ニュース特設 東京都知事選 第一声全文

上杉隆 候補(無・新)

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東京への恩返しをしたい。この気持ちがずっと自分の中にありました。私は東京で育った人間ですが、ほんとにずっと、東京に対して感謝の気持ちがありました。鳩山邦夫事務所で働き、そしてそのあとニューヨークタイムズで働き、そしてフリージャーナリストとして多くのメディアに出させていただいて、さまざまな発信とかを行いながらも、東京、ここを中心として世界中飛び回るということをやっていましたが、なぜかというと、私自身、小学校の低学年のときに父が大病になり、それまで幸せな家庭生活が一変して非常に苦しい家計の中で生きることを余儀なくされました。父の病気は腎臓だったんですが、最初はよく分からずに病院を転々とし、会社を休みがち、どんどんどんどん、給与も、当時は今のような介護とか病気に対する手当ても少なかったので、最終的には当時杉並区に住んでいた家から新宿区の都営アパートに引っ越すことを余儀なくされたというわけです。
そしてさらに父の病気は進み、結局会社を休まなくてはいけなくなったというなか、母はその後、弟と妹、私の子ども3人をパートなどで育てながらも看病をすると、ただそれが限界に来て、生活保護の申請給付をした時期もありました。生活保護をいただきながらさらにずっと生活を送っていったんですが、私自身、中学校を卒業してすぐに家を出て、自活、自分で生活費を稼いで、さらに、でも高校行きたいな、勉強したいなということで都立高校を受け、都の奨学金で高校を出させてもらいました。そのあと、大学、地方の大学ですが、そして社会に出て、何か常に恩返しをと。ここでも初めて言いますが、父が腎臓病だったこともあって、腎臓の団体に給料の1%とか最初は少ない額だったんですが、役に立ってほしいということで寄付を始めたり、さまざまな、自分のできる社会貢献ということを考えていました。

ジャーナリストになってからは、ジャーナリズムというものを学ぶということで常に念頭にあったのは多様な言論空間、多様な人々が住む街こそ、住む社会こそ健全なんだと。これはニューヨークタイムズで学んだことです。常にそのことを頭におき、日本の言論空間が一元化して非常に窮屈なシステムにあるということを改革しようと思って非常に生意気ではありましたけど、自由報道協会というものを作ったり、あるいは「NO BORDER」という会社を作って、多様性のある言論空間、これをつくる作業をしていました。
これはなぜかというと、ニューヨークタイムズに入って3年間、世界最高峰のジャーナリズムで学び、辞めるときに本当にボスたち、支局長、ニューヨークタイムズの仲間たち、喜んでくれたんです。フリーのジャーナリストになるのか、隆ならできる、やれるぞと。そしてニューヨークタイムズで学んだこと、私自身は本当にかけがえのない価値観のあるものを、たくさん学ばせてもらったということで、何か恩返しをしたいと言ったんですね。そうしたら、たったひと言、こう言ったんです。ニューヨークタイムズで得たもの、ジャーナリズムで得たものは、ニューヨークタイムズに返す、ジャーナリズムに返す、それが一番だと。
このことばはほかのことにも当てはまりました。私自身そのジャーナリズムで返すということはこの17年間のジャーナリスト生活で十分やったかなと思っています。ほんとに記者クラブ批判ということで、いろいろ誤解もされました。私は記者クラブの廃止をいったことは一度もありません。記者クラブの開放だけです。みんな一緒に取材しようよと。公権力とメディアの緊張関係があってこそ、初めて健全な社会が実現するんだと、これを言い続けてきたんですが、未熟な言い方だったので多分に誤解をされたというところもあります。ただもう十分やったなと。「NO BORDER」には新しい後輩たちが出て、そしてたくさんのジャーナリストが育ってきました。私がいる必要もないというくらいに、私よりも優秀な人たちも育っています。

そして今回は48歳という年男になって、いろいろ社会を、人生を振り返っているときに、政治の師であり、父が死んだときの恩人でもある鳩山邦夫代議士が命を落としたということで、いろいろ考えるところがありました。
18年前、病気をした父は60歳で他界しましたが、そのときに葬式を出してくださって、落合葬儀場で、夏の臨時国会の最中、国会を全部抜けて事務所の秘書も派遣してもらって、葬式を出してもらったのは鳩山家です。その鳩山家に対して何か恩返しできないかと思っていました。そしてその告別式のあとに、焼き場まで行って棺まで担いでくれたのが鳩山邦夫さんです。それを思い出しながらその後に出た東京都知事選。私自身が、事務所の反対のなか鳩山代議士が出馬すると、きょう、当時の仲間もいますが、いうときにほぼ1人だけ、都知事選出馬を賛成したと。非常にラディカルな環境政策のもと、東京の未来を考えるのだったら、単に右肩上がりの経済成長だけではだめだと、ビオトープや生態系に配慮した環境政策。これが東京に求められるものだろうという、東京ビジョンに賛同して、私自身、その17年間というか、いい東京のために何をするかというのを常に考えていました。
その鳩山代議士、7月12日に青山葬儀場でお別れ会があり、そこで昔の仲間たち、あるいはご家族の方などと話し、やはり、あの東京都知事選って邦夫代議士にとって何だったんだろう、やっぱりそれは、特別なものだったんじゃないかなとも思いました。
父の恩もあったので密葬にはずっと寝ずの番もつとめさせていただいたり、お手伝いさせていただいたり、あるいは、焼き場まで行って、棺を抱え持たせていただいたりしましたが、それはほんとに単純に、その部分だけのかろうじての恩返しなのかなと思ってました。

そこで東京都知事選、いい候補がいたらなと思っていたんですが、見回すと、残念ながら本当に東京都のことを考えている人はいないんじゃないかと。国のことを考えてすばらしい方はたくさんいます。だけど東京のこと等を考えると、ちょっと違うんじゃないかという方が多くあって、もどかしい思いをしてうんざりするようななか、まあこれだったら、自分で政策を作ってこの政策を実現、体現してくれる人を探そうと、こういうふうに思っていました。まあ実は舛添さんがやめる直前ぐらいから私も会見に行きましたが、いろんな方にアプローチをしたのは、実はそういう意味で、政策実現してくださる方はいませんかと、17年の都政取材でたまったもの、それから取材のみならず、石原慎太郎都知事の立候補、オリンピック招致のときは、なかばプレイヤーとして2009年のコペンハーゲンのIOC総会なども行かせていただき、やっぱり東京のために何かできる人はいないかと。結論は、そういう人を探している最中に起こったうんざりするような党派制の争い、党利党略で自民党の候補者は誰だ、民進党野党統一誰だという報道と、そういうことばっかり聞こえてきて、政策は私が知るかぎり、一分たりとも出てきませんでした。なんだろうこれは、おかしいじゃないかと。東京は自民のものではないし、民進のものでもない、公明のものでもないし、共産のものでもない。テレビのものでもないし、誰かのものでもないんです。東京は都民のものということを言う人が1人もいないと。だったら出ようと。

これまでためて、そして都庁の極秘チームで作った政策などを急きょまとめて最終確認、ひとつの政策でも何十本もの条例がかかっています。それが可能なのか、実現不可能なのか、そういうこともやりながら、チームフル活動でできたのが、この政策です。小さくしていますが、実際はもっとあります、70個ぐらいあったんです。それを7つとプラス1、大きく8つにしました。
何はともあれ、人様にいろんなことをお願いします。そのうえで自分がいい気持ち、いい思いをしていたらだめだろうということでいろいろ悩んだ末、0番の、一丁目一番地じゃなくて0番です。これはやろうと思えばできるんです。知事給与ゼロ、全額返上。月額、知事はですね今、平成28年度4月の条例改正で、知事は1か月145万6000円ももらってるんですよ。かける12プラスボーナス、手当てなどだいたい4か月分、16か月、年額だとだいたい2600万円、さらにそれが1期4年ですから、1億円強を知事が手にする。もちろんそれはそれだけの働きをすれば当然ながら受けるものですが、このうんざりするような金と政治の問題を前に、これはいったんお返ししようと。都民に、もっと有効に使うことがあるだろうということでまずは自分でできること、これ条例改正でできることは確認しました。これをやると。そして一期目、これからやる、この公約を本当にやったと、都民の皆さんが認めてくれたら、上杉よくやったなと、あいつ言ってたけど一期目でやるといったことはやったじゃないかというようなことが見えたら、初めて2期目で給与をちょうだいすると。まあつまり後払いですかね。
そういうような形でまず自分でやること、これをやりました。あとはもう何度も説明しましたから、皆さん簡単に言いますが、私が立候補したのは、私のためではなくて東京のためです。これはできることをすべて書いています。実現不可能なばらまき政策もなければ、全くもう、とっくに東京では解決している問題をあえて掲げているような、ほかの候補者とは違います。すべてこれは今現在、問題となっているものです。

1番、首都直下型地震、死者ゼロと。そんなことできるわけないだろうというふうに言うと思います。今後30年で70%の確率でおこるこの直下型地震。マグニチュード7が東京湾北部で起こった場合、死者数は9700人、こういうふうに東京都は算出しています。でも行政が自分の住民の死者をあらかじめ想定するのはおかしい話です。ゼロに近づけるのは当たり前の努力ですね。そういう意味ではこの1個目の政策っていうのは都民の命を守る、舛添知事時代、「東京災害」というのを黄色いパックが全戸配布されました。東京都、全660万戸、これは概算で20億円です。ところがヘルメットとか、水とか防災グッズ、あれだいたい東京都の業者が販売しているやつが1万6000円。ただし大量仕入れで半額くらいになりますね。それを660万戸全戸配布しても、たったの500億円です。500億円強。なんでたったって言ったか。簡単です。今東京が、皆さんがお支払いいただいている都民税、7兆円弱あります。そのうちの3200億円が毎年地方法人特別税などとして地方に戻っちゃってるだけです。東京都民が自分の東京都のために払ったものを地方に流す。これはおかしい。まずは東京のことをやってから次にそういうことをすべきだろう。
3200億円、確かに地方も大変です。でも首都東京からやるということでオリンピックもある、国家事業オリンピックのために、まず4年間凍結してください。これが最後のここの部分ですね。そうすると1兆2800億円の財源が捻出される。それをもって緊急の喫緊の課題、どんどんやっていくと。これを話し出すとたぶん5時間ぐらい話すんでやめますけど、待機老人、これはなかなか見えない問題。月に400人いるんですよ。これも一発で110億円くらいの手当てで直ります。マンパワーで。

それから待機児童、7000人以上います。これは300億円くらいかな。これも、だって3200億円より小さいわけですから。元福祉局の、東京都庁福祉局の前川さん、練馬区長になりました。前川さんは、練馬区長になったとたん、練馬区の待機児童、たぶん来年度ゼロになります。子どもの数は増えているのにゼロになる、なぜか。事実上の幼保一元化といわれている、練馬子ども園方式、認証保育ですね、それを始めたんです。やればできるんですよ。そういうような、やればできる、東京の優秀な官僚に知恵を持っているのに、なんで使わないんだと。東京都の一流の官僚、まあ二流もそうですけど、一流の官僚の中には国家一種が受かっても、東京都に入った人がたくさんいます。私の同級生もいます。なぜか。転勤がない。東京が好きだから。ふるさと東京のために働きたいから。そういうようなとんでもない優秀な人がたくさんいるんです。彼らがいろいろなものを知恵を使って出せば、なんでも解決します。今のことでいったこれもそうです。認証こども園。追加のですけど、練馬方式、これを都が認証すればもういけるわけです。

さらに渋谷区、世田谷区が率先してやったLGBTの問題の解決方法。これも認証パートナーシップとして都がやればいいわけです。さらにいろいろもめています。オリンピックが近いなか、民泊という問題がありますが、これも認証民泊として都が率先してやって、オリンピックの多様な外国から来るお客さんを対応すればいいんです。もちろんホテル業をひっ迫しちゃいけない、民業をひっ迫しない程度で民泊をやると。こういうことも、財源手当ても含めて私自身もう全部、もう研究して、そして都庁内の極秘チームで出してます。これをどこの候補でもやってほしい。繰り返し言うように、東京は自民のものでもないし、民進のものでもないし、共産のものでもないし、公明のものでもない、ましてや政党やテレビのものでもない。都民のものです。ぜひこの多くの政策と17年間の実績を、都民への恩返しとして使わせていただきたいということで、よろしくお願いします。

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