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THE NEW GATE 作者:風波しのぎ

『第三巻・ファルニッド獣連合(書籍化該当部分)』

11/53

【3】

 シン達が寝室に向かった後、ジラートは私室にヴァン、ラジム、ウォルフガング、クオーレの4人を呼び出していた。

「おう、疲れているところ悪いな」
「何か、話し合うべきことでも?」

 ジラートの様子から何かを感じたのだろう、ウォルフガングが4人を代表して訪ねる。

「いやなに、死に場所が見つかったんでな。お前達には伝えておこうと思ったわけだ」

 ちょっとそこまで、とでもいうような気軽な口調でジラートは言った。もちろん内容は気軽さとは程遠い。

「…………は?」

 ジラートの唐突な発言に、ウォルフガングは気の抜けた返事を返した。当然だろう。いきなり死に場所が見つかったなどと言われて、はいそうですかと返せるわけがない。

「どういう、意味でしょうか」
「そのままの意味だ。ワシの寿命が近づいているのは教えたな? その前にシンと決闘を行う。そこがワシの死に場所だ」
「なぜ、今なのですか」
「ワシの力を最大限発揮できるのが3日後なのだ。それを過ぎれば、あとは老いさらばえていくしかない。そんな状態で決着をつけるなど、戦士の矜持が許さん」

 最後は戦士として死ぬ。そう告げるジラートにウォルフガングは何も言えなくなる。
 家族を守り、子を残し、全てをなした後、未練を残すことなく戦いの中で果てる。それは戦士の一族である狼人族――狼型(タイプ・ウルフ)はそう呼ばれている――にとって最高の死に様なのだ。
 ましてやその相手が伝説の種族であるハイヒューマンとくれば、誰もが羨むことだろう。

「来るべき時が来た、というところですな」
「うむ、王から寿命の話を聞いたとき、このまま終わるとはついぞ思えなかったがそういうことであったか」

 沈黙するウォルフガングに代わり、ラジムが納得したようにつぶやく。ラジムの言葉に続くように、ヴァンもうなずきながら心情を吐露した。
 こちらはウォルフガングのような悲壮感はなく、微かな安堵を感じさせた。

「なんで、そんなに落ち着いているの?」

 そんな2人に疑問を投げかけたのは、クオーレだ。普段の形式ばった口調を維持できないほど、動揺しているらしい。

「お嬢、生涯最後の戦いをハイヒューマンと死合えるなど、これ以上の栄誉はない。王の直系であるなら、それはわかるだろう?」
「わかるよ! わかるけど、ヴァンたちみたいに落ち着いてはいられないよ」

 諭すように言うヴァンに、勢いを落としながらもクオーレは反論する。理解していても、納得できないのだ。その強さを身近で感じてきた分だけ、ジラートがすんなりと死ぬところなどクオーレには想像できなかった。

「クオーレよ」
「……はい」
「お前は少々ワシを美化しすぎているな」
「そんなことは――――」
「ないとは言えまい?」

 先ほどの軽いノリを消し去り、初代としてクオーレに話しかけるジラート。だが、その姿はどこか、孫を可愛がる祖父のように、様子を見守る3人の目に映っていた。

「ワシは長く生きた。同胞が倒れ、その息子が逝き、残された孫をみとったこともある。何故ワシは死なんのか、晩年はよく考えるようになった。その答えが3日後にやってくる」
「…………」
「これはな、クオーレ。ワシがシンを、自らの主と決めた者を見送った時に、唯一残した未練なのだ」
「み、れん……」
「ああ、ついぞ叶うことのなかった、願いでもある」
「……はい」

 ジラートの言葉には悲壮感など微塵もなく、ただ静かに燃える戦いの意思が宿っていた。部屋の中にいる誰もがその熱を感じている。これを止めることなどできはしない。戦士として一流であるが故に、誰もがそれを理解できてしまった。それを止めるのは、むしろ侮辱だとわかってしまった。
 感情を露わにしていたクオーレも、今ではただうなずくことしかできない。

「場所はラルア大森林。我が最後にして最大の戦いだ。見届けよ!」
『はっ!!』

 初代獣王としての最後の命。
 腹心の部下と直系の子孫たちは、声をそろえてその命を受け入れた。



 ◆◆◆◆



「シン殿! お迎えにあがりました!」
「ん?」

 翌朝。シンがユズハとともに身支度を整えていると、部屋の外から声がかかった。
 どこかで聞いたような、と思いながらシンが障子を開けると、そこには居住まいを正したクオーレがいた。

「朝食の用意ができております。どうぞこちらへ!」
「あ、ああ。ありがとう」

 夕食の席ではあまり喋っていなかったので、声だけでは誰かわからなかったのだが、侍女ではなくクオーレがいるというのはどういうことだろうか。

「えーと、なぜにクオーレが迎えに? 昨日、夕食を伝えてくれたのは侍女さんだったよな」

 建前上、シンはウォルフガングの客人ということになっているので、夕食時などは侍女が迎えに来てくれたのだ。

「私から言って代わってもらいました」

 それこそなぜに? と思うシンだが、同時に昨日の夕食時もこんな感じだったなと思いなおす。どうもクオーレの中でハイヒューマン、とりわけシンの存在というのはかなり美化されているようなのだ。話こそたいしてしていないが、それでもシンに対する態度や視線が雄弁に語ってくれていた。
 ジラートの主だというのもあるのだろう。どうやら幼いころから聞かされてきた逸話の数々に、強い憧れを抱いているらしかった。
 シンからすれば、やらかしたことを脚色されて伝えられているのは罰ゲームでしかないわけだが。

(なんだか、イメージが先行しすぎてるような気がする)

 だからだろうか、今日のクオーレは昨日よりもテンションが高い気がした。少し心配になってしまうシンである。
 ただ、ジラートが自分との決闘のことを伝えただろうということを知っているせいか、どこか無理やりテンションを上げているようにも見えた。
 さてどうしたものかと思いながら歩いているルートを確認すると、夕食時とは違う場所へ向かっていることに気付く。

「行先は昨日の広間じゃないのか?」
「はい、ジラート様の私室の方に案内するようにとのことです」

 夕食は宴会状態だったので、朝は落ち着いて食べようということだろうか。仕事の都合上、クオーレは先に済ませているらしい。

「こちらです。お連れ様ももうすぐ来ると思います。では、私はこれで」
「わざわざありがとな」

 一礼して去っていくクオーレに礼を言って部屋に入る。中にはジラートとヴァン、ラジムがいた。
 しばらくして、ティエラとシュニーもやってくる。

「では、いただくとしよう」

 あいさつを済ませて朝食を食べ始める。内容は白米、みそ汁、焼き魚に漬物とどこかで見たような献立だ。
 朝食を食べ終えると、今後のことについて話すことになった。

「シンには装備の方を頼むが、ほかにはとくにこれといってやってもらいたいことはない。観光でもしてのんびりしていてくれ」
「じゃあ、図書館のある場所を教えてくれないか? 過去の資料がある場所でもいい」
「ふむ、わかった。許可のいるものもある、それも含めて手配しておこう」
「助かる」

 ベイルリヒトではわからなかったことが何かわかるかもしれないと、許可をもらうつもりだったのだ。初代獣王の許可があれば、禁書の類も見れるだろうという目論見があった。どうやら問題なさそうだ。

「シュニーとティエラはどうする? 」
「私はシンの手伝いをします」

 当然とでもいうようにシュニーが即答する。のんびりするとか、観光するといった選択肢はないらしい。

「えっと、私も図書館について行っていいかしら? 興味があるんだけど」
「一緒だとジラートの装備を直してからになるぞ?」
「かまわないわ。装備を直すってことは、古代(エンシェント)級の武器を扱うんでしょう? そっちも興味があるわ」

 以前渡したメッセージカードの研究を進めていたティエラだが、それはそれとしてシンのする作業にも興味があるらしい。
 いまだ仕組みの一部を解読できていない研究の方は、急ぐことでもないので後回しにするようだ。

「じゃあ決まりだな。ジラート達はどうするんだ?」
「ワシはまあ、身辺整理というやつだな。ついでに伝え損ねていたスキルをウォルフガングに伝えるつもりだ」
「昨日の話だと、秘伝に至ってるくらいか?」
「奥伝まではほぼ習得している。秘伝書も確実性が失われているからな。どうなるかはあやつ次第だ」

 ステータスの話を聞いていたので、習得している武芸スキルのランクを予想するシン。
 THE NEW GATEにおいて武芸スキルのランクは5つの段位に分かれている。
 基本技中心の初伝。レベルアップで覚える技が多い中伝。初伝と中伝を鍛えることで覚える奥伝。特別なクエストをこなしたり、通常とは違う行動をすることで身につける秘伝。そして初伝から秘伝までのすべてのスキルを最大まで鍛えることで覚える、至伝。
 ステータスの数値にも条件があるので、至伝に至っているプレイヤーは皆上級プレイヤーばかり。ウォルフガングのステータスでも秘伝がやっとといったところだった。
 そこは納得したシンだったが、最後にジラートが口にした言葉に眉をひそめる。

「秘伝書を使って失敗することがあるのか?」

 条件さえ満たしていれば失敗することなどなかったはずなので、その情報にシンは驚いた。何か、別のファクターが出現しているというのだろうかと、思考を巡らせる。

「武芸、魔術。どちらも使い手の精神状態に左右されることがわかっている。早い話が、精神的に未熟な奴には例えステータスが高くても覚えられないってことだ」
「……なるほど。心身ともに強くしろってことなのか」

 武道においては当然の話で、いろいろと考えたのが馬鹿らしくなるシンだった。高校時代に弓道部に所属していた身としては、違和感の感じようもない。武道とはそういうものだ。
 心と体を鍛え、技を磨く。戦う技術を身につける者の当然の務めだろう。

「そういうことだ。まあ、ウォルフガングについちゃあ心配はしていないがな」
「たしかに、真面目そうだったからな。いかにも武人って感じだったし」

 シンは本物の達人や武人と呼ばれる人物に会ったことがあるわけではないが、それでもウォルフガングからは清廉な気配とでもいうようなものを感じていた。心の未熟な者に、あの気配は纏えないだろう。

「あれで自慢の子孫だからな。そう言ってもらえるのは嬉しいもんだよ」
「孫を自慢する爺さんになってるぞ。さて、腹ごしらえもすんだことだし、俺は準備を始める。月の祠を出したいんだがどこか開けた場所はあるか?」
「鍛練用の広場がある。そこなら大丈夫だろう。ヴァンは案内を、ラジムは許可証を頼む。ワシはウォルフガングのところに行く」
『承知』

 ジラートが指示したとおりにヴァンとラジムが行動を開始する。
 ヴァンの案内でシン、シュニー、ティエラの3人は屋敷の裏手にある広場へ移動した。ちなみにユズハはシンの頭上、カゲロウはティエラの足元をトコトコ歩いて移動している。

「ちょっと下がっててくれ」

 ヴァンを後ろに下がらせ、シンはネックレスを外す。そして、それを広場に投げると同時にキーワードを口にした。

「『解放(リリース)』!!」

 その言葉が発せられると、途端にネックレスが光を放った。ネックレスの形をしていた光は、次の瞬間には大きく膨張し、家の形をとる。そして、光が消えると、そこには月の祠が出現していた。

「ふむ、これが店主のみが行使できるという技ですか。見ると聞くとでは大違いですな」

 初めて見たヴァンは感心した様子で月の祠を眺めている。しまうところを見ていたはずのティエラも、あらためてその出鱈目さに顔をひきつらせていた。いつものことと、まったく反応を示さなかったのはシュニーだけである。

「さ、入るぞ。ヴァンはどうする?」
「もし可能でしたら、武具を直す工程を見せていただきたい。このような機会、次はないでしょうからな」
「オーケー。普段は見せないがジラートの側近ならいいだろう。ついてきてくれ」

 そう言ってシンは月の祠の中に入る。カウンターを抜けて、一路鍛冶場へ。他のメンバーもなんだかんだでついてきていた。

「なんだか見学会みたいだな」
「そりゃそうでしょ。鍛冶を極めたって人の技を見れるなんて、もうあり得ないと言っていいことなのよ? 誰だって見たいわよ」
「くぅ、見てるのおもしろい」
「グル」

 ティエラの言葉に続くように、ユズハとカゲロウも声を上げる。ユズハが言葉を発したあたりで、ヴァンが「えっ……?」とでも言いたげな顔をしていた。そういえば、喋れることを伝えてないなと今さらながら思い出したシンである。
 エレメントテイルなので普通のモンスターと違って喋れるんです、と少々強引にヴァンを納得させ、作業を始める。
 驚きはしたが神獣だし、で納得したヴァンはとくに追求せずにシンの作業に目を凝らした。

「まずは、状態の把握から」

 カードを実体化させ、両手で抱えるように防具を持つ。シンが魔力を走らせると、防具自体も七色に輝きだした。それに合わせて、シンの脳内に足りない物がリストアップされていく。

「……オリハルコンだけでいけるな」

 リストを確認してから、シンは防具から片手を離しアイテムボックスを操作する。左手だけで抱えられることになった防具だが、光を発したまま両手で抱えられていた時と変わらずに空中で保持されていた。
 足りない素材を取り出し、具現化させるシン。出現したのはクリスタルのように透き通った透明な金属塊、オリハルコン。シンが右手をかざして何か動作を行うと、オリハルコンは端の方から(ほど)けるように細い糸に変化していった。

「これが……御技…………なるほど、誰も習得できぬはずだ」

 摩訶不思議としか形容できない現象を前に、ヴァンがぼそりとつぶやく。ヴァンはもとは鍛冶担当として作成されたキャラクターだ。それゆえ、一般の鍛冶師程度の技量はある。だからこそ、目の前で起こっていることの異常さが、この場にいる誰よりも理解できた。
 オリハルコンが自らその形を変えていく光景を前に、ただ呆然と見続けるしかない。

「破れた部分を補修。全体にオリハルコンを行き渡らせて強度を回復。魔力を馴染ませて――――」

 とうのシンはと言えば、作業に集中していてヴァン達の状態には気づいていなかった。当然だ。今シンが手にしているのは、言うなればジラートの死に装束。最大限の敬意を持って作業に当たっているのだから、周りに気を使う余裕はない。見学を許したのも邪魔をすることはないだろうという理由のほかに、気にする余裕はないだろうという予感があったからだ。
 全神経を集中させて、最高の状態まで復元する。それがシンのやるべきこと。
 時間にしておよそ30分。七色の光が消えると、そこにはボロボロだったのが想像もできない、どこか触れるのをためらわせる道着タイプの防具が存在していた。

「ふう、完了だ」

 わずかに浮いていた汗をぬぐって、シンは防具をカードに戻す。ゲームなら数分で終わる作業も、実際にやるとなかなかに時間がかかることを実感していた。できるというのは直感でわかるのだが、魔力操作がまだ完全ではないのでどうしても通常より時間がかかってしまうのだ。それでも、同じように魔力を使って魔術スキルを行使するときより格段に精度が上がっているあたり、さすがは鍛冶を極めた者といえるだろう。道着のような柔軟性のある古代(エンシェント)級の装備を修復するには今回の方法が最も効率が良いのだ。他の方法もあるが、どうしても効率やその他の面で一歩劣る。

「ねぇシン。さっきのは、鍛冶って言えるの? 私には魔術スキルにしか見えなかったんだけど」
「ああ、たしかにはたから見ればな。でも、あれは鍛冶スキルを網羅していないと金属の形を変えるどころか、一瞬で屑鉄以下の品質になるんだ」

 シンもかつてその条件を知らず、オリハルコンやミスリルを屑鉄に変えた経験がある。苦労してそろえたレアな金属が、目の前でボロボロの屑鉄になった時はさしものシンも心が折れかけた。

「……何よそれ」
「なんでも魔力が変質するらしい」

 スキルの説明欄にそんなことが書いてあったはず、とシンは今しがた使用したスキルの説明欄を呼び出して確認する。魔力操作を誤ると魔力が変質し、金属としては最低の品質になると書かれていた。

「ちなみに熟練度が足りないと、修復のときでも同じ現象が起こる」
「まさか、実体験?」
「……オリハルコンで作った鎧を修復してるときにミスって、屑鉄の鎧にしたことがある」

 当時を思い出し、あのときはふさぎこんだな、と感慨深い気分になるシン。その話を聞いたティエラは、大きすぎるリスクになんとも言えない気分になっていた。

「鍛冶師って意外とリスクの大きな職業なのね」

 オリハルコンが屑鉄、のくだりでつい損害額を計算してしまうティエラ。月の祠で商品を扱っていたので、ある程度市場価格というものを知っていたのだが、鎧を作るほどの量のオリハルコンなど、集めるだけでいくらかかるか想像もできない。それが一瞬で無価値になるような作業があるなど、ティエラには考えたくもなかった。

「普通はミスってもインゴットに戻すとか、他のアイテムに再利用って方法がとれるんだけどな。こればっかりは再利用どころか完全にゴミになるから困る」

 普通に鍛冶で失敗したなら、再利用の方法はいくつかある。もちろん元になったアイテムがそのまま戻ってくるようなことはないが、それでもないよりはましだ。だが、シンがとった方法はどうやっても再利用はできない。ゲームではNPCに売っても買い取り価格は0だった。
 熟練度を上げるために一体どれだけの希少金属をゴミに変換したのか。ゲームでなければとてもできることではない。

「失われた理由は、職人の技量だけではなかったのですな。オリハルコンを練習に使うなど、今の鍛冶師には狂気の沙汰でしょう」
「だよな。今オリハルコンってどのくらいの値がするんだ?」
「ファルニッドでしたら、拳大のインゴットで白金貨が動くかと。加工できる者は数えるほどしかおりませぬが、皆目の色を変えて競り落とそうするのは明白。何倍の値になるかはわかりかねますな」
「わかってたけど、すごいな」

 剣一本作ったらいくらになることか。アイテムボックス内にある各種希少金属は、他の鍛冶師には見せられなそうだ。

「金属類を売るのはやめとこう。さて、話はこのくらいにして次にうつるか」

 シンが次に取り出したのは、ジラートの専用武器【崩月】だ。こちらは防具よりもさらに高位の武具なので、手甲の表面が少し削れているくらいだ。耐久値も9割以上残っている。
 万全を期すためにこちらも修復する。今度は【崩月】を台の上にのせ、さらにその上に少量のインゴットをのせる。

「なに、あれ……」
「もしや、あれは……」

 インゴットを見たティエラとヴァンが、かすれた声を漏らす。【崩月】の上にのせられたインゴットはシュニーを除き、その場にいた誰も見たことがないものだったからだ。
 鈍く輝く金属は、色としては黒。しかし、その表面にはメインとなる色とは別の、大小様々な煌きが見て取れた。それは満天の星が輝く夜空のようであり、数々の銀河を内包した宇宙のようでもあった。
 魔力に敏感なティエラはその金属が途方もない魔力を内包していることを理解し、驚愕する。魔力を帯びた金属は何度も目にしていたが、目の前の金属はそれらのはるか上をいく。このままでも魔術の触媒にできそうだと考えてしまう。
 金属に詳しいヴァンは、その正体が頭をよぎった。オリハルコン、アダマンティン、ミスリル、ヒヒイロカネ、そのどれとも違う、だがそのどれよりも格上と感じられる金属。そんなものは1つしか思い当たらなかった。それが鍛冶師の間では幻と呼ばれ、その実物を見た者はいないとすらいわれるものだったとしてもだ。

「ふっ!!」

 驚いている二人をよそに、シンはいつの間にか取り出していた鎚をインゴットの上から【崩月】に打ちつけた。キンッという甲高い音と、それに追従して起こった現象に二人はまたしても目を奪われる。
 シンが鎚をインゴットに打ちつけると、インゴットが溶けるように消えていく。そして、下に置かれていた【崩月】の傷が消え、完成したばかりとでもいうような輝きを放ち始めたのだ。
 数回鎚を振り下ろしたところで完全にインゴットは溶け、新品同然の【崩月】が台の上でその存在を主張していた。

「よし、こっちも完了だ。我ながら完璧な出来だな」

 驚愕する2人に気付かず、完璧な状態になった【崩月】を眺めながらシンはうんうんとうなずく。これならば使い手のどんな要求にでも応えてくれるという確信があった。
 いつまでも眺めているわけにもいかないので、カード化してアイテムボックスにしまう。お待たせと言って振り返ったシンが見たのは、なんとも表現に困る顔をしたティエラとヴァンだった。
 シュニーは特に変化はなく、ユズハとカゲロウはなんだか興奮しているようだ。くーくー、グルグルと何やら会話している。

「シン殿。1つ、1つだけお聞きしてもよろしいか」

 固まっていた2人のうち、先に動き出したのはヴァンだった。ずいっと顔を寄せ、有無を言わせぬ勢いで迫ってくる。象型のビーストだけあって、その迫力はかなりのものだ。シンは少しひいた。

「話は聞くからとりあえず落ち着いてくれ。つか近い近い!」
「む、申し訳ない。しかし、先ほどシン殿が取り出した金属、あれは、まさかキメラダイト、それも最上級のものでは?」
「ん? ああ、たしかにそうだ。でも、よく知ってたな。キメラダイトでも種類があるから、ぱっと見てわかる奴ってあまりいないんだぜ?」
「種類がわかったわけではありませぬ。鍛冶師に伝わる伝説のようなものなのです。星の輝きを宿した闇色の金属。キメラダイト。それを使って作成した武器は上位の竜種すら簡単に屠れると伝わっております。人によっては、ただの空想上の産物だという者もいるくらいで」
「なるほどな。たしかにこれが作れるやつってかなり限られてたからな。市場にはまず流通しなかったし」

 ゲーム時代ですら上級の鍛冶師の知り合いでもいなければ、まずお目にかかれない品だった。インゴットでそれだ。かつて、キメラダイトで出来た武器を引退するプレイヤーが気まぐれで市場に流したことがあったが、それはもう凄まじい争奪戦が巻き起こった。
 上級プレイヤーですらフル装備をそろえるのは至難の業。1つでも持っていれば、有名人になれるほどだった。もちろん、六天メンバーは金属系の武器防具はすべてキメラダイトという反則仕様だったのは言うまでもない。

「ところでシン。さっきとはやり方が違ったけど、何か意味があるの?」

 シンがヴァンを落ち着かせたところで、ティエラが疑問を口にした。防具を直した方法なら、わざわざ槌を使わずとも直すことはできるはずだった。

「それは【崩月】が武器で、そのランクが最高だから、だな。どっちも等級としては古代(エンシェント)級だ。でも、その中でさらに格付けがある。防具の方はランクとしては古代(エンシェント)級の中位。金属を魔力と一緒に編み込んだ糸を使ってたから、あの方法が早くて効率的だった。対して【崩月】は古代(エンシェント)級の上位。ここまでくると俺が魔力を出しながら直接打ち込む必要がある。防具と同じ方法でも直せなくはないが、こっちの方が効率がいいし、何より失敗する可能性がない」

 同じ等級でも格差があることは知っていたティエラ。しかし、まさか最上級、世界の断片とすら言われる古代(エンシェント)級にまで、その格付けが適用されるとは思っていなかった。
 シンの説明によれば、格付けや武具の性質によって最も適したメンテナンス方法があるらしい。他の方法でもできなくはないが、その場合、例の変質が起こる可能性が跳ね上がるようだ。適した方法で行えば、技量さえしっかりしていれば失敗する可能性ほぼないという。

「鍛冶は専門外だけど、認識を改めなきゃいけないわね。あんなに精密な魔力操作なんて、魔導士でもなきゃできないわよ」
「なんだかんだで、魔力操作ってのはどこでも必要になるってことだな。生産職なら、上級に近づくほど魔力操作の腕が必要になるし」
「錬金術でもそうだったけど、1つを極めるのってやっぱり大変ね。少しは腕に覚えがあったんだけど、これじゃ一人前だなんてとても名乗れないわ」

 錬金術師としては一人前と言って差し支えないくらいの腕を持っていたティエラだったが、それがあくまで今の(・・)時代から見た一人前でしかないと気付いて少しへこむ。シンのいた時代では半人前にすら至っていないのではないかと、思わずにはいられない。
 分野もやっていることもまるで違うが、頂点を極めた者の仕事ぶりを見てティエラには感じるものがあった。

「ゆっくりやっていけばいいって。そんなに簡単に腕が上がるわけでもなし」

 ティエラの肩を軽く叩いて、シンは鍛冶場の入口へ向かう。やることは終わったので一同もリビングの方へ向かうことにした。
 シン達が移動すると、店の入り口の開く音が聞こえた。タイミングから考えるとラジムだろう。

「シン殿。こちらが資料館の制限エリアの閲覧許可証になります。お納めくだされ」
「ありがとう。助かる」

 予想通り、店に入ってきたラジムから許可証を受け取る。とどまる理由もないので、全員外に出てから月の祠を収納し、シュニーの案内で資料館へ向かうことになった。ずっと一緒にいるわけにもいかないので、ヴァンとラジムは屋敷の方へ戻っていった。
 屋敷の裏口から市街地へ出ると、ティエラが歩く人の多様さに驚いていた。
 ベイルリヒトでも人は多かったが、それはあくまでヒューマンが多かったにすぎない。全体でいえばビーストやピクシーなどの人と違った特徴を持った種族は多くなかった。だが、ここはビーストの国。さまざまな動物的特徴を持ったビーストが、所狭しと歩いている。見た目もモデルとなった動物が服を着て二足歩行しているタイプや、人の体に尻尾や耳がついたタイプなど統一性がない。同じ大勢であっても、ビーストの方が見たときの驚きは大きいのだ。

「ビーストは見慣れていると思ってたけど、数が多いだけでこんなに印象が違うのね」
「一番外見がバラバラな種族だからな」

 人によっては体は人型のまま、顔だけ動物などという組み合わせにしていた者もいた。組み合わせの自由度が高くていい、とは知り合いだったビーストの言葉だ。

「ビースト以外の方でも、ビーストの気分が味わえるアイテムもありましたからね」

 シュニーが言っているのは、付け外し可能な獣耳や尻尾などのアイテムのことだ。所謂コスプレアイテムである。意外と女性プレイヤーにも人気のあったアイテムだ。男性プレイヤーが女性プレイヤーにつけてほしいと懇願するアイテムでもあったが。

「そういえば、私もいくつか持っていますね」
「もしやあれか!」

 シュニーは腰のポーチから出したように見せかけて、アイテムボックスからカードを取り出す。もちろん、それは以前シンがシュニーに渡したコスプレアイテムセットだ。アイテムを実体化すると、シュニーの髪に合わせて調整された銀色毛並みの犬耳とふさふさの尻尾が、その手に握られていた。
 かつてシン達六天メンバーの一部が暴走気味に作成したアイテムだ。とにかく質を求めたが故の高品質と、各種オプション。ただのコスプレアイテムとは言えない代物だったりする。

「すごいですね。本物そっくりじゃないですか」
「シンとレード様、カシミア様、ヘカテー様の合作です。本物に近づけるとかで、つけると自動で他種族の特徴を隠す機能が付いているんですよ…………どうですか?」

 そう言ってコスプレセットを装備するシュニー。たちまちエルフ特有の長い耳が消え、頭上には犬耳が、尾てい骨のあるあたりから同じ毛色の尻尾が出現した。ハイエルフの美女が、ハイビーストの美女に早変わりである。
 ちなみに、現在シュニーが着ているのは下はホットパンツとブーツ、上は薄青色のシャツに丈の長いジャケットだ。月の祠の制服はとにかく目立つので、動きやすい冒険者風の服装に着替えてあった。
 膝近くまであるジャケットの上からベルトを巻いて、そこにポーチをつけている。ゲーム時代の装備の一つで、ジャケットは腹のあたりから左右に別れてボタンを閉めても足の動きを阻害しないようになっている。シュニーは腹の前とその一つ上のボタンだけを閉め、他は開けたままだ。その理由は二つ。一つはすべて閉めるほど寒くないこと。もう一つは胸囲の関係で完全には閉まらないことだ。
 ゲームの仕様では、鎧だろうがドレスだろうが装備するものの体格に自動であうようになっているが、あえてその機能をつけないこともできた。シュニーが着ているのは、以前六天のヘカテー監修のもと作成した装備だ。性能がいいのはもちろんのこと、シュニーのスタイルを強調するセッティングになっている。ヘカテーいわく、美女美少女にエロい、もしくは可愛い衣装を着せたいのは男だけではない、とのこと。
 現在シュニーが着ているのは色香に重点を置いているタイプだ。シュニーのような男のロマンを体現したようなスタイルをしていると、その効果はさらに一段階レベルが上がる。ベルトで絞められた腰との対比で、ジャケットの中でシャツを押し上げている胸のふくらみが余計に強調された状態になっている。
 そんな状態のシュニーが、てれたように仄かに頬を染めて聞いてきたのだ。

「……すごく、似合ってる」

 人形そのものの反応しかしなかったNPCのころならともかく、今のシュニーにそんなことを聞かれては似合っている以外に何を言えばいいのかシンには思いつかない。あまり見慣れていない活動的な服装も、犬耳とよく合っていた。
 シュニーはシュニーでその言葉を聞いた瞬間、顔の火照りが一段階上昇していた。自分の言動が唐突だったと今になって気付いたようだ。

「……エ、エルフは目立ちますし、ビーストに扮していた方が周囲に溶け込めます。外にいるときはこっちの方がいいですさあ資料館へ行きましょう案内します」

 多少つっかえながら早口で言うと、シュニーは早歩きで移動を始める。後半など息継ぎなしだ。
 もしつけ耳をしていなければ、エルフ特有の長い耳が真っ赤になっていただろう。シュニーの頭上で揺れる犬耳も、心なしか赤くなっているようにシン達には見えた。

「あんな師匠、初めて見たわ」
「実は俺もだ」

 シュニーを追いかけながらティエラの言葉に同意する。セリフ自体はとってつけたようなものだったが、一理あるとアイテムを取り出し、シンとティエラも外見をビーストへと変化させる。ティエラにはシンが持っていたものを貸した。こちらは猫耳だ。
 シュニーの背を追いながら、シンはさっきのセリフはまさか自分に見てほしかっただけではないのか、という想像をしてしまう。さすがにそれは自意識過剰だろとシンは自分で自分に突っ込みを入れるが、もし当たっていたら、などと思ってしまうあたりこっちもいろいろと手遅れだった。
 シンの知るシュニーはどこぞの秘書のような冷静沈着なできる女。ゲーム時代はそれこそ事務的なやり取りがほとんどだったので、どうしても今回のような一面は見ることがなかったのである。いろいろと認識を改める必要がありそうだった。

(悪くないって思ってるあたり、俺も大概だな)

 シュニーへの好感度が上がっていることを自覚しながら、シンはシュニーを追いかけて歩調を速めた。



 ◆◆◆◆



 シュニーの知られざる一面を見てから数時間。シンはファルニッドの資料館にいた。
 シュニーの案内で資料館についてから許可証を見せて閲覧制限エリアに入り、栄華の落日やその後起こったことについて調べていたのだ。ベイルリヒトと違い、一般公開されていない資料だけあって内容も質が違う。シンの知りたかった情報もいくつか載っていた。

「栄華の落日後に起きた天変地異……やっぱり地域によって被害に差があるな。ラストダンジョンとの距離ってわけじゃないのか……地脈?」

 小さく声に出しながら得た情報を頭の中で整理していく。資料によると、天変地異には地脈というものが関わっているらしかった。シンが知っているのは漫画や小説でよく聞く、大地を走る気の巡りのようなもの程度だ。資料をまとめた者の推測ではあったが、大陸が割れた個所はその多くが地脈の流れの大きい場所だったらしい。シンの向かったダンジョン【異界の門】があった場所は、その収束点の一つだったことも資料から読み取れた。

「そういえばユズハは地脈に干渉して被害を抑えたんだよな」

 さすがに契約していると言ってもモンスターの入館は許可されなかったので、シンの頭上にユズハの姿はない。受付のお姉さん監視の下、入り口で待機中のユズハに心の中で謝りつつ、以前言っていたことを思い出していた。

「地脈も俺がこっちに来たことと関係してるのか? でもゲームのときはそんなに重要なものじゃなかったしな」

 地脈にかかわるイベントがなかったわけではないが、期間限定イベントが多く細かい設定まで覚えてはいない。せいぜい太い地脈が走っているところは、モンスターがわきやすくなるということくらいだ。これにしてもこっちでは確固とした確証がない。
 ただ――――

(資料の通り、地脈が集まる場所(パワースポット)にあるダンジョンが関係してるなら、同じような場所を見つければ帰れる……か?)

 このくらいの仮説を立てるのは容易だった。わかりやすい仮説の一つでしかないが、シンプルな分、説得力もある。
 このくらい単純だと助かる。そんなことを考えながら、シンは次の資料を手に取った。


《シン~……シン~?》
「ん?」

 仮説を立ててからさらに1時間。
 シンが資料を読むことに集中していると、ユズハから念話が届いていることに気付く。

《どうした?》
《おなかすいた……ごはんまだ~?》

 ユズハのご飯発言に時間を確認すると、すでに12時を過ぎていた。資料を読むことに熱中して時間がたつのを忘れていたようだ。

《悪い、すぐ行く。シュニー、聞こえるか?》
《はい、どうかしましたか?》
《そろそろ昼食にしよう。ユズハが腹へったってさ》
《わかりました。入り口に向かいます》

 念話でシュニーを呼び出し、シンは一足早く制限エリアを出る。一般エリアで調べ物をしていたティエラを捕まえ、ユズハとカゲロウのもとへ向かう。預かってもらっていた受付嬢に礼を言って、シンは資料館を後にした。

「そっちは何かわかったか?」
「いえ、めぼしいものはあまり。やはり、ダンジョンが消滅しているのが悔やまれます。直接調査できれば、少しは手掛かりが掴めたと思うのですが……」
「まあ、消えちまったものはしょうがない。シュニーのおかげでわかったこともあるし、地道に行こうや」

 気にしていないふうを装って、シンは肩を落とすシュニーを労う。自分が消えた後の情報などは、シュニーがいなければ知ることもできなかったのだ。気を落とすようなことではない。
 むしろ、ともにいることができなくなるかもしれないにもかかわらず、情報収集に協力してくれていることの方がシンには気がかりだった。

《くぅ、あっちからいい匂い》
《ん? ああ、そうだな。行ってみるか》

 ユズハの急かす声にシンは気持ちを切り替える。気がかりであっても、それを言葉にすることはまだできそうになかった。

 食事の後は屋敷周りを少し見て回り、資料館に籠る。夜は屋敷で休み、日中はまた資料館の繰り返しだ。気分転換にとクオーレと手合わせをしたり、ウォルフガングのスキル継承を見守ったりなどしているうちに、残った日数は瞬く間に過ぎて行った。

 ジラートと再会してから3日後。シン達は早朝からラルア大森林に向けて移動していた。
 馬車はシンが改造したもので、引くのはカゲロウ。乗っているのはシン、ジラート、シュニー、ティエラ、ウォルフガング、クオーレ、ヴァン、ラジムの合計8人だ。

「いい天気だな」
「うむ、絶好の決闘日和だ」

 御者台にはシンとジラートが座っている。緊張気味のファルニッド勢とは裏腹に、2人は釣りにでも行くようなノリで会話をしていた。ことここに至っては、話し合うべきことなど残ってはいない。戦いの後のことは、すでに話がついている。

「調子はどうだ?」
「いつでもやれるぞ。心身ともに滾っておるわ」

 にやりと笑うジラートからは、抑えきれない覇気が漏れている。再会した時よりもさらに洗練されているのが、シンには感じられた。
 今日が最高潮であるというのは間違いないようだ。

「すぐにでも始めたいところだが、まずは他の者らを観戦席まで送るのが先だ」
「この先の丘でいいんだろ?」
「ああ、あそこならなんとか見えるだろう。前回、選定者が決闘を行った際も、そこから見ていたからな」

 他国の選定者同士の戦いに、審判役として呼ばれたらしい。戦闘力の低い者達の警護も兼ねて丘の上から見たというが、ジラートならばそばで見ていても何も問題なかっただろうと思うシンである。
 戦ったのはヒューマンとビーストの選定者。ステータス的には400前後の者同士で、決着は紙一重でビーストが勝ったらしい。

「技も力の使い方も荒いところがあったが、悪くない戦いだった」

 そんな話をしているうちに、シンの視界に周囲よりも数段高く地面が隆起している場所が見えてきた。短い草が生えているだけのようで、頂上付近ならかなり広範囲が見渡せるだろう。本人を確認するのは無理だろうが、戦うのがシンとジラートなので何が起こっているかわからないなどという事態はありえない。観戦者の安全も考えれば、たしかに観戦場所としては申し分なかった。

「では、私たちはここで待機しております」
「ああ、もし流れ弾が飛んだ時は頼む」

 馬車をカードに戻し、念のためシュニーに警戒を頼む。そうあるとは思わないが、もしあったら冗談では済まない。

「承知しました。ジラートのこと、宜しくお願いします」
「えと、いってらっしゃい」
「シンがんば~」
「グル」
「いってくる」

 それぞれの見送りにしっかりとうなずいて、ジラートの方へ向き直る。シンの視線の先では、ジラート達が最後の言葉を交わしていた。

「後は任せたぞ」
『御武運を』

 言うべきことはもう伝えてあるのだろう。ジラートはそれだけを言う。ヴァンとラジムは左手のひらに右拳を打ち付けて一言、見送りの言葉を口にした。

「初代の教えは生涯忘れませぬ。国と民はお任せください」
「……初代の名に、恥じない戦士になります」

 ジラートのいないファルニッドを背負うことになるウォルフガングは、胸を張って宣言する。その面構えはどこかジラートを彷彿とさせる。力強い言葉と滲み出る覇気は、まさに獣王といえた。
 隣に立つクオーレは少々涙目だったが、それでもしっかりと前を見て誓いを述べる。最後に無様はさらせないと、うつむくことはなかった。
 ジラートはその様子を見て満足気にうなずき、シンの方へと歩きだす。
 別れは済ませた。やるべきことは、残り1つ。

「行くか」
「おう」

 その言葉を皮切りに、シンとジラートは駆けだす。唐突な加速は、2人の姿を霞ませた。遮るもののない丘の斜面を瞬く間に駆け下り、森の中へと突入する。

「あのように笑った王は久しぶりだったな」
「最後に見たのは、はていつだったか」

 森の中へと消えていった2人を見送って、ヴァンとラジムは小さく言葉を交わす。その顔は、子供のように無邪気に笑っていたジラートと同じ顔だった。



 ◆◆◆◆



 木々の間を駆け抜け、シンとジラートは一路森の中心を目指す。ラルア大森林はとにかく広い。現実世界の北海道よりも広いといえば、その広大さが想像できるだろう。
 中心を目指しているのは、あくまで周囲に被害を出さないようにするためだ。ケメル単位で距離をとらなければ危険といっても、本当に安全を期すなら最低でも20ケメル以上はほしい。
 そもそもそんなに離れては遠視スキルでも見えないのではないか? と懸念されるところだが、そんなことはない。なぜなら、シンとジラートの駆け抜けたルート上では、爆発が起こったような土煙と千切れ飛ぶ木々が見えているからだ。たとえ本人の姿が見えずとも、その破壊の跡が彼らの存在を教えてくれる。
 初めは隣り合わせで駆けていた2人は、途中で二手に分かれた。中心に向かいつつも、段々と距離をとっていく。時間的には10分ほど。舞い上がる土砂によってできた道しるべが消えたことで、2人が動きを止めたことがわかる。
 およそ5ケメルの距離をあけて、両者は対峙する。決闘前に距離をとるのは、ビーストにおける決闘法に則った形だ。いくつかある決闘法の内、今回選ばれたのは最も古い決闘法だ。ラルア大森林で行われる決闘では対決する者の力量に合わせた距離をとる。それが選択された決闘法の決まり。これは決闘する者の得意とする武器によるハンデをなくすためのものだ。近距離タイプに不利のように見えるが、密生した木々が姿を隠し、奇襲をしやすくしてくれる。遠距離タイプにしてもいきなり距離が詰められて終わり、ということはないが、木々が密生しているので射線が取りにくい。どちらが先に相手を見つけるかが、最大のポイントとなってくる。本来なら長くても50メルほどの距離で済むのだが、今回は対決する人物が人物なので最適な距離というものが決まらず、両者が自然ととった距離から始まることになっていた。
 この戦いに審判はいない。審判の身が危険というのもあるが、そもそもシンとジラートの間に勝敗など意味がない。戦うこと、それ自体が目的なのだ。審判など、むしろ邪魔なだけ。
 それぞれの位置で互いに戦意を高め、見えぬはずの相手を見据える。
 シンは制限(リミット)をコントロールし、ステータスをゲーム時のものと同じにする。手加減するわけではない。超越者や臨界者といった称号の恩恵を受けずに戦うのは、それがジラート達と共に過ごしたときの本来の数値だからだ。
 シンの力を増大させた称号は、ほぼ間違いなくデスゲーム化した際に実装されたもの。最後のダンジョンでオリジンを倒して得たそれらは、通常のプレイでは決して手に入らないだろう。なぜなら、異界の門と呼ばれたダンジョンも、そこにいたオリジンもデスゲームが始まってから出現したからだ。本来のゲームの仕様にない強化。自分を主と呼んでくれた相手と戦うときに、そんな反則技に頼るなど無粋の極み。使わなければならないときはたしかにあるだろうが、少なくとも今はその時ではない。
 これはジラートを見送る一種の儀式。自分の力だけで戦ってこそ、意味がある。
 ジラートは自身に補助系武芸スキルを使い能力を強化する。シンのステータスがジラートを上回っているのは、とうの昔に知っていることだ。その差を少しでも埋めるために、努力は惜しまない。
 シンはジラートに称号のことを話していたが、使う気がないことも伝えていた。それについて、ジラートはありがたくもあり、悔しくもあった。自分がシンなら同じようにするだろうことは、想像に難くない。横やりを入れられるような感覚は理解できたし、自分達の力だけで決着をつけようと考えてくれているのは純粋に嬉しいと感じた。だが同時に、本当の意味で全力のシンと戦ってもみたい。そう思っている自分がいることも、ジラートはわかっていた。そうなったとき、一瞬で勝負がつくとしてもだ。
 ジラートはほんのわずかな時間、思考にふける。最も満足できる最後を、迎えるために。
 今この瞬間、シンとジラートは互いの存在に全神経を注いでいる。
 ゆえに、両者の準備ができたのは同時刻。相手の気配を感じ取り、準備ができたことを理解する。
 そして――――。

『すぅぅぅぅ――――――』

 2人は大きく、息を吸い込み。まるで示し合わせたかのように、スキルを発動した。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 開戦の号砲とばかりに放たれたのは、無手系武芸スキル【落砲波(らくほうは)】。
 敵の注意を引きつけ、低確率で魔術スキルの詠唱をキャンセルする。そんなスキルの説明をあざ笑うかのように、両者の放った落砲波はラルア大森林を突き進んでいく。風術系魔術スキルの上級にすら匹敵するそれは、直径1メルを超える大木をまとめて薙ぎ払い、進路上にいた大型モンスターを消し飛ばし、2人の中間地点で衝突した。
 込められたエネルギーは相殺されることはなく。圧縮されるように一つにまとまると、次の瞬間にはそのエネルギーを全方位に向けて放出した。拡散したエネルギーは衝撃波へと姿を変え、周囲に破壊をまき散らす。
 大地を震えさせる衝撃とともに、爆心地とでもいうべき場所から地面が放射状に薙ぎ払われていく。樹齢何百年という大木が、埋まっていた巨石が、上空数十メルをどこへともなく飛んでいく。落下するそれらによる二次災害すら起こっていたが、当の本人達はまるで気にしていない。落砲波を放ち終わるとともに、既に移動を開始していた。
 シンに距離をあけたまま魔術スキルを使われれば、近接戦に特化したジラートは不利だ。しかし、遠距離からの一方的な攻撃という利点を捨てて、シンはジラートへと突き進んでいた。
 2人の速力をもってすれば、落砲波の衝突した場所へとたどり着くのにそう時間はかからない。木々が吹き飛び地面が露出した、即席のリングに姿を現したのはほぼ同時。シンは【真月】を、ジラートは【崩月】を構えてさらに距離を詰める。

「シィィィィンッ!!」
「ジィラァァトォオオッ!!」

 シンの上段からの一撃に対し、ジラートは真っ直ぐに突き出した右拳でこたえた。駆けてきた勢いをのせた武器が唸りを上げて激突し、火花を散らす。
 甲高い金属音とともに、2人の立つ位置を中心にして大地に亀裂が走る。激突によっていき場をなくしたエネルギーが、大地を引き裂いていく。

「クク、相変わらず重いな」
「ハッ、なんでもないように受け止めておいてよく言う」

 ギリギリと、互いの武器を軋ませながら称賛し合うその顔に、浮かんでいるのは獰猛とさえ言える笑顔。
 今2人が行っているのは手加減無用の決闘だ。両者の実力が高ければ高いほど、ほんの些細な一撃が致命傷になることだってある。
 しかし、今この時。シンとジラートは互いが些細なまぐれ当たりごときでは死なないと確信していた。
 そこに根拠はない。ただ、わかる。

――――こいつ(ジラート)はそんな攻撃じゃ倒れない!!
――――あやつ(シン)はその程度では倒せない!!

 武器を弾いて距離をとる。
 シンは正眼の構えをとってジラートを待つ。その牙、突き立てられるものならやってみろと。
 ジラートは半身に構え、静かに気を滾らせる。我が技のさえ、その身をもって受けてみよと。

『……………………』

 わずかに、無言の時間が流れる。
 そして、空から落ちてきた大木が2人の間に落ちた瞬間、その姿がかき消えた。
 次いで聞こえる、連続した金属音と破砕音。遮る物のないリングの上で中空に火花が散り、大地が砕けていく。
 スピードはシンの方が速い。閃光と見紛うばかりの斬撃は、一切の迷いなくジラートに走る。
 対して反応はジラートの方が優れていた。だてに近接戦に特化しているわけではない。攻撃に対する反応と咄嗟の判断力、そして何より500年にもわたる経験からくる攻撃予測。数多の対人、対モンスター戦を経験し、シンの戦いを隣で見てきたジラート。その予測は、ステータスで自身を上回るシンの斬撃にすら対応してみせた。
 右上からの斬撃を身を反らしてかわし、跳ね上がる切っ先を【崩月】で弾き、追撃の後ろ回し蹴りを身を沈めて潜り抜ける。空振りしたときの風圧で、直線的とはいえ10メル近い破壊の嵐を巻き起こすそれを気にすることなく、伏した地面から跳ね上がるようにジラートは拳を繰り出す。
 連続して放たれる拳は、補助系魔術スキル【術式付与(エンチャント)打撃強化(ハイブロウ)】によってさらに強化されている。ただでさえ一撃で堅牢な城壁を軽く粉砕するだけの威力が秘められている拳に、追加の強化魔術だ。それが目にもとまらぬ速さで繰り出されるとなれば、相手が砕け散るのは必定といえた。
 しかし、それを受けるシンとて尋常の使い手ではない。現在のステータスはシンが最も慣れ親しんだ数値だ。神獣クラスのモンスターと戦った時も、六天同士で対決をした時も、オリジンを倒したときもこのステータスだった。
 ゆえに今、シンは自身の身体能力を完璧に把握していた。刀を振るう腕も、大地を砕く足もシンの描いた通りに動く。ジラートという最高の相手と戦っているからか、決闘前までは不完全だった魔力の扱いまで、知らず知らずのうちに研ぎ澄まされていた。称号によって強化された値にすれば、また制御が甘くなるだろう。だが、今の状態ならば息をするように自然に魔力を使えることが、シンには理解できた。
 だからこそ、出し惜しみはしない。迫りくる拳に対して、シンは愛刀に魔力を流す。
 ジラートの拳と同じく補助系魔術スキル【術式付与(エンチャント)斬撃強化(ハイエッジ)】による効果を受けて輝きを増した刃が、空気を切り裂き疾駆する。
 拳ごと切り裂くと唸りを上げる刃に、砕け散れと拳が食らいつく。ジラートの拳をシンの刃が弾くたびに、互いの武器に込められた魔力が相殺する間もなく周囲に放出される。打ち合う2人の周りを小規模の爆発が取り巻き、その地形を変えていった。
 数合打ち合い、一際大きな衝撃をまき散らして距離をとるシンとジラート。ほとんど間をおかず、両者は移動を開始した。その場で打ち合ってもらちが明かないと、戦い方を変えたのだ。
 先ほどとは打って変わって森の中を高速で、かつ破壊の跡を残さずに疾走する。視界から相手の姿は消えるが、その程度で見失うへまをするような2人ではない。
 すでに五感どころか、第六感までが研ぎ澄まされている。そこへ補助系武芸スキルである【心眼】に【直感】までが作用し、互いに殺しているはずの気配を察知して激突を繰り返す。
 ジラートが死角から迫る刃に振り向きざまに拳をぶつけて弾き返せば、シンは頭上から繰り出される拳撃の嵐を斬撃と体さばきでかわしきる。縦横無尽に繰り出される攻撃は相手の頭上、正面、左右に背後、ときには地面すれすれから跳ね上がってきさえした。
 それでも、まだ互いの体には一撃も攻撃が当たっていない。ステータス差がある以上、ジラートの攻撃が当たらないのはある意味当然のことだ。
 だが、シンの攻撃がジラートにかすりもしていないところに、2人の実力を知る者なら違和感を感じるだろう。いくら強化を重ねても、今だシンとジラートには覆せない壁が存在するのだ。

「ああとどかん、とどかんなぁ。やはり既存の技ではこれが限界か」
「小手調べはすんだか。そろそろ見せろよ。さっきから違和感しか感じねぇぞ」
「クク、ばれていたか。隠していたつもりだったんだが」
「打ち合ってわからないとでも思ったのか? バレバレだっての」
「そう言うな。お主と戦うために編み出した技なのだ。少しはもったいぶらせろ」

 刃と拳で火花を散らし、森を駆けながら2人は軽口をたたく。興奮からか多少乱雑な言葉をぶつけるシンに、ジラートは笑みを浮かべて返す。
 どちらの攻撃も、当たればただでは済まない威力なのは間違いないというのに、言葉をかわす様子はまるで友人同士でたまたま手に入れたレアアイテムの話でもしているようだった。
 互いに理解しているのだ。これだけの戦いをしてなお、本気(・・)であっても全力(・・)ではないと。

 戦闘開始から約10分。
 全力の戦闘が、始まる。



 ◆◆◆◆



 シンとジラートが衝突するたびに森の一部が消滅し、クレーターと薙ぎ倒された木々が無残な姿をさらしていく。唯一の救いは、異常を察知した動物達が危険の少ない森の端へと移動していたことだろう。戦いに熱中している2人だが、そのあたりの配慮はあったようで、被害は森の中心へと向かう傾向にあった。
 そんな光景を【遠視】スキルでどうにか確認していた観戦組の反応は、主に2つに別れていた。

「…………」
「初代の本気……まさか、これほどとは」
「すごい……」
「くぅ~」
「グ、グル……」

 視線の先で繰り広げられる光景に絶句するティエラ。初めて見るジラートの本気に唸るウォルフガング。興奮を隠せないクオーレとユズハ。目が点状態のカゲロウの3人と2匹に対し、

「そろそろ、温まってきたころですか」
「うむ、相変わらず派手なウォーミングアップだ」
「まあ、それでこそ我らが王なのだがな」

 まだまだこれからと、冷静に状況を見守るシュニー、ヴァン、ラジムの3人。
 本気を見たことがあるかないかで、反応は見事に真っ二つだ。

「師匠、あれでまだ本気じゃないんですか?」
「ええ。シンはまだ魔術スキルをほとんど使っていないようですし、あの様子ではジラートもまだ新たに編み出した戦い方を見せてはいないでしょう」
「師匠もあれくらい強いんですよね」
「戦い方によっては苦労しますね」

 暗に私の方が強いと言っているシュニーにまたもや絶句するティエラ。シュニーが強いことは理解していたつもりだったが、シン達の戦いを見せられた後ではいかに自分の想像が貧相なものだったかがよくわかった。しかも、現在戦闘中の2人はまだ完全に本気ではないという。当たり前のように接していた相手がどれほどの存在だったか、ティエラはやっと本当の意味でそれを理解した。

「父様、これがハイヒューマンとジラート様との戦いなのね」
「シュニー殿の話ではまだ上があるようだがな。私も秘伝を受け継ぎ強くなった気でいたが、これを見せられては自分がまだまだだと思わざるをえん」
「シンさんに手合わせしてもらったけど、ジラート様と同じくらいだと思ってた。でも、そうじゃなかった」
「初代様が首を垂れるほどのお方だ。私達がその力を見透かすことなど、できないのだろう」

 遠く離れた丘にまで響いてくる爆音を聞きながら、親子は会話を交わす。その間も視線はめまぐるしく動き、シンとジラートの戦いを少しでも目に焼き付けようとしていた。

「そろそろ動くな」
「うむ、ここまでは既存の技の応酬といったところだろう」
「あれがハイヒューマンに通じるか」
「さて、それは我らの王次第」

 ジラートの隠し玉を知るヴァンとラジム。興奮するでもなく、達観するでもなく、ただ穏やかに戦況を見守っていた。



 ◆◆◆◆



 激しく鳴っていた音がやむ。
 大地を、大気を、震わせていた振動が止まる。
 森の中、最後の激突でできた空間でその元凶が対峙する。

「宣言しよう。これよりワシは、ただ一本の牙となる」

 ここからが全力だ。
 言外にそう告げて、ジラートはすべての力を解き放つ。
 変化は2つ。
 一つは、ジラートの体を覆うオーラが、僅かに揺れたこと。
 もう一つは、小さく体を震わせて狼人間へと変身したこと。
 片や気のせいともとれる些細な変化。片やビーストの種族ボーナスによる外見変化。
 その変化を目にとめて、シンも魔術スキルを発動する。
 小さすぎる変化に落胆はなく、ゆえに油断もない。ジラートがその牙を届かせるといったのだ。それが、ただの変化であるはずがない。

「こい。全霊をもって相手をしてやる」

 その言葉に合わせシンの周囲に7属性の上級魔術スキルが展開していく。
 白い炎から始まり、高速回転する水、赤い雷、鎌首をもたげる土と、この世界で魔術を使う者が見れば卒倒するような術が詠唱らしい詠唱もなしに次々と顕現していく。
 だが、シンの周りを囲む魔術スキルを前にしても、ジラートは微塵も表情を動かさない。当然だ。この程度(・・・・)で動揺するようでは、牙を届かせるなど夢物語にすらならない。

「――――ゆく」

 ただ一言。それだけを口にして、消えた。
 否、そう錯覚させた。

「ッ!!」

 事前動作のない高速移動。上級選定者でさえ、反応を許されない速度。
 しかし、それをもってしても振り切れない。驚きはしても、シンの知覚能力はジラートをとらえ続ける。
 シンの意を受けて、展開していた魔術の一つ。赤き雷がジラートへと迫り――――

「あたらんよ」

 わずかにかすることもなく、森を焼いた。

「そうか、なるほど!! ここまで来たか(、、、、、、、)っ!!」

 雷撃をかわしたジラートに、笑いを漏らしながらシンが叫ぶ。
 雷術と光術。魔術スキルの中で最速を誇るこの2つは、避けようと思って避けられるものではない。それを可能にするのは補助スキルによる先読みを可能にし、ステータスの1つであるAGIが900を超える値に至った者の中でもさらに一握り。
 ジラートのAGIは800に届くかといった数値だった。いくら身体能力を強化しようと、900は超えられない。だが、ジラートは雷術をかわして見せた。ゲームでは不可能だったことを、可能にして見せた。

「待っていたぞ。この時を」

 熱い息とともに言葉を吐き出し、雷撃の熱を肌に感じながらジラートは前に踏み込む。
 戦場を越え、技を磨き、己の限界を超える術を探してきた。
 どこまでいけるのか、どこまでやれるのか、ジラート自身にもわからない。
 それでも、たった一つ。確信があった。

「今が、今だけが――――」

 そう、きっとこの瞬間だけが。

「お前に、我が牙が届くときっ!!」

 加速する。
 雷撃をかわしたときよりなお速く。
 光術すらも擦り抜けて。
 ジラートは人の限界点、その頂きに、足を踏み入れる。
 悲鳴をあげる体を意思でねじ伏せ、眼前の標的(シン)へと突き進む。

「オオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 トップスピードを維持したまま繰り出す拳は、ほんの数分前とは比べ物にならない威力。一条の光のごとく迫るジラートの一撃を、しかしシンは手にした【真月】で受け止める。

「意表をついてそのまま一撃、なんて思ってないよな?」
「無論だ」

 当たり前のように反応して、シンはジラートに告げる。
 対するジラートも、当然の反応だと驚くことはない。
 ジラートは人の限界、頂きへ続く道に足を踏み入れ、やっと頂点を視界に納めた。しかし、シンはすでに頂点にいるのだ。多少意表をついた程度で一撃をもらうほど、甘くはない。

「初めて見るな。その強化どうやった?」
「シュニーにでも聞くことだ。この戦いの後でなっ!!」

 咆哮とともに無手系武芸スキル【爆打(はぜうち)】を発動し、ジラートはシンを押しのける。いくらステータス差があっても、質量は変わらない。今のジラートならば強力なノックバック効果のある【爆打(はぜうち)】を使えば、距離をとることも可能だった。
 地面を削りながら後退するシンに、ジラートは再度突撃をはかる。距離をとれば勝ち目はなく、時間もそう多くない。ゆえに、勝負はジラートが攻めきれるか、否かにかかっていた。
 踏みしめた地面を爆散させ、ジラートの姿が消える。

「グルアアアッ!!」
「しぃっ!!」

 左から迫る拳に、シンは刃を合わせる。攻撃は必ずしも背後から来るわけではない。そんな単調な攻撃をジラートがとるはずもない。
 火花が消えるより先に、ジラートの姿が消えた。最大速度を維持したままシンの周りを駆け巡り、死角だけでなくときには正面からも打ちかかっていく。
 シンは考える。ジラートの驚異的な能力上昇は、シンの知るジラートの限界を超えていた。とくれば、さらに何か隠しているかもしれない。
 魔術を展開するか、接近戦に持ち込むか。それとも意表をついてみるか。ジラートの動きを観察しながらシンは次の一手を考える。
 動かないシンを攻撃しながら、ジラートもいかにして渾身の一撃を与えるか考えていた。
 ジラートからすれば、シンが魔術スキルを使うよりもその場から動かれる方が厄介だ。もし、シンが縦横無尽に駆け回れば、それだけでジラートの勝機が消えかかる。
 ジラートにはスキル、獣化による強化だけでなく、アーツによる強化もかかっている。そしてその三重の強化を生命力を消費して過剰に引き上げているのだ。ジラートの限界を超えた動きは、この一戦にすべてを賭けているからこそ。そこまでしてやっと、真っ向から戦うことができる。
 へたに動かれて移動距離が増えれば、それだけで時間切れになりかねないのだ。とはいえ、現状は長くは続かない。全力で相手をするといったのだ。このまま大人しくしているはずがない。

「……そろそろ、こっちから行くぞ」

 一言告げて、シンは地面を蹴る。突っ込んでくる形になったジラートに、手加減抜きの一閃を繰り出した。

「ちぃっ!!」

 ジラートは迫る刃を【崩月】で滑らせると同時に体を傾け、真横に吹き飛ばされるところを辛うじて地面へと向けることに成功する。四肢を使って着地すると同時に上体をはね上げ、頭上に向かって拳を突きだす。

術式付与(エンチャント)ッ!!』

 2人の声と武具が激突する音が重なり、衝撃で周囲の木々が吹き飛んでいく。
 移動系武芸スキル【飛影】による急激な方向転換とともに追撃を繰り出したシンと、それを見ることなく反応してみせたジラート。自らの攻撃範囲に入れば、無意識に体が動く。互いの戦い方から性格まで知っているがゆえに、ジラートの反応は的確だ。とくに、シンはジラートが体得したような、この世界独特の戦法を知らない。だからこそ、ジラートはより正確にシンが繰り出してくるだろうスキルを予測できていた。

「時間がないんだろ。削り合いなんてしてていいのかっ!!」

 刀一本分もない距離で、シンは叫ぶ。ジラートがどういう強化方法を使っているのはわからないが、少なくともまともな方法ではないことは戦っていればわかる。だからこそ、長期戦になるような削り合いなどしていては、有利になるのはシンばかりだ。そんなものは、望んでいた戦いではない。
 ジラート(おまえ)はそんなもの望まないだろ!!
 その思いとともに、シンは刃をもつ手に力を込める。

「答えろ!! ジラートォオッ!!」

 強烈な一撃をばねにして後ろに下がり、ジラートは構えをとる。

「くく、ああ、ああそうだ。まったく、強化がうまくいってワシも欲が出たか」

 シンの言葉に、思わず苦笑が漏れた。一体何を考えていたというのか。シンという最大目標を前にして力を温存するなど、以前の自分なら考えもしなかったはずだ。そんな思いを呼気とともに吐き出し、先ほどまでの思考を破棄する。
 シンに動かれたら勝機が消える? 体力が持たない?
 そんな考えは余裕のある者の思考だ。

「ない、ないなぁ。余力(そんなもの)を残して、おまえに牙が届くかよぉおっ!!」

 言葉とともに駆けだす。シンの叫びに対する答えとして、真正面からの一撃を返す。
 シンはかわさない。振り下ろした刃を跳ね上げて、ジラートの叫びに答える。
 スキルも技巧もない単純な一撃。だからこそ、そこに込められた思いが武器を通して互いに響く。

「はっ、はははっ」
「くっ、くははっ」

 達人同士は言葉ではなく、技の応酬で語り合うという。

『はははははははははははははっ!!』

 故にこの瞬間から、2人は相手に語りかけることを止めた。
 言わずともわかる。武器を交えれば伝わる。
 互いの口から出てくるのは、ただ笑いのみ。

「ぜぇぇやぁあああっ!!」

 シンが刀術と水術の複合スキル【雪月花(せつげっか)】を発動させ、間合いの外から氷の刃による一撃を繰り出せば。

「グルゥアアアッ!!」

 ジラートは拳に炎を纏わせ、氷刃を砕く。さらに炎が消える前に拳を前に突き出した。
 シンには届くはずもない距離。しかし、突き出された拳からは意趣返しとばかりにエネルギーの塊が打ち出され、拳に纏わせていた炎をひきつれてシンに襲いかかる。
 無手炎術複合スキル【灼空(しゃっくう)】と無手系武芸スキル【遠当(とおあて)】を組み合わせた反撃だ。

「このていどっ!!」

 通常の【遠当(とおあて)】の数倍。1メルほどの炎の弾丸を、シンはその一刀で真っ二つに両断する。【真月】に付与されている効果の1つ、刀身に接触する魔術スキルの無効化だ。もちろん、触れた魔術のすべてを消しされるわけではないし、武芸スキルのような純粋なエネルギーは無効化できない。たった今ジラートの一撃を斬ったのはそこに炎の術式が付与される形になっていたことと、シンの能力の高さゆえだ。
 だが、魔術を斬れる。それは、こと戦闘では非常に重宝する。今回は少し違う形だったが、本来は結界スキルを叩き斬るのに使うのだ。それだけでも攻める側は有利になる。
 だが今回はそれが仇になった。ジラートはシンが【遠当】を斬れるとわかっていたからこそ、炎を纏わせたままスキルを繰り出したのだ。
 巨大な炎弾を隠れ蓑に、ジラートは刀を振り切った状態のシンに追撃のスキルを繰り出す。
 放つのは無手系武芸スキル【蛇絞(じゃこう)】だ。
 相手の動きを阻害するように、蛇の形をしたエネルギーがシンの腕にまとわりつく。

「加減はせん!」

 シンの前ではその拘束も一瞬で吹き飛ぶが、2人の戦いにおいてはその一瞬が勝機となる。

至伝(しでん)――」

 シンの動きが止まった一瞬。それをスキルのために変え、ジラートは渾身の一撃を放つ。
 それは1系統の武芸スキル、そのすべてを身につけた者のみが放つことのできる奥義。
 武芸スキルにおける一つの極み。

「――絶佳(ぜっか)ぁぁあああああっ!!」

 無手系武芸スキル【至伝・絶佳】――――発動前に一瞬だけためが必要になるこのスキルは、動きこそただ真正面に拳を突きだすだけ。リーチは短く、隙も大きい。
 しかし、だからこそ、その威力は数多の武芸スキルの中でもトップクラス。対人戦においては、ときに一撃で戦況を覆すとまで言われたほど。
 それを今のジラートが放ったとなれば、その威力はシンの想定すら覆す。

「く、ぐ、おおおおおおおおおおおっ!!」

 迫る拳を前にして、シンはかろうじて【真月】を拳と体の間に滑り込ませる。だがさすがのシンも、ぎりぎりで間に合った状態では満足に受け止めることも、受け流すことも難しい。踏ん張りもきかず、吹き飛ばされる形で森に突っ込む。

「げほっ、さすがに、きつい」

 大木を幾本も叩き折りながら数十メルを吹き飛ぶシン。直撃こそしていないが、ダメージが体に浸透しているのがわかる。いくらステータス差がある程度残っているとはいえ、至伝クラスの武芸スキルは威力の桁が違った。シンのいた場所以外の森がケメル単位で扇状に消し飛んでいることが、その威力のすさまじさを物語っている。
 立ち上がってジラートの元に戻ろうとするシン。スキルを使ったことによる硬直時間がなくなっているとはいえ、【絶佳】は反動の大きいスキルだ。ゲーム中ですら使用後は一時的に動けなくなり、少なくないダメージを受ける。そんなスキルを使って、すぐに追撃ができるとは考えていなかった。
 ゆえに、背後からの追撃に反応するのが遅れた。
 ジラートは音もなく、気配もなく、地面を滑るようにシンへ迫る。
 まるでシンの思考を読んでいたかのような、一瞬の隙をついた突撃。スキルの反動すら強引に抑え込み、獲物を狩る獣のようにその瞳だけが爛々と輝いていた。

「――っ!!」

 風術スキルによって拳の風切り音すら消して迫る拳を、シンは【真月】の柄で跳ね上げる。刃は間に合わないと最小限の動きで体を回転させ、跳ね上げた方とは逆の拳を左腕の手甲で受け止めた。
 手甲同士がぶつかり金属音が響く。シンでなければ腕ごと持っていかれかねない一撃だ。互いの距離は数十セメル。シンの領域をジラートが侵食する。
 無手系武芸スキル【逆波(さかなみ)】――――それはかつてシンが使った【透波】の派生技。力を敵の内部ではなく、外部で一気に破裂させる一点突破の技だ。この至近距離ではジラートにも少なからずダメージがあるが、既にそんなものは気にしていない。
 だがシンとて、左腕に集まる圧力を感じて黙ってはいない。即座に無手系武芸スキル【鋼弾き】で【逆波】の威力の大半を受け流すが、それでも残った衝撃で左腕が弾かれるのは防げない。
 片腕を弾かれはしたものの防御によってダメージの少ないシンと、余波の一部を受けたジラート。ダメージはジラートの方が多く、すぐには動けないはずだった。しかし、ジラートは動く。まるでダメージなどなかったように次のスキルを発動する。
 乱れた体勢を強引に整え、発動するのは無手系武芸スキル【八華掌(はっかしょう)】。名にある通り、繰り出される連撃の数は8。流れるようなコンビネーションは、しかしすでに見切られている。この世界であっても連撃には決まったモーションがあるのだ。
 シンは知らないことだが、スキルとは肉体を使った魔術とこの世界では言われている。スキルごとの決まった型というのはある種の詠唱であり、繰り出される一撃が発動した魔術といえるのだ。ゆえに、武芸スキルというのは途中で型を変えることは非常に難しく、もし強引に干渉すれば威力も落ちる。
 そして、たとえ法則を知らずともスキルとそれに伴うモーション。それを熟知している者からすれば、対処するのは難しくない。
 シンも同様。至近距離での武芸スキルの激突に体勢を崩しながらも、繰り出される拳を、蹴りを最小限の動きでかわしていく。
 そして、最後の後ろ回し蹴りが迫り、それに合わせて反撃しようと力を込めたシンをまたしても予想外の出来事が襲う。
 シンの前を蹴りが通過していった直後、軸足を瞬時に入れ替え体の回転を利用した蹴りがシンの頭部を狙って打ち出されたのだ。それは紛れもなく、無手系武芸スキル【双輪(そうりん)】の連続回転蹴りの動き。

「ぐっ――っ?」

 顔めがけて迫る蹴りを【真月】で受け止め、その威力の軽さにシンは眉をひそめる。知らないがゆえの違和感。だが、その違和感を確かめる間もなくジラートは次の行動に出た。受け止めたシンの刃を足場にして飛び上がり、回転しながらスキルを発動する。
 シンの頭上で一回転し、その勢いをのせたまま放たれた無手系武芸スキル【飛泉(ひせん)】の踵落としがシンをその場に縫い付けた。
 大地を陥没させ、受け止めたシンの足が大地に沈む。しかし、それほどの威力であっても決定的な一打にはならない。
 メインジョブが侍であるシンは盾職のように防御技能に特別優れているわけではないし、強度の高い盾を装備しているわけでもない。だが、シンの持つ刀は古代(エンシェント)級の武器、【真月】だ。並の盾など足元にも及ばないほどの強度がある。くわえて武器としての性能もトップクラスなので普通の刀ではできない防御と攻撃が両立できていた。普通は強度を重視した大剣で行うような戦闘法なのだ。
 とはいえ、シンの獲物が【真月】かそれに準ずる代物でなければ、今のジラートの至伝クラスの一撃を防ぐなどできなかった可能性が高いが。

「しっ!!」

 大地に足を埋めたまま、空中にいるジラートにシンは反撃とばかりに【真月】を一閃させる。ジラートはシンの刀が振られるよりわずかに早く、移動系スキル【飛影】で距離をとった。
 シンの胸中を満たすのは驚きだ。ゲームのころには考えもしなかった動きをジラートはとってくる。
 反動のある【絶佳】はともかく【八華掌】から【双輪】、さらに【飛泉】への流れるようなコンビネーションは攻撃を受けた身であっても見事だと思えた。
 この戦法を編み出すのに、一体どれほどの鍛錬を重ねてきたのはわからない。ただ一つわかるのは、これが全身全霊をかけたジラートの実力だということ。ハイヒューマンにすら土をつけかねない、本物の強者。それを思うと、シンもジラートと同じように、その胸に悔しさがにじんだ。
 理解はしていた。いや、したつもりだったということだろう。やはりどこかで、ゲームだったころの感覚で戦っていたのだと気付かされる。この世界での対人戦はすでに経験したと言っても、まともな戦いになどなっていなかった。だからだろう。本当の戦いというものが、わかっていなかった。
 ゆえに、後手に回っている。

「……なさけない。命かけてる相手に上から目線でもの言って、あげくこのざまか」

 決定打を受けないのは、ステータスと積み上げてきた戦闘経験のおかげだ。だがそれも、いまではジラートに追いつかれつつある。
 挑戦を受けると言いながら、なんというていたらく。今までの戦い方では、いずれ軽くない一撃を受けかねない。

「――――だめだな。それはだめだ」

 シンは考える。初代獣王が追い求めてきた相手が、その程度であってはならない。妙な称号などなくとも、これほどの相手だと、最後にこそ相応しい相手だと、皆が思えなければならないはずだ。
 これが限界か?

「――違う」

 これがジラートの主の戦いか?

「――違う」

 圧倒的だったはずだ。追随を許さなかったはずだ。
 それがハイヒューマン。頂きに立つ者。

「……悪いジラート。俺はまだ、全力じゃなかった」

 ゲームの戦い方はもう終わり、ここからがシンの全力だ。

「至伝――」

 仕切りなおすのに、小技は無意味。ジラートと同じく、至高の技にてその意を示す。
 構えるは大上段。動きは上から下への唐竹割り。
 ただ、その一刀にのみすべてを込める。

「――天斬(あまぎり)!!」

 天を斬ると銘打った一撃は、刹那と見紛う速度で一直線にジラートへ走った。

「――っ!!」

 ジラートとてシンが自分を見失っていないことはわかっていたが、それでも瞠目せざるを得ない。振り下ろした一刀は、ジラートの目をもってしても霞んで見えたのだ。
 本能と直感に従った体が、考えるよりに先に動く。強化に強化を重ねた肉体とジラートの異常ともいえる反応速度が呼応し、かろうじて斬撃の直撃を防ぐことに成功する。

「くっ!」

 それでも無傷で、とはいかない。戦いに影響はないが、ジラートの胴着タイプの防具、その肩の一部が裂け血が滲んでいた。同じ至伝といえど、ジラートの【絶佳】よりも【天斬】の方がより力が収束しているのだ。
 攻撃を防いだジラートの後方では、【天斬】によって断ち切られた大地がその断面をさらしている。 
 とはいえ、受けているダメージ量としてはシンもジラートもそれほど差があるわけではない。
 ただ、シンの発していた気配がわずかに変化したのをジラートは感じていた。今の一撃からも、シンが何かを決めたことが伝わってくる。

「……く、くくく、そうこなくては」

 大の大人でも逃げ出すような、獰猛な笑みを浮かべながらジラートはつぶやく。今この瞬間も死に向かっているというのに、楽しくてたまらない。
 もっと速く、もっと強く。その身に牙を突き立てるまで。

「ルァァアアアアアアッ!!」

 大地を割って走る。
 【天斬】もまた、【絶佳】と同じく反動の大きい技だ。当然生じる隙も大きい。それを狙ってジラートは突き進む。今のジラートなら攻撃可能範囲にシンをとらえるまで2秒とかからない。

「うらぁあああああああ!!」

 そこに響く、シンの咆哮。
 ジラートの拳が届くよりわずかに早く、反動で硬直しているはずのシンの腕がその意を受けて跳ね上がった。刃が閃き、ジラートの拳と火花を散らす。それは、ゲームの頃なら不可能だった動き。
 叫びとともに跳ね上がった刃が翻る。反動を抑え込む方法がわかったわけではない。ステータスにものをいわせた強引な制動だ。
 だが、それこそが正解。反動を無効にすることなどできない。ならば、あとは力ずくしかないのだ。
 弧を描いて走る刃にシンの発動した刀術系武芸スキル【燕返し】の動きが加わる。空中で急加速した刃がまた一つ、ジラートの体に傷をつけた。

――――おまえができるんだ。俺にできないはずがないよな?
――――ああ、むしろ遅かったくらいだ

 互いの笑みが深まる。発せられることのない言葉が、武器を通して伝わってくる。
 そして、決着が近いことを悟らせる。

『――ッ!!』

 笑みを消し、構えたのは同時。
 シンは【真月】を上段に掲げ、ジラートは腰だめに拳を構える。まるで次に何を繰り出してくるのかわかっていたかのように、準備が整うのも同時だった。
 交差する視線が、静かに別れを告げる。

『至伝――』

 これが最後。それを、互いに理解していた。
 放つのは至伝。最後を飾るのに、これ以上の武技はない。

「――絶佳!!」
「――天斬!!」

 スキルの発動とともに、2人の姿が霞んで消える。刹那の間をあけて、空間を振るわせる衝撃とともに、激しい激突音が響き渡った。
 至近距離での至伝の激突。それだけで、シンとジラートを中心として放射状に地面が陥没する。ぶつかり合う力は際限なく高まり、ぶつかり合いから弾かれたわずかなエネルギーが周囲を完膚なきまでに破壊していく。
 強すぎる力の反発で弾かれることもあるが、どちらも当然のように至伝を繰り出し続けた。ゲームではありえなかった至伝クラスの技の応酬。それは使用者のみならず、互いの武器にも多大な負担をかけていく。
 ピシリと、ひびが入る音が響く。それははたして、どちらの武器からなのか。
 いくら互いの武器に武器破壊攻撃無効の効果が付与されていたとしても、耐久力というものはたしかに存在する。ゆえに、たとえ古代(エンシェント)級の武器であろうと決して壊れないわけではない。
 しかし、互いの武器が悲鳴を上げているのを聞いても、どちらも力を緩めることはしない。少しでも引けば、その瞬間に打ち負けることが分かるからだ。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 ぶつかり、離れ、またぶつかる。一見、拮抗しているかのような戦いも、徐々にシンが押していく。当然だ、2人の能力は互角ではないのだから。一撃一撃の重さと身体への負担、それが明確な差となって表れる。
 だからこそ、ジラートは最後の札を切る。

「至伝!!――」

 それは、もはや命を捨てているがゆえの技。
 ジラートの全身から色が抜けていく。そして、それに合わせるように至近距離でシンの【真月】と競り合っている右拳の力が増し、同時に左拳に力が集まっていく。
 拳を覆う白い光はジラートの生命力そのもの。命の終わりの最後の煌きが、今この瞬間牙をむく。

「――括穿甲(かっせんこう)!!」

 それは鎧や甲殻に大ダメージを与える技。閃光のごとき一撃がシンの持つ【真月】へと炸裂する。
 徐々に大きくなる、何かの砕ける音。
 至伝の多重発動による負担を一身に受けてなお、ジラートは力を込め続ける。

「至伝の同時使用か、反則だな」

 ジラートの一撃を受け止めながらシンは悪態をつく。だが下がらない。お返しとばかりに至伝を発動しながら【真月】に【術式付与(エンチャント)斬撃強化(ハイエッジ)】を重ねがけする。
 荒れ狂う力を打ち合わせ、互いに今出せる最高の一撃を放つ。
 終わりを悟ったのは、どちらが先だっただろう。
 拮抗したのは一瞬か、数秒か。それとも数分か。

『――ッ!!』

 先に限界に達したのは、互いの武器だった。【真月】の刃が砕け、【崩月】の装甲もまた砕ける。
 しかし、武器が砕けても使用者は止まらなかった。
 柄を握ったままのシンは両手を下げた状態でジラートの方へと体勢を崩す。
 対してジラートは、両の拳を突き出したままただ一心にシンへと突き進む。
 シンも咄嗟に柄をもったまま両手を跳ね上げた。しかし、拳自体にスキルを纏う【絶佳】と【括穿甲】を前に、何のスキルも纏っていない柄だけになった【真月】ではさすがのシンも攻撃の防ぎようがなかった。

「とったぁああああ!!」

 盾にした柄を左拳で弾き、がら空きになった胴体にジラートの右拳が炸裂した。
 唸りを上げる拳がシンのコートを引き裂き、鳩尾に触れ――――ポスンッと音をたてて動きを止めた。

「くっ!!――――――?」

 やられた、そう思っていたシンはジラートの拳の予想外の軽さに一歩下がって怪訝な顔を浮かべた。ステータスの高さから即死することはないが、それなりのダメージを覚悟していた。しかし、その身を打ったのはまるで威力のない拳。
 シンは突き出された拳に向けていた視線を上げ、改めてジラートを見て――――納得した。

「……ジラート」
「…………」

 ジラートは何も答えない。ただ、拳を突き出した状態で硬直している。

「ジラ――」
「聞こえ、とるわ……かはっ」

 もう一度呼びかけようとしたシンの言葉を、ジラートが遮る。同時にわずかに血を吐いて、その場に膝をついた。

「おいジラート!」
「ぬ、ぅ。どうやら……ここまでらしい」

 駆け寄ろうとしたシンを、ジラートは片手をあげて制止する。回復など意味がないことはわかっていた。

「……最後に一発、くらっちまったか。さすがジラートだ」
「くく、だてに500年、生きとらんわ。たしかにこの牙、とどかせてやったぞ」

 蒼い顔をしながらも、ジラートは牙を剥き出しにして笑う。この身はついに主に届いたと、誇るような笑顔だった。

「くっ……と。さて、積年の願いはなった。シンよ。一撃入れた褒美に、最後に一つ、頼まれてくれんか?」
「…………わかった」

 よろよろと立ちあがったジラートは、最後の願いを口にする。それを聞いたシンはわずかな逡巡の後、それを受諾した。
 立つのがやっとのジラートから、10メルほどの距離をとる。そして、静かに【制限(リミット)】を解放した。同時に巻き起こる力の奔流。ジラートと打ち合っていた時が生ぬるく思えるほどの、異様な圧力が周囲にほとばしる。

「これほどとは、な……」

 シンから発せられる圧力(プレッシャー)を受けてなお、ジラートはその場に立ち続ける。最後の願い、それはシンのすべての力を解放した一撃による『とどめ』だ。
 ジラートに抗う力など残っていない。ゆえに最後の試練を乗り越えたシンの力を、目に焼き付けておきたかった。
 シンが構えをとる。砕けた【真月】は柄のみアイテムボックスに収納し、手には何もない。いや、そもそも武器など必要ない。
 シンのとった構えは【絶佳】のため動作。なんとも皮肉なものだと、ジラートは思った。

「……じゃあな」
「さらばだ」

 短い言葉をかわし、シンが一歩を踏み出す。その速度はまさに神速。ジラートの目にはすでにシンが捉えられない。
 だがわかる。その身に迫る一撃を前にして、刹那の世界でジラートはシンを知覚する。
 圧倒的な力と、ほとばしる魔力。すべてを置き去りにする速度。
 その姿は、まさにジラートの憧れた主の姿。記憶にあった姿よりも今のシンは力強かった。
 いつか牙を届かせたい。最上の存在であってほしい。相反する願いは今、形をもってジラートの前にあった。

(ああ、それでこそ、我が――――)

 最後の思考は、響き渡った轟音の中に溶けていった。
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