スカートというものがある。一般に女性が身につける衣服で、女子高生などはいつもスカートを履いている。ただこのスカート、よく考えると無防備すぎるのではないだろうか。
下はガラ空きなのだ。風が吹けばめくれるし、激しい動きでもやはりめくれるのだ。めくれればパンツが見える。しかし、パンツを見た記憶がない。もしかして、スカートは意外とめくれないのではないだろうか。
スカートはめくれる?
日常生活では様々な動きが生じる。落ちたペンを拾う、階段を上る、足を組む、などその動きは数えられないほど存在する。このような行動をしている時に考えるのが、「パンツが見えるのでは?」である。
スカート以外の衣服を着ていれば、別にパンツが見える心配はない。ただスカートならば、パンツが見えるのでは、を考えないわけにはいかない。ズボンだと両足できっちりと締め付けてあるので、パンツは見えない。
ただスカートはどうだろう。無防備すぎるのだ。上は腰のところでしまっているからいい。ただ下はどうだろう。フリーダムすぎるのだ。下から見上げればパンツが見える。スカートは無防備すぎるのだ。
風が吹けばめくれてパンツ、それがスカートだ。階段を上れば下からパンツ、それがスカートだ。しかし、過去の記憶と会話をして欲しい。パンツが見えた覚えがないのだ。実はスカートでもパンツは見えないのではないだろうか。それを確かめたいと思い、スカートになったのだ。
街中でスカート
今回、私が履いたスカートは一般的な丈のスカートだ。膝上なので若干短いと言ってもいいかもしれない。これで日常生活を送ってみたいと思う。果たしてパンツは見えるのだろか。まずは足を組み替えるシーンだ。
意外にも見えていない。見えるか否かのギリギリを攻めているようにも見えるが、パンツは見えていないのだ。私のパンツは何色なのか。それはわからない。なぜならパンツが見えていないからだ。
ちなみに私はこの日、見せパンというものは履いてない。見えたらダメな「まじパン」を身につけている。慣れないスカートにパンツが見えたら、と心配になっているけれど、見えないのだ。
階段などは絶好のパンツ見えちゃうスポットな気がしていた。ただ見えない。私のパンツは守られている。別に見えないように行動しているわけではない。いつも通りだ。ただパンツは見えないのだ。
パンツは見えない
スカートを履くとなぜか内股になっていた。これがスカートの力なのかもしれない。そして、パンツが実は見えないのもスカートの力。下が無防備だと思っていたけれど、完璧にパンツを守ってくれているのだ。
両サイドがガラス張りの高いところなら見えるかも、と考えた。しかし、見えない。スカートの中は、幾人もの旅人が向かっては戻って来れなかった暗闇のように、暗いままだ。私のパンツは全然見えない。
風だ、と考えた。春風がいたずらするように、風がスカートをめくり、パンツを光のもとに引っ張り出すと思っていた。しかし、少しくらいの風ではピクリともしない。電車の風はすごかったけれど、スカートは鉄壁の守りだった。
もっと動く
スカートを身につける世代は様々だ。もっと活発に動く世代もいるだろう。アクティブな世代だ。スカートを過信していると言ってもいいかもしれない。だって、普通に考えれば、見えるだろ、と思うからだ。
さすがに見えるだろう、と考えていた。しかし、パンツは見えていない。私のパンツの色という秘密を見事にスカートが守っている。これだけ動いてもパンツは見えないのである。
馬跳びである。車止めを元気よく飛び越えていく。足を盛大に開いている。しかし、見えないのである。私は力の出し惜しみをしていない。全力で足を開いた。しかし、パンツは見えない。
結論「見えない」
膝上のスカートを見ると、「パンツが見えるかも」と考えてしまう。ただ上記のようにパンツは見えないのだ。スカートは無防備ではないのだ。考えられた衣服なのだ。パンツはスカートにより守られている。
ちなみに正解は赤いパンツでした。こういう、うっかりはスカートだと生まれるかもしれませんね。
▼執筆:地主恵亮(じぬしけいすけ)
1985年福岡生まれ。基本的には運だけで生きているが取材日はだいたい雨になる。2014年より東京農業大学非常勤講師。著書に「妄想彼女」(鉄人社)、「昔のグルメガイドで東京おのぼり観光」(アスペクト)がある。
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