まずは鳥越さんがジャーナリズムの世界に入ったきっかけについて
お聞かせください。
僕は大学に7年いて、どこの会社にも就職できなくなってしまったんです。どっか入らなきゃいかんしと思っていたら、たまたま同じクラスに毎日新聞を受ける男がいましてね。「新聞社ってどんな試験するの」って聞いたら、作文とか一般教養とかだ、そして何よりよかったのが、成績証明もいらないし、年齢制限もゆるいと(笑)。作文は割と得意だったんで、そうか、新聞社か!って思って、急遽何も勉強しないまま試験を受けたら通ってしまったんです(笑)。
そんなわけで、特別に新聞記者になりたいと思っていたわけじゃないから、別に“志”とかがあるわけじゃないので、あそこに行ってこいと言われればはーい、こっちに行けって言われればはーい、なんてやってたんです。
そんな毎日を過ごしていたんですが、三十代半ばくらいから、「俺のやってる仕事ってなんなんだろうな」なんて考え始めました。そして四十歳を過ぎた頃から、「もう一回自分に投資しないと、この先やっていけなくなるぞ」と思って、英語の勉強をしようということで、アメリカのクエーカータウンフリープレスっていう地方新聞社に1年間、記者修行に行きました。
で、帰国して気がついたらね、サンデー毎日の編集長やってたり、テレビカメラの前に立ってました(笑)。そんな人生なので、最初からジャーナリストにあこがれてなったというのではまったくないんですよ。たまたまこういうところに来ちゃったというわけです。
そんな経緯でなられたジャーナリスト生活で死ぬかと思った瞬間などは?
イランイラク戦争当時、イランが占領したイラクの領土内に踏み込んで取材をしていた時に、イラクのミグ戦闘機が飛んできて、爆弾を落としていったんですよ。爆弾っていうのは何発も落とすものですから、ダンダンダンダンって線状に落ちてくるんです。その時はもうだめだって思いましたね。
その時は外国の記者と5~6人で取材していたんですが、今度はイラン軍が対空砲火を始めたんです。それはもう凄まじい音でした。その時僕は「どうしたんだろう?」なんてきょろきょろしてたんですが、まわりを見たらみんな伏せてる。僕だけなんですよ、突っ立っているのは(笑)。平和な日本から来ているから、銃声がしたら自分の身を隠せなんていう習慣がないんですね。
まわりは全員伏せているし、ああヤバいんだな、今回は俺はもうだめだ来なけりゃよかったって後悔しました(笑)。
ほかにもありますよ。カンボジアのジャングルの中では、地雷を踏むんじゃないかって、次の一歩が踏み出せない。その途端にドカンとくるかもしれないと思うと金縛りみたいに動けないんですよ。怖くてだめ。
そんな状況の中で、支えになったものというのはありますか?
好奇心ですね。現場をひたすら見たい、本当のことを知りたい、見極めたいという好奇心だけです。我々の仕事は好奇心だけに支えられているんです。使命感、という人もいますけど、使命感では人は動きませんよ。使命感というのは、自分でいろいろ学習して獲得したものじゃないですか。好奇心というのはそうではなくて、生まれた時から本当として持っているんです。
正義感についてはどうでしょうか?
正義感っていうのは立ち位置によって変わってくると思うんです。僕はね、小さい時は人前でちゃんと話もできないほどの弱虫だったんです。そういう自分をすごく意識しているので、“弱者の正義感”というものは持っていると思います。強い者が、「これは違うぞ、こっちだろ!」というものではなく、弱い立場から、下から上に向かってものを言うというような正義感ですね。どちらかというとマイノリティ、少数派のほうにどうしても寄ってしまいがちですね。自分も弱いし、弱い人と同じ目線というか、同じ立場でものを言いたいなと。
私の父は長く神経症を患っていて、人前で話すときはいつもそっとウィスキーを飲んでしゃべるような人だったんですが、そういうのを見ていて、あまり好きになれなかったところがありました。
七十三歳で亡くなったんですが、お葬式に障害者の方がみえて、弔辞を読んでくださった。実は父は、福岡にある障害者のための共同作業所を作った人間なんです。今でこそ共同作業所は全国にありますが、当時は日本にはほとんどなかったと思います。そんな施設の立ち上げの責任者だったんですね。
父は自分が弱い人間ということをわかっていたから、常に弱者の立場に立ってものを見ていたんだな、だからお葬式の場に障害者の方も居合わせてくれるんだと思ったら、僕の中での父への見方がガラッと変わったんです。それまで、ちょっと偏っていたなと。
そういうこともあって、僕の中の正義感というのは、弱者の正義感なんです。決して強い人の、上から目線の正義感ではないと思っています。
そんな鳥越さんはご家族をとても大事にする方とお聞きしていますが、夫婦円満の秘訣はありますか?
それはまあ…、男が多少負い目を感じていた方が…。悪いことして(笑)。共稼ぎの場合は別として、多くの場合は外で稼いでくるのは男だし、そうするとどうしても一方的に強い立場になってしまうじゃないですか。そうならないように、なにかストッパーのようなものが心の中にあるといいんじゃないかな。俺が悪い、っていうような(笑)。
家族の仲もいいですよ。娘がシャンソンを歌っているんですが、先日も中国がんセンターの主催でファミリーコンサートをしました。僕は学生時代に一時、声楽家になろうと思ったこともあったんです。まあ無理だろうとやめましたけど(笑)
音楽以外の趣味はおありですか?
映画が好きですね。夢は映画を一本取ること。クリント・イーストウッドの大ファンなので、彼のように映画が撮れたらいいなと思っています(笑)。
映画好きというのはけっこう知れ渡っているようで、いろいろなところからコメントを頼まれることも多いですね。この間もある映画のトークショーに呼んでもらったんですが…、あの時は山路(注:山路徹氏)も一緒だったなー。まあ、ぜんぶ山路の例の話に持っていかれましたけど(笑)。
女子アナ通でらっしゃるともお聞きしましたが。
日本の女子アナっていう存在は、世界でも珍しいんですよ。アイドルと、アメリカのニュースアンカーとの間なんですね。完全に商品化されている。つまり、女子アナという商品を売ってテレビ局は商売をしているわけです。ファンを集めて、彼女を番組に出すことによって視聴率を上げようとしているわけですから。
そういうくらい女子アナっていうのは日本独特の文化なので、僕は好奇心の対象として、おもしろいなと思っているわけです。だから当然、どの局に誰がいるかを知らないとダメですよね。ひところは全局の女子アナの出身地から大学まですべてわかっていたんですけど、毎年増えてくるから最近は追いつけないんですよ(笑)。
注目の女子アナはどなたでしょうか?
フジテレビでは、秋元有里、テレビ朝日だと上山千穂か松尾由美子かな。ニュースの読み方がうまいんですよ。声がいい。女子アナの最大のポイントは声なんですよ。低くて太いしっかりした声を出せないとダメです。高い声でキャピキャピやるのはどうかと。低音の、アルトの声を出せるのがいいアナウンサーなんです。
なるほど。それでは、ライバルのような存在の方はいらっしゃいますか?
ライバルですか…。尊敬というか、教えられた人はいますね。僕がサンデー毎日の記者をやっていた頃の編集長さんとか。
あとは―、筑紫哲也さんがいるけど、ライバルというにはちょっと失礼な気がしますね。5年も先輩なので。でも筑紫さんとはよく間違えられましたね、混同されて(笑)。昨日も町で言われました。髪型、雰囲気、九州出身、経歴も似ている。何となくダブるんでしょうね。
筑紫さんが生きている頃、「僕はいつも筑紫さんに間違えられるんですよ」って言ったら、「いや、僕も鳥越くんに間違えられることがあるんだよ」って言うから、「筑紫さんは1~2回でしょう、僕はもう100万回くらいありましたよ!」なんて言ったら笑ってましたけどね(笑)。
鳥越さんも筑紫さんもテレビのご出演が長かったわけですが、テレビについてはどうお考えですか?
テレビっていうのは、視聴者が必ずしも論理的に見ているというわけではなく、むしろ感情的な受け止め方をしているんじゃないかと思っています。たとえば原発に関する報道だって、最後に「これは健康に影響はありません」ってきちんと告げてるのに、その前に「放射能が東京で通常の何倍」なんていうフリップが出てくると、そのあとのことは聞いてない。それが人間なんです。「怖い」っていう先入観があるから、怖い方を取っちゃうんです。
テレビは基本的に劇場型ですから。ある一つの方向に向かってみんなが同じ論調になるから劇場になるんですね。それぞれの局・番組が違うことを言っていれば劇場にはならないんですよ。それをみんなが同じ映像で同じような解説をして、同じように煽る。つまり、社会全体が一つのものを見て、ひとつの感情に支配されてしまう。
「小泉劇場」なんて言うのはまったくそういうことですよね。小泉という“演し物”をみんなが同じような思いで見ていて、それで自民党大勝という選挙結果になってしまった。ヒトラーが生まれたのもまさに同じ。日本が太平洋戦争に走ったのだって同じです。
そういう時に、「ちょっと待って、もうちょっとここは冷静になったほうがいいんじゃないですか」と言う人がいなきゃいけない。僕は今までテレビの中でずーっとそれを言い続けてんですけど、そういうのに関して、賛否両論はありました。けれども、一時的とはいえテレビを離れた今は、そんなに制限を受けることもないので、私のニュースの見方みたいなものをできるだけキッチリと伝えていきたいと思っています。
メルマガではそういうことを配信していただけるということですね。
僕はどっちかっていうと、基本的に天邪鬼でへそ曲がりな人間なものですから、人とおんなじ見方はしたくないっていうたちなんですね。特に世の中全体がひとつの方向にワーッと動くようなことになると、ちょっと待てよ、ほんとにそうかい?と言ってみたくなるたちなんですね。
たとえば草薙剛が酔っぱらって警察に逮捕されたでしょ?あの事件だって、深夜に酒飲んで裸になったからと言って、別に公然わいせつでもなんでもないじゃないかって僕は言ったんですが、ほかは誰も言わなかったんですよ。その時も僕は、“世の中の大勢”とは違う発言をしました。
原発の問題についても、異様に過剰反応が多くて、今はもう水の中のヨウ素だって平常値に戻っているのに、ペットボトルがスーパーからなくなって、というね。さっき話した太平洋戦争の時もそうだったけど、そういう過剰反応っていうか、みんながやってるから私もそうしなきゃっていう国民性というか遺伝子が日本人の中にはあると思うんです。
それについて僕は常に「そうじゃないんじゃないの、ちょっと待てよ」というメッセージを発信しているつもりなんですよね。
そういうことで言うと、日々のテレビや新聞というメジャーな報道機関で流されているニュースについて、私なりの見方、考え方感じ方を配信していきたい。それが一番のポイントだと思っています。だからかなりニュースそのものを取り上げることが多いんじゃないかな。
最後に、読者にメッセージをお願いします。
世の中には情報が氾濫しています。一見、いろんな意見があるようにも見えます。だけど実は、割と同じような情報で満たされていることが多いので、僕からしたら「ちょっと待って、ニュースをあなたなりにちゃんと見抜けるような目を持ってほしい」と思っています。そのためには、私のメルマガを読んでください(笑)。
それから質問も受け付けます。どんなことでも結構です。週刊誌を作っていたこともあるので、政治、国際政治、経済、芸能、スポーツ、どんなことでもお答えできると思っています(笑)。料理もするので、その話題でもいいですし、恋愛相談にも乗りますよ(笑)。
鳥越俊太郎さんプロフィール
1940年、福岡県生まれ。京都大学卒。1965年、毎日新聞社入社。新潟支局、社会部、外信部(テヘラン特派員)などの記者を経て「サンデー毎日」編集長に。同社退社後の1989年10月、テレビ朝日系「ザ・スクープ」のキャスターに就き、以後、様々なテレビやラジオ番組でキャスター、コメンテーターとして活躍。2005年10月には直腸癌罹患を告白し、闘病を宣言。著書に「桶川女子大生ストーカー殺人事件」(メディアファクトリー刊)、「報道は欠陥商品と疑え(That’s Japan)」(ウェイツ刊)など多数。