大橋巨泉さんの死を惜しむ声 各界から
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大橋巨泉さんが亡くなったことを惜しむ声が、各界から寄せられています。
民放のクイズ番組で共演した漫画家の黒鉄ヒロシさん(70)は「ことしの春に都内のすし屋で偶然会ったときには、巨泉さんは『細かく切らないと喉に詰まらせて死ぬぞ』といつもの調子で店員に冗談を言っていました。
その際、『ここで会えてよかった』とことばをかけられ、これが最後の会話になりました。巨泉さんは感傷的になることを嫌っていましたが、今思えば、亡くなることを覚悟していたのだと思う」と話していました。
また、「巨泉さんは、当時は隠れて行う遊びだった競馬やマージャンなどを奇跡のセンスとキャラクターで大衆に広めるなど、楽しんで生きる大切さを体現して伝えた人で、今のテレビ番組やメディアの核となるものを作った人だった」と話していました。
その際、『ここで会えてよかった』とことばをかけられ、これが最後の会話になりました。巨泉さんは感傷的になることを嫌っていましたが、今思えば、亡くなることを覚悟していたのだと思う」と話していました。
また、「巨泉さんは、当時は隠れて行う遊びだった競馬やマージャンなどを奇跡のセンスとキャラクターで大衆に広めるなど、楽しんで生きる大切さを体現して伝えた人で、今のテレビ番組やメディアの核となるものを作った人だった」と話していました。
黒鉄ヒロシさん「テレビ番組の核を作った人」
民放のクイズ番組で共演した漫画家の黒鉄ヒロシさん(70)は「ことしの春に都内のすし屋で偶然会ったときには、巨泉さんは『細かく切らないと喉に詰まらせて死ぬぞ』といつもの調子で店員に冗談を言っていました。
その際、『ここで会えてよかった』とことばをかけられ、これが最後の会話になりました。巨泉さんは感傷的になることを嫌っていましたが、今思えば、亡くなることを覚悟していたのだと思う」と話していました。
また、「巨泉さんは、当時は隠れて行う遊びだった競馬やマージャンなどを奇跡のセンスとキャラクターで大衆に広めるなど、楽しんで生きる大切さを体現して伝えた人で、今のテレビ番組やメディアの核となるものを作った人だった」と話していました。
その際、『ここで会えてよかった』とことばをかけられ、これが最後の会話になりました。巨泉さんは感傷的になることを嫌っていましたが、今思えば、亡くなることを覚悟していたのだと思う」と話していました。
また、「巨泉さんは、当時は隠れて行う遊びだった競馬やマージャンなどを奇跡のセンスとキャラクターで大衆に広めるなど、楽しんで生きる大切さを体現して伝えた人で、今のテレビ番組やメディアの核となるものを作った人だった」と話していました。
中村メイコさん「完全に昭和が終わった」
女優の中村メイコさんは「巨泉さんは私と同じ昭和9年生まれでしたが、最初は年を2つ3つ上に言ってらっしゃった。すごく大人びている方でした。巨泉さんのボキャブラリーから次々と生まれる流行語やおもしろいことばからは、戦後のモダニズムが感じられ、戦後、昭和のこの国を一生懸命生きてきた男の子という感じがします。永六輔さんに続いて巨泉さんがお亡くなりになり、完全に昭和が終わったなという気持ちです」と話しています。
小倉智昭さん「私の師匠であり恩人」
競馬の実況を気に入られたのをきっかけに大橋巨泉さんの番組のナレーションを担当するようになり、その後同じテレビ司会者の道に進んだ小倉智昭さんは、次のようなコメントを出しました。
「覚悟はしていたのですが、私は、相当、うろたえました。巨泉さんは、私の師匠でしたし、恩人でもありました。まさか、こんなに早く、巨泉さんとお別れする日が来るとは思いませんでした。あの、口うるさい巨泉さんが死が近づくにつれ、最後のほうは『ありがとう。ありがとう』としか言わなくなっていました。亡くなって数日がたちますが、私の中に巨泉さんがいればありがたいと感じています。師弟関係だから、まだまだ巨泉さんには到達できません。40年間、いままでありがとうございました」。
「覚悟はしていたのですが、私は、相当、うろたえました。巨泉さんは、私の師匠でしたし、恩人でもありました。まさか、こんなに早く、巨泉さんとお別れする日が来るとは思いませんでした。あの、口うるさい巨泉さんが死が近づくにつれ、最後のほうは『ありがとう。ありがとう』としか言わなくなっていました。亡くなって数日がたちますが、私の中に巨泉さんがいればありがたいと感じています。師弟関係だから、まだまだ巨泉さんには到達できません。40年間、いままでありがとうございました」。
関口宏さん「民放らしさ作り上げた功績大きい」
大橋巨泉さんと民放の番組「ギミアぶれいく」で共演した関口宏さんは「『病との闘い』の後半生。何度かお話を伺って来ましたが残念です。永六輔さんと同じ時期の旅立ちには、深いご縁を感じます。お二人とも間違いなく、テレビの創成期の立役者です。NHKから始まったテレビを、民放が後を追った訳ですが、民放らしさを作り上げた巨泉氏の功績は大きなものがあったと思います。仕事以外のゴルフ、飲み会での楽しい思い出がいっぱい残されました。ありがとうございました」というコメントを出しました。
うつみ宮土理さん「夫 欽也のよきライバル」
亡くなった夫の愛川欽也さんと共に大橋巨泉さんと親交があり、民放のクイズ番組などで共演したタレントのうつみ宮土理さんは「大橋巨泉さんは愛川欽也にとってよきライバルであり、友人だった。当時の二人の大人のトークは、中学生、高校生の男の子達がこっそりと親の目を盗んでみていたものだった。キンキンの葬儀の弔辞を巨泉さんが読んでくださった。あたたかく切なく友情にあふれたものだった。昭和のトークの名人がまた一人、消えてしまったんですね。御冥福をお祈りいたします」というコメントを発表しました。
朝丘雪路さん「お弁当を作って持っていった」
大橋巨泉さんが生み出したさまざまな流行語のうち「ボイン」は、民放の深夜番組「11PM」が誕生のきっかけとなりました。
この番組で共演した女優の朝丘雪路さんは「番組中、巨泉さんには(津川)雅彦さんにも作らないお弁当を自分で作って、持っていっていたくらいに仲良しだったから、思いはひとしおです」というコメントを出しました。
この番組で共演した女優の朝丘雪路さんは「番組中、巨泉さんには(津川)雅彦さんにも作らないお弁当を自分で作って、持っていっていたくらいに仲良しだったから、思いはひとしおです」というコメントを出しました。
松岡きっこさん「努力と勉強を人に見せない人」
民放の深夜番組「11PM」などで、20代のころから大橋巨泉さんと長年にわたって共演したタレントの松岡きっこさんは、「演技だけでなくトークができるようになったのは巨泉さんのおかげなので、本当に感謝しています。巨泉さんは生放送でもいつも15分前にしか入らず、ゲストが心配するくらいでしたが、それは巨泉さんなりのポーズで、頭の中には完全に台本が入っていました。遊びを番組にしていると見ていた人も多いですが、巨泉さんは本当によく勉強していました。努力と勉強を人に見せないでとことんやり、政治の話も女性の話も、同じレベルで見ている人を納得させることができる頭のよい人で、くだらない番組でも巨泉さんが司会をすると意味のある番組になりました。今、同じ事ができる人はなかなかいないと思います。すごく才能のある人で、まだまだやりたいことがたくさんあったと思う。残念で仕方なかったと思います」と話していました。
石坂浩二さん「たくさんのこと教わり学ばせていただいた」
大橋巨泉さんと親交が深く、テレビ番組でも本名からとった「兵ちゃん」という愛称で親しまれた俳優の石坂浩二さんは「誠に言葉がないというのでしょうか、無念の想いで一杯です。ヨーロッパの美術館めぐりをもう一度と仰っていただいていたのに、遂に行かれなくなってしまいました。沢山の巨泉さんの姿と言葉が頭の中を巡っています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたいと思うのです。沢山のことを教わり、学ばせていただきました。ありがとうございました。どうぞ安らかに、お休み下さい」というコメントを出しました。
竹下景子さん「周りにはいつも楽しい人の輪が」
大橋巨泉さんと民放のクイズ番組「クイズダービー」などで共演し、「三択の女王」とあだ名を付けられて親しまれていた女優の竹下景子さんは「巨泉さんの周りにはいつも楽しい人の輪があって、芸能人、アスリート、文化人、ジャンルを問わず本当に多くの出会いがありました。今も私の宝物です。巨泉さんがいなかったら今の私はいなかったし、こんなにテレビを好きにもならなかったでしょう。ご冥福をお祈りするとともに、心からの感謝と尊敬を捧げます。巨泉さんありがとうございました」とコメントしています。
篠沢秀夫さん「私の余分なしゃべりを大事に」
大橋巨泉さんと民放のクイズ番組「クイズダービー」で共演した、フランス文学者で学習院大学名誉教授の篠沢秀夫さんは「番組で巨泉さんが私の解答の外れ具合をからかったりして、私との話しをまとめ、別の解答者に向きを変えたとき、私がそのまま話を続けると、巨泉さんはまるで『天下の大橋巨泉のペースを素人のお前が乱していいのか!』と怒っているかのように私をにらみつけました。ところが巨泉さんは偉い。私の余分なおしゃべりが視聴者の反響を呼び起こしたのを見ると、以後、私の余分なしゃべりを大事にしてくれました。そのうち、私が咳をしたら、『何だい?』と声をかけてくれるほどになりました。巨泉さんは大物で、真の天才です」というコメントを出しました。
宮崎美子さん「いつも笑顔で接してくれた」
大橋巨泉さんが司会をつとめていた民放のクイズ番組、「クイズダービー」のレギュラー回答者だった女優の宮崎美子さんは「デビュー当時から、一昨年の80歳お祝いパーティーまで、ずっと私には、変わらずいつも笑顔で接してくださいました。よいところは褒めてくれて、出来ないところは笑顔でさらりと励ましてくれました。本当に寂しいです。ご冥福をお祈り致します」というコメントを出しました。
王貞治さん「生き様は本当にうらやましい」
大橋巨泉さんと長年にわたって親交のあったプロ野球、ソフトバンクの王貞治球団会長は「謹んでお悔やみ申しあげます。多種多芸だった巨泉さんは、多くの人々に生きる楽しみや喜びを教えてくれました。野球一筋の私にとって、巨泉さんの生き様は本当にうらやましく人生のお手本でした。心から感謝しています。巨泉さん、ありがとう」というコメントを出しました。
菅元首相「非常に筋の通った方」
当時の民主党の幹事長として、大橋巨泉さんに平成13年の参議院選挙への立候補を要請した民進党の菅元総理大臣は、国会内で記者団に対し、「私がロサンゼルスに行って巨泉さんと話し合いをして参議院選挙に出てもらい、民主党の中では断トツ1位で当選された。巨泉さんは本質的に自由人でなかなか党議拘束にはなじめず、半年後に参議院議員を辞められたが、非常に筋の通った方だった。もっともっと巨泉さん独特のいろんなコメントや話を聞きたかった。ご冥福をお祈りしたい」と述べました。
横路元衆院議長「自衛隊派遣にともに反対」
民進党の横路元衆議院議長は、NHKの取材に対し「党の方針に反して、アフガニスタンなどへの自衛隊の派遣にともに反対したが、戦争を経験した世代には危機感があったのだと思う。大橋さんは今の日本の政治情勢を病気の身でイライラしながら見ていたのではないか。その思いをしっかり受け止めていかなければならない。本当に大事な人が亡くなったという思いであり、ご冥福をお祈りしたい」と述べました。