「ゴーストライター事件」でマスコミが伝えきれなかった佐村河内守の耳の話『淋しいのはアンタだけじゃない』

小禄 卓也2016年07月20日 印刷向け表示
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2014年に「ゴーストライター事件」で一躍時の人となった佐村河内守氏と新垣隆氏が、再び注目を集めている。

カメラを回しているのは『FAKE』監督の森達也氏(『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)

火を着けたのは、今年6月4日に公開された”事件”以降の佐村河内氏を追いかけた森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』。公開2日後に事件の発端となったノンフィクション作家神山典士から同映画に対するインタビュー記事が公開されたり、約1ヶ月後に新垣氏サイドから「映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務​所の見解」という声明文が出されたりと、当事者たちが絡まり合うさまはまさに泥仕合の様相を呈している。

正直、佐村河内氏が作曲家かプロデューサーかについてはそれほど興味はないし、多くの人にとっては「終わったネタ」扱いだろう。そこに関しては、もう当人同士がどこかしらの場でお互い腹を割って話し合ってくれればそれでいい。

そんなことよりも、お茶の間も含め「ゴーストライター事件」を話題にしたことのあるすべての人が正しく理解しておかなければいけないことが一つだけある。それは、「聴覚障害」についてだ。

今回の事件を通して多くの誤解を生み、いまだに多くの人が正しく理解できていない聴覚障害。今回紹介する『淋しいのはアンタだけじゃない』は、この障害について非常に明快かつ分かりやすく解説してくれる漫画である。

淋しいのはアンタだけじゃない(1) (ビッグコミックス)
作者:吉本浩二
出版社:小学館
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一言では言い表せない「耳が聞こえない」の意味 

僕たちは、「耳が聞こえない」ということの意味をどれだけ正確に理解できているだろうか。

一口に「聴覚障害」「難聴」といっても、人によってかなり違う(『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)

聴覚障害は、その障害の重さによって言葉の届き方がまるで違う。そして、先の問いに答えると、健聴者である僕らは実感を持って正しく理解することはできない。ダイアログ・イン・ザ・ダークのような視覚を一切奪われる暗闇体験はできるが、聴覚障害についてはその複雑さゆえに再現も体験も難易度が高い。

本作を描くのは、『ブラック・ジャック創作秘話』などノンフィクション漫画を得意とする吉本浩二さん。日本福祉大学出身という同氏は、漫画を通じて「聴覚障害」「難聴」に課題を抱える人たちのさまざまな”ナマの声”を届けている。

例えば、聴覚障害を持つ人たちは、ナンパができない。

街で可愛い子を見つけても聴覚障害のせいでナンパができない(『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)

これ、まじめにすごく辛い。本当に恋に落ちた女性に対して声を掛けられないなんてことを自分ごととして考えると胸が苦しくなる。続いてはこちら。

「笑顔がステキ」という言葉がこんなに不快な思いにさせるなんて誰が想像できただろう (『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)

インタビューに答える人によると、2◯時間テレビとかが簡単に言いそうな「障害を乗り越えてきた人の笑顔はステキだ」といったセリフが、途上国の子どもたちに掛ける言葉と同じものに聞こえるという。僕らはどこかで「障害者=幸せじゃない」というレッテルを貼って暮らしているのかもしれない。

音で起きることができない彼らが移動中に眠ることはない (『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)


「睡眠」に関する悩みも絶えない。目覚まし時計もにわとりの鳴き声も家族の声も、すべて聞こえないので、約束に遅れたりしないように様々な工夫で目を覚ます。もちろん、電車などで寝ることはできない。

佐村河内守は、本当に「耳が聞こえなかった」のか?

こうした聴覚障害に関する報道は、「ゴーストライター事件」の一連のマスコミ報道において、彼らが取材と報道に捧げた時間を考えるとほとんど放送されていないに等しい。そこで吉本さんは、思い切って佐村河内氏への取材を実施することに。聴覚障害を持った方々との会話の中でも彼の障害について聞いている。

中途失聴から佐村河内氏の話題に移り…… (『淋しいのはアンタだけじゃない』1巻より)

聴覚障害の人たちは「佐村河内さんの『聞こえない』はウソではないかも」と語る。前半で触れたように、人の聴覚障害については分からないことが多いため確証は持てない。分かっていることがあるとすれば、難聴は突然訪れるし、聴力が少し回復することもゼロではないということだろうか。

これらの情報を持ってしても、僕たちは佐村河内氏の「耳が聞こえていない」ということに対して否定することができるだろうか。少なくとも僕は言い切れない。

この漫画を通してマスコミが伝えきれなかった「聴覚障害」の奥深さと難解さを少しでも多くの人が理解できれば、完璧な共感が成立し得ない感覚の問題に対して外野がとやかく言えるものではないことが分かるはずだ。そうすることで、ほんの少しでも世の中が優しくなるのではないだろうか。

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