≫昨日の「バイキング」の都知事候補の激論はそこここで話題になってますね。
≫本当、おかげさまで僕もいい経験をさせていただいたといいますか目の前でものすごいものを見てしまいました。
≫結構、小池さん鳥越さんとの激論の果てに選挙ってこういうもんなんですよね坂上さんって振られたじゃないですか。
あれ、返しようがないですよね。
≫あれ、あとから考えたんですけどどっちの意味だったのかなと思って。
鳥越さんがなんの前触れもなくああいう突っ込みを入れると。
これが、選挙というものなんですよなのかああいう突っ込みを入れられても否定をする小池さんっていうのがこれが選挙というものなんですよなのか。
どっちなんだろうと思いながら。
≫どっちだと思います?≫内緒です。
≫えー…。
思うんですけど、例えば政治家の健康問題って一時は非常にタブー視されていたわけですよね。
政治家本人に会ってもたとえ、わかっている事実だとしても病気のことについては決して尋ねてはいけないというそういうふうな掟のような不文律があって。
でも、病気のことにちょっと、小池さんが踏み込んだわけじゃないですか。
でもそういう仁義なき戦いこそが選挙なのよっていう私は、そんな意味に取ったんですけど。
≫なるほど。
でも狙ったわけじゃないんですけども間に増田さんが挟まってたので。
あれ、ちょっと妙におかしいというかいいシチュエーションになったなと、手前味噌ながら思っちゃったんですけどね。
≫そういうのを漁夫の利っていうんですかね。
≫ああ、ありがたい言葉です。
≫増田さんが、妙にいい人に見えたりなんかしてましたよね。
≫どうなんでしょうかね坂上さん、ああいうふうにちょっと、本音というかそれこそ巨泉さんのトークじゃないですけど。
言葉じゃないところに人間って、いろんな表情が垣間見れて、やっぱりああいうクロストークが一番、面白いですね。
≫僕も本当にスタジオに一緒にいさせていただいてテレビの面白さと怖さというものを改めて感じたというか。
やっぱり、うかがえますよねいろいろなものが。
≫私、朝、テレビ欄を見て生出演なんだと思ったときにうわ、坂上さん大変だなって思ったんですよ。
やりたくないようなやりたいような二度とやりたくないような複雑な気持ちじゃないですか?≫僕、ありがたいことにその前に石破大臣、お越しいただいていて石破大臣の顔面力に比べたらまだ、だいぶ…。
≫なんですか、それ。
≫石破さん、すごかったです。
≫顔面力っていうのは目力って意味ですか?≫目力ですね。
防衛問題になったときにキラーンと光る石破さんの目力、すごかったので。
≫じゃあ、本当に坂上さんこれで味を占めましたね。
生激論の坂上ということで。
≫いやいや…。
どうかひとつ、今度はご一緒にお願いします。
≫よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
≫こんにちは。
≫7月20日水曜日ですけれども。
本当にまた、昭和の怪物亡くなりましたけれども。
≫巨星、落つという感じもいたしますが本当に昭和を代表する名司会者であります大橋巨泉さんが今月の12日に亡くなっていたということがわかりました。
≫筑紫哲也さん、上岡龍太郎さん小倉智昭さん。
これは1991年に撮影された写真で数々の名司会者の前には大橋巨泉さんが。
≫司会者、タレント事業家としてマルチな才能を発揮しさまざまな場所で長年、活躍してきた巨泉さん。
先週火曜日、急性呼吸不全のため82歳の生涯に幕を閉じていたことがわかりました。
これは去年4月肺がんで亡くなった盟友・愛川欽也さんをしのぶ会の映像。
≫くしくも、これが最後の姿となってしまいました。
これは、2011年フジテレビで放送された番組の映像。
今月7日に亡くなった放送作家・永六輔さんとの対談の様子です。
≫そして現在のテレビ業界に物申す場面も。
≫ラジオをずっとやってきてるのはラジオって等身大なのね。
自分の寸法のままなの。
≫永ちゃんは、昔からそうだけどね、すごく自意識の強い人だから。
普通、我々はあとは野となれ山となれでテレビをやってましたよ。
だから、僕の主義っていうのは若いころからフィフティーフィフティーで好感度ナンバーワンのタレントになろうなんて夢にも思ってなくてフィフティーフィフティー。
巨泉、大嫌い。
巨泉、大好き。
半々なら大喜び。
うっかりすれば大嫌いが7割で大好きが3割でもいいと。
それで言いたいことを言ってきたけど永ちゃんっていうのはものすごい、1つは完全主義者なんだろうね。
もう1つはすごい自意識が強いものだから反省しちゃうんだよね。
俺なんか反省なんかしないもん。
≫テレビに対する情熱。
そして歯に衣着せぬ発言。
それが、巨泉さんの代名詞でした。
≫放送作家を経てテレビの表舞台に活躍の場を移した巨泉さん。
その名が広く知られるようになったのが大人の情報番組「11PM」。
当時はタブー視されていたギャンブルを取り上げる一方で社会問題を鋭く切るその軽妙な語り口で一躍、人気司会者へと上り詰めました。
その後も、「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」など数々の人気番組の司会を務めました。
「世界まるごとHOWマッチ」ではフリーアナウンサーとして小倉さんをナレーターに抜擢したのも巨泉さんでした。
師弟関係だった2人。
小倉さんは今朝「グッディ!」にこう語りました。
≫これは、「とくダネ!」のMCとなった小倉さんがその当時を振り返り巨泉さんにインタビューしたときの映像です。
≫巨泉さんの番組で特徴的だったのが…。
≫自分がタレントになったときも絶対に「さん」はつけなかった。
≫結構呼び捨てでしたね。
≫例えば五木ひろし君なら五木ひろし君に五木君って呼んでいて。
スタジオに来た途端に五木さんってやったんじゃこれ、本物じゃないでしょ。
だから僕のモットーは現役時代の。
楽屋の呼び名と本番の呼び名を同じにする。
≫番組内でビートたけしさんをたけしと呼んでいたように共演者に対し親しみある呼び方で呼ぶのも巨泉流でした。
ヒット番組の連発で快進撃を続けていた巨泉さん。
しかし、1990年大きな決断をします。
≫働くことだけがいいことじゃないし遊ぶこともいいことなんだということを言い続けてきまして。
死ぬまでにやりたいことをもうちょっと、じっくりプライベートにやってみたいという気が強いんですね。
≫50代半ばにして芸能界から退くという突然のセミリタイア宣言。
人気絶頂のうちに仕事を辞め長年、連れ添う妻と海外で生活することを選んだのです。
≫けんかするときはするんだけどやっぱり、こういう価値観を分かち合えるのはこの人しかいないなってお互いに感じられるような年輪の夫婦になったとしたらそれが幸せなんですよ。
総理大臣になるよりお金持ちになるより。
だから、その準備を若いときから始めましょうと。
≫次に巨泉さんが表舞台に戻ってきたのはそれから10年後の2001年。
≫自民党では100%できない。
それをわかってください。
じゃあ誰にやらせるかっていったら今のところ民主党しかないんですよ。
≫当時、最大野党だった民主党から参議院選挙の比例代表候補として突然、立候補したのです。
しかし、当選から半年後…。
≫辞めないで!≫辞めるのをやめてください。
≫ちょっと待ってください。
辞めるっていう記者会見じゃないんです。
もう、辞職願を出してきたんです。
ですから、もう辞めたんです。
≫党内で意見が食い違い、辞職。
自分が決めたことを貫く巨泉さんらしい行動でした。
この3年後、71歳の巨泉さんを病が襲います。
胃がんでした。
≫築地で発見された日本兵です。
≫何、バカなことを…。
≫どうでした?って聞いたら立派ながんです、だって。
≫4時間もの手術で胃の半分を切除。
手術後のインタビューでも巨泉さんはユーモアを交えながら闘病生活を語っていました。
≫早期の発見だったことから順調に回復。
3か月ほどで仕事にも復帰していました。
しかし、この8年後の2013年がんが再発。
今度は、のどの奥の部分中咽頭にがんが見つかったのです。
≫自覚症状は全くなかったという巨泉さん。
がんは、リンパ節への転移もあり進行度は4段階中、最も進んだステージ4A。
告知されたときはさすがに弱気になったといいます。
≫昔からは病は気からっていうけど気力がなくなったらかみさんに怒られてね。
≫妻にも背中を押され告知から11日後にはリンパ節に転移していたがんを切除しました。
≫これは手術翌日に撮影されたもの。
病院内を歩く巨泉さんは少しほっそりとした姿ですが術後の経過は良好で手術から1週間で退院しました。
しかし、手術では全てのがんを取り除くことができず次は放射線治療に入ります。
≫ただ、つらいらしいよ。
いろんな副作用がね。
放射線の治療がね。
≫その間は、酒はだめ?≫酒、だめ。
温泉、だめ。
温泉だめって言われてね俺、温泉でも入りながらと思っていたら、温泉だめ。
≫ゴルフは?≫ゴルフ、やってもいいけど体力あるかななんて言われちゃって。
≫大好きな温泉やゴルフを控え放射線治療を受けることを明かしたのです。
それでも、師弟関係にある小倉智昭さんに対しては…。
≫気持ちがなえたらだめかなって。
≫立ち向かわなきゃだめですね。
≫だから、治らないものは治らないがんは絶対治らない治るがんは絶対治るってことは医者が決めることじゃないと思う。
患者が決めることだからね。
≫インタビューが1時間に及ぶと…。
≫なんだ?これ、2時間番組か?≫しかしこのインタビューの1年後のおととし、12月リンパ節その後、右の肺にもがんが見つかり肺の3分の1を切除しました。
その後も手術を繰り返し闘病を続けていましたが先週火曜日、急性呼吸不全のため82歳の生涯に幕を閉じました。
テレビの世界で生きてきた巨泉さん。
自分のやつれていく姿を小倉さんにも見せなかったといいます。
≫この日がくるのはわかってましたよ。
あまりにも、ひどいっていう状況は聞いていたし。
見舞いに行きたいって言っても集中治療室だし本当に痩せちゃってるから本人、もう多分つらいと思うんだって。
だから、勘弁してって弟さんに言われてましたからね。
≫巨泉さんの妻・寿々子さんは巨泉さんの闘いをこうコメントしていました。
≫どうぞ大橋巨泉の闘病生活にアッパレ!をあげてください。
≫がんと闘い続けた大橋巨泉さん。
その闘いの日々をこのあと、小倉智昭さんが語ります。
≫改めて、今、VTRで見ますと本当に最後は満身創痍でいらしたんだなということが改めてよくわかりました。
ゲストにおいでいただいております。
≫大橋巨泉さんと親交の深かった小倉智昭さんにお越しいただいています。
よろしくお願いいたします。
≫小倉さんは12日に大橋さんが亡くなられてから面会はかなったんですか?≫おとといの家族本当にごくごく身内の方たちの通夜、密葬があったものですから。
おととい、会いに行ってきました。
棺に入っているまるで別人になった巨泉さんに会って今までありがとうございましたとお礼を言ってきましたけどね。
≫やっぱり、かなり小さくなられていたんですか。
大橋さんっていうと大きいというイメージが…。
≫80kg以上あったじゃないですか。
巨泉さんって。
背も高いしね。
しぼんじゃいましたもんね。
最後に体重測ったとき43kgだって言ってましたけどもっと少なかったんじゃないかな。
≫どんな言葉をかけられたんですか、小倉さん。
ただ、ひたすら僕は巨泉さんがいなければ今の仕事の状況には絶対なってなかったと思うので。
ひたすらお礼を言うだけでしたね。
あとは、僕の人生の分岐点にはこの40年間、必ず巨泉さんという人がいて。
その都度、うるせえなそこまで言うのかって思いながらもあとになって考えてみるといいサジェスチョンをくれているんですよね。
もう頭が上がらないですね。
≫今日は、風間さん。
風間さんも巨泉さんというのは小さいときから慣れ親しんできたテレビの巨人ですね。
≫僕は、夜中に、こそこそ「11PM」を見ていた中学生ですから。
本当に長いですよね。
≫私たち、みんなそうですよね。
≫そうなんですよね。
「ゲバゲバ」のころから実は小学生のころからずっとテレビが一番楽しい時代を見させていただいたなという印象ですね。
≫竹山さん、見たいんだけど見ちゃいけないって言われるしでも絶対、見ちゃうっていうそういうテレビの本当になんていうんだろう。
テレビの持つ、一番の魅力を体現してくれた名物司会者というか…。
≫自分がこういう仕事するようになったらいまだに「11PM」みたいな番組がやりたいって気持ちになるし初めて巨泉さんにお会いしたときに緊張していたら巨泉さんが、僕にお前、元気あるなって言ってもらったことやけにうれしかった記憶がありますね。
≫そういうひと言、ひと言が小倉さん、力というか重みのある方ですね。
≫特に、昭和のテレビ界においては最強の人でしたからね。
司会者であると同時に大プロデューサーだったので巨泉さんの言うことにほぼ狂いや間違いはないわけですよ。
この番組は35%とるからって言うと35%以上取るような人ですから巨泉さんに何かを言われると、みんな硬直するような人でしたよね。
≫まさに神様ですね。
≫本当に今、小倉さんがおっしゃったけれど小倉さんは、やっぱり巨泉さんのずっと背中を見ながら成長されてきて私たち現場の人間も小倉さんを見ながらその上に巨泉さんがいるという。
だから、巨泉さんのおっしゃっていたことを小倉さんが私たちに言霊として伝えてくれるんです。
「とくダネ!」が始まった時も数字が悪かったですが小倉さんが、この番組は絶対、これぐらいいくんだ!って言ったら1年後、そうなったりして。
本当、そういうこのツーショットを見るとうらやましいなと思いながらどこかで、小倉さんって巨泉さんのことを転がしながらすごくリスペクトされていて。
1週間ぐらい前から私は毎朝、小倉さんとご挨拶していると急に肩を落とされたので何かあったのかなと思ったらそういうことがあったんだってことを今日、初めて知ったんですけれど。
テレビと大橋巨泉さんっていうと東京で生まれられて82歳。
だから、愛川欽也さんや永六輔さんや本当に昭和九年会。
オヒョイさんなんかもいらっしゃいますが次々と最近そういう方が亡くなっていて「11PM」で初司会。
ただ、早稲田大学を中退したあと放送作家をされていらっしゃったのでいわゆるテレビマンではあったわけです。
そのテレビマンの手腕から司会者として抜擢されて。
そして「クイズダービー」というこれも国民的な週末のクイズ番組でしたよね。
そして、小倉さんと出会ったのが40年前だというので「クイズダービー」が始まったころでそれで、小倉さんというと「HOWマッチ」でのナレーションですから小倉智昭さんは7年、8年間「HOWマッチ」のナレーションまでは巨泉さんに見いだされながらなかなか開花しなかったのかなっていうのも。
≫競馬の番組だけは隣に置いてもらってね。
小倉、競馬なんでも知ってるからって立ててはくれたんですがじゃあ、ほかの番組くれるのかなというとなかったですからね。
巨泉さん事務所に入れてくれたのにやっぱり実力つかないと使ってくれないんだって思ってましたね。
≫でも、例えば今出てきているのをパッと見ても「11PM」とかっていう番組今もお話していたんですが本当に大人のおもちゃ箱というか大人のビックリ箱というか。
なんか、テレビの余裕というかね。
遊び心というかそういうものが、ぎゅーっと詰まった感じがするんですよね。
≫みんなの前でマージャンの話をしたり電車の中で競馬の新聞を広げて赤鉛筆で印をつけるなんていうのは当時できなかったんですよ。
それを、巨泉さんは本当に大衆のものにしましたね。
釣りもそうでしたしね。
≫と同時に、でも例えば「11PM」の中でも政治的な話題にも割合と切り込んでいっているわけですよね。
だから、あれもあればこれもあるっていう同じ舞台の土俵の上にそういう硬軟織り交ぜたものを全部、差し出して、大人が語り合うというんですか本音をぶつけ合うというんですかね。
≫それから、56歳90年、バブルの絶頂期で巨泉さんも人気絶頂期でしたが突然、芸能界をセミリタイアということで実業家になるんですよね。
だから、カナダや南半球、オーストラリアやニュージーランドにギフトショップを。
これが、大成功するんですよね。
≫そのころにはもう大成功してたのよ。
もっと前から「11PM」でカナダの旅とか、結構やってたじゃないですか。
そういうこともあったのでカナダにお店を始めたんですよ。
それが、本当にうまくいってバンフやバンクーバー。
そのあと、オーストラリアニュージーランドまでお店を広げていって実業家としても成功したしあとは、悠々自適に寿々子さんと遊んで暮らせばいいやっていう思いでセミリタイア宣言したんだよね。
≫でも、人気絶頂ですよね。
例えば56歳っていう年齢でセミとはいえリタイアってなかなか、できないですよね。
≫ただ、それから何年かして小倉セミリタイアしたんだけどさ暇なんだよな。
それで、小倉の番組に出てやるって言い出して。
たまに、海外で4分の3ぐらい1年、生活しているんですが戻ってくると出てやるって言っていろんな番組に顔を出しました。
≫基本的にテレビ大好きですよね。
≫大好きですね、テレビね。
≫テレビが大好きで大好きで仕方がないという。
≫テレビの箱の隅々まで知ってるっていう。
作り方とかねどういうふうにやったらお客様が喜ぶかとか。
どういう作りをすればいいかとか。
巨泉さんの番組スタートするときに一緒にやった人は大変なんです。
こんなもの、やれるのか。
もう一度、取材してこいって。
取材先、ヨーロッパだったりして慌てて、ヨーロッパ行って撮り直したり。
ダメ出しがあったり。
≫そういう意味では完璧主義なんですね。
箱の隅々まで知っていて箱の隅々まで自分の思いどおりのプロデュースするっていうね。
≫僕らも「とくダネ!」が始まったとき、99年ですかね。
小倉さんがほかの番組から朝にくるんだというときにミニ巨泉だといわれていたので相当、口うるさい人が司会者になるんだなって戦々恐々としたんですが全く正反対で。
穏やかな方だったので小倉さんが。
ビックリしたんですけど。
≫番組をやりながらラーメン屋始めたりしたじゃないですか焼き肉とか。
それで、なおさらミニ巨泉って言われたの。
≫実業の世界にも手を出すと。
≫僕は、いやでしょうがなかったんですけど。
でも、内心ちょっとうれしかったかなという。
複雑でしたね。
≫ミニがついちゃうって微妙じゃなかったですか。
≫あそこまでの巨泉さんにはなりたくなかったし。
巨泉さんはもう頑固でわがままですからまるまんま巨泉にはなりたくなかった。
≫なるほど、まるまんまの巨泉じゃなくてよかったと。
≫小倉さんはゴルフやるときだけは頑固ですけどね。
≫巨泉さんあんなもんじゃないよ。
巨泉さん、あんなゴルフの頑固は。
途中でいやだったら帰りますから。
≫すごいですね。
≫思い出も尽きないですけれどそんな中で病と巨泉さんの関係は、11年前まず早期の胃がん。
このときは、小倉さんとの取材の中でもありましたけどこのとき、比較的元気だったんですよね。
あと、中咽頭がんの手術の跡を見せられたとき比較的、元気だったというふうに今のVTRでもお見受けしたんですけれどやはり、去年辺りからですかね。
肺がんから腸閉塞そして、鼻の穴の中にもがんができた。
この辺りは、ちょうど大変な時期だったんですかね。
≫鼻腔内にがんができたときには手術ができないので放射線と抗がん剤治療だったようでそのときの副作用は相当、きつかったみたいですね。
≫泣き言みたいなことはおっしゃっていたんですか?≫いや、我々には言わなかったけれど奥さんとか、弟さんにはきついっていうことはおっしゃっていたみたいですよ。
≫生きている意味がないと。
ゴルフはできないワインは飲めない…。
≫原稿書けない生きててもしょうがないなって弟さんに言ったらねいや、日本には安楽死っていうのはないんだよって寂しそうにそうかって言ってたよなんて…。
≫そういう巨泉さんを見ていなくちゃならない周りもさぞかし、おつらかったんじゃないですかね。
≫去年の秋ごろ、腸閉塞の前は来年の5月か6月はまたバンクーバーとかに行ってゴルフをやるっていう話もしてました。
だから、ここまで急になるとは思わなかったんだと思うんですね。
お医者様にもそういう心配がないってまだまだ大丈夫ですからって言われてたみたいですからね。
≫そうだったんですか。
じゃあ、ここのところにきてやっぱり、がたがたってきたっていう。
≫そうですね。
寿々子さんの言葉の中にもありましたけど集中治療室に入る前に主治医のもとを…。
千葉に帰りたいといって東京の病院からいったん、帰るんですがそのときに、住まいの近所で病院があったら紹介してくださいよって言ったら病院が紹介してくれたらしいんですね。
それが在宅の緩和ケアの病院だったらしくてそこの痛み止めの注射とか薬とかに無理があったんじゃないのかなっていうようなことは皆さんおっしゃってましたけどね。
やっぱり、急に弱っちゃったので。
真実はどうかわかりませんけどね。
≫でもやっぱり周りの者とすれば≫大橋巨泉さんの奥様がマスコミ各社に向けてコメントを出されました。
その一部を読ませていただきます。
≫こういったコメントをいただきました。
≫奥様と40年間?≫47年かな、結婚して。
若い奥様でね14歳下なんですよね。
もともとは、少女雑誌の表紙などを飾っていた大変きれいな方で。
巨泉さんのご自分の番組で、ボーカルさせたりしてましたね。
本当にね仲のいいご夫婦なんです。
奥さんは巨泉さんのことをボンって言うんですよ。
≫なんでボンっていうんですか。
≫それはよくわからないんですけど。
僕も深く立ち入っては聞けないので。
で、巨泉さんは腰が悪いからどこに行くにも重い荷物は寿々子さんが持つんですよ。
そういう気遣いをして大変だったと思いますよ。
常に巨泉さんの体のことを考え巨泉さんの思うとおりにお料理を作ったりいろんなところに出かけたりしてるので。
控えめになさってましたけどね仲はとてもよかったですね。
≫コメントで、痛いことつらいこと、待つこと自分の意に染まないことは避けて通るって。
ある意味、最悪ですよね。
≫自分の思い通りにならないと気に入らない人でしたから実力があるから、それがまた許される。
テレビの収録終わるじゃないですか。
自分が、帰るときエレベーターの扉が開いて待っていないといやになっちゃうようなところがあるぐらいなんですよ。
だからあれだけ海外に行ってるでしょ。
飛行機が空港に着陸するじゃないですか。
一番最初に必ず、ドアのほうに歩いていかないと気が済まないんですよ。
≫それは、せっかちなんですか?≫せっかち。
もう、すぐ何かやらないともう、だめなところがありましたね。
≫きっとあれでしょうね。
奥様は何時に出かけるよって言っても10分前くらいから早くしろ!って言われてずっと我慢して頑張ってきたと。
≫周囲の人は大変だったと思いますよ。
≫その若い奥様というのも小倉さんもよく似てらっしゃって小倉さんもやっぱり師匠にならって若い奥様をお持ちでいらっしゃって。
≫巨泉さんのところは14歳下なんですよね。
僕は、15歳下なんですよ。
巨泉さんが媒酌人をやってくれたときにね。
披露宴でね、14歳下まではまともな結婚だと。
15歳下は、少女誘拐だって言いましたよ。
勝手でしょ?≫奥様のご様子はいかがなんですか?寿々子さんの。
≫相当憔悴していらっしゃいましたよ。
ただ、通夜の席でも皆さんに気を使っていらしてお酒を注いだりいろいろ会話をしたりほほ笑んだりしてましたけど。
内心はつらいでしょうね。
晩年は、2人でどこに行くにも一緒でしたから。
≫軍地さん、そういう、本当にわがままがまかり通っていった巨泉さんを支えてきただけにやっぱりその支えてきたっていうことが1つ、生きがいにももちろんなってらっしゃったと思うのでそれがなくなっちゃったらどれほど、ぽっかり心に空虚な穴が開くかっていうことでしょうね。
≫うちも、父が早く、亡くなっているのでそのあとの母っていうのが本当に、苦しんでいて。
見てるんですよね。
そのあと、周りがどうやって穴を埋めてあげるかってこともあると思いますし大きな方だったのでそれだけ穴も大きいんだと思います。
≫思い出したのが去年の愛川欽也さん同じ昭和九年会で愛川欽也さんが亡くなったあとのうつみ宮土理さんの心に、ぽっかり穴が開いたというのも思い出しましたけどね。
小倉さん、先週の火曜日にお亡くなりになってくしくも永六輔さんの訃報に私たちが触れているさなかだったと思うんですが発表のタイミングが今日であったのは何か…。
≫それは、家族だけで送り出してあげたいっていう気持ちが強かったんだろうと思いますね。
先に発表してしまうとやっぱり問い合わせだとかで奥さんも、かなりまいってしまいますから。
1週間くらい通夜までの間、あったんですけどその間、本当に皆さんに申し訳ないけどばれないようにするのが大変だって言ってましたね。
≫でも、やっぱりお二人きりでお別れの時間も必要だったわけですよね。
≫そうですね。
亡くなったあと、ご自宅に巨泉さん安置されていたようですからそこで奥様が亡くなった巨泉さんの手をずっと握っていたんですって。
そうしたら、手が暖かくなるのよねって。
ただ、葬儀屋さんにはあんまり温めちゃだめですよなんて言われちゃったのなんておっしゃってましたけど。
それだけ、巨泉さんとの別れが惜しかったという寿々子さんの気持ちが伝わってきますよね。
≫温かくなるほど≫大橋巨泉さんは長いテレビマン生活の中でもさまざまな言葉や文化ですとか歴史を残したんですけれど番組では右側からいくと「11PM」。
これは、本当に克実さんが夜の11時を過ぎるとって言っていましたけれども長い番組でしたよね。
25年間の番組で20年近く、司会を。
≫毎日ですからね。
≫巨泉さんは金曜日でしたけど。
番組自体はね。
≫1966年って克実さん、いくつですか。
≫始まったときは61年だから、5歳ですけどでも、5歳では見てなかったです、さすがに。
≫これ、巨泉さんのキャッチフレーズは野球は巨人司会は巨泉だったんですよ。
それで、広島に仕事に行くときに大橋巨泉事務所の車で行ったら事務所の車がぼこぼこにされたっていうことがあったという。
≫なるほど。
野球は巨人、司会は巨泉と。
そのとき「11PM」はそういうキャッチフレーズだったんですか?≫そうそう。
必ず出てくると野球は巨人、司会は巨泉って。
≫その番組で生まれた言葉というのが、実はボインという。
これ大橋巨泉さん発だったんです。
≫ミタパンに聞こう。
ボインって知ってますか。
≫ボインはわかります。
その次はわからないですけど。
ボインって胸が大きな方のことですよね。
≫そういうこと。
≫それはわかります。
≫ボインって結構昔の言葉かなと。
≫死語ではあるけれどわかります。
そういう言葉を発しはしないですけど。
私の年代。
でも知ってはいます。
≫これはでも日本語の語感というかリズムですね。
≫どうして生まれたのかな。
ボインって。
≫巨泉さんの相手役が朝丘雪路さんだったんですよね。
朝丘雪路さんって胸が立派じゃないですか。
それでボインってそこから出たはずです。
≫なんとなくの雰囲気なんですね。
≫雰囲気なんだと思います。
≫音だけなんですね。
≫音だけというと三田さんもわからないこの2つ目。
これ、実際VTRがあるのでご覧ください。
≫「みじかびのきゃぷりてぃとればすぎちょびれすぎかきすらのはっぱふみふみ」。
≫何語ですか?≫安藤さん、わからない?≫「はっぱふみふみ」自体に意味がないのはわかりますよ。
でも、その途中何を言っているのかわからない。
≫軍地さん、意外にサブカルチャーにお詳しかったので。
≫生きてます。
この時代。
でも、理解はしてなかった。
だけど、子ども同士これを言って遊んでましたね。
「はっぱふみふみ」って言ってました。
≫小倉さん、意味は?≫この当時このコマーシャルの万年筆の会社は経営的にちょっときつくなってたんですよね。
巨泉さんがコマーシャルに出るときに本当はコマーシャルは違うコメントがあったんです。
だけど、巨泉さんが面白がってこういうのやったらどうかなって言ってこの「はっぱふみふみ」をアドリブでやったらやたらに受けてしまって。
万年筆の売れ行きが一気に上がったっていう。
≫「はっぱふみふみ」自体に意味はあるんですか。
≫なんか、手紙のふみなのかもわからないですけどね。
≫「はっぱ」って九九みたいな感じですよね。
≫五七五七七になってますね。
短めのキャップを取ればすぐに書き出せて、手紙や文字がすらすらって、こんな感じできゃりーぱみゅぱみゅさんの歌みたいな感じですが意味はわからないけどリズムだけで伝わると。
≫巨泉さんは口から出まかせを言っておいてあとで、理由を考えるっていう。
≫これは天才ですね。
≫天才ですよね。
それでまた世の中にムーブメントを起こすというのは天才ですよね。
≫そんな中、下にいって一番下の「まるごとHOWマッチ」。
83年から90年。
世代によって、巨泉さんと番組で変わってくると思いますけど一番新しくなるとこの「HOWマッチ」。
ここで小倉智昭さんのナレーションと。
小倉さん、顔は知らないけど声は知っていると。
声でここまで、全国区になるという小倉さんこの番組との出会いというのは大きかった?≫初めはオーソドックスなナレーションだったんですよね。
それで、リオのカーニバルで紙の水着をつけた美女が腰を振りながらダンスを踊っている、その紙の水着が「HOWマッチ」っていうやつだったんですけど以下、小倉アドリブってなっていて2分ぐらいアドリブでまくし立ててたんです。
甲高い声でね。
そうしたら、それがやたら受けてしまって。
それで、だから言っただろう。
小倉はこの声なんだよって。
初めて巨泉さん…その声、聞いてるはずなのに次回から全部、僕の声になってほかにいたナレーターの方もいなくなってしまって。
私1人になったんですよね。
≫でも、テレビって巨泉さんっていうと「ゲバゲバ」なんですよね。
ナンセンスの塊みたいな番組だったじゃないですか。
≫宍戸錠さんとかね。
これは斬新な番組だったよね。
この番組であるとか後に「HOWマッチ」のあとにやった「ギミア・ぶれいく」とか。
今やったら逆に、バラエティーとしては受けるだろうなっていうような面白さがありましたよね。
≫「ゲバゲバ」ですよねあっと驚くため五郎。
ハナ肇さんが意味不明な、かつらをかぶって出てきて…。
小学校に行ってやりませんでした?≫やりました。
毎日やってましたね。
≫みんな、やりましたよね。
≫そのあとに関西弁のやつがあったんですよ。
それがね、あんたかてアホやろうちかてアホやほな、さいならって。
これがね、全然面白くなかった。
≫でも、そうやってみんな覚えているんですよね。
今は風間さんテレビ発のこういう言葉ってないような気がする。
≫パワーが当時と今と全然違う感じがしますね。
≫あとね、ナンセンスを喜ぶっていうかナンセンスを楽しむ余裕があったっていうか今よりうんとお行儀が悪かったと思いますが楽しかった。
テレビ復興庁みたいなことを言っていてもしょうがないんですけどでも、そういうのを本当に作り上げた方なんですよね。
≫「HOWマッチ」はね曜日が変わってから多少、数字は落ちたんですけどそれでも二十数パーセントあったんですよ。
25%ぐらいの時に巨泉さんが、もう≫最初に小倉さんが節目、節目にやっぱり巨泉さんの言葉があったとおっしゃっていたじゃないですか。
結構、厳しいこともおっしゃるんですか?≫厳しいことも言いましたね。
一度だけ、こっぴどく怒られたことがあって。
夏の新潟競馬、そのころ冷房があんまり完備してなくて炎天下、ものすごく暑い放送席で照り返しで43〜44度あったんですよ。
それで、ラジオの放送やりながら巨泉さん、そこにはいなかったんですけどもうこの暑さじゃ帰りたいよねって放送で言ったら、次の週に小倉、お前、自分で仕事やっていて帰りたいってなんだそれって怒られましたね。
プロだろって。
≫怒ったという…。
≫厳しいですね。
でも、ごめんなさい。
正論ですね。
≫正論です。
本当にそう。
あとになると思うね。
≫人間ってある程度の年になるとそういうふうに怒ってくれる人がいなくなるじゃないですか。
小倉さん、幸せでしたね。
≫幸せでしたね。
巨泉さんに怒られて。
まともに怒られて仕事なくなった人もいますけどね。
ディレクターとか飛ばされた人いっぱいいると思います。
だって、ディレクターで巨泉さんが辞めるか僕が辞めるかって言ったディレクターがいて巨泉さんがじゃあ、お前が辞めろって言って。
≫これだけの視聴率を取っているある種、キングですよね。
キングからどっちだって言われたら絶対キングが勝ちますよね。
≫だって全て準備が整っている番組を30分前にやめるんですから。
お弁当から、スタジオに入るお客さんからゲストからそれから、衛星回線全部、つながっている1時間番組をやめるんですから、直前に。
こんな台本でできないだろ。
帰るって。
≫本当の話ですか?≫本当の話。
≫どうなっちゃったんですか。
≫収録?またそれから何日か後に本を書き直してまたかき集められてやるんですよ。
≫でも本当にそこまでこだわってらしたということですね。
≫警視庁の偉い方が見に来ている中でね。
こんなものいらない交通違反ってあったんですよ。
交通違反の矛盾点なんかを番組でやる、その前の打ち合わせで、巨泉さん打ち合わせしているとき警視庁の方が壁に寄りかかって座ってたんです。
巨泉さんが言ったことに対して警視庁の方が巨泉さん、それは違うって言ったの。
お前は誰だ!これは、俺の番組だ出て行けって言って出しましたからね。
スタッフ、みんな青くなってましたよ。
≫今、本当に出てきたエピソードも他局の番組ですから小倉さんがいなければ成立しなかった時間だったかもしれませんけどそんな中、小倉さん巨泉さんのわがままをネタにしながらリスペクトをしていたじゃないですか。
一度だけ、小倉さんが巨泉さんにかみついたのが巨泉さんが選挙に出て、当選して半年で辞めたとき。
このときは、小倉さん本当に怒ってたんですよね。
≫生中継で巨泉さんと結んで巨泉さんが小倉さん、辞めちゃったよ。
≫先ほど、巨泉さんとはゴルフ仲間だったという高橋英樹さんがインタビューに応じました。
≫やっぱり巨泉さんっていうのは飛ばすんですか?≫年、とっても結構飛んでましたね。
おととし、最後に一緒にゴルフやったときは巨泉さんこんなになっちゃったかって寂しい思いをしましたけどね。
≫やっぱり飛ばなくなって。
≫飛ばなくなっちゃってティーグラウンド一番前からやってましたから。
巨泉さんにとっては屈辱だったんじゃないかなと思いますよ。
≫相当な負けず嫌いですか。
≫負けず嫌いです。
ものすごい、負けず嫌い。
≫じゃあ、小倉さんオーバードライブとかしちゃいけないわけですね。
≫できなかったですよ。
本当、飛んでたんですこのおやじ。
≫ちなみに、どれくらい飛んでるんですか?最盛期は。
≫最盛期、コンスタントに250ぐらいは飛ばしてたでしょ。
≫すごいですね。
≫コンスタントにですからね。
それに曲げないですしね。
アプローチとかパターとか、うまいですよ。
2016/07/20(水) 13:45〜14:50
関西テレビ1
直撃LIVE グッディ![字]
きょうで選挙戦1週間…都知事選主要3候補の動き密着!選挙戦略を練る参謀たちの存在に注目▽命の危険も…気温下がっても要注意“湿気の恐怖”“隠れ脱水”とは
詳細情報
番組内容
個性派人気俳優・高橋克実と報道キャスター・安藤優子がお届けする「フツーのニッポン人の見たい情報に日本一寄り添う“ちょっと硬派な、どワイドショー”」。事件、事故、政治、経済、芸能、スポーツ、グルメ、健康…、視聴者が見たい、知りたいと思うあらゆる情報を、視聴者が知りたいように、知りたいだけ伝える番組です。
番組内容2
午後の時間帯は、ニュースがまさに動いている時間帯。その「現場の今」を徹底的にLIVEで伝え、曜日ごとに登場する日替わりの芸能人パネラー、各分野で活躍する専門家ゲストが、様々なニュースに斬り込みます。
そして、ニュースだけでなく流行、グルメ、趣味、健康などの生活情報も、テーマの新鮮さ、情報量の多さで、視聴者の知りたい欲求に応えていきます。
番組内容3
『直撃LIVE グッディ!』は、そんな「視聴者ファースト(第一)」な番組です。
出演者
【キャスター】
高橋克実
安藤優子
【進行アナウンサー】
三田友梨佳(フジテレビアナウンサー)
【情報キャスター】
倉田大誠(フジテレビアナウンサー)
【パネラー】
〈月〉 東貴博(Take2)
〈火〉 高橋茂雄(サバンナ)
〈水〉 カンニング竹山
〈木〉 川島明(麒麟)
〈金〉 土田晃之
ご案内
※放送内容が変更になる可能性があります。
ジャンル :
情報/ワイドショー – 芸能・ワイドショー
ニュース/報道 – 定時・総合
情報/ワイドショー – グルメ・料理
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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