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情報 : 「コトバのニュース」:【速報】パリ同時テロの現場(11月15日更新)
投稿者: admin2 投稿日時: 2010-11-15 12:30:00 (7369 ヒット)

最近のニュースの中から言葉に関する気になる記事やトピックを紹介する連載、「コトバのニュース」が開始。執筆者は木村一郎氏(公益財団法人日本のローマ字社 常務理事、元前橋市立女子高等学校教諭)です。

【過去の記事はこちらから】
2014年8月8日〜2015年6月26日
2014年2月3日〜7月22日
2013年9月2日〜2014年1月27日
2013年3月1日〜8月21日
2012年12月30日〜2013年2月19日
2012年4月4日〜10月23日
2011年9月8日〜2012年3月25日
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【速報】パリ同時テロの現場[2015/11/15]

2015年1月7日の「シャルリー・エブド」襲撃事件からまだ1年にもならない今月13日夜(日本時間では14日早朝)、フランスでまたもやテロ事件が発生した。パリと近郊の計6か所で、ほぼ同時に爆発や銃撃が起こり、現在までに128人が死亡するという大惨事である。

過激派組織「イスラム国」が犯行声明を出し、フランスのオランド大統領もそれを裏書きした。

貴い人命が失われた悲惨な事件だけに、どこで、何が起こったのか、新聞記事に目をこらしている人も多いだろう。各紙ともよく取材して詳細に報じているのだが、外国のことだけに、事件の起きた施設や店の名前をそのままカタカナの連なりで示されても、どうもイメージがわかない。

そこで、各現場の名称をカタカナから原語につづりなおし、おのおのの意味を日本語でご紹介することにした。

以下、11月15日付け『朝日新聞』が掲載した図表により、事件発生順に、時刻(現地時間)・現場の名称(カタカナ・原語つづり)・日本語訳の順に整理し、*以下で簡単な解説を加える。青色の部分をクリックすれば画像が見られる。

21:20〜53 (ル・)スタッド・ド・フランス Le Stade de France 「フランス競技場」
*パリ郊外にあるサッカー場。「スタッド」は英語の「スタジアム」にあたる。現地では事件当時、フランス対ドイツのサッカー親善試合が行なわれており、オランド大統領も観戦していた。

21:25 (ル・)プチカンボジュ Le Petit Cambodge 「小さいカンボジア」
*パリ10区のカンボジア料理店。カンボジアがかつてフランスの保護国だったことから、パリにはカンボジア料理店が多い。

同時刻 (ル・)カリヨン Le Carillon 「(教会の)鐘」
*同区の飲食店。「プチカンボジュ」からは眼と鼻の先。「カリヨン」は、音程の違う多数の鐘を打ち鳴らして奏する一種の楽器。

21:32 (ラ・)カーザノストラ La Casa Nostra 「私たちの家」(イタリア語)
*パリ11区のイタリア料理店。

21:36 (ラ・)ベルエキップ La Belle Equipe 「良い仲間」
*同区の飲食店。戦前、同名のフランス映画があった(邦題「我等の仲間」)。

21:49 (ル・)バタクラン Le Bataclan 「バタクラン劇場」
*同区の有名なコンサートホール。1865年の開場。オッフェンバックの中国風オペレッタ「バタクラン」の表題にちなみ、当初は Ba-Ta-Clan と書かれたが、のち現在の表記に変わった。「バタクラン」には「ガラクタ」という意味がある。事件はここでアメリカのロックバンド「イーグルス・オブ・デスメタル」の公演が行なわれている最中に起きた。


「1億総活躍」の英訳[2015/10/25]

先月成立した安全保障関連法案の提案にあたり、政府は「存立危機事態」という言葉を案出して説明にこれ努めた。

テレビ報道記者の金平茂紀さんは5月29日の『毎日新聞』コラムで、これも一種の「ニュースピーク」(J・オーウェルの反ユートピア小説『1984年』で独裁者が人々に強制する「新語法」)であるとし、言葉の使い方の面から政府を批判していた。金平さんは、《この訳の分からない造語は案の定、外国人(とりわけ米国人)に理解させるのが極めて困難で》、6つの漢字の醸し出す物々しい雰囲気をそのまま英訳することはできないと指摘した。

金平さんによると、政府による苦しまぎれの英訳は “an armed attack against a foreign country resulting in threatening Japan’s survival”(「結果的に日本の生存を脅かしかねない、ある外国に対する武力攻撃」=金平さん和訳)である。たしかにこれでは「すご味」が出ない。日本語では「漢字をずらずら並べて作る熟語」がニュースピークの役割を果たしていることも、ついでに教えられた。

ところで、法案の成立を受けて安倍首相は内閣改造に踏み切り、下落した支持率の反転をねらっている。改造内閣が繰り出した新政策のひとつが「1億総活躍」である。担当大臣まで任命して力こぶが入る。

「1億総活躍」‥‥これまた英語にするのが難しそうな表現である。首相官邸のホームページで、普段は押さない「English」ボタンを押して調べてみた。

「1億総活躍相」の訳語は Minister for Promoting Dynamic Engagement of All Citizens (筆者なりに訳すと「全国民によるダイナミックな参画を促進する大臣」)となっている。

安倍首相が相当のこだわりを持っていると思われる「1億」が 100 million と訳されず、all citizens となったため、だいぶおとなしい表現に変わっている。「総活躍」と「ダイナミックな参画」との間の意味のズレも大きく、上からの目線が消えて、自発的参加を促しているだけのようにも読める。

英語でこのニュースを読む外国人が、安倍首相の真の意図を理解することは、相当に困難であろう。


「ニュートリノ」の語源[2015/10/7]

5日の大村智・北里大学特別栄誉教授のノーベル医学生理学賞に続き、6日には梶田隆章・東大教授の同物理学賞受賞といううれしい知らせが舞い込んだ。

ところが悲しいことに、文科バカの筆者は「ニュートリノに質量があった!」といわれても、それがどれくらいの大発見なのか、とんと分からない。ならば、せめてこの大発見にまつわる言葉の定義や語源ぐらいはつかんでおこうと、新聞の科学記事を読み始めた。

そうしたら、科学の女神がこちらを向いてほほ笑んだ。「ニュートリノ」の語源に関する筆者の長年の誤解を解きほぐしてくれたのである。

「ニュートリノ、ニュートリノっていうけど、トリノの街と素粒子と、どういう関係があるの?」

これが20年来、筆者が抱き続けてきた「素朴な疑問」であった。つまり筆者は、ニュートリノを「ニュー」(new)と「トリノ」(Torino)に分解した上で、この語はイタリアの古都トリノと何らかの関係があるに違いないと、勝手に思い込んでいたのである。

その思い込みが一瞬にして訂正されたのは、10月7日付け『朝日新聞』で次の文章に接したときだ。《ニュートリノは、それ以上分割できない素粒子の一つ。電気的に中性(ニュートラル)であることから名付けられた》。

ニュートリノ=new+Torino という偽りの等式が消滅し、ニュートリノ=neutr+ino に置き換わった瞬間であった。「ニュートリノ」は neutral の語尾をちょっと変えて作られた、「中性微子」を表わす語だったのである。造語法上は「ニュートロン(neutron)」(中性子)と同類である。

こんな簡単なことになぜ今まで気付かず、思い込みが続いていたのか、内省してみた。一つの可能性は、こうである。ニュートリノを観測する大規模な装置に「(スーパー)カミオカンデ」というのがある。この「カミオカンデ」の語源は、それが設置された岐阜県の神岡(かみおか)という地名にある。だから、「ニュートリノ」の「トリノ」がイタリアの地名であってもおかしくないという考えが生じ、それが訂正されないまま固定された。

――などといくら自分をフォローしても間違いは間違いである。それが正された今回の「マイ大発見」を一人で喜んでいる。梶田先生らの「世紀の大発見」と比べると規模が小さいなあ、とほぞをかみつつ。


「日本のイスラエル化」と「シンガポール化」 そして‥‥[2015/9/20]

「日本のイスラエル化」という文句と初めて出会ったのは、2年半ほど前、寺島実郎氏(日本総合研究所理事長)の発言を雑誌で読んだときのことだ。その意味するところは、日本がアメリカにとって、近隣諸国・諸勢力とケンカばかりしているイスラエルみたいな「迷惑な同盟国」になりつつある、ということである。寺島氏は、そういう懸念が当時、ワシントンの日本専門家の間で広がっていると心配そうに話していた(山口二郎氏との対談「お任せ主義を超えていま『リベラル』を獲得し直す」『世界』2013年5月号)。

ついにそこまで来たか、といささか暗い気分になったものだが、最近、安保法制をめぐる国会審議をテレビで見ながら読んだ本で、今度は「日本のシンガポール化」というフレーズに接した。

語るのは内田樹(たつる)・神戸女学院大名誉教授である。

シンガポールはアジアで最も成功した資本主義国だと持てはやされているが、それは同国が「経済成長」のみを国是とし、「経済成長に資するか否か」で社会のすべてを仕分けする国家だからだ。――内田氏はこう述べ、シンガポールの社会を次のように素描する。

民主主義は経済成長に不向きだから、建国以来ずっと一党独裁。反政府的な言論は徹底的に抑圧し、労働組合は官製のものしか許さない。そんな原則で作り上げた「世界で一番ビジネスがしやすい国」‥‥

そのうえで内田氏は、そのシンガポールをモデルに、日本を「金儲けに特化した」国に改造しようとする動きがあると指摘し、それを「日本のシンガポール化」と呼んでいる(同氏と白井聡氏の対談『日本戦後史論』〈徳間書店〉56ページ以下)。

「日本のイスラエル化」は主に軍事的な側面から、「シンガポール化」は主に経済的側面から、それぞれ日本の変容(の可能性)を照らし出す示唆的な表現だ。

と思いつつ読み進んで行ったら、何と「日本の北朝鮮化」の文字が目に飛び込んできた。

なんだって?!

それが何を意味するのかは、実際に同書をお読みいただいた方がよく分かるだろう。128ページと212ページあたりに出てくる。あまり愉快な読後感は持たれないと思うが、きっと何かを教えられるはずである。


「義を見てせざるは勇なきなり」[2015/9/3]

9月8日に告示される自民党総裁選は、安倍晋三総裁(首相)以外の立候補者が出ず、同氏が無投票で再選される公算が大きい。そんな中でただひとり、懸命に出馬の可能性を探っている人がいる。野田聖子議員(郵政相・党総務会長などを歴任)である。野田氏は1日、パーティーでのあいさつで、現在の心境を「義を見てせざるは勇なきなり」と表現し、立候補に向けた強い意志をあらわにした。

その「義を見て‥‥」の扱いをめぐり、翌2日の新聞各紙の態度が大きく二派に分かれたことに興味を引かれた。最もすっきりまとめたのが「毎日」の次の記事である。《一方、野田氏は1日、東京都内のホテルで開いた自身の政治資金パーティーであいさつし、「今の私の心は『義を見てせざるは勇なきなり』。それに尽きる。(国民は)直接首相を選べない。総裁選の開かれた議論でわれわれの多様性を訴え、保守として進化しなければならない」と述べ、無投票再選を阻止するための立候補に意欲を示した》。「日経」も、「義を見て‥‥」の出典が『論語』であることに触れた以外は「毎日」と同様、この言葉をすんなりと受け入れている。

ところが「朝日」「読売」「東京」の各紙は、異なる対応をとった。まず「朝日」の記事を見てみよう。《‥‥その上で、論語の一節を引いて「義を見てせざるは勇なきなり(正義と知りながらそれをしないのは勇気がないのと同じ)」と語り、自らの立候補に意欲を見せた》と、「義を見て‥‥」に「訳」を付けている。「読売」も《「なすべきことを知りながら実行しないのは勇気がないからだ」》と訳した。「東京」も同様で、《「当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからだ」》との現代語訳を掲げている。

この違いはどこから来たのか。「毎日」「日経」の2紙には、「義を見て‥‥」程度の古典の知識は読者に行き渡っているから、解説を加える必要はないだろうという判断があったと思われる。一方、「朝日」「読売」「東京」の3紙の編集者は、主に若い読者を想定してだろう、「義を見て‥‥」の原文だけでは正確な理解を得ることが難しく、「訳」を付けた方がいいという判断を下したものと見られる。

どちらの判断が正しかったのかについては、本欄の読者のご意見も二派に分かれるだろう。しかしここでは、複数の新聞が「訳」をつけたくなるような言葉を使ってスピーチした野田氏の言語感覚に問題があることを指摘したい。

「義を見て‥‥」はいい言葉だが、いささかクラシックに過ぎる。野田氏はいま、時代劇に出ようとしているのではない。新時代の自民党のリーダーを決める総裁選に出ようとしているのである。18歳の若者にも選挙権が与えられるというこのときに、もう少し現代的ではつらつとした言葉で心境を語ることはできなかったか。1960年生まれで安倍総理より6歳若いのが「売り」であるはずの、野田氏の言語感覚の古さが惜しまれる。

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