやすくなるという話にも、なるほどと思った。さらに、家族療法には、そもそも家族が参加したがらない、という現実的な問題点があり、これを乗り越えることがニーズ適合型アプローチに至る改革の端緒であったという経緯も、納得できるものであった。
 「詩学」「ミクロポリティクス」「不確実性への体制」「対話主義」「ポリフォニー」などの理論はともかく、オープンクエスチョンから始める、相手の話を聴き、相手の言うことを否定しない、無理に結論を出さない、沈黙を含む非言語的メッセージに波長を合わせる、関係性に注目する、問題行動を病理性だけから捉えるのではなく、そこにある意味を考える、家族を病気の原因や治療の対象と決めつけず、回復の過程に必要な力を秘めたパートナーと考える、といった具体的な技法となると、決して突飛なものではなく、むしろ他の精神療法と共通性が高いと言っても良いだろう。こうした技法の集大成がオープンダイアローグであるが、個人精神療法においても、理論の違いによる治療成績の差は意外に大きくなく、非特異的要素が大きく影響することを考えると、「救急外来で待っている代わりに、24時間以内に現地に行く」というシステムによって精神病未治療期間(DUP)を短縮させることの効果が、オープンダイアローグにおいて最も重要な要素のように思える。
 では、このシステムによる治療法の有効性は、実際のところどうなのだろうか。まず、統合失調症の多くが薬なしで治り、再発も残遺症状もないとなると、そもそも診断はどうなのか、という素朴な疑問がわく。オープンダイアローグには診断のプロセスはないし、クライアントは多くの場合、初発の急性精神病状態のようである。この時点では統合失調症とは診断できないし、治ってしまったのであればなおさら統合失調症とは診断されない。実際、本書に紹介された成功例も、精神病症状が治療中に消え、その後出現しなかったケース(p100)や、PTSDと思われるケース(p153)であり、統合失調症と診断しうるケースではない。従って、検証すべきことは、統合失調症に対する治療効果ではなく、統合失調症の顕在発症をこの方法で予防できるかどうかであろう。
 斎藤氏も、オープンダイアローグの研究は、有効かどうかではなく、なぜ有効なのかを検討したものが多い、と指摘しているが(p17)、これは、統合失調症に対する急性効果を調べる臨床試験に比べ、統合失調症の発症予防の研究ははるかに困難で、確実なエビデンスを示しにくい、という事情にもよるのではないだろうか。本書に収載された論文でも、この地域における統合失調症の発症が減少したこと、長期入院が減少したことが紹介されているが(p110)、歴史的コントロールと比較したものである。統合失調症が減少した代わりに短期反応精神病が増えたというデータ ( Aaltonen et al, Psychosis 3: 179-191, 2011)は、急性精神病から統合失調症への移行を予防したという仮説に矛盾しないが、エビデンスレベルの高い報告とは言えない。こうした研究では結局、対照群の設定の仕方が最大の課題だろう。
 日本でも、統合失調症が軽症化したのではないか、あるいは顕在発症者も減少しているかも知れない、という印象が語られており、今回の精神神経学会でもシンポジウムを企画したばかりであった(誠に恐縮ながら、他のシンポジウムに重なってしまい、オーガナイザーにもかかわらず出席できなかったが…)。
 日本では、世界的に見ても統合失調症による長期入院が顕著に多い。この事態を重く見た厚生労働省は、フィンランドとは異なる方針で、地域ケアへの移行促進を目指してきた。収容型の精神科病院では医療経済学的に立ちゆかないような診療報酬体系とする一方で、フリーアクセス、低負担で気軽にかかれるクリニックを支援すべく、外来診療に適切な診療報酬がつけられてきた。現在のメンタルクリニックは、病気でない方まで気軽にメンタル相談に訪れられる場所となったが、それに伴い、精神病アットリスク状態の方に対して、「抑うつ状態」「社会不安障害」といった形で、早期に医療的介入がなされるようになった側面もあるかも知れない。(また、少なくとも都会では、土曜の夜に発症した場合を除けば、『24時間以内』にどこかで精神科専門医の診療を受けることは十分可能であろう。)
 日本型の、オープンアクセスメンタルクリニックによる”早期介入システム”が統合失調症の顕在発症を抑制しているかどうかの検証ができていない現状で、フィンランドの実践について、本当に統合失調症が減ったかどうかのエビデンスがない、と批判することはできないと思い当たった次第である。
 精神病アットリスク状態はともかく、急性躁病のような場合には、受診に至るまでが一番のハードルであり、危機から24時間以内に自宅に訪問するというフィンランド型のシスタムは、双極性障害のケアにおいても、大変魅力的である。現在日本でも、厚生労働省が包括型地域生活支援プログラム(ACT)モデル事業を開始しており、アウトリーチ型の地域ケアの制度化に向けて、検討が進められている。
 オープンダイアローグブームは、日本におけるメンタルヘルスシステムのこれまでとこれからについて考える、よい機会と捉えるべきかも知れない。

Comments are disabled

© 2016 加藤忠史Web Site     . All Rights Reserved. Theme WP Castle by Saeed Salam.