「男たちの生きづらさ、息苦しさの根底にあるのは、『罪悪感』。でもね、昔より今の方が息苦しさを感じる人が増えていると思う。なぜって、それは無意味な仕事をやるようになったからでしょうね。エリートであればあるほど、その傾向は強いです」。
前回(「仕事が苦しいのは、自分が無能だから」と思うな)に引き続き、東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授が、働く男性の「息苦しさ」について語る。息苦しさに限界を感じたとき、私たちはどうすればいいのだろうか?
現代の日本社会は、昔よりも「息苦しさ」が増している
昔と今とを比べると、男性たちが抱える息苦しさ、生きづらさに違いはありますか?
昔よりも現代の日本社会の方が、「息苦しい」と感じている人が増えていると思いますよ。70~80年代には、息苦しいと感じていた人なんかほとんどいなかったと思います。もちろん、大変だったし、辛いこともあったでしょうが、「息苦しい」「生きづらい」とは違う感覚です。
なぜかというと、当時は、そんなことを言っている暇がなかったから。高度経済成長の波に乗って、企業がどんどん大きくなった。みんな仕事をすれば昇進するし、給料も増えた。ちゃんとリターンがあったんです。
ところが、今の日本社会にはリターンがありません。長く勤めても給料は上がりにくいし、昇進もしにくい。その前に、不景気で会社が潰れてしまうかもしれない。
そこで政府が何をしているかというと、巨額の財政支出です。とんでもない額の国債を毎年発行して公共事業をやりまくったり、景気を何とか持ち上げようと“黒田バズーカ”を噴射して日銀の負債・資産を膨張させたり、ということを続けているんです。
なぜ、毎年あんなに巨額の負債をつくり続けないといけないのか。明らかに、何かがおかしいですよね。
そこで、「もし、政府が巨額の財政支出をやらなかったら、日本はどうなっていただろう?」と考えてみましょう。
当然、財政は維持できず、社会福祉は破綻するでしょうし、それ以前に経済そのものが回らなくなります。でも、これが日本経済の真の姿なのです。
経済って、何だと思いますか? 「意味のあることの積み重ね」の貨幣的側面なんです。社会は、人々が誰かの役に立つ意味のある行為をする一方で、別の人に自分の役に立つ行為をしてもらう、というふうに回っているのです。それを貨幣的価値という角度から見たものが、我々が経済だと思っているものです。
つまり、みんなが誰かの役に立つ行為をしている限り、経済が破綻することはないはずなんです。でも、全体の何割かの人が、誰にも役に立たないことをやっているから、借金で埋めなきゃならないんですよ。
ただ、「人の役に立たない仕事」は、国全体に均等に分布しているわけではありません。社会の中枢に近い人ほど、役に立たないことをやっているんです。
先日、TPPの交渉資料が黒塗りで提出されたことがありましたよね。政府が文書を公開するときは、意味のあるところを黒く塗りつぶすんです。中枢にいる人たちの中には、あんな風にひたすら黒い線を引きまくるような仕事をしている人もいるわけですよ。
そのほか、公務員、大企業で働く人たちの中にも役に立たないことをやっている人がいる。彼らは国の中心に近い場所にいますから、財政上の恩恵を多く受けています。意味のない仕事をやっても仕事はなくなりません。この部分が、国の借金によって埋められているんです。
そして、無意味な仕事をやっても、給料は入ってくるから、辞めることができない。無意味な仕事をやり続けて辛くなっても、「割り切ってできない自分が悪い」と罪悪感を覚えてしまう。人はそれを「息苦しい」と言うんです。
一方、そこから離れている人は、財政の恩恵を享受できませんから、人の役に立つ仕事だけをやっています。それ以外の仕事は不可能だからです。
例えば、今日の撮影のために私もお世話になったフリーのメイクさんなどは、社会の中枢から離れたところにいますよね。もし、フリーのメイクさんが、誰の役にも立たないことをしたら、どうなると思う? たちまち食べられなくなってしまいますよね。だから、人の役に立つことしかしないのです。
その代わり、息苦しさを感じるメイクさんはあんまりいません。のびのび仕事をしているか、仕事を失って困窮しているかのどちらかです。
残念なことに、日本社会では意味のある仕事をしようとすると、お金が回ってこないようにできているんですね。だから、日本の経済はちっともよくならないんです。