滅茶苦茶なことを書いてるのでスルー推奨です。
企業が大きくなっていくと、おのずと社会から、その会社は「ちゃんとすること」を求められます。
それまで、全然ちゃんとしていなかったのに、突如ちゃんとすることを求められると、困惑します。
スタートアップも、
「ちゃんとしていないフェーズ」で活躍していた人、
「ちゃんとすることで、会社がつまらなくなってしまった人」
「ちゃんとしている方が力を発揮する人」
「ちゃんとする方向にシフトできずに苦労している人」
など、さまざまな軋轢が起きます。
「ちゃんとする」とは何でしょうか。
先日、鹿児島のさくらじまハウスという、さくらじまで開催されたエンジニア向けイベントで、さくらインターネットの田中社長が、こういう一言を仰っていました。
「メリットを求めると、熱量が下がる」
この言葉、すごく刺さりました。
「メリット」というのは、企画を立てた時のやる理由の説明責任であり、費用対効果のことだと思います。
最初は、何の根拠もなくやりたいことや、やらなくてはいけないと思ってやっていたことが、組織化、レイヤー化して、責任が取れない立場の人が企画をすると、「メリット」を正しく提示できないと、企画を実現することができなくなります。
マーケティングの仕事というのは、メリットを説明し、投資理由を作るのがプロの仕事であるという記事を、昔、誰かのはてなブログで見かけて、心底感動した記憶があります。
そういうのは広告代理店などでプランニングを専門に行っている人は、クライアントに提案して案件を取ったり協業する中で訓練を受けているわけで、やっぱり、それはそれで高い能力が求められ、エリートの証拠かなと思うところもあります。
「ちゃんと説明する」というのは、結構ハードルが高い。
先日のさくらじまハウスで司会をやっていた、あやのちゃんという女性がいます。会場にいた人はわかるかと思いますが、必ずしも完成していない段取りの中で、IT系のややこしい専門用語が炸裂する、高度なナレーションを求められるが故の司会の中で、あやのちゃんという個性が際立って、会場に笑いを呼びます
後から話を聞くと、段取りそのものが数日前に提供されて、決してIT系に造詣が深いわけではない彼女は、専門用語に馴染みがない。それが故に、ナレーションが棒読みっぽくなって、それが余計に場を和ませるという流れになります。
もし司会でプロを採用し、「ちゃんとしなくてはいけなくなった」としたら、多分、そういう段取りを提供した運営側は怒られてしまうでしょう。その代わり、プロのナレーションはめっちゃテレビのアナウンサーばりに完成度が高いのかもしれませんが、場はそんなに面白くならなかったかもしれない。
つまり「ちゃんとしていないこと」による美というのが、会場にあったのだと思います。
この「ちゃんとしてないフェーズ」において成り立っているチームというのは、非常に貴重なメンバーです。何故、それで成り立つかというと、互いの信頼度が高いから、というのが、僕の心の中の結論です。
もし、さくらハウスのメンバーが、今後、メンバーも増えて、組織が成長していくと、「ちゃんとしていく」ことが求められます。それは人それぞれの信頼度が組織化によって薄まっていくことで、その代わりとなる、「一緒に仕事をしていくための証拠」を求められます。それが特定の専門家としてのスキルなどと呼ばれるものです。
これが「ちゃんとすること」の正体だと思います。
また同じく、そのような組織に、経験を積んだ「ちゃんとしたい」人が入ってきた時に、軋轢が起きます。ただ、組織化する上では、そういう人こそが必要とされる人材かもしれません。
スタートアップも同じで、会社が成長していくと、「ちゃんとしてない状況が故に力を発揮していた人材」が苦しくなっていきます。それは会社が「ちゃんとしていかなくてはいけない」ことを周りから求められるからです。
上場企業というのは、そのような変化を乗り越えた組織だけが到達しうる道なのだと思うと、やっぱりリスペクトする存在であり、社会に認められるというのは、そのようなことなのだろうか、とも思います。
ただ、ただ、例えば先日発表された、孫さんによるARM社の買収というのは、果たして「ちゃんとしているが故の活動」なのでしょうか?
どちらかというと否のような気がします。実際株価は、10%程度下がったとのことで、市場からは「ちゃんとしてない行為」として見られたのでしょう。しかし、この買収話から感じられる、孫さんの熱量は最高です。
まさかのITのド本命を狙ったということも、凡人には全く理解できません(笑)
あと、ちゃんとしてるようで、全然ちゃんとしていない代表例として「原発」が挙げられます。
これはもう滅茶苦茶です。なにせ暴走すると手がつけられない。制御の世界にはインターロックという概念があり、安全を必ず確保するための機能を入れろということなのですが、原発にはメルトダウンというどうしようもないモードがあります。どう考えても原子力工学はメルトダウンが起きることを前提条件から外して、制御棒で完璧に制御できると思い込んでいたとしか思えません。
しかし、何故、原発が滅茶苦茶でも必要だったのか?というと、原発が電力を支えないと、すごい簡単に言うと、日本のバブル経済が作れないからです。いざアクセルを踏もうとした時に、電力が足りなくてアクセルが踏めない国家は、資本主義国家としてありえないというのが、基本的な考え方になります。
電力が足りないという状況は、社会から許されない。エネルギー産業は、そういう宿命を持ったものだと思います。
つまり、資本主義は、基本的に成長を前提としているので、「あんまり、ちゃんとしすぎてない」ことが大前提になっているとしか思えません。そうじゃなきゃ、孫さんがみずほ銀行から一兆円もの借り入れを2週間で取れるとは思えません。銀行は与信というルールで「お金の貸出の判断を、過去の返済実績などを元に、ちゃんと判断する」という、「最高にちゃんとしている組織」のように思えますが、この件に関しては、どちらかというと別のように見えます。それは、案外、世の中は「ちゃんとしてない」ことを前提として回っているし、少なくとも経営者は、そういう期待がされているのだということがわかります。
これが基本的な社会の仕組みなのかなと思ったりします。つまり、基本的な社会のフレームワークは、全然、「ちゃんとしてない」理想に向かっていくんだけど、それを実現するプロセスの中で、信頼を得るために「ちゃんとする」というプロセスが組み込まれていくのですが、実は全然ちゃんとしてないので、一定の条件が崩れてしまうと、その「ちゃんとしてない」が故に、負のサイクルを描いてしまったりもする。
ただ、自分たちがやろうとしていることは、さほど「ちゃんとしてない」という前提で、「ちゃんとしようとする」のか、「ちゃんとしなきゃいけない」という前提で、「ちゃんとするのか」は全然違ってくると思います。
それは、さきほど書いた、「メリットを求めると、熱量が下がる」ということに現れなのかなと。
会社員たる労働者は、この「ちゃんとしてない理想」に対して、「ちゃんとしてそうな理屈」を打ち立て、それを実践することで、自分の立ち位置を構築し、社会から評価されます。その方法論がマネジメントなどと呼ばれてるように思えます。
ダメな社会人の例で、「ちゃんとしてから○○しよう」と言うのが口癖の人が、よくいますよね?
きっとあなたの職場にもいますよね。でも、こういう言説は、大体「やりたくない」「めんどうくさい」ということの正当化だったりします。
本人に聞くとそうは言わない、まっとうそうな理由が返ってくると思いますが、いずれにせよ「ちゃんとしていることが社会人としての理想である」という幻想に自分の働き方を見出してしまっていると思うのですが、なにせ世の中は「ちゃんとしてない熱量」でこそ動くものだとしたら、結構、辛いのは自分です。だから、そういう人、いつもイライラしてたりしませんか?
そうじゃなくて、「ちゃんとしてないこと」を実現することを意識して、でも、人と人とが組み合わせれば、そこでは「ちゃんとする」というゲームとしての役割を演じるように意識すれば、結構、楽しく働けるんだけどなぁとは思うのですが、まあ、この文章だけで共感は求めません。僕の行動原理として、リアルで会う人やブログの記事、TwitterやFacebookなどで、書いていくことになるでしょう。
ただ、もちろん、ちゃんとしてないにも限界がありましてね、なんでも良いというわけではないのは事実です。
熱量を最大化して、それが成立するためには、「ちゃんとしてないようで、ちゃんとする」というのが求められるわけです。それが持続できる組織は大きくなるんだと思います。例えば、孫さんの無茶振りを、大人のロジックとしてカタチにしていく部下などという構図が一つ理想的な例として思い浮かぶでしょう。
そういえば、僕が好きなのは、この「ちゃんとしてない感」が前提にある状況下で、「ちゃんとしたい人」に「ちゃんとしてあげる」のが、結構得意なのかもなぁと、鹿児島の帰りの飛行機で考えていました。それ故に、「ちゃんとしてるレイヤー」に組み込まれると、そこにいることが飽きちゃうんですよね。あとネクロマンサーのマイストみたいになってはいけないとはいつも思っていたりします。最後はどうでもいいお話でした。
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