今、僕は散文詩に浸かりっきりです。
こんな詩を書いています。
世界という開かれた本
世界という開かれた本の真ん中に
日本という樹がそびえ立っている
深く地中に伸びる根っこが僕たちだ
この樹が倒れないよう未来を掴む手のようになって伸びている
政治は空高く伸びた樹の先端だ
この樹の象徴のような顔をして隣の樹と会話をしているが
どんな言葉を交わしているのか
土の中ではわからない
幹はこの樹を支える産業だ
幹は真っすぐ伸びて頼もしいが
やっと実った果実はアメリカが刈り取って行く
語るべき言葉を持つ人はいつも少数
多数が正しいわけではない
多数はただ興味がないのだ
多数は樹の先端が青々としていると信じている
先端のために養分を一生懸命送り続けている
とかく「物事の原因は何だ」とそれを追求するが
追求は大きな間違いで
実は最初に結果がある
原因が結果を生むのではない
原因は左右に揺れながらいつも顔を見せない
真実は少し時間遅れでついて来るのだ
物事を「好き嫌い」「損得」で決めるのは簡単だ
いま僕たちは諸葛亮孔明のように
風を読む力を試されている
何をすべきかわからないのは
いつの時代も同じだ
この国はネジ一本締めるだけで核を持てる国になってしまった
決して新聞に載らない事実
朝のテーブルにサラダが並んだら
平和のドレッシングを並々かけて
幸せをシャキシャキとみずみずしい音で噛んでいたい
人はみな無限のかかわりを持っている
誰に習った言葉を掲げても力はない
痛いなら痛いと言えばいい
この世界という開かれた本のなかで