バイトを無断で休んだとき、寝坊をしたとき、不良に囲まれたとき、仕事で大失敗したとき、誰かに謝罪に行くとき、借金取りに追われているとき、浮気がバレたとき、予期せず子供ができたとき、などなどなど。事態の大小は様々あれど、たとえ一瞬でも、その場からいなくなりたいと頭をよぎった経験が誰にでもあるだろう。
現代社会の中で生きて行く前提では、そこから逃げると、後からより大変な事態を招くことが想起できるため、気まずさや恐怖、面倒臭さに、立ち向かうことになるのだが、、、。
若き写真家が見る歪んだ世界、第14回目は、度々蒸発を繰り返す自身の父親を撮影する金川晋吾の作品とインタビュー。
まず写真を始めたきっかけを教えてください。
高校生くらいから興味はあったんですけど、本格的には大学に入ってからで。神戸大学の映画部と写真部に入ってたんですけど、最初は映画製作の方に興味があって、写真はちゃんとやらずにいたんです。就職のときに、単純にそのまま就職するのは嫌だなと、そのとき大阪にあったIMI(インターメディウム研究所)という、ちょっと面白い学校があったので、そこに進学しました。
専門学校ですか?
専門学校というよりワークショップ的で、現代美術、デザイン、写真など、いろいろなジャンルの有名講師が来るんですけど、技術を教わるのともちょっと違って。各講師も月一回くらいしか来ないんですが、そこで鈴木理策さんに出会いました。技術的にどうこうはほぼなくて、生徒それぞれが写真を撮ってきたものを理策さんに見せて、それに対してコメントをもらって話をしていくみたいな授業だったんです。写真の見方とか写真にどういうものが写るのかとか、色んな話をしたのですが、そのやりとりがすごく面白かったんです。それで写真を本格的に始めるようになりました。
では22、23歳から写真を本格的に始めるんですね。そのときはどのような写真を撮っていたんですか?
当初はスナップショットのシュールさを追求してたんです。スナップ写真って変な瞬間が写るじゃないですか? それを面白がって撮っていて、梅佳代さんとか、いくしゅんさんとか、あそこまで振り切ってはいないんですが、大きく分けるとそれに近い感じです。
もう少し具体的に撮っていたスナップについて教えて下さい。
パッと見て、なんの状況かよくわからなくて、お笑いほどにはならないような、わかりにくいのが良い、みたいな気持ちがありました。例えば、群衆のなかで、ひとりだけこちらに微笑みかけているおじさんがいて、でもなんでその人が笑っているのかはよくわからないような、そんな感じです。
シュールな作品ですね。そんなスナップを撮り始めた理由は?
これ、といったはっきりとした理由があったわけではないのですが、「何かが起こっているのはわかる、それによって自分が何かを強く感じてはいる、けれどもそれが何なのかはよくわからない」そういう感覚が面白いと漠然と感じていたのでしょう。その感覚は、今でも自分の根っこにあります。中学生ぐらいから映画は好きだったんですが、大学で映画部にいたときは黒沢清がすごく好きでしたね。
そんなシュールなスナップ写真から方向転換するきっかけは?
その頃は作品のテーマを何も決めずに、むしろテーマとか決めたくなくて。ただ段々、そういう写真が撮れなくなるというか、延々とそういう作業をやってられなくなりました。
つまらなくなったと。
まあ、言っちゃうとそうですね。なんか、こう撮ったらこうなる、とわかってくるので、なんとなくパターン化してくるんです。ひたすら、そのパターンを果てしなくやる凄さもあるでしょうけれど、僕はそれができなくて。それで、写真どうしよう、同時に人生どうしよう、と悩みましたので、とりあえず芸大の大学院に行ってみようと思いました。ちょうど理策さんが芸大で先生していたのもありました。それで受けたら受かったんです。
では、大学院でスナップとは異なる写真表現を見つけるんですね?
はい。でもすぐにそうなったわけではなくて、まずは、テーマを設定しながらも、やっぱり色々スナップを撮ってたんです。街中の群集とか、スナップの延長みたいなことをやろうとしたんですけど、上手くいきませんでした。こんなことずっとやれないな、って感覚がまた湧き出てきてしまって、写真が本当に自分のやるべきこと、やりたいことなのかよくわからなくなってしまいました。
そんな中でお父さんに行きつくんですね? 蒸発グセのあるお父さんを撮り始める。
そうなんです。2008年の11月なので27歳のことです。そんなふうに写真で迷っていたときに、ちょうど父が蒸発したんです。7、8年ぶりだったはずです。2008年の9月に久しぶりの蒸発でしたね。
そんなに良く蒸発されていたんですか?
昔からずっと繰り返していたわけではないです。基本的には、いいお父さんなんです。人当たりも良くて、優しくてスポーツマンで。僕は小中はサッカーをやってたんですけど、父はサッカー少年団のコーチをしていましたしね。僕の学年の担当になったことはないので直接のコーチではありませんでした。いつから失踪するようになったかは定かではないのですが、僕が中学、高校の頃、いなくなっていたのは、はっきりと覚えています。でも昔からずっと蒸発していたわけではないはずです。
いなくなると、どれくらいの期間いなくなるのですか?
一週間くらいが多かったですが、ときによります。一ヶ月いなくなったりもしたんだろうけど、あんまりちゃんと覚えてません。今、本人に聞いても、もちろん覚えてないです。父だけでなく、他の家族も忘れっぽい性格なのかもしれません。
お父さんは何の仕事をしてたのですか?
元々は機械設計士だったんです。その仕事を辞めたのがいつなのか、ちょっと記憶がおぼろげなんですが、自営もしていました。家に設計のためのコンピューターもあったんですけど、その仕事も辞めたんです。小学校の頃は、まだ機械設計の仕事をしてましたが、中学の頃、蒸発を繰り返すようになって、この仕事を辞めて他のことをやり始めた記憶があります。
中学受験や高校受験でお父さんに相談したんですか?
なかったですね。僕のなかに、そういう感覚はまったくなくて。だから、いわゆるわかりやすい反抗期みたいなのもなくて、父は反抗しないといけないような、対象ではありませんでした。父が蒸発したときには、友達に「またおらんくなった」って話したりしていましたね。
笑いにできてたんですか?
ちょっと、できてたんですよね。高校のときは本当に良く蒸発していたんですが、クラスが国際系のコースで男が5人だけで、仲が良かったんですけど、5人ともそれぞれに父親がけっこう大変な時期で(笑)。それもあって、結構ネタにできてたんです。そうはいっても金銭面に関しては、不安はありました。
生活は苦しかったんですか?
苦しいというほどではありませんでしたね。お金がないから大学にいけないとは全く考えなかったです。母親がしっかりした人なので、それが大きかったと思いますね。父もいなくはなるけど、無職の期間が続くというのはなかったはずです。蒸発しても、戻ってきたら勤め先から職場に戻ってくれとお願いされたりもしていました。本人が自ら辞めても、次の仕事がすぐ見つかっていたみたいです。麒麟の田村の『ホームレス中学生』みたいな貧乏話って色々ありますが、あんな感覚はなかったです。僕も普通に遊んでいましたしね。
蒸発する理由は女性と駆け落ちみたいなことですか?
いや、女性じゃなかったと思います。どこかに女がいる、というような、そういう明確な理由があって蒸発するのではないはずです。はっきりとはわかりませんが、むしろ誰とも接触したくなかったんでしょうね。パチンコもよく行ってたんですけど、パチンコも同じように、物凄い音の中で何も考えずにいられるみたいな…。競馬などは絶対にやらなかったので、ギャンブルのスリルを求めてではなく、自分自身をなくすような感覚を求めてパチンコをやっていたのかもしれません。父自身はとくにそんなことは考えていないはずですが。
わかりやすい欲求みたいなものは感じられるのですか?
あると思います。父が仙人のように欲望から解脱した人間かというと、そうではありません。お酒も好きですしね。そういう欲求はあるんです。ごくごく普通の生身の人間です。ただ、自分の過去を振り返ってクヨクヨするというのは全くなくて、そこらへんはちょっとすごいですね。ただ何も考えないようにしているだけだとも言えますが(笑)。
お父さんが蒸発グセがあると、金川さん自身が働かなきゃみたいな感覚にはならなかったのですか?
なかったですね。大学は絶対行った方がいいって思っていました。これを父のせいにしてしまうのはずるいですが、ああいう父を見て育ったのもあって「働く」というイメージが自分のなかで乏しいと感じています。これまで普通に就職することなく、写真を撮ったり作品を創ったりしているのは、父の影響がやっぱりあるのかなと思ってしまいますね。でも、結果的にこうやって父を作品にして、それによって写真集を出してこんな風にインタビューしてもらって自分や父のことが社会化されるのは、妙ではありますよね。
先ほどの話に戻りますが、作品でお父さんを撮るようになったきっかけも、お父さんの蒸発でしたしね(笑)。
そうなんです。状況的には、僕が大学に入ったくらいで、父親は家族から離れてひとりで生活を始めました。ひとりになってからの父は、なんか楽しそうにしてたんですよね(笑)。この人は家族との生活が向いてなかったのかな、ひとりになってからは気楽にやってるように見えたんです。それが、実はそうでもなかったみたいで、先ほども言ったように僕が27歳のときに、すごく久しぶりに蒸発をしました。そのときはすぐ戻ってきたんですけど、そのままずっと家にいて仕事に戻ろうとしなかったんです。しかも消費者金融からの借金が結構ありました。このままじゃ本当に生活が立ち行かなくなる、社会からドロップアウトするしかないような状況なのに、父は何も動こうとしないんですよ(笑)。そういう状況になって、この人を撮ったらどうなんだろうって思ったんです。なんか良いタイミングで蒸発してくれたっていうとアレですけど、そのときに撮ってみたくなったんです。
なるほど。借金だったり、働かなくなったり、これまでの蒸発ともちょっと違いますよね。
そうですね。誰かがこの人に関わらなきゃいけないという状況が発生してしまったんです。そのとき僕は学生で気楽な身分だったので、関わるとしたら自分だなと。そういう現実的な問題と同時に、この人を撮ってみたいという想いが自分のなかにあったんです。昔から父に対して「この人は本当は何を考えて、どういう人間なのか」という興味もありましたしね。そういういくつかの要因が重なって、父と関わりながら父を撮り始めました。父は京都にいて、僕は東京だったので、京都に帰って色んな手続きを一緒にして、その合間に写真を撮るみたいな生活でしたね。
ご自身の父親とシャッター越しに、向き合えるのが不思議です。家族だからこそ、恥ずかしいこともあるかと思いますが。
確かに気恥ずかしさみたいなものは最初はありましたし、カメラを向けられて嫌だろうなとか想像したりもしましたが、それはそこまで大きな問題ではありませんでした。自分の場合、父親だといっても、やっぱり「他人」って感覚なんです。他人っていうか他者。それが母親になるとちょっと違うんですが。
お母さんは撮れない?
でも撮ってますよ(笑)。撮ってるんですけど、やっぱり父の撮影を経験した後だからできるようになったのかと。僕の場合、多くの人が持っているであろう自分の父親に対するある種の抵抗みたいなものが、他の人より多分少ないんでしょうね。僕が中高生のころに父が蒸発を繰り返してたからだと感じているんですが、その段階で父を自分から切り離して「他者」として捉えるような感覚が生じたのかなと。写真を撮ることは、実は対象と向き合うのではなくて、むしろ、向き合わなくする方法というか、対象から距離をとるものとして機能してるんじゃないですかね。
どういうことですか?
写真ってレンズを通して相手を見るじゃないですか? そうすることで、父を対象として眺められるというか、距離をとれるというか。僕と父との間にレンズを介入させることで、僕の意識は目の前にいる父その人だけでなく、撮影したあとにあらわれてくる写真や、その写真を見せる第三者にも向かうようになるんだと思います。
一個フィルターを通せると?
そうですね。あと、被写体が何を考えてるとか、写真には直接的には写らないですよね。最初撮ってたときは、父にいろいろ質問しながら撮影をしてたんですけど、写真を撮るのは、当たり前ですが、言葉によるやり取りとはちょっと別物なんです。写真を撮る行為自体が、コミュニケーションといえばコミュニケーションになってはいるんですが、むしろ対象から離れるような感覚というか距離をとる感覚がすごくあります。写真がそういう風に機能してくれるから、父とこんなにも関われてる気がします。写真がなかったらこれだけ関係性を持ち続けていなかったのではないかと。父に「なぜ蒸発するのか」「これからどうするのか」みたいな質問をして、会話を続けていっても、この人がどういう人なのか、結局よくわからないんです。まあ当然といえば当然で、そもそも他人なんてわからないということもありますが、父の場合、父が父自身にまったく興味がない。自分自身についてまったく考えようとしないんです。「なんで自分は蒸発するのか」を考えないんです。考えるのが面倒くさいのか、ただ単に「この人はそういうことを考えない人間である」ということなのか、それはよくわからないのですが、会話を続けていくうちに、何かをこの人のなかから引き出そうとすること自体が不毛なんだと気づいていくんです。
目の前で起きていることにしか興味がないんですか?
興味がないっていうか、意識をそこに向かわせないんですよね。この人の生き方なんですよ、多分(笑)。それが意識的になのか、無意識になのかはよくわからなくて、考えないようにしてるのか、考えられないのかがわからないんです。最初は結構それについて考えさせられて、「この人は考える意志がないのか、あるいは考える能力がないのか」の違いが重要だと思って、そこを見極めようとした時期もありましたね。ただ、そのうちにこのような問いは意味がないのだと思うようになりました。そんなことは誰にも区別することはできないんです。それは本人自身にも。だから考えてもしょうがないんだなと。ただ、父が自分自身を省みない人であること、そういう父の自意識のあり方が、写真に大きく影響をしているでしょうね。父は写真を撮られるのに全然抵抗がなくて、ものすごく寛容なんです。普通は息子に撮られるっていったら、もうちょっといろんな自意識が生じるはずなんですよね。
無防備すぎる写真もありますね(笑)。
しかもこれ、寝てくれ、こうしてくれって指示して撮ってるんです。本当にこうしてるとこを撮ってるわけじゃなくて、改めてポーズをしてもらって撮影してるんです。
指示して撮影すると、意識しすぎてぎこちない表情や動きになると思いますが、あまり感じられないですよね。
そうなんです。普通はこんな感じには写らないんです。それが、すごく面白かったんです。写真が父のこの感じを、うまく捉えている。言葉にしがたい「態度」「姿勢」「関係性」のようなものを目に見えるかたちにするのにが、写真には向いているのだと思います。
被写体として、子供みたいな感じですよね。大人になると無防備に自分をさらけ出せる人は、なかなかいないですよね、特に日本人は。
父は写真の被写体としてとても魅力的な存在です。写真という場においてこそあらわれてくるこの人の良さみたいなものがあるんだと思います。まあ基本的にはとても寛容な人なんです。父に毎日父自身の顔を撮ることをお願いしているシリーズがあるんですが、2009年の4月から始めているのでもう7年以上経ちましたが、父はまだ続けてくれています。これが写真ではなく毎日日記をつけてくれと頼んでも、父は絶対できないはずです。日記だとその日の自分を省みたりしないといけないですよね。写真にはそのような内省は必要ない。父は写真だからこそ、これだけやってくれてるんでしょう。
ただ、押せばいいからできると?
そうだと思います。これは自撮りだからファインダーも覗かなくていいんです。何かを選んでシャッターを切らなくてもいい。実は父はこの自撮り写真を自分で1枚も見てないんです。にも関わらず、これだけ撮影を続けてくれている。
飼っている犬も作品に写っていますよね。面倒はみれるんですか?
普通に面倒をみれます。ただ、絶対に生きていくのにペットを必要とするような人ではないと思います。今父が住んでいるところは犬が飼えないアパートなので、この犬は元の飼い主に返しました。そのときも、犬を飼える場所に引っ越すみたいな話には全然なりませんでした。
今は仕事してないんですか?
今はしてないですね。
地位とか名誉に全く興味なさそうですね。
今はそうですね。でも元々そうだったかというと、それもよくわからなくて、お金も欲しかったでしょうし、今もお金をもらえるなら喜んでもらうはずですよ。欲望がないわけじゃなくて。『バートルビー』っていう、何を言っても何に対しても、「それはしない方がいいのですが」と言って何もしないバートルビーという男が主人公の小説があって、彼に近いものが父にはあるはずです。ただバートルビーは、「しない方がいい」という姿勢を貫徹して、最後食べるのもやめて餓死してしまうんですが、父は絶対にそうならないでしょう。父はお腹が減ったらもちろん食べます。バートルビーのように、あるひとつの原理では動きません。当たり前ですが生身の体をもった人間なんです。
しかも出てくる写真の中にウイスキーの空瓶とか、タバコとか、コーヒー牛乳とか、周りにありますよね(笑)。
そうなんです。お酒ほんとに好きですよ。だから最初アル中かと疑ったんです。お酒を飲むのをやめなかったので。でもやっぱり全然違いましたね。アルコール依存症の人の話を聞くと、もっと壮絶ですね。父はお金がなくなってきたら、飲む量もそれに合わせてぐっと減らせますからね。ないならないで仕方がないという感じです。
酔っ払って気持ちいいんですかね?
ご機嫌ですね(笑)。もし実際に父に会って話をしてみたら、ごく普通の気のいいおっさんだと思うでしょう。
なるほど。不思議ですね。
不思議な人です。ただそれは、僕がどうしても、そういうふうに父を語ろうとしているからでしょう。インタビューを受けるときも、質問してくれる方が「お父さんってこういう人ですよね」とある解釈をしてくれた場合、僕は「たしかにそうともいえますが、でも別のところではこういう人でもあるんです」と別の解釈をうながしたくなります。それは父という人間の性質がそういわせると同時に、僕自身がそういう性質の人間なんでしょうね。わかりたいという想いはもちろんあって、でも同時にわからないってことを求めてる部分もあるんです。そこにちょっと矛盾というか、両方あるはずです。
技術的な話も聞きたいんですが、例えば自然光の綺麗な写真という印象が強いですが、撮る時間、日の入り方などは、どれくらい意識してるんですか?
自然光で結構撮っているのですが、蛍光灯でも撮ってます。ただ撮る段階でそこまで徹底的に光をセットアップして撮る感じではないですね。
フィルムで撮影していると思うんですけど、光も含めて、ちょっと哀愁が漂う手法を選んでる理由は?
「哀愁」っていうと自分のなかでは少し違和感があるのですが、でも「哀愁」っていう言葉でおっしゃろうとしていることはなんとなくわかります。写真に形容詞をつけるのはむずかしいですよね。でも、形容詞を与えにくい写真にしたいというのはあります。撮り方に関しては、ほとんどすべての写真がセットアップして撮っているんですけど、セットしすぎないようにはしていて、ドキュメントとしても機能するものにしたいと思っています。この写真を撮っている時期は、お父さんが結構ピンチな状況で撮影しているので、そのことが直接的にではなくても写っているようにしたいと考えていました。これは僕の感覚の問題ですが、フラッシュをたいてバチッって撮るのは違和感があって。カメラのボディも最初は中判カメラじゃなくて35ミリフィルムのカメラでスナップみたいに撮っていたんですけど、その写真はちょっと説明的な感じがありました。銀行にいるところ、弁護士のところに行こうとしている様子とか、状況がもうちょっと写ってきたんですけど、そういうものを見せるのは違う気がしました。スナップ的に状況を写し撮るのではなく、もう少し撮影に時間をかけて父その人のありようを写したくて中判カメラにしました。
よりお父さんのありようだけを強く表現したかったんですね。
イメージが強度を持ってほしくて。蒸発ってネガティブではなくて、かといって讃えるわけでもないけど、なにかイメージとして強度があるものにしたかったんです。うまい形容詞が見つからないのですが、被写体の尊厳が失われないようにしたかったんです。
綺麗な世界ですよね。
そうですね。僕が現実に見ている父をそのまま写真にしたいのではなくて、父のある部分を抽出するというか、抽象化するような感じに近い。写真というのは当然具体的で個別的なものなんですけども、そうすることで、現実の父そのものとも少し違うようなものにしたかったのかなと。それは僕がある部分では父のことを「すごい」とか「やばい」とか、被写体としてリスペクトがあるからです。
お父さんのダメなところも良く見えるように撮ってるんですね。さっきの寝てるやつとか。もう少し客観的だったら完全なダメ人間みたいに写ると思うんです。でもそうは見えないという。
蒸発するとか、そういうことを必ずしも改善しなくてはいけない「問題」として捉えていなく、そこに共感があるのかもしれません。この人の場合は蒸発というカタチであらわれるけど、多くの人にも共通してるだろうと…。共感もリスペクトもあるんですけど、一方で「どうしようもないな」って思うことももちろんあるんですけどね。幾つかの要素が、同時にあるんです。撮ってるときはとくにそういうことを意識的に考えているわけではないのですが、写真においてはそういう幾つかの要素が混在できるはずです。
基本的にはすごくナチュラルに被写体を捉えていると感じるのですが、例えばこの上の写真は、ちょっとセットアップ感が強いと個人的に感じます。わざとらしく写ったら写ったで、ご自身の中で楽しんでる部分もあるのかなとも思います。これ笑えるとか。
そうですね。僕自身が面白がっている部分はあります。見る人にも面白がってもらえたら嬉しいですね。でもそうやって「面白がる」ということができるのは、やっぱり写真があるからでしょう。
この「やっぱり生きていくのが面倒くさい」と入るメモ書きは、お父さんが書いてるんですか?
父が書いていました。これは見つけてしまったんですよね。置き手紙みたいに置いてあったわけではなくて、ファイルの中に仕舞われているのを、父の部屋で見つけたんです。
さすがに死んじゃうかもって思いました?
それがそうは思わないんですよね。そして、そう思わせないところが父の魅力というか良いところというか。父の場合、やっぱり生きていくのが「面倒くさい=死にたい」ではないんです。これが「やっぱり生きているのが面倒くさい」だと微妙にニュアンスが違ってきますが、この場合は単純に何かをするのが面倒くさいと言っているだけでしょう。
ただ面倒くさいなって言っただけってことですか?
そうじゃないでしょうか。こぼれ落ちたものなんですよ。父があのメモを書いた経緯はちょっと思い当たるところがあるんです。僕が「なんで蒸発するのか」みたいな問いかけを父にしても、父は全然うまく答えられなかったので、僕は「ノートか何かに書いてみることで自分の考えを整理できるからやってみたら」って薦めたんです。多分、父はそれをやろうとしたんでしょう。そして、出てきたのが、あの言葉だった。でもまあ本当のところ父がどういうつもりであれを書いたのかはよくわかりませんけどね。
写真集の中には日記も入ってますよね。日記をつけ始めた理由は?
父と関わるなかで起こっていることを記録しておきたかったんです。いくら問いかけても自分のことを語ろうとしなかったり、危機的な状況に陥っているにもかかわらず何もしようとしなかったり、そういう父を前にすると、何か圧倒されるような感じがして、書き留めておきたくなったのだと思います。あとは現実的な問題としてお金を結構使わないといけないこともあったので、その記録を残しておく必要から日記をつけ始めたというのもありますね。
なぜ日記を写真集に入れたのですか?
この『father』という作品は2010年ごろから展覧会で発表しているのですが、展覧会では写真が中心で、テキストはごく短いステイトメントだけを展示するようにしていました。ただ、ずっと撮影を続けていくなかで、父と私の関係性も変化し、いろんなことが作品のなかで起こってきたので、それをいろんなかたちで見せるようにしたくなり、この『father』を本にするのなら、日記もあわせて入れたくなりました。あと、時間が経つと日記を客観的に見れるようになり、この日記はひとつの読み物として実はかなり面白いんじゃないかと思ったんです。そして、写真と日記を組み合わせたダミー本を自分でつくって、青幻舎の編集者に見せたら、出版が決まった。そういう感じです。
この『father』のシリーズはこの本の出版で完結したのでしょうか?
本の出版によってひとつの区切りにはなりましたが、作品自体は続いています。父の自撮りは現在も継続しています。父がいやになってやめてしまわない限り、撮影は続けてもらいたいので、いつ終わるのかは僕が決めるものではなくなっています。ただ、今後は父以外の作品の制作ももっと進めていきたいです。
なるほど、他にも撮影している題材はあるのですか?
いくつかあるのですが、とりあえず今年の10月に参加するグループ展では叔母を撮った作品を発表する予定です。「父親の次は叔母かよ」って感じですよね(笑)。あと、もっとテキストを書きたいです。この『father』を出版して、写真や美術関係以外の方々からも反応があったり、テキストと写真を組み合わせた本を創りましょうと声をかけてくれる編集者の方があらわれたのですが、それは本当にうれしいですね。自分は文章を書く専門家には決してなれないですが、今後も書きたいです。書くことによって、写真の幅も広がるような気がしています。
金川晋吾
1981年京都府生まれ。2016年リリースされた初の写真集『father』に関連し、写真展に付随したトークイベントも精力的にこなす。7月13日(水)から24(日)まで、galleryMain、8月16日(火)から29日(月)は新宿ニコンサロンが予定されている。
金川晋吾『father』出版記念展覧会
会期:7/13(水)ー24(日)※ 火曜休廊
時間:13時ー19時半
会場:galleryMain
住所:〒600-8059京都市下京区麸屋町通五条上る下鱗形町543-2F
電話番号:075-344-1893
http://www.gallerymain.com
mail: info@gallerymain.com
トークイベント
7月22日(金)19:30~21:00 ゲスト:林田新(視覚文化論、写真史/写真論) 櫻井拓(編集者)
7月23日(土)19:30~21:00 ゲスト:中澤有基(写真家、ギャラリスト)
7月25日(月)18:00~20:00 ゲスト:細馬宏通(人間行動学、ミュージシャン)
*7月25日(月)のイベントのみ会場は写真展会場と異なり、半月舎(滋賀県彦根市中央町2-29)となりますのでご注意ください。
金川晋吾『father 2009.09-』
会期:2016年8月16日(火)~29日(月) *21日(日)・22日(月)休館
時間:10:30~18:30(最終日は15:00まで)
会場:新宿ニコンサロン
住所:〒163-1528 東京都新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階
http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2016/08_shinjyuku.html#03
ギャラリートーク
8月20日(土)18:30~20:00 ゲスト:飯山由貴(アーティスト)
金川晋吾写真展『father 2009.09-』開催記念トークイベント
ゲスト:杉田俊介(批評家)
日時:8月27日(土)19:00~
会場:本屋B&B
住所:〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-12-4第2マツヤビル2F
http://bookandbeer.com/
TAG: PHOTOS, 写真家, 若き写真家が見る歪んだ世界, 金川晋吾
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